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『古稀詩集より』 詩人・H氏のつぶやき  「ガンバリズムの飛行距離」から「ホンモノとニセモノの間」まで

vegita974

『古稀詩集より』 詩人・H氏のつぶやき

 「ガンバリズムの飛行距離」から「ホンモノとニセモノの間」まで


 2025年も相変わらず続く世界の戦争、米トランプ大統領の再登場はさておき、日本はダウンタウンの芸人・松本人志のセクハラ訴訟、英国のドキュメンタリーで火のついたジャニーズ事件に続く、元ジャニーズ「SMAP」の中居正広のセクハラ問題など、ワイドショーネタが大手メディアの一角をゆるがす大事件になっています。

 そんな事件やニュースの対極にあるのが、アートや音楽、そして詩の世界ではないでしょうか。情操教育には欠かせない様々な芸術・文化活動は、世の中の過激な動きの前には無力ですが、無力もまた力の一種だと思えば、“有力”の結果の戦争、分断、人種・性差別などよりは、はるかに意味のある力です。

 以下、詩人・H氏の詩集『古稀詩集より』からの抜粋です。過激な“有力”を多少は脱力できるヒントがあるのではないでしょうか。



 プロローグ

 人間誰しも、齢を重ねることによって、年相応の弱い自分を実感する。そんな積み重ねのうちにある、老いによる戸惑いは、いろんなところに顔を出す。

 いざ前に進もうとして、まるでイップス症(※)のごとく、最初の一歩は右からなのか

左からなのかと、たゆたい。どちらでもいいのだが、一緒にすると、ウサギかカンガルーのごとく跳ねてみることになる。

 歩くだけのことなのに、やってみれば、少なくともそれが正解ではないことはわかる。

無邪気に何事もできる若さは、とうに失われて、たまに無意識を気取って歩けば、たちまち躓いたり転倒したり、運が悪ければ、怪我や骨折の恐れさえある。

 日々、油断できない戸惑いに満ちている。

(※イップス症はゴルフのパターなど、集中すべき場面で、緊張のあまり体が思うように動かなくなる症状を言う。スランプ状態に関して、スポーツ全体で使われる)


 ガンバリズムの飛行距離

 ガンバリズムは主張する 何物にも負けないために 何者にも勝てるようにと 

 頑張る人たちにもハッパをかけて 頑張れない人たちには追い打ちをかける

 頑張れ頑張れ頑張ってと ガンバリズムを煽る言葉が飛び交う日々に 頑張り疲れて道半ばで挫折するとも ガンバリズムは伝播する 頑張れの声に応えながらの波及効果か

 ガンバリズムが破綻するとき どんな言葉をかけるべきか いつも問われるのは 頑張り好きなキミは ガンとか難病にかかって 病床で家族や医療関係者ばかりではなく 自ら頑張って その頑張りぶりが世間に伝染するかのように 頑張る姿 姿勢が共感を生んで 周囲のエールを力に さらなる頑張りを続けて 世間がキミの頑張りなど忘れたころには すでに頑張ることにはうんざりしている

 まるで被災地の避難所施設内で ストレスいっぱいの毎日を送り続ける家族のように励ます言葉もなく 自らが対象者であるはずなのに 自分ではなく周りの全員介護を強いられて 頑張って頑張り疲れて その後どう頑張ればいいのかわからなくなる

 そんなとき頑張ってと言わないでと 他の言葉などないのに何を拒否しているのかといつも思うとき ガンバリズムは微妙な放物線を描いて 曖昧な地平に着地する


 人間の不思議は謎の階段の如し

 人間の不思議は どこにでも隠れている 生きていることが一番の不思議 生きていれば年をとる 年齢を重ねていけば 同じスタートラインに立ったはずの人々が 先に行くことはないのに 風の便りに訃報に享年が刻まれる ふと振り返れば 若くして亡くなった友もいて 彼らとの年齢差は開くばかり 改めて享年とは辞書によれば「天から授かった寿命」である そんなありがたさを知ることもなく 生きていることの無明を恥じるとき 人生の不思議は すべて当たり前のことの裏表の如し 

 階段を登るとき降りるとき ふと不思議に思うことがある 脚の筋肉と膝の関節の動きは 無意識にその必要な働きを各身体機関に届けて 自分がやったつもりで 偉そうにふんぞり返っても 奢れれば肝心なときに言うことを聞かなくなって 反省すればともかく

 不自由な身体にムチ打つごとく 例えばハリを打ち 手術と称して切り刻む たまに治ったり具合が良くなったりするのが御愛嬌だが 不思議はそうして消えていく 


誰の人生にもある隣の芝生

 物忘れが激しい 「何て事だ」と嘆く前に それは良かったと言えるかもしれない

「ものごとに執着するな」「自分を去れ」と言われなくとも 仏教の極意がいつの間にやら 身についていると思えば 愛でたしめでたし

 老眼が進んで 何もかもが霞んで見える 草むらに白い花を見つけたと思ったら 丸めたテュッショだったりする 意外な光景は目の見える内は見えない 老眼ならではの美の極意だと言えるかもしれない

 緑内障で視野を奪われたと思えば嘆きたくなる 実際に嘆いてやがて手術をしたり 分厚いレンズを手に 静かに受け入れている御同輩もいる 

 他に何かいいことがあるのか ないと思えば先もない あると思えば たぶん良かったことになる

 何があるのか知らないのは まだ緑内障ではないだけのこと 探す楽しみを将来に取っておいていると思えば 自分の人生にもある隣の芝生 なった後に見つける楽しみもある


 希望のライフサイクル

 生まれたときが始まりのとき 私の前には希望しかない

 そう考えるのは 自分ファーストを公言するようなものなのか 本当は生まれる前に神様が奇跡を準備してくれて 私は生まれたと そう信じてもいいが 実際には始まりの前には両親・祖先がいて この国に生まれる 生まれた場所の運不運 希望の様相はそれぞれ異なる

 輝く光に満ちた希望は 疑うことを知らない 幼児の頬のようにやわらかい 見上げれば風船のように空に飛び立つ 地球の彼方 世界地図のどこかに消える気球のように 風船はやがて破裂して姿を変える

 そこに希望はあるのか 希望のライフサイクル理論に則れば 成長・発展の軌道からやがて頂点から失墜へと転じる 希望は叶ったのか 希望は飛び立って 宇宙ロケットの残骸のように 私の足元に落ちてきたのか

 希望という言葉を辞書で引けば 願い望むこと 布の上にナなのかメなのか ×が載っかっているようで 希という漢字の発祥は 「まれ」なことを意味する 稀なる望みはほとんど叶わないという 厳しい現実を表すのか 

 70過ぎの老人に 希望のライフサイクルは物語る すでに何人もの同輩たちが 若くしてあるいは年相応の訃報とともに 希望のライフサイクルを閉じている


 人生に酔っているのか酒の酔い

 酒を飲んでいないのにふらつく 酒など飲まないのにフラフラ歩く 老人ともなれば散歩も酒に酔ったようなもの 金のかからぬ酔いごこち 得した気分でその日を生きる

 酒を飲めばフラつく足取り ハシゴをすれば倍加する さらなる揺れはあの日の地震を思わせて 酔いの境地はそんな折り 酔狂な踊りを舞うがごとし もしも天を見ることができれば おそらく笑ってる

 酒を飲んでも飲まなくても すでに老人はフラフラフラフラ酔っている 年の功とは言えなくとも 多くを学んで受け入れて 容量オーバーともなれば 意外なところで挫折して 何を投げ出すのか 何がお手上げなのか 世間に酔った気分でトボトボ歩く

 老人はあらゆるものに万歳をする 若者たちを前にして 慣れない電子機器にカタカナ用語やエトセトラ 横断歩道を渡る幼稚園児や小学生のように 彼らと一緒に手を挙げるとき 40肩50肩を過ぎて 60肩70肩など辞書にないことを知る

 新たな目覚めを得るのか 永遠の眠りにつくのか そこに恐らく大したちがいなどない


 ホンモノとニセモノの間

 人間とは何かと問われて 真実を語れない不幸な時代に 世間の風潮に寄り添いながら

 自らを彼らの代表としてリセットするとき 本当の答えを封印して問い掛ける

 人間とは何かと 誰に聞いてもわからない わからないのに みんな人間をやっている

 それが人間 わかったつもりで いくつもの「人間とは何か」を論じた本もある 結論

はあるようでない 本は長すぎることもあって わかったつもりで読んでいるうちにわからなくなる 数えきれないほどある同様の本 そこからわかることは 語ってもなお 語り尽くせない真実がある ということだろう

 人間とは何かと バカの一つ覚えのように 「人間とは二足歩行生命体である」と定義する人物もいる 人間の見た目と他の生物との機能のちがいを 確信を持って述べたつもりでも 日本の神話を顧みるまでもなく 始めに五体不満足で生まれた神が登場する その似姿同様 人間に生まれた身体障害者は人間ではないのか あるいはホモ・サピエンスを知的人類と称するとき 知性とは真逆の犯罪者などを見て 時に人非人 犬畜生にも劣るとのレッテルを貼る

 猿に似ている人物 狸や狐に似た人物もいる 悪魔と名付けられた子供 マレーの虎などと呼ばれた将軍もいた 彼らは人間ではないのか 世の中に多くあるニセモノを例に たまにホンモノと“お墨付き”が与えられるダイヤモンドのイミテーション 偽物の輸入ブランドバック 絵画の贋作などなど 多くのニセモノがホンモノになる

 とはいえダイヤモンドにニセモノはあっても 実は人間にニセモノはない ニセのダイヤはもともとは人造ダイヤであり よくできたクリスタルやガラス それぞれのホンモノがニセモノに変わるのは ニセモノをダイヤと偽る 人間の都合によって イミテーションが誕生する

 水晶やガラスをダイヤモンドにする彼らを 人間の風上にも置けない と言ったところで 「じゃあ彼らはニセモノの人間なのか」と言えば 彼らをニセモノの人間にはできない 彼らにも両親がいて国籍がある 日本人なら天皇家でもなければ すべて人間の証明としての戸籍を持っている

 ニセモノに出会ったという者たちがいるとすれば それはよくできた人形であり 精巧なAIロボットそしてアンドロイドである われわれはその中で生きている ニセモノの自覚もなく ホンモノにもなれない 人間を代表する一人ひとりであるとき どこからともなく歌なのかラップなのか 聞いたような文句が流れてくる

 人類 獣類 魚類 虫類 菌類 (地)球類つまりは(宇)宙類 幸せなウイルス 美しいウイルス 人類よりはるか昔に生きてきて 地球をわれらを創り支えてきた菌類をなぜ敵にできるのか 人間の傲慢 愚かさは文明の傲慢と愚かさの相似形 鏡に映る裏表でしかないという わかりやすいメッセージが太古の時空を超えていまも響いている

 
 
 

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