「とにかくすごい」と評された秋元貴美子展 「池田記念美術館」  人生はアートによってできている

更新日:4月5日


 「とにかくすごい」と評された秋元貴美子展 「池田記念美術館」

 人生はアートによってできている



 「都市と自然のエレメンツ」

 新潟県南魚沼市浦佐にある「池田記念美術館」で、秋元貴美子写真展展「都市と自然の

エレメンツ」が開催されている。当初3月6日までとされた写真展は、好評のため1月ほ

ど延期され、4月14日までの開催となった。

「ウエルネス@タイムス」記者が、わざわざ彼女の写真展に行ったのは「新潟日報」(2

022年2月5日付)の「展覧会へようこそ」での紹介記事を目にしたことだ。

 その書き出しに驚くとともに、一体どのようなものなのか興味が沸いたためである。

「荘厳、神聖に満ちた情景」と紹介された記事は「とにかくすごい」から始まり「その作

品量と写真力に圧倒されてしまった」と、紹介者である県展委員の田辺千勝氏が書いてい

る。

「南魚沼の地で、この至宝のような作品展に出合えたことに感謝している」というのが、

田辺氏の正直な気持ちなのだろうが、どこがどう「すごい」のかは、自分の目で見てくる

しかない。

 会場となった池田記念美術館はベースボール・マガジン社および恒文社を創設し、野球

殿堂入りした池田恒雄オーナー(1911~2002)のコレクションなどを集めたもの

である。

 スポーツ分野で知られるとはいえ、それだけではない。

「自然と文化とスポーツの感動」と、同美術館のパンフレットに書かれているように、野

球、大相撲、プロレス、オリンピックといったスポーツ関連だけではなく、日本美術展示

室、小泉八雲文学資料室などがある。定期的にユニークな展覧会が開催されている。





 人生はアートでできている

 秋元貴美子氏は1970年、埼玉県浦和市に生まれた。日本大学芸術学部写真学科を卒

業後、大学院を経て、現在は日大芸術学部写真学科教授でもある。

 創作活動の傍ら、高校生の写真活動の研究をライフワークとし、全国高校写真部のサポ

ーターとしても活躍しているという。

 池田記念美術館はこれまでも「八色の森の美術展/未来に繋ぐ絵画考」と「子ども絵画

展」を開催して、プロの現代作家と地域の子どもたちの作品を一堂に展示するなど、ユニ

ークな取り組みを続けている。

 秋元氏の個展は、そんな美術館に相応しいということだろう。

 展示総数436点という作品展は、2階の2室で構成されている。1室目の「化生する

光景」と2室目の「マルタ共和国」に分かれている。

 1室目の入り口に心理学者C・G・ユングの言葉が掲げられている。

「この世は無慈悲で残酷であるとともに、神聖な美しさに満ちている」



 この世のことは、どんなに言葉を重ねても、イメージは伝わるようで伝わらない。その

イメージも受け取り方は人それぞれだとわかれば、言葉にしろ写真にしろ、あらゆる対象

・光景は案外パッと見たときの印象が正しいことが少なくない。

 彼女は見学者の代わりに、自分が過去のある時間、そこにいて、カメラを用いて切り取

った映像を、美術館に展示することによって、言葉にならないもの、そして写しつつも、

なお見えない世界までをもメッセージする。

 1室目のテーマは、何しろ「化生する光景」である。化生とは四生「胎生・卵生・湿生

・化生」の一つ。母体や卵からではなく、忽然と生じることだ。

 その作品世界に触れるならば「人生はアートによってできている」と実感できる。



 「この世ならぬもの」からの声

 日大芸術学部写真学科の教員一覧に掲載されている秋元貴美子教授のプロフィールには

「教育方針と内容」の他、「研究/創作/領域・業績」の項目があって、そこには次のよ

うに書かれている。

「古来より日本人が畏れ信仰してきた聖なるもの=自然は、共に生きるものでもある。自

然風景という既知のものを表現する積み重ねの中で『もの』のけ(この世ならぬもの)か

らの声をきき、現代において見えなくなりつつある神性宿りし空間・時間を捉えなおす」

 そんな彼女の言葉を聞けば「ああ、そうだったんだ」と思うとともに、確かに彼女の撮

影、写真作品は極めて哲学的、宗教的な要素に満ちている。

 ずいぶん難しいように思えるが、それはいまの日本人が「この世ならぬもの」からの声

を聞く力を失い、聖なるものからかけ離れた日々を送ってきた結果である。

 改めて、自然を味方にし、神性に向き合えば、彼女の言っていることも、素直に理解で

きる。

 一方、2室目の「マルタ共和国」の印象は全体的に明るい。地中海に浮かぶ島・マルタ

共和国の風景・都市を写して、そこから彼女の見た「都市と自然のエレメンツ」、つまり

は人生の「要素」を様々な角度から切り取り、示すことによって、見るものをして考えさ

せるようになっている。

 二室を巡ることによって、異なる印象ながら、その明暗も人生の両端であるとわかる。






 「風」と「石」をつなぐ「水」

 世界を構成する「地水火風空」という5つの要素(エレメント)に着目した光景や異空

間としての聖地を探し、取材を続けているという秋元貴美子氏は、日大芸術学部の先輩で

あるアーティスト笹井祐子氏と2人で1冊という作品集を、これまで3冊出している。

 3部作とも言える作品集は、2007年の『風のおとずれ』、『石/華厳の世界』(秋

元貴美子作品集)と、2008年の『おしゃべりな石』(笹井祐子作品集)が1冊になっ

た作品集、そして2010年の『水景』である。

 そこにあるのは、彼女たちの作品を形作っている創造力と、それに相応しい行動力、藤

原一成氏(日本大学芸術学部講師・評論家)という理解者・プロデューサーがいて、2人

のアートが世間に対するメッセージとなっていることだろう。

「風」「石」に続く「水」をテーマにした作品集『水景』の中で、藤原氏が、いみじくも

「雪舟は四季の推移を水流に託し、光琳は流木に山水の気を表出した。応挙は波濤に生命

の躍動を、氷図に無形の形を感得し、抱一もまた波濤にわが心を託した」と、国宝の画家

・絵師たちを引き合いに出しているのは、偶然ではない。

 2人のコラボレーションによるアートは、写真と版画などが渾然として「地・水・火・

風・空」という、この世を構成する5つの基本元素「五大」と一体となり、世界の実相を

作品という形で切り取り、作品集として提供している。

 二人は『水景』の「あとがき」で「風」の声を聞き取ろうと、風とのコラボレーション

を試み、作品集『風のおとずれ』をつくり、ついで、あらゆるものを載せる「地・地盤」

と、そこに人間の時間を超越して存在する「石・岩盤」を見いだしたこと。その「地」と

の対話が作品集『おしゃべりな石』『石-華厳の世界-』となったと明かしている。

 風と石と水をテーマにした3部作は、まさに彼女の「この世ならぬもの」、「神聖な世

界」を象徴している。水は一定程度の温度の上昇で気体として「風」になり、氷点下では

「石」のごとき固体となる。対照的な両者をつなぐ形の「水」は、相転移する三態を通し

て、水の景色即ちものごとの成り立ちを教えている。







 あなたに逢えたことがしあわせ

 秋元氏の写真展は、写真展ではあっても、写真作品とともに、彼女の言葉が一つの作品

のように添えられている。

 そこでは言葉で語れないものとしての写真が、言葉によって制限されるのではなく、さ

らに大きな可能性が示唆される。

 彼女の言葉は、実に冒険的で、表現以上に刺激的なものとなる。

 例えば「目に見えるモノだけが、全てではない。その土地に刻まれた記憶を感じ、そし

て、物語は動き始める」

「刹那の出会いが那由他(梵語で極めて大きな数量のこと)にかさなる光を感じ、風を感

じ、あたたかさを感じ、気配を感じる。今日、ここにいて、あなたに逢えたことがしあわ

せ。そして・・・いつか空に還る」 写真であるとともに、彼女の作品世界が、すべてア

ートだということ。つまりは、生き方、哲学、人生であり、それは「われわれはどこから

来て、どこへ行くのか」を「五大」という地球上の要素(エレメント)として提示しなが

ら、見る者に訴えかけている。

 その答えは藤原氏の解説にあるように、多即一、一即多という人生の真理を説く華厳の

世界なのである。

 華厳とは「万徳を修め、立派な功徳を得ること」だ。

 言葉は易しいが、実際には難しい。だが、彼女の作品世界が、その道標だと思えば、あ

りがたいことである。

 彼女の写真に添えられた「あなたに逢えたことがしあわせ」という言葉は、東武百貨店

の「田村セツコ展」のテーマ「あなたに会えてよかった」に共通する。

 写真も彫刻もあらゆるアートは、おそらく悟って後、真の鑑賞に耐える価値ある作品と

なる。

 伝統を拒否し、これまでの流儀も手法も捨てて、新たな何かを生み出そうとする現代ア

ートの世界でも、それは変わらない。

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図」が、国の重要文化財になる。一芸に秀でるとは、どのようなことを言うのか、そのわ

かりやすい例である。

 それこそ「新潟日報」で、田辺氏が指摘した「すごさ」の本質ということだろう。




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