ジャーナリストの「その筋」とは? 昭和大戦博物館・浦田雅治室長から来た手紙
「昭和天皇追悼記念切手」等、無断発行事件その他に答える

その筋の人と言われて
あなたは「その筋の人」と言われたことがあるだろうか?
その筋の人なら図星だが、普通はなかなかないのではないか。
2024年9月のある日、訪ねていった倉敷市の「昭和大戦博物館」の浦田雅治室長から言われて、つい聞き流していたところ、一月後届いた手紙に「私は貴方の当方への訪問は、その筋からの依頼を受けてのことだと考えております」と書いてあった。
改めて「そういえば、言っていたかも? 本気だったんだ」と思ったものである。
ジャーナリストとしては「その筋の人」と言われるのは、いかにも政財界の裏や裏社会に通じるパイプを持っている強面の仕事人との印象もある。少し怪しいとはいえ、なかなか得難い勲章のようでもある。
とはいえ、その筋とは具体的にどのような人物を指すのだろうか。
通常は公安・警察関係。あるいは反社会的勢力、要はヤクザのことであろう。
まあ、反社勢力の人物が昭和大戦博物館にわざわざ行くこともないと思うので、収集品である多くの戦争関連グッズ、例えば天皇の指揮刀その他の刀剣、銃器の類もあることから、公安・警察関係からの依頼ないしは協力を仰がれて、訪ねて行っていると考えたのかもしれない。
だが、何のためにというのが、いま一つ不明ではある。公安・警察関係がまだ把握してない新たな危険物、情報などを探るためか。

親切の押し売り、勝手なエール
筆者が浦田室長を訪ねる理由の一つは「昭和大戦博物館」とその前身である「倉敷こっとう倶楽部」の収集物を見て、彼が沖縄その他、しかるべき平和に縁のある地に、まとめて譲りたいと話していたこともあり、その後の経緯が気になっていたためである。
具体的に思い描いたのは、筆者が『天略』(三和書籍)で紹介している平和の事業家・島根県の小松電機産業社長が、沖縄にルートがあることから、つなげられればと思ったのだが、小松社長は自分のことに精一杯のようで、まったく耳を傾ける余裕はなかった。
また、旧・皇族の一般財団法人・梨本宮記念財団は昭和天皇の戦後処理などを行っているため、最善の相手だが、何事にも先立つものは、お金であることから、財団自体、様々な戦後処理が滞っているとの事情もある。こちらは、お金の問題であり、その意味では、可能性は皆無ではない。
もう一つは、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることに対する見解の相違を、何とかしたいと考えてのことである。浦田室長は東條英機をはじめとするA級戦犯の合祀は「まだ早い」とかたくなに主張しているが、英霊をAとかBとか、分けること自体が、対立・争いのもとであることを、伝えようと思ってのことだ。
具体的に、梨本宮記念財団の「恩讐を超えて」というメッセージ、喧嘩両成敗という日本の「和」の文化こそが、日本が世界に誇る平和のモデルであることを伝えてきた。
西洋文明並びに戦後の左翼思想、現代科学の洗礼を受けた日本社会で、筆者が浦田室長の使命を「国士」として、一部紹介してきたのも、肝心なところで、例えば戦犯「東條英機」を想定して英霊から排除するためである。
東條自身、時代環境並びに戦争の“被害者”である。いいこともやっている。一例は、ユダヤ人をナチスの悪の手から救うために尽力した外交官・東洋のシンドラーの美談も、満州・関東軍参謀長・東條の認可があって、初めて成立した話である。
浦田室長は「来る者は拒まず」を信条としているため「その筋の人物」とも普通に会うわけだが、筆者は通常は頼まれてやることが多い。
浦田室長の件は、頼まれたわけではないが、ある日、レターパックで靖国関係の資料が送られてきたことから、大きなお世話かもしれないが、勝手に親切の押し売り、頑張ってとの勝手なエールを「ウエルネス@タイムス」でレポートしてきたわけである。

昭和天皇記念切手無断発行事件
「その筋からの依頼」と書いてある手紙には、彼が現在、自らの人生、最後の取り組みを行っていることのメモとして「ポスター集(250種)」、「米軍の投下ビラ、日本軍の作成ビラ(650種)」、「紙芝居(180種)」の収蔵解説。昭和大戦博物館が選んだ3才~5才用「平和の絵本」などを製作しているとある。
その作業に「1ケ月25万が維持経費に消え、4ケ月で100万。たぶん来年(2025年)いっぱいは手持ちの現金だと無理。けれど、私は“天佑神助”を確信。『狂』の世界。必ず英霊も助成くださる。信じ疑いません」と書いてある。
自ら選んだ道とはいえ、頭が下がると同時に、いわば一連の浦田コレクションはすでに個人の収集レベル、管理のレベルを超えている。
筆者が近く完成すると聞いていた、いわばその集大成とされた「あけるべき扉16」は10冊を作成。筆者の元には特別に、その1冊が送られてきたが、何と1冊の制作費が7万円だという。粗末には扱えない。
それはさておき、10月に届いた手紙の本論は、別にあるとのことで、平成元年(1989年)に親日国“マレーシア”で発行されたという昭和天皇追悼記念切手のコピーが同封されていた。
浦田室長が言いたかったことは、その切手には致命的な誤りがあるということだ。つまり「御紋章は天皇家を象徴せず、閑院宮家のものである旨、助言をして」とあり、ついでのときに、筆者から誤りを大使館宛に伝えてほしいということであった。
もっとも、よく見れば切手はマレーシアではなく「マーシャル諸島」のものであった。
そこで、大使館・領事館はどこにあるのか、ネットで調べるついでに、昭和天皇追悼記念切手について検索してみたところ、単純に日本の天皇は人気のようで「昭和天皇在位六十年記念切手無断発行事件」が、1986年にパラオ共和国で起きている。
こちらは宮内庁が事前に抗議を申し入れることによって事件になったが、マーシャル諸島では1979年に「世界最大の切手」と称する「マーシャル諸島政府創設記念切手」の単片4種の中に歴代統治者として昭和天皇の肖像が使われた。だが、この時は大きな騒ぎにはならなかった。
1989年の昭和天皇追悼切手も、似たようなことかもしれない。だが、菊の御紋章が閑院宮家のものだというのは、いかにもお粗末である。とはいえ、見ようによってはただの菊花よりも、派手というか華美にも思えて外国人受けがするかもしれない。
浦田室長には、とりあえず、ウィキペディアのコピーを送ったところ、余計なお願いをしたことに対するお詫びとともに、御礼として倉庫の整理中に出てきた閑院宮と伏見宮の写真や、浦田室長が編者として復刻した解謹「対米英宣戦ノ大詔」などが送られてきた。
「その筋の人」を相手にしているつもりだからなのか、相変わらず義理堅い。

人間を見る目がない?
居酒屋で御馳走になった御礼の手紙にある「その筋の人」に関して、余計なことだが「フェイクニュース全盛の時代とはいえ、人生何があるかわからない」との言葉とともに、筆者の処世訓の一つである「美しき誤解」「誤解はすべて美しい」ということで「ありがたいエピソード」として受け止めると書いた。
嘘ではないが、9月に行った駅前の居酒屋で浦田室長は、3品ほど並んだ器を前に「骨董を扱っていると、並んだ器でもつい品定めをしてしまう」と言って、筆者に「どれが一番高いと思いますか?」と尋ねた。
「さあ。好き好きだしな」と見ていると、答える前に、彼が「これです」と指摘した。何焼きかはわからないが、地味だが落ちついた感じの器である。
やっぱりと思って「私もそう思った」と口にしたのは、好き好きとはいえ、そこには確かに目利き特有の世界があると思ったためである。
骨董の世界で50年生きてくれば、時にだまされることはあっても、いつしか本物を見分ける目が身についてくる。実はジャーナリストも同じことである。
そんな浦田室長に「その筋の人」と言われるのは、どんなものなのか?
実は、筆者はその筋から依頼されて訪ねているわけではないので「その筋の人から」というのには当たらない。その筋とは関係なく、彼の敵でもない。
結局のところ、骨董とはちがい「人間を見る目がない」ということになるが、浦田室長を擁護するならば、公安・警察・自衛隊関係、あるいは骨董関係の同業者との関わりが、必要以上に、彼の“敵”を疑う目をつくっているのではないのか。浦田室長の敵は、メディアも例外ではないからである。
詩集『襤褸』から「聖なる人に」
昨年末届いたレターパックに「必ず、後を引き継いでくれる方が現れると、信じ切って倉庫の整理に注力。50年間の集合の整理ですから半端ではありません」とあり、つい最近読んだということで「背水の陣が敷ける者。それは聖人なり」の一句を見つけ、ささやかな喜びを覚えたと書いている。
自らの覚悟にまちがいはないと確信を得ることができたためであろう。
届いた資料の中には「自分を励ますのは自分しかなかった。誰のためでもない。自身を支えた『つっかい棒』の山積が本書である」という『詩集・襤褸』の表紙のコピーと「聖なる人に」などの詩のコピーが入っていた。
* *
聖人になるのに
特別な道などはない
なりたいという気持ちが大切
その心が自分を神に近づける
聖人になろうという心根を称えたい
聖なる者になろうとするなら
多くを捨て誘惑を遠ざけ自らを問う
ぬかるみの道を
覚悟する必要があるだろう
一つひとつのことを
ほほえみをもって受け入れ
その一つひとつを天の啓示と受け止め
地のことわりに従おうと
聖を目指し多少でも近づく
天と地を我ものとする
聖人になるには
なろうとする切実な願望が根幹
聖なる人に到るのは皆の義務
これが教育の本来だろう
喜びは天地との一体であり
大切なのは誠実さ 成果ではない
死は悲しむべきことだろうか
悲しむべき唯ひとつは
自分が聖なる者になれていないこと
* *
その昔「仙人」になることが夢だった筆者には、よくわかるような気がする。
コメント