あなたは連帯保証人になったことがありますか? 無名ジャーナリストの戦い
借金の取り立て「債権回収会社」の正体と恐ろしさについて

過払金関連コマーシャル
2024年を象徴する漢字は「金」であった。ゴールドでもあり、マネーでもある金だが、24年に限らず、昔も今も、一事が万事、金(マネー)がモノをいう時代である。
人間社会の欲望とともにある「金」は金貨から紙幣・硬貨だけでは足りずに、いまや実態があるのかどうかはさておき、コンピュータを駆使して誕生したビットコインなどの仮想通貨を生み出すまでになっている。
日本の国家財政が税収をはるかに超える借金(国債)で成り立っている時代である。
金余りの優良企業から、大半の中小企業や個人まで、お金に社業並びに人生を振り回されつつ、弱肉強食の強欲資本主義の世の中を生きている。
かつてサラ金全盛の時代に、返済できずに破産する消費者を相手にしたサラ金訴訟が弁護士のビジネスとして脚光を浴びていた。その構図はいまも変わらず、最近でも過払金返還訴訟により、昔のローンやクレジットの過払金が取り返せると弁護士事務所が盛んにPRしている。
テレビでは2010年をピークに、過払金に関するCMは消えつつあるとのことだが、いまも借金苦とほとんど同義語の「過払金」という言葉がすっかり定着している。
広告を打って、なおビジネスになるのだから、その数は想像を絶するはずである。そんな中の一人の体験がネットでニュースになっていた。

真っ赤な封筒を無視していると
2024年10月9日配信の「47NEWS」の見出しは「督促状の入った封筒は届くたびに色が変わり、最後には真っ黒になった。選んだのは19歳での自己破産だった。成人年齢引き下げから2年、児童福祉関係者が『債権トラブルはますます増える』と断言する理由とは」というものだ。
中四国地方の児童福祉施設(自立援助ホーム)で暮らす「ケン」(20)は、1年前に自己破産したという。
きっかけは成人年齢引き下げにより、18歳でも保護者の同意なしに各種の契約が可能になったこと。「俺でも作れるかどうか、インターネットで作ってみた」というものだ。
重ねた借金は150万円を超えたが、当然、返すことなどできない。やがてカード会社(債権回収会社)からの督促状が届き始める。
「最初は白い封筒。次が黄色で、その後は赤。最後に真っ黒な封筒で届いた」とか。
真っ赤な封筒を無視していると、どうなるか。一般的には自己破産に追い込まれる。それは、期限付きではあるが、社会的落伍者を意味する。
児童福祉施設(自立援助ホーム)で暮らす彼のケースは、極端な例だが、全国の消費者生活センターには、10代、20代の若者からの多重債務の相談が増えているという。
そのすべてではないが、大半は無知ではあっても、彼らは金融会社並びに金がモノをいう時代の被害者である。そのベースにあるのは、銀行からローン会社、債権回収会社(サービサーという)を含めた「金」を扱う業界によるシャブ(覚醒剤)同様の借金漬にするビジネスモデルができているためだろう。

弁護士に頼らず、自ら法廷に立つ
無名ジャーナリストは本来のジャーナリストの在り方を実践しているため、常に「誰かの代わりに、見て聞いて確かめて伝える」ことを使命にしている。時には自ら体験する。
筆者が連帯保証人になったのもそのためだが、実際に「真っ赤な封筒」が続々と届き、その後は家にまで押しかけられながらも、最終的に債権回収会社から告訴されたのを契機に、法廷での反論を展開した。
無名ジャーナリストの戦いにもいろいろあるが、ローン会社(債権回収会社)との戦いなど、不愉快でもあり、危険な体験でもあるが、誰もが経験できるものでもない。何しろ商工ローン大手の日栄(当時)は、1999年に「腎臓売れ、目ん玉一個売れ!」との客に対する脅しによる恐喝事件を起こしている。
筆者も何度か裁判所に出向いているが、戦い方としては弁護士を立てず、自ら法廷に立っている。最初は東京そして最後は札幌の簡易裁判所である。
戦うことによってわかったことは、他の業界同様、法曹界にも、その世界特有のシステムがあることである。詳しくは次回に譲るが、筆者はそれをどの業界にもある“互助会システム”と呼んでいる。
具体的には、専門家である裁判官を前に、債権回収会社=相手側弁護士を向こうに回して、訴状に対する答弁書、さらには上申書(不同意書)にまとめ上げた。結果、判決前に彼らは自ら訴えた裁判を取り下げることになった。つまりは尻尾を巻いて逃げたわけである。
およそ四半世紀という消費者金融並びに債権回収会社との関わり、さらには訴訟を通じて知ることになる業界の在り方を、以下、レポートする。
それは多くの借金取り立てに悩める人たちに「少しでも明るい希望が持てる材料になれば」という、無名ジャーナリストからのエールでもある。

連帯保証人になってみた!?
あなたは連帯保証人になったことがあるだろうか?
まずは、ならない。お願いされたときは「連帯保証人にだけはなるなというのが、親の遺言!」とか「家訓である」というのが、典型的な断る理由である。
たまに「なったことがある」という人物もいるが、大体が「だまされてヒドイ目にあった」というものだ。
実に、よくわかる。筆者も、希有なその一人だからである。
筆者が悪名高い消費者金融業者に追いかけ回されることになったのは、ある人物の連帯保証人になったことによる。
いまは保証人代行会社が割と便利に使えるようになっているようだが、当時はまだポピュラーではなかった。
とはいえ、相手は皇居近くの一等地に自宅と事務所を構えていて、いくつもの肩書を使い分けて、手広く仕事をしていた。会えば、いつも打ち合わせがてら、新宿・赤坂の料理屋での食事に誘われ、高級クラブを飲み歩いていた。
筆者にとって、相手はジャーナリストとして、たまに仕事を手伝う関係であるとともに様々な方面に精通する有力なネタ元でもあった。
そんな人物から、ある日「保証人になってよ」と言われて、目がテンになった。
「エッ!? 何で、私が」というのが、最初に浮かんだ思いだが、人は見た目ではわからない。昔、億のビジネスをする人物が、100万が融通できなくて破綻したこともある。
「無理だと思いますよ」と言ったのだが、相手は筆者がアメックスカードを持っていたため、お金があると思ったようである。
カードを持てたのは、大手出版社で仕事をしていたとき、たまたま大学で同期だった銀行マンが来て、キャンペーン時に、無条件でつくってくれただけのことだ。
とはいえ、頼まれてできることは何でもやるのが、無名ジャーナリストである。その結果の「連帯保証人になってみたら、どうなるのか?」との稀有な体験というわけである。
どうせ、審査に通らないと思っていたところ、クレジットの審査とはちがうようで「通りました」と、めでたく(?)契約書を交わすことになった。当時あった商工ローン会社のオフィスに同行して契約書にサインをした。
その際に、ポラロイドカメラで証拠の記念撮影をしたことは、よく覚えている。その後も、呼ばれてサインをして記念撮影をしたのは、たぶん借金の支払いができずに、再契約をしたためだと思う。
案の定、破綻して、本人は奥さんから三行半を突きつけられて離婚。事務所を畳んで、知り合いのところに駆け込み、日銭を稼ぐようになっていた。
悪いことは続くようで、酒かストレスからか、脳溢血で倒れて、半身不随になったといったあたりから、音信不通になっている。
とはいえ、商工ローン会社はそんな事情など意に返さない。契約者本人の支払いが滞れば、必然的に連帯保証人に支払いの督促が来る。
当時、筆者は親が住む都内の自宅と仕事場の他、セカンドハウスと山手線沿線にワンルームマンションを所有していた。目一杯のローンを組んで、とても借金を肩代わりする能力などない。
とはいえ、商工ローン会社にとって、都内の仕事場とワンルームは十分に価値がある。借りた本人に代わって、筆者が彼らのターゲットになり、破産状態はさておき、督促状の封筒の色がどんどん変わっていって、すぐに“督促地獄”とも言うべき日々を送るハメに陥った。
今だからノンキに書き記すこともできるが、親戚には迷惑をかける。仕事場もワンルームも競売に掛けられて失い、残ったのは使い物にならないセカンドハウスと現在の自宅である。
それは「どぎつい真っ赤な封筒を無視していると、どうなるか?」の、わかりやすい答えでもある。(以下、次号に続く)
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