top of page

「知の巨人」立花隆とノンフィクション作家・佐野真一にまつわる「こぼれ話」  近刊『悲劇の梨本宮家、誤解の梨本宮 その知られざる真実』(仮題)より

「知の巨人」立花隆とノンフィクション作家・佐野真一にまつわる「こぼれ話」

 近刊『悲劇の梨本宮家、誤解の梨本宮 その知られざる真実』(仮題)より 


 無名ジャーナリストの仕事

 2025年の日本は「昭和100年」「戦後80年」です。

 終戦後の平和な80年を迎えて、この夏は「昭和100年」がクローズアップされています。

 その暑い夏を目指して、これまで日本の戦後処理を、天皇家並びに宮内庁、厚生労働省に代わって執り行ってきた一般財団法人「梨本宮記念財団」並びに梨本隆夫代表理事に関するレポートをまとめる形で『悲劇の梨本宮家、誤解の梨本宮 その知られざる真実』を三和書籍から出版する企画が進行中です。

 その「付記」として記された「無名ジャーナリストに関するメモ」には、2人の著名なジャーナリスト、「知の巨人」と言われた立花隆氏、ノンフィクション作家・佐野真一氏にまつわる秘話などを紹介して、なぜ、無名ジャーナリストが同書を書くことになったのかを記しています。

 その理由は、そのまま「ウエルネス@タイムス」を提供している「ひとりシンクタンク2010」の存在理由でもあり、他メディア、ジャーナリズムとは異なることの証明ともなることから、ちょうどいい機会でもあり、一足早く、ここに掲載することにしました。

 以下、近刊『悲劇の梨本宮家、誤解の梨本宮 その知られざる真実』からの転載です。

「知の巨人」の限界

 人を「ニセモノ」「インチキ」というのは簡単である。

 だが、世間を見ていて、当たり前に思うことは、アメリカのトランプ大統領にしろ、ロシアのプーチン大統領にしろ、ウクライナのゼレンスキー大統領にしろ、一様に相反する2つの見方、評価が下されていることである。

 ニセモノと思えば、その通りのようであり、ホンモノかと言えば、平和を掲げながら、(トランプ大統領は戦争が嫌いなようだが)戦争の正義を語り、殺人を続けられること自体、大いに矛盾している。

 ジャーナリストもいろいろだが、近年のジャーナリストの代表である、例えば立花隆氏は、誰もが真のジャーナリストとして評価する。文明論的視点をベースに宇宙論的視野を交えて、幅広いテーマで大量の著作を残している。

 だが、その彼にも欠点はある。立花隆批判は、いろんな人物が行っている。

 大半は「出る杭は打たれる」の類だが、筆者の抱いた違和感の一例は、遺伝子組み換え食品について、堂々と支持をするレポートを書いて「自分は率先して食べる」と、世の中の一般的な風潮並びに自然保護・環境関連団体等の主張を無視して、世界的なビジネスの流れを推進する動きをメディアの面からサポートしていたことだ。

 その昔「ジャーナリズムとは何か?」と問われて「最先端を扱う」との条件を掲げていたが、東大卒の彼は「知」の象徴であり日本の頂点に立つと信じられている東大の「知」とともに、最先端のバイオテクノロジーの成果を単純に受け入れた結果だと思われる。

 その一方、自らの肉体をガンに冒されたとき、最先端医療を誇る病院に入院。最終的には治療を拒否して、結局、ガンとの戦い、あるいは自分にこだわることに疲弊して、鬼籍に入っている。

 それが「知の巨人」と言われた彼の知識の限界なのだろう。

「長年、糖尿病、高血圧、心臓病、がんなどの病気を抱え、入退院を繰り返しておりました」とあり、2021年4月30日に急性冠症候群で亡くなった。享年80歳。

 知恵=知の恵みとのちがいを知っているならば、病気になることも、従って病気と戦うこともない。最先端の「知」を知りながら、その「治療は要らない」というように、結論だけ知っていても役には立たない。

 死後、遺言通り、葬式などを拒否して、自らの思いを貫いたわけだが、家族からの報告には以下のように書いてあった。いかにも、左翼の時代を生きた戦後の知識人である。

 人は死ねばゴミになる?

 著書『知の旅は終わらない』(文芸春秋/2020年)を引用して、彼は「死んだ後については、葬式にも墓にもまったく関心がありません。(略)昔、伊藤栄樹という(略)

有名な検事総長が『人は死ねばゴミになる』という本を書きましたが、その通りだと思います」として「コンポスト葬がいい」と書いて、望み通り樹木葬になった。

「知の巨人」と言われた彼だが、その知の限界は伊藤氏を引き合いに出すあたりにも見て取れる。筆者が知る知の世界では「霊魂不滅」と、どれだけ多くの先人・識者・聖人が語っていたことか。彼は伊藤氏の言葉に共感してということだが、自分を大事にする余り、どれだけの多くの先人、知恵ある人たちの言葉を無視しているのかに気がついていない。

自分に熱心なあまり周りが見えないわけである。

 たぶん、彼が否定したあの世、霊界に行って、周りから「バカ者が!」と厳しく責められ苦しんでいるのではないだろうか。生前、偉そうにしていた権力者・成功者があの世では一転して、責められて救済を求めているとの話を霊能者などからよく聞いた。

 と、こんなことを言えば、いまでも「バカか?」と言われるのがオチだが、世の中の多くの人は自分の選択だけを正しいと信じている。あるいはマスメディア・著名人・YouTuberの言うことを信じている。そして、神など見えない世界のことは否定する。それが合理的であり進歩的、即ち科学的だと信じるからである。

 だが、それはあくまでも表面的な事実であり、表裏一体と言われるように、何事にも表があれば裏がある。神=自然=奇跡を知らない者は、片目で世界を見るようなもの。どんなに知識を積み上げても、知の恵みには到達できない。

 立花氏に関しては、東大の大先輩である四元義隆氏を訪ねたときのことについて、その後日談を耳にする機会があった。

 四元氏は昭和初期、血盟団事件に現役の東大生として連座して、獄に下った。刑期を終え、戦後は建設会社社長として働く一方、鎌倉・円覚寺塔頭に住んで、中曾根康弘首相をはじめとした歴代首相のお目付役、御意見番と言われたフィクサーの一人であった。

 その四元氏を立花氏が、東大出身者の一人として『日本共産党の研究』(講談社)の仕事で取材して、無事、四元氏のインタビューは記事になった。

 後日談とは、知恵の人・四元氏に対して、知の巨人である立花氏は四元氏を自らの知の器の中に納める形で、記事にしたことだ。それは立花氏の頭で考えて識別し、判断した四元氏の姿であり、彼の知の領域に納まらない部分は、ついに捕らえることができなかったわけである。

 もちろん、自分の記事・作品に満足している立花氏は、そのことを知らない。四元氏はそんな立花氏を「まあ、いいか」と、知の巨人の限界に接して、笑っていたということである。

 「色情の系譜」というキーワード

 同世代では、知名度では劣るが、ジャーナリストの佐野真一氏が、やはり自分の器に納める形で、新一万円札の肖像になった天下の渋沢栄一翁を語っている。

「渋沢栄一・最後の語り部」と言われ、102歳で亡くなった渋沢記念財団最長老の関誠三郎氏(株式会社「栄養食」会長)が、筆者を相手に実名及び書名を上げることはなかったが、明らかに文春新書の『渋沢家三代』(佐野真一著)を念頭に「著者は渋沢(栄一)さんの本当を知らない」と、よく嘆いていた。

 渋沢翁に対して、佐野氏の興味のあるテーマは、自らに身近な愛人の数である。そこから「色情の系譜」というキーワードを得て、文芸春秋社から出版された。

 書きかけの「ウィキペディア」に見る彼の代表作として上げられているのは「東電OL殺人事件」である。名門企業のOLが夜、渋谷で街娼をやっていて殺された事件である。

 あるいは、2012年10月「週刊朝日」で当時、勢いのあった弁護士・橋下徹氏(大阪市長)の出自を取り上げた「ハシシタ・奴の本性」という連載記事が問題になり、連載は1回のみで中止に追いやられた。

 月刊誌及び週刊誌で仕事をしてきた彼の興味は、世俗的な内容のようで、ただの渋沢家三代では、面白くない。歴史家ではなく、自分は社会派ジャーナリストないしはノンフィクション作家だとの自負があってのことだろう。

 だが、民俗学者の宮本常一と支援者・渋沢敬三の取材『旅する巨人』(文芸春秋社)から実現した企画のため、渋沢関係者の協力が得られて可能になった著作である。佐野氏本人は満足していて不思議はないが、その裏では渋沢翁本人を良く知る人物から疑問を突きつけられる。

 そんなことは彼の知るところでもないが、自分の器に納めなければ、一角の人物の本など書けない。

 佐野氏をよく知る小学館の元「週刊ポスト」デスクは『渋沢家三代』について「いかにも佐野氏らしい仕事だ」という筆者の指摘に頷いていた。同時に「彼の興味とテーマとが見事に合致した成功作が、ソフトバンクグループ代表・孫正義氏の評伝『あんぽん』(小学館)ではないか」というと、改めて納得していた。

 佐野氏自身、愛人と仕事のストレスなどもろもろの憂さを晴らすため、深夜、よく新宿ゴールデン街を飲み歩き、愛人ともども抱き合って酔いつぶれていた。

 ジャーナリストにもいろいろいると冒頭記したが、大半のジャーナリストはいわゆるジャーナリスト精神が旺盛のため、悪気はなくとも「オレがオレが」との思いをエネルギーに、スクープ・特ダネそしてカネになれば何でも貪欲に対象に向き合う。そのときに、国益はもちろん、その他の事情は二の次になる。

 無名ジャーナリストは、たまたまなったジャーナリスト稼業のため、そんなにあくせく何かを書こうという気など更々無いため、逆に彼らの実情が見えてくる羽目になる。

 そんな無名ジャーナリストが梨本宮について書くことになるのは、不思議な縁の賜物だというしかない。

 ジャーナリストとは何か?

 たまたまジャーナリストになった筆者は、逆に多くのジャーナリストが当たり前に思っている「ジャーナリストとは何か?」について、改めて考えた。結果、得た結論が立花隆氏が言う「最先端を扱う」ことの意味である「誰かの代わり、つまりは国民を代表して、事件や事故その他、世に知らせるべきテーマに関して、その場に行って見て聞いて、確認して伝えるという仕事」だということである。

 世界の戦争やテロの現場にジャーナリストが赤十字などと同様、出かけて行くのは「誰か」がそこで起きていることを伝えなければならないためである。肝心なことは「誰かの代わり」ということであり、そのことを多くのメディア自身が自覚していないため、例えば戦争や暴動の渦中にあって、悲劇の死を迎えたり、テロリストに拉致され身代金を請求されたまま、銃殺されたフリージャーナリストをメディアは擁護できない。

 逆に、外地でのジャーナリストの死に対して、外務省が渡航禁止としている危険地域であったり、時に身代金が支払わたりすることから「無謀である」「税金の無駄遣いだ」として、自己責任論などが声高に論じられる。そのとき、なぜ彼らが禁を犯してまで行ったのか、一言「お前の代わりだ!」と言えない。メディア自身が、自分大事で、スクープや特ダネ、カネに夢中なため「誰かの代わり」という肝心な使命がわからないためである。

 その誰かの代わりに、他のジャーナリストが扱わない企業や政治家、宗教団体その他の危険地帯、人が行かない場所に出かけて行ってまとめたのが、無名ジャーナリストのこれまでの歩み(著作)でもある。

 筆者の自己紹介代わりの「略歴」を見た、ある元通信社記者は「驚きました!」と語っていた。昭和から平成にかけて、世の中のテーマになった多くのことを本にしてきたからである。「略歴」にはすべてを載せてはいないが、著作数は50冊以上ある。

 数年前、入水自殺を遂げた右翼思想家・西部遭氏と親しかった在日韓国人のギャラリー店主が、筆者の「略歴」を見て「すごいジャーナリストが来た!」と興奮して、仲間に電話をかけていた。

「本当はジャーナリストになりたかった」という彼は、筆者が自分が扱いたかったテーマをすべて手がけていると言って驚いた。そして「でも、一つだけ抜けている」と語った。オウム真理教問題である。

 だが、それこそが他のジャーナリストとは異なる無名ジャーナリストの仕事の在り方を象徴する事例でもある。

 オウム真理教をマスメディアが、最初に大々的に報じたのは、当時あった「サンデー毎日」での連載であり、それこそ筆者が仕掛けたモノだったからだ。

 オウム真理教をめぐる秘話

 創価学会にしろ、統一教会にしろ、多くの新興宗教は社会的な問題とともにどんなに被害者がいたとしても、何か大きな事件でも起きない限り、新聞ジャーナリズムが取り上げることはない。

 オウム真理教も同様で、当初、全国各地で息子や娘が教団に拉致されて帰ってこないとの声が起きて、新聞社に駆け込んだのだが、どこも相手にはしてくれない。そんな各地の親たちが、いわば被害者の会のネットワークをつくって、ある宗教学者に相談を持ちかけた。

「大きな社会問題になる前の宗教団体の問題を世に訴えたいならば、大手新聞社ではなく信頼できるフリーのルポライターに頼むしかない」と言われて、筆者の名前をあげたことによって、被害者の会から一連の資料がどっさり送られてきたのが「サンデー毎日」連載の発端である。

 資料を見て、改めてオウム真理教に関しては「組織で戦う必要がある」と判断して、たまたま知人が「サンデー毎日」の副編集長になったこともあり、以前「イエスの方舟」問題を扱ったこともある「毎日新聞」をバックに持つ同誌にデータを提供した。

 オウム真理教については、知人からも公安筋からの情報ということで「身の安全の保証がないため、扱わないように」と言われていた。女房からは「宗教問題でだけは殺されないで」と言われてもいる。ジャーナリストの死としては「情けないため」である。

 とはいえ、それはもちろん命が惜しいからではない。正しい戦い方として、どうすべきかを考えた結果、新聞社をバックに持つ週刊誌を選んだわけである。一般的なジャーナリストは、自分の持ちネタは基本的に他に譲ることはない。それではカネにならないからである。

 筆者はカネのために仕事をしているわけではないため、特ダネでも国益に反するなど、報道すべき価値がなければ、自らボツにする。あるいは、誰が書くべきかを考えて、誰もやらなければ、自分でやる。そして、オウム真理教の場合は、個人で戦っては危険なため正しい戦い方として「サンデー毎日」を選んだわけである。それでは「カネ」を支払えないとのことで、連載2回目に情報提供料代わりのコラムを書いている。

 だが、そんな筆者の思いなどは一般的なジャーナリズムでは通用しない。その後「抜かれた」形の「週刊文春」が焦って、急遽、江川紹子氏名義で記事にしたことによって、情報提供者である共産党系弁護士一家が殺害された。結果、彼女は有名になったが、それは弁護士一家の命と引き換えに得た、筆者とはまったく異なるスタンス、アプローチ、考え方から来る、予期された結末でもある。

 誤解はすべて美しい!

 そんな筆者が悲劇と誤解に塗れた梨本宮家、同財団代表理事にまつわる真実を書くことになるのも、恐らく単なる偶然ではない。旧皇族・宮家は毀誉褒貶こもごもであるとはいえ、多くのジャーナリストにとって縁があれば、魅力的なブランドである。

 梨本宮記念財団周辺にも、梨本宮家並びに同代表理事について書くべきジャーナリストやライターがいないわけではない。

 だが、無名ジャーナリストが見たところ、結局のところ、昭和天皇の戦後処理、恩讐を超えてという考え方、靖国神社の鎮霊社についてなど、その真相を梨本代表理事同様、自分のこととして語れるジャーナリストは、そうそういない。結果、最終的に筆者が陰徳を信条としてきた梨本代表理事の年齢等、客観的な状況を鑑みながら、例えば上野のパンダの件では「陰徳にも時効がある」として、真相をレポートしているわけである。

 しかも、ハワイにもつながる霊鳥ヤタガラスの件、先代の梨本宮徳彦王との関わり、李玖殿下との縁、白川神道後継者にまつわる関係など、梨本宮代表理事の活動を補足する形で深く関わりを持っているように、梨本代表理事の使命はほとんどジャーナリストとしての筆者の思いと一致する部分が多い。

 だが、そんな筆者の思いと狙いもまた、どこまで世間並びにジャーナリズムに理解され共感を得られるかは心もとない。

 しょせん、世の中は無知と想像力の欠如、そして嫉妬に満ちている。その結果、梨本代表理事に限らず、誤解がつきものである。

 筆者の処世訓の一つは「誤解はすべて美しい」というものだ。世の中は誤解によってできていると、もの心ついたときに思い知らされたためだが、今回の筆者の仕事によって、梨本宮家並びに梨本代表理事に関する真実が伝わり、誤解が、少しでも払拭できることを願うばかりである。


 
 
 

Commentaires


bottom of page