上越出身の外交官・芳澤謙吉記念公園を訪れる フォトギャラリー7

更新日:8月5日


 上越出身の外交官・芳澤謙吉記念公園を訪れる

 フォトギャラリー7




 写真

1.『外交六十年』と『芳澤謙吉・波乱の生涯』


2.「芳澤謙吉翁顕彰会」作成の『芳澤謙吉伝』





3.芳澤記念公園・米南荘






4.芳澤謙吉翁銅像と顕彰碑



5.父母を憶うの碑




 上越出身の芳澤謙吉は明治・大正・昭和と3つの時代を生きた外交官である。

 一般には1991年に中公文庫になった『外交六十年』の著者として知られている。

 その芳澤謙吉もすでに過去の人して、現地でも忘れられつつあるようである。

 芳澤記念公園の近隣には、冬場は雪に閉ざされる豪雪地帯から輩出された日本の郵政の

父・前島密、ワイン作りで知られる川上善兵衛(岩の原葡萄園)など、郷土の偉人を顕彰

する施設がある。前島密、川上善兵衛に比べると、芳澤謙吉は影が薄いといわざるを得な

い。

 そんなこともあって、上越市の芳澤謙吉顕彰会(古川正美会長)では、2021年10

月、地域の偉人をより多くの人に知ってもらおうと、新たに『芳澤謙吉伝』を作成し、地

域並びに関係各方面に配付した。

 制作された300部のうち1冊を手に入れて、2022年4月、「ウエルネス@タイム

ス」としても、その遺徳を偲ぶため、生家跡につくられた芳澤記念公園を訪れた。

 1874年(明治7年)に生まれた彼は、外交官として、常に清廉潔白、報酬を求めず

国事に貢献。次第に軍部の力が強くなる難しい時代に、自らの信念を曲げず、平和的な外

交手段を貫くことによって、相手国の理解と多くの譲歩を引き出し、日本の国益を守り通

した。

 その彼が、いかに稀有な外交官であったかは、現役を退いた後、1952年に78歳で

特に請われて初代の駐華大使として、台湾に赴いたことからもわかる。

 私生活では犬養毅首相の娘と結婚。犬養内閣の外務大臣となったが、五・一五事件での

犬養首相暗殺により、辞職。貴族院議員となるなど、激動の時代の歴史に翻弄された。

 孫の緒方貞子氏(元・国連難民高等弁務官)が講演で、芳澤謙吉について「一口で言い

ますと、非常に規則正しい生活をした祖父だったと思います」と語り、「ああいう方が現

れるのは、もう難しいですね」と、複雑な感慨を残している。

 祖父の血を引く彼女だからこそ、おそらく芳澤謙吉について、よく言われてきた「常に

清廉潔白、報酬を求めず、国事に貢献した」という外交官像が、嘘ではないとわかるわけ

である。

 2022年2月24日に起きたロシアによるウクライナ侵攻は、遠い世界の話のようで

いて、すでに経済面を含めて、日本の生活に影響を及ぼしている。

 終戦後の日本は、75年以上、戦争のない平和を実現しているが、世界は相変わらず戦

争に明け暮れている。

 今後の世界そして日本の行方を占うとき、改めて思うことは、芳澤謙吉に匹敵する外交

官がいないことだろう。

 

 

 掲載写真について

 1965年1月5日、芳澤謙吉は91歳の生涯を閉じた。芳澤記念公園は、死の5年ほ

ど前、1959年9月に完成した。

 ふだんは観光客などが訪れることもない、ひっそりとのどかな風情である。

 2013年に出版された評伝『芳澤謙吉・波乱の生涯』(グッドタイム出版)の著者・

樋口正士氏は、九州で育ち、福岡市医師会会長を歴任した「樋口泌尿器化クリニック」院

長を勤める医師(医学博士)である。

 新潟とは縁のない彼が、一冊の本を書くことになるのは、芳澤謙吉の本を読み終え、感

動したことから、ツテを頼って、現地に飛んだことによる。それだけの情熱をかけるに値

するものを、芳澤謙吉に感じたわけである。

 新潟という地域の特性というべきか。案外、地元の良さに目を向けない傾向がある。芳

澤謙吉の価値も、県外の人物に指摘されているようなものである。

(次回は、新潟・万代橋の兄弟橋の福岡・名島橋)




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