「三方よしから四方よし」に 「偉大なる凡人」の天から来る霊力
「ライオン」創業者・小林富次郎の実像(2) 『月刊タイムス』連載より

2024年、雑誌の休刊と創刊
出版不況はいまに始まったことではありませんが、2024年も雑誌の廃刊・休刊が続いているとニュースになっていました。
部数減、返品問題、コロナ下での広告収入減などによる採算悪化の進行並びに活字離れが進んだ結果ですが、逆に小学館が11月に新しい形の文芸誌『GOAT』を創刊して、話題になっています。
「小説を、心の栄養に。」とのキャッチフレーズで、ジャンルを超えた多彩な執筆者による雑誌で、500頁を超えるという創刊号は、再生紙を使ったとはいえ、驚きの定価510円です。
とはいえ、それは例外で、例えば月刊芸能誌『ポポロ』(麻布台出版社)、女性ファッション誌『steady.』(宝島社)、アニメ声優誌『声優アニメディア』(学研プラス)などが休刊になっています。
そんな世の中の趨勢には抗い難く、実は『月刊タイムス』(2024年12月号)での連載が始まった「ライオン創業者・小林富次郎の実像」ですが、同誌は2025年2月号を持って、紙媒体は休刊。デジタル版『月刊タイムス』のみになるということです。
同連載も、デジタル版に引き継がれるということのようです。
以下、第41号に掲載した第1回に続いて、2回目の「三方よしから四方よし」「偉大なる凡人の天から来る霊力」について、掲載します。

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天から来る霊力・霊能の自覚
「ライオン」株式会社の創業者の伝記『小林富次郎伝』の序は、当時のキリスト教指導者・海老名弾正牧師が書いている。
創業者が彼の教会の信徒だったためだが、いまのユーザーの大半は、そうした事実を知らない。
もしかしたら、消費者に寄り添うライオンの企業姿勢には、キリスト教の「博愛精神」が感じられるかもしれない。ライオンのキャッチフレーズは「今日を愛する」である。
とはいえ、それも日用品を扱う多くの企業の基本的なメッセージだと思えば、そこにキリスト教を感じ取るユーザーは、まずいないと言っていい。
たぶん今日のライオンや社員にとっても、キリスト教に限らず、信仰・宗教は「政教分離」の原則同様、ビジネスとは分けていて当然であろう。
左翼(日教組)が支配した戦後の教育界、安保闘争の時代とともに、やがて経済成長期は「神は死んだ」と言われた時代である。
だが、海老名牧師は伝記の「序」で、ライオン創業者について、それは彼が育んだライオンの強さに共通する要素だが、他の経済人とは異なる資質・強さを信仰心のベースにある「天から来る霊力・霊能の自覚」と指摘している。
「天から来る霊力・霊能の自覚」とは、現在、あまり聞かれない表現である。
いまの言葉にすれば「信仰心」から生まれる力ということになろうが、その信仰心もすっかり心許ない時代になっている。
企業としてのライオン自体、キリスト教とは自然に距離を置いているイメージがある。
以下、前回の「序」の続きである。
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生涯の一大転機とは?
小林氏は徒手空拳の身でありながら強者を退け、無学の身でありながら学者を退け、わずかの資産でありながら巨万の富豪に恥をかかせることができたのも、神の霊能によるものであることは、すでに述べたが、この内なる霊験は日頃の努力によって得られたものである。
小林氏の性情も真善美の霊能に感じやすく、彼がクリスチャンになったのも、機を見るに敏な商人の打算からではなく、あるいは事業の失敗によるものではなく、クリスチャンの敵に対する態度を傍観し、痛く感激したためである。彼は密かに同僚の身勝手な生き方を改めさせようと、代わりに聖書の講義を聞いたのだが、その本人が感激して信者となっている。
見えざる神の手は、常に彼を指導している。上京して、自由神学(海老名弾正牧師の自由主義神学)の説教を聞き、目を見開かせられるところ多大であった。そこでの彼は、その信仰の熱を冷ますかのような試練を切り抜けた。また、温情厚きものがあることから、頑固で偏屈に思える一面もある。
彼は失敗に失敗を重ね、貧しさと病いに襲われ、進退極まる境遇に陥るといえども、神を怨むような愚痴を言わず、かえって神の信頼を得た。とはいえ、彼が初めて有望な事業を開始したとき、彼の属していた教会は解散する運命にあった。
このとき、彼の教友の多くが離散したが、彼は少数の同志と途絶えそうな教会の再興を決意した。その信仰は慎み深く忠実である。これは本郷教会(本郷弓町教会)の栄える所以となり、同時に彼の生涯の一大転機となった。これこそが、彼の社会における信仰生活の門出である。
このとき彼の牧師(海老名弾正)は異端視されて、攻撃の矢面に立った。本郷教会も四方からの排斥を受け、孤城落日の光景を呈した。小林氏の聡明さはこの危機に際して、惑うところなく「新神学(自由神学)は自己の心裏に神の子を自覚するものなり」と合点しその真実なる試み、その形式に捕らわれざる信仰は、心の底から新神学の声に同調した。
彼がこの新しき天外の声に呼応して立ち、矯風事業に熱中し、禁酒会を鼓吹し、あらゆる慈善施設に寄付し、青年会のために奔走したことは、このときから明らかであった。
自由神学は厭うべしとするも、小林氏を排斥することはできない。また、牧師と信徒とは一心同体、到底これを引き離すこともできない。クリスチャン社会は何とも奇異の念に打たれ、奇異の立場に立ち、牧師の自由神学を蛇蝎視するも、小林氏の慈善事業はこれを排斥することができず、要は慈善家を異端者より引き離すことなどできなかったのだ。
小林氏は信条に捕らわれた教派を脱却して、真にキリストの友たるクリスチャンの品性を発揮した。彼はすでにその形式を破り、人類を友とし、兄弟とした。彼は心より宇宙人類の神を我らの父と呼んだ。そのため、彼の眼中に宗派なく、彼の眼中に正異の別なく、異教人なく、外国人なく、人類あるのみなのである。
仏者も神官も彼の慈善の対象に漏れることなく、いわんやその門徒においてはなおさらである。彼の葬儀のとき、僧侶も彼の棺側に立ったことは、彼が真のクリスチャンたる証である。
信条やルール、形式により、彼を一宗一派の中に閉じ込めることなど、到底できない。
事実、自由神学の根本原理は彼の博愛心を解放した。
彼が自由神学に負うもの少なしとせず、その自由神学の伝布に対する貢献は、実に大なるものがある。小林氏の如き存在はその霊能の発揮において、我が実業界の偉人とするほかはない。
明治44年10月6日 海老名弾正
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三方よしから四方よし?に
改めてサスティナビリティ、あるいは持続可能な資本主義について考えるとき、例えば「NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』出演!」と帯にある新井和宏著『持続可能な資本主義』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)には、100年後も生き残る会社について、近江商人の「三方よし」を持ち出して、再検証している。
新井氏は、投資コンサルの立場から、現在は経済・経営環境が複雑化していることもあり同書で「八方よし」の経営哲学を提唱し、三方について社員・取引先(債権者)・株主・顧客・地域・社会・国・経営者の8つの要素に分けている。
分けることによって、理解しやすくなることも確かだが、現代は社会に限らず何事も分けることによって、かえって本質から外れるという分割・細分化が限界を迎えている時代でもある。
検証する上で、3つを8つに分けることには意味があるとしても、売り手(経営者・社員)と買い手(取引先・株主・顧客)、世間(地域・社会・国)を全体で捉えるならば、三方よしで何ら不都合ではない。
むしろ、あえて三方に一つ付け加えるならば、蛇足ではあるが、三方よしからも、著者のいう八方よしからも抜け落ちている、もう一つの本質的な要素を付け加えるべきであろう。
それが、当の企業の利益を生み出す「売り物(商品)」そのものの存在である。商品を企業同様、命あるモノと考えれば、彼ら「商品」の声、その思いを聞いてみるということだ。
効率を重視し、利益を最優先する企業社会、強欲資本主義の体制下では「ナンセンス」な発想でしかないが、彼ら商品が悲しむようなもの、誇大表示等、嘘のレッテルの貼られたブラック企業のつくった邪悪な商品であれば、ユーザーや世の中のためにはならない。
結果、インチキや不正がバレて、当の企業の危機につながるぐらいなものである。
歯磨き粉一つ、洗剤一つ、目薬一つ。その商品の声を聞けないとしても、開発者・担当者の初心は、彼らの声をいかに反映する商品にするかである。それは、どの企業でも同様のはずである。
初心とは創業者の思いでもある。そして、企業が実際に何を目指してきたのか、その結果できた商品ならば、それは企業にとっても社員にとっても、また世間にとっても、十分に歓迎されるはずだからである。

明治・大正期のベストセラー作家
『小林富次郎伝』は、加藤直士氏の筆による評伝である。
今日ではほとんど語られることはないが、加藤氏は当時のベストセラー作家の一人として知られる。ウィキペディアには「宗教哲学者、ジャーナリスト、翻訳家、実業家」と紹介されている。
明治・大正期に『パレスチナ印象記』『東宮殿下の御外遊に陪従して』など、ジャーナリストとしての著書を出版している他、『世に勝つ鋼鉄王カーネギーの成功の法則』などの著書の他、D・カーネギーの『人を動かす』『道は開ける』の翻訳者だと言えば、おおよそのイメージは掴めるのではないだろうか。
トルストイの『我懺悔』などの翻訳書の他、『恋愛の福音』『宗教界の三偉人』など、哲学並びに宗教関連の自著も多く出版している。
なぜ、その彼が創業者の伝記を書くことになったのかは、本の第一章「はしがき」に書いてある。
その第一のキーワードは「偉大なる凡人」ということだ。その「はしがき」は、次のように始まる。
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大西洋上の午後であった。1万3000トンのミネハハ号のボートデッキで運動している筆者の後ろから軽く肩を叩く人がいる。誰かと思えば、鳥打ち帽姿の小林氏で「加藤さん、航海中に私の身の上話をするから、どうぞ聞いておいて下さい」と言われた。
快諾して、その後、連日あるいは甲板上を散歩しながら、あるいは社交室のソファに横たわりつつ、小林氏は自分の過去の行状を思い起こしながら、話を続けた。
筆者はノートを手にして、一々これを筆記した。時に、懐旧の情に堪えないくだりになると、小林氏は起き上がって、熱心に当時の様子を物語る。筆者も思わず、筆を置いて、ときどきもらい泣きをしたこともある。
こうして綴られたのが、小林氏の口により語られた一編の自叙伝である。もとより、これは伝記の骨子に過ぎず、控えめな同氏の口からは、自身の逸話、美談をもらすはずはないので、それらは友人や遺族の人々から聞き集める必要があったが、ともかくこれを土台にして、この小伝を編むことができるのは、なによりの幸せである。
思うに、小林氏は自分の死後、筆者の筆をもって伝記を残してもらいたいとの意思であった。去年の不幸の時に、筆者はこの同じ材料から短い同氏の来歴を綴って、葬式の時に朗読する光栄を得た。今また一周忌に臨んで、ここに比較的新しい伝記を書くことを許されたことは、筆者の感慨にたえないところである。
畏友にして、恩人でもある故・小林老兄に対する筆者にとって、その最後の報恩の行為は、ただこの一事である。筆を起こすに当たって、試みに、当時の日誌を繙いて見れば、明治三十八年七月十八日大西洋上、前述の身の上話を書き綴った日のところに、左記の一句がある。
「小林氏の歴史は失敗と疾病とを蒔いて、成功と永生とを刈りたる生涯の実例である。筆者はこの人を友とし師とするを、一生の快事として感謝するものである」
さりとて、人の伝記は容易に書けるものではない。ごくつまらない平凡の人さえ、長い一生の中に、どれほどの伝えるべき来歴があるかもしれない。まして、変化と屈曲に富んだ立志伝中の一人たる我が小林氏の生涯においてはなおさらである。
筆者の描くところの片鱗は、果してよく全体を彷彿させるものかどうか、大いに疑問である。ただ、ここにいささか心強く感じることは、小林氏はどう見ても「偉大なる凡人」
である。純然たる平民である。何事にかけても、彼ほど通俗、世間並みであることを大事にした人はいない。難しいことは彼の一番嫌いなことだからである。
されば、この偉大なる平民を伝えるには、何よりもまず通俗を旨とすべきである。その思想も文もできるだけ平易に、丁稚小僧にも職工徒弟にも一読してわかるような伝記の書きようこそ、もっともその主人公の生涯に適ったものであろう。それでこそ、筆者は本書を逝ける友の思い出とすることができるというものである。
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ここでいう「通俗」とは「平明さ」ということである。偉大なる凡人との言葉も、実際には通俗や世俗的であることの対極にある。
小林氏の生き様は、その凡人ぶりを徹底すれば、海老名弾正牧師がいうところの「天から来る霊能」を得て、天下無類の強さに通するということである。
聖書を掲げた経営を語ることは容易なようだが、付け刃では「聖書」は掲げられない。
実際に、後に改めて紹介する機会があると思うが、『聖書を旅する商人』として話題になった実業家が、ハレンチ事件を起こして、新聞沙汰になったこともある。
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