「コロナ・パンデミックと暗黙知について」 ウエルネス一口知識4
スペイン風にワクチンはない
相変わらずのコロナ騒動が続いている。第5波が終息して、その後はオミクロン株の恐
怖が声高に叫ばれている。
そして、盛んにワクチン接種と、そのスケジュールが取り沙汰されているが、すでに日
本人の大半はワクチンを2回打っている。
今度は3回目というのだから、一体いつまで続くのか。
どこかおかしいと、現在のコロナ・パンデミックを前にして、参考までに大正7年(1
918年)に大流行したスペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)について調べてみる
と、意外な事実が発覚する。
流行は3年近く続いて、世界の人口の3割以上が感染し、数千万人が死亡した。
日本でも39万人近い死者を出している。
当然、ワクチンの開発が各国で進められたが、効果のあるものはなく、実は3年近く続
いたスペイン風邪にワクチンはない。
約100年後の今日、コロナワクチンが登場したが、一度では効かず、二度三度と、半
永久的に打ち続けるというのだから、およそワクチンの概念を破壊している。
スペイン風邪同様、いまだ新型コロナにワクチンはないと思えば、よくわかる。
製造者責任を無視する製薬大手
第5波が終息し感染者が激減している中、テレビで若手の評論家が「少しは日常生活が
復活するのかと思ったら、さほど脅威とも思えないオミクロン株の恐怖を煽って、またも
や自粛生活を強いられるのは、コロナを終わらせたくない人たちがいるからではないか」
とコメントしていた。
なるほど。そう考えると、コロナワクチンは資本主義末期、医療業界・製薬資本にとっ
ては、最後に降って湧いたようなビジネス金脈である。
それも強欲資本主義を剥き出しにしたえげつないビジネス手法を露にしている。
新型コロナウイルスが猛威を振るいはじめたころ、ワクチンを求める国々に対して、製
薬大手、例えばファイザー製薬が日本政府にどのような要求をしたかは記憶に新しい。
ワクチン接種によって死んでも、どんな副反応があっても、メーカーは責任を負わない
というものだ。
「ワクチンで守れる幸せがある」とファイザー製薬は広告で謳っているが、それは資本主
義下の製造現場で問われるようになった製造者責任(PL法)を無視したもの。命の危険
と引き換えに、つまりは人の弱みにつけ込んで、勝ち取ったビジネスの勝利である。
問題は、そんなワクチンにすがるしかない各国の医療体制であろう。
暗黙知の定義と第六感
パンデミックに限らず、100年前のできごとが現在に重なって見えるとき「歴史は繰
り返す」という、よく耳にする警句とともに、個人的には暗黙知という言葉が思い浮かん
でくる。
「暗黙知」とは「形式知」の反対語で「言葉にはできないもの」という定義である。
そんな定義のものをどういう言葉・表現で伝えたらいいのか。
一般的には、暗黙知はハンガリーの哲学者マイケル・ポランニーが提唱した理論として
知られる。暗黙知は二足歩行や自転車、泳ぎなど、なかなか身につかないが、一度身につ
けると生涯忘れることはなく、社会の形式知(社会システム)が変わったとしても、その
暗黙知は個人の中でずっと残り続けるというものだ。
言葉にできない暗黙知を類似の言葉に置き換えると、どのような表現ができるのか。
日本における「暗黙知」研究の第一人者である松原幸夫・元九州大学教授が、周りの友
人、知人、さらには職人等に聞いて導き出した答えは「感性・第六感・直観」が、求めて
いたものに近いという。
第六感(ザ・シックス・センス)とは、文字通り五感を超えた感性のこと。まさに見え
ないものだが「ある」、言葉にはできないもの。平たくいえば、感性をいかに高め、豊か
にするかが、暗黙知にとっては重要ということだ。
コンドラチェフの波と暗黙知
歴史が繰り返すのは感染症の歴史でも同様のようだが、人間の歴史が繰り返しているよ
うに見えることから、文明、社会、経済がたどるサイクルについて、文明学者アーノルド
・J・トインビーをはじめ、日本では村山節など多くの学者が研究し提唱している。
一般的にはロシアの経済学者ニコライ・ドミートリッチ・コンドラチェフが唱えた「景
気の推移・波は50年から60年周期で現れる」という「コンドラチェフの波」が有名で
ある。コンドラチェフの波は技術革新等により起こる成長・発展が、やがて終焉に向かう
サイクルである。
日本に当てはめれば、我が国は明治維新から文明開化の波に乗り、世界大戦景気を謳歌
した。50年後、日英同盟破棄、関東大震災、そして昭和恐慌、太平洋戦争へと向かって
いく。
また、1945年の終戦後、驚異の復興を遂げバブルの時代を謳歌した日本は、50年
後の95年、戦後55年体制が崩壊、阪神淡路大震災から「失われた20年」、東日本大
震災を経て、コロナ禍の現在、世界が大きく変換せざるを得ない事態に陥っている。
その変遷はコンドラチェフの波の仮説を証明しているようでもある。
だが、確かに現象としては正しく思えるが、その生成メカニズムに関しては特に説得力
のある説明はない。
その変遷の理由・要因を「暗黙知」によって解明しているのが、松原教授である。
「暗黙知50年」の仮説
松原教授の暗黙知に関する仮説とは「前の時代の暗黙知は、50年存続する。新しい形
式知(社会システム)と暗黙知が併存するとき、社会は繁栄する」というものだ。
また、第2の仮説「形式知75年説」は「ある時代の形式知(社会システム)は、水面
下で暗黙知が再醸成されなかったとき、次のステージに移行する」というものである。
明治維新から始まる周期を第一期とすれば、確かに75年で次の周期に移行している。
さらに、このサイクルを終戦から始まる第2期に適用しても同様で、75年後の2020
年が第三期への転換点になる。
新型コロナが猛威を振るう世界で、時代が大きく変わる転換点であることも、偶然とは
思えない。
興味深いのは、松原教授によれば暗黙知50年の仮説は江戸時代には当てはまらない。
もちろん、コンドラチェフの波とは無縁である。
江戸時代の開発とインフラ整備
江戸時代の初期は、街道や橋を整備したり、新田開発をするなど、我が国の歴史上最大
のインフラ整備が行われた。ところが、50年が経過したころ、全国各地で森林を伐採し
開発しすぎたため、大洪水や土砂崩れが起きて、せっかく開発した土地が荒廃する結果と
なった。
そこで、幕府は1666年に「諸国山川掟」を出し、インフラの乱開発を一切停止。そ
の後は徹底的にそれまでのインフラを使いこなすことに注力した。
インフラの維持・整備にはさほどの財源は必要としない。余った財源で減税をした他、
技術改良により収穫高を増加させ、それまで輸入に頼っていた絹なども国産化。昆布、な
まこ、フカヒレといった海産物を新たな輸出品にするなど、国内産業の育成にも取り組ん
だ。
多くの施策により庶民の生活水準が向上し、豊かな元禄文化が花開き、その後200年
続く文化立国への方向転換に成功したわけである。
江戸時代の開発からインフラ整備に関する一連の流れは、近年の日本を襲う大洪水、土
砂崩れなどの災害に、江戸時代の暗黙知が生かされてこなかった結果だと見ることもでき
る。
そして「暗黙知50年」の仮説が当てはまらず、コンドラチェフの波の影響も受けずに
200年以上の平和が続き産業・文化が栄えたのは、江戸時代には暗黙知が広く社会に継
承されていたためだと思うと、よくわかる。
江戸時代にもあったイノベーション
モノづくりを研究テーマの一つにしてきた松原教授は「江戸時代に学ぶこと」を提唱し
ている。
教育・文化・徒弟制度等、現代の日本人が失いかけている重要な要素が江戸時代には栄
えていた。モノづくりの感性がもっとも豊かだった時代でもある。
徒弟制度は身分制度に縛られ自由がないように思えるが、実際には職人世界に伝統的に
ある考え方「守・破・離」のサイクルを生かし、自然や文化に親しむ在り方でもある。
そこにはイノベーションがあり、松原教授の言葉では守(鍛練=ベーシック・トレーニ
ング)、破(深化=ディープニング・イノベーション)、離(展開=オープン・ディベロ
ップメント)というBDOサイクルを、うまく回すことで、暗黙知を次の時代に継承して
いくことができる。
まさに「守・破・離」は、江戸時代の知恵の結晶であった。
その江戸の知恵・文化が否定されたのが、明治維新である。
鎖国していたとはいえ、長い平和な時代は黒船に象徴される西洋文明によって脅かされ
ることになった。
開国を迫る西洋諸国から太平の眠りを破られた日本は文明開花、富国強兵を掲げ、急速
に西洋に追いつけ追い越せと、文明国への階段を上り詰めていった。
その成果が証明された事例とされるものの一つが、外国との交易が増えるとともに問題
になった感染症対策である。
コレラの大流行と上下水道整備
日本で江戸後期から明治にかけて猛威を振るった感染症は、1877年(明治10年)
のコレラである。
当時、日本でのコレラによる犠牲者数は10万人に上った。今日のコロナどころの騒ぎ
ではない。
コレラの大流行によって、水洗便所などもなく、下水道の整備されていない当時の都市
における衛生状態の悪化が問題とされた。
そのため明治期に英国から来日したウイリアム・K・バルトンは、日本における下水道
の基をつくった人物として、一冊の本(『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』稲葉紀
久雄著/平凡社)になっている。
結果、今日の上下水道の基盤が整っていったわけだが、もともと江戸は世界最先端のリ
サイクル都市として知られている。その象徴的な話が、糞尿も売り物となっていたという
事実である。
いまでは想像しがたいことだが、隅田川は白魚や浅草海苔が採れるとともに、貴重な交
通路となっていた。
松原教授は講演等の資料で『江戸時代に見る日本型環境保全の源流』(農文協)を引用
して「18世紀の江戸・白魚の棲む隅田川と糞尿流れるテムズ河」をイラスト付きで紹介
している。
白魚が棲んでいた隅田川は、いまでこそ見た目はキレイになっているが、戦後の高度成
長期にはヘドロの川と化している。
明治以後の歩みは、江戸時代の知恵を古いものとして捨て、結果的に暗黙知が生かされ
なかったために起きている逆転現象なのではないのだろうか。
日本経済は美しい白鳥になる
いまさら江戸時代にはもどれないが、文明という力、あるいは効率優先の科学技術によ
り実現した衛生状態の改善は、本当に人間にとって、自然にとって正しい選択であったの
か疑問でもある。その結果のコロナ・パンデミックではないのか。
そう考えると、文明開化、富国強兵のツケとして突きつけられているのが、今日、問題
になっている地球その他の持続可能性、SDGs(持続可能な開発目標)だとわかる。
今後、世界は、どのように進んでいけばよいのか。
江戸時代と現在では、日本を取り巻く世界も環境も様変わりしている。問題は江戸時代
には可能だった長い平和な時代を、実現できるかどうかである。
そのヒントとして松原教授は、我が国の高度成長を政府側から牽引してきた大蔵省出身
のエコノミスト下村治博士の言葉を上げている。
1.日本経済は美しい白鳥となる可能性を秘めている。
2.日本は江戸時代のような姿になるのがいい。文化とか芸術とか教養に力を入れる時代
となるべきだ。
1960年(昭和35年)、池田勇人首相が「国民所得倍増計画」を打ち出した。その
生みの親が下村博士である。
計画開始時に出されたのが第1の言葉。計画達成時に出されたのが第2の言葉だ。
もやは高度成長の時代ではないと言われている中で「美しい白鳥」という言葉が、いま
も通用するのは、その意味するものが「明確な理念」を体現した成長の在り方とその姿の
象徴だからだ。
第2の言葉は成長の果実のようなものであり、真に豊かな時代に必要なものである。江
戸時代は農村にまで、寺子屋や祭りの文化、歌舞伎・文楽などの芸能といった豊かな文化
が息づいていた。
これからの新しい時代を環境と調和した実り豊かなものにするために、感性を磨くこと
で暗黙知を醸成するプロセスを、教育やものづくりの活動の中に積極的に取り込んでいく
必要がある。
一朝一夕に実現できることではない。だが、日本は江戸時代という世界で例を見ない長
期にわたる繁栄と平和な時代を経験している。
ピンチは常にチャンスである。
改めて、終戦後75年が経過したコロナ下の現在は、我が国が経済立国から文化立国へ
の転換点にするためのベストのタイミングである。
その先には美しい様々な花が一面に咲き乱れる「百花繚乱」の光景が広がっていると、
松原教授は百花繚乱というキーワードに、すべての人が各々その天分を発揮し輝いて生き
ていくという未来を託している。
「暗黙知」が、今後さらに研究し検証されるべきテーマである所以である。
Commentaires