世界の喜多郎と長谷川章に「ノーベル賞を!」
福井・越前大仏殿でのコンサート×DK(デジタル掛け軸)イベントに行く
業界のドンがつくった巨大大仏都市 2023年11月12日、新幹線の開業準備が進む福井駅から「えちぜん鉄道」に乗り 換えて、終点の勝山に向かった。途中には曹洞宗大本山「永平寺」への最寄り駅がある。 勝山市は、福井県立恐竜博物館があり、近年、恐竜の町として人気がある。町の至ると ころに恐竜のモニュメントがある。もちろん、ホテルも例外ではない。 そんな勝山市には、日本一の大きさで知られる「越前大仏」の大師山清大寺がある。昨 年、開創35周年を迎えたという清大寺で、世界的なシンセサイザー奏者・喜多郎氏と、 これまた世界で知られるDK(デジタル掛け軸)の長谷川章氏によるコラボ「プレミアム コンサート×DKアート」が行われた。 今回の共演は「越前大仏」で知られる大師山清大寺が昨年開創35周年を迎えたのに合 わせて企画されたもので、町づくり、地域起こしなどの一環として行われている。 「全世界を体感する音楽と世界的な光のアートの共演」と、イベントのポスターには書か れている。嘘ではない。 米グラミー賞の常連であり、NHKの「シルクロード」の音楽で知られる喜多郎氏につ いては、説明は不要だと思う。そのため、ここでは世界遺産をはじめとする480カ所で DKを展開してきたプロジェクション・マッピングの創始者であり、世界的映像アーティ スト長谷川章氏について、主に説明を加えることにする。 勝山駅から、タクシーで会場に向かうと、途中、前方正面に清大寺の五重塔と本堂が聳 えているのが、雨に煙って見えてくる。初めて見る景色だが、まるで平山郁夫画伯が描い た京都・奈良の絵のようであった。 荘厳な大仏殿には、中国河南省洛陽市郊外龍門石窟にある廬舎那仏をモデルに、奈良の 東大寺より大きい越前大仏が鎮座している。高さ17メートルで、東大寺の大仏より2・ 1メートル大きい。それは、地元出身の関西のタクシー王こと多田清氏(1905年~1 991年)が、故郷の観光名所にするべく建立したものだ。 清大寺大仏殿と、そこに至る参道は、タクシー業界に君臨し「多田天皇」と崇められた
社長が、晩年、故郷への恩返しとして、385億円を投じて、5年がかりで、1987年
に完成させた。近くに勝山ニューホテルを建設するなど、勝山市の観光名所とするべく整
備した巨大大仏都市というわけである。
タクシー業界“ドン”の置き土産 鉄筋コンクリート4階建ての大仏殿もまた巨大で、間口85メートル、高さ52メート ルと、これも東大寺を凌駕する。一歩、中に入れば、壁面には一面、1000体を超える 如来、菩薩像が並んでいて、その威容に圧倒される。 改めて、勝山出身の大阪「相互タクシー」の創業者・多田清氏の壮大な夢、構想の大き さに興味を喚起されるとともに、その後の維持運営のことを想像すると、当初から前途多 難な試みだと言わざるを得ない印象がある。 事実、典型的な立志伝中の人物である多田清氏は、貧しい幼少期、高等小学校を卒業す ると、丁稚奉公を経て、やがてタクシー会社「相互タクシー」を設立。戦争の時代、その 先を読む才覚と天才的な経営手腕を発揮。戦後の混乱期、山林や京都・大阪などの土地、 株式などを買い占め、巨万の富を築き上げた。 一方「多田天皇」と呼ばれた彼は、1967年には液化天然ガス法案を巡って、国会議 員に賄賂を贈ったとされる「タクシー汚職事件」で逮捕され、亡くなる3年前の1988 年に有罪が確定するなど、昭和の典型的な経営者でもあった。 その前年(1987年)に建立なった越前大仏は、オープン当初こそ、70万人を超える
参拝客を集めたが、やがて経営難に陥り、多田清氏も4年後にはこの世を去った。
残された巨大大仏都市は、バブル崩壊もあり、土地や建物が市に差し押さえられるなど
いまやほとんど忘れられた日本の“珍百景”と化している。予想できる終焉とはいえ、そ
れは多田清氏の責任ではないというのが「ウエルネス@タイムス」の見解でもある。
要は、多田清氏の無謀な試みとも見える壮挙は「先祖供養は未来への投資!」とのメッ
セージを、実にわかりやすい形にして見せたものだ。だが、親の心も仏の心も、無視され
る時代の象徴として、タクシー業界“ドン”の置き土産もまた、珍奇なモニュメントとし
て興味本位に扱われる。
そんな大仏殿でのコンサートは、いろんな印象を受けるが、それはもしかして多田清氏
を主人公にした法要のようなものなのかという気にもなる。
大仏殿にはアートが似合う
夕方、5時過ぎ、あたりが暗くなる中でコンサート×DKイベントは始まった。
演奏の始めは一瞬、照明が落とされた闇の中、喜多郎氏にスポットライトが当たって、
やがて流れ始める調べは、大仏殿に抱えられるように心洗われるものだが、レクイエムで
はないため、法要ではないとわかる。
大仏殿の外では、長谷川章氏のDKによる光のアートが大仏殿の外壁に投影されている
と知るとき、日本を代表する2人のアーティストによる共演は、実は大仏殿の舞台に相応
しい、死でもあり、生でもあるという「能」の世界を呼び起こさせる。
大仏様の前での喜多郎氏の演奏は、クラシックコンサート同様、1楽章の終わりに拍手
はない。観客もまた、大仏様を前にした厳粛な空気、心地よい静寂を壊さないような、芸
術に対する向き合い方をよくわきまえているということだろう。
まさに理想的なコンサートホールとして、これ以上はない大仏殿に居合わした観客は、
実に貴重で希有な幸福の時間を共有できたわけである。その空間を包むように、外ではD
Kによる映像が投影されている。
その一部始終が、神の御加護、仏の功徳以外の何ものでもないように思われる、そんな
不思議な印象がある。
主催の「喜多郎プレミアムコンサート実行委員会」の荒井由泰委員長(前・勝山市商工
会議所会頭)は「大仏殿と音楽は相性がいい」と語っていたが、もともと仏教に限らず宗
教には音楽・アートはつきものである。
喜多郎氏の音楽とともに、大仏殿に響きわたる鹿嶋静氏のバイオリン、荒木博司氏のギ
ター、祝丸氏の和太鼓、そして柴野由里香氏の舞踊。それぞれ世界で活躍するアーティス
トたちが一つになっての奉納は、喜多郎チームとでも呼びたくなる。
それぞれのジャンルのアーティストたちは、大仏殿で、まるで本卦帰り・原点回帰を叶
えたかのように、自由(フリーダム)だが、奔放(ワイルド)ではない、伸びやかさのあ
るパフォーマンスを見せて、見るものに静かな感動を与えて、コンサートは終わった。
「見ていて自然に涙が出ました」
神聖な空間での心洗われる演奏の後、会場の外では、イベントの終了を惜しむかのよう
に、DKアートが大仏殿に投影されている。
喜多郎ファンの人たちの中には、初めてDKを目にする者もいる。彼らの何人かはコン
サートの終了後、長谷川氏に「見ていて自然に涙が出ました」「心が洗われるようで涙が
止まりません」と伝えていた。
忙しい現代社会にあって、失われていた感性が、喜多郎氏の音楽とDKの光のアートに
よって、蘇ったのである。
聖書には「はじめに言葉あり」とあるが、言葉は波動であり、光である。始めに光があ
った。その原点に立ち返ると始めは終わりの始まり、その繰り返しである。ということは
無から有が生まれて、やがて消えていく。その自然・宇宙の成り立ちをDKは、地球の回
転速度とともに変わっていく映像として見せている。
もちろん、あらゆるモノ同様、感じ方は人それぞれ、正解はあってないようなもの。す
べてが正解であり、すべてが間違いであると、まるで禅問答のような言葉の羅列となる。
言葉は知識の象徴であるからだが、アートとともに語られるときは、その本質が伝わりや
すくなる。
当日は、雨の中でのコンサート×DKイベントだったが、建物と同時にDKの光を浴び
た雨脚もまた、浮世絵の雨を思わせて、DKが雨に左右されることなく、むしろ味方にし
て生き生きと輝いていたのが印象的であった。
清流のせせらぎ、滝、あるいは焚き火の如く、見ていて飽きることなく、自然に引き込
まれる。気がつかなくても、たぶんそれは自然・宇宙の成り立ちを示してくれているから
である。喜多郎氏の音楽世界、そしてDKアートはそのことを、よく教えてくれる。
世界の長谷川章にノーベル賞を 「長谷川章氏にノーベル賞を取らせたい!」と言っていたのは、ニューヨーク帰りのダン サーN氏である。確かに、それでこそ「世界の長谷川章」である。 長谷川氏とも同じ舞台で共演もしている彼女がノーベル賞というのは、長谷川氏の本質 は、その「哲学」にあると考えているためだ。その価値を伝えるのに、もっともわかりや すい指標がノーベル賞だからだろう。 「ウエルネス@タイムス」記者が、福井の越前大仏イベントに行くと伝えたところ、誰よ りも長谷川氏の価値を認めている彼女は、ノーベル賞に相応しい人物として、自らの使命 を「心に刻み込め!」と伝えたいようであった。 そして「もっと3Dの世界をはじめ、新しい試みをする若手たちとも交流をして、自ら のDKをさらに発展させるべきだ」と話していた。 言いたいことはわからないでもないが、それは若さが言わせることかもしれない。 「ウエルネス@タイムス」の見解が異なるのは、ここでもレポートしている通りである。 もともと、弾薬の儲けでできたノーベル賞には、哲学賞もなければ、音楽、アート分野 が欠落している。その意味でも、ノーベル賞がいいのかどうかは微妙でもある。 DKは、すでにアートの一つのジャンル、カテゴリーとして成立している。そのDKに 触発されて、さらなるチャレンジ、新たな世界を切り拓いていくのは、後に続く若き才能 の仕事である。 2023年11月にも株式会社フォーラムエイトによる「第17回フォーラム8デザイ ンフェスティバル」が開催されている。そこには、顧問役として「最先端表現技術利用推 進協会」会長の職にある長谷川氏が深く関わっている。 同フェスティバルでは、毎年、多くの最先端表現技術に相応しいイノベーション、新し
いデザイン手法等のトレンドが集合し、彼は若い世代、後進にエールを送る立場に徹して
いる。と同時に、自らは新たに「液体彫刻」という概念によるDKアートに取り組んでいる。 2022年の大阪万博で、岡本太郎の「太陽の塔」に代わるメインモニュメントの依頼 を受けて、これまでの映像とは異なる、まったく新しい概念に挑んでできたのが「液体彫 刻」である。すでに東京八重洲の「東京ミッドタウン」エントランスで液体彫刻作品を発 表している。流れる水をイメージした、一期一会の液体彫刻である。 それは一瞬が永遠になるということでもある。 「あなたが宇宙」という世界観 大仏殿でのイベントの後、長谷川氏からメールが届いた。 「あなたはどこにたっておりますか?」という言葉ともに、以下のように書かれている。 * * 30年前、私はデジタル掛け軸という、プロジェクション・マッピングの原型となる技 術を考案しました。それ以来、世界遺産をはじめとする480ケ所でマッピングを展開し てきました。パリ、ニューヨーク、北京、ソウル、アテネ、ザルツブルグ、ストックフォ ルムなど世界各地を訪れましたが、最終的に、どこに行っても、どこまで行っても“世界 ”(グローバル:全体)というものは存在せず、すべてがローカルにしか過ぎないと気が つきました。 去年のフォーラムエイト「デザインフェスティバル」でも、この問題に触れましたが、 最近、ドイツの新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルがNHKの番組で「皆が思い描く “世界”などは実際には存在せず、それは単なる思い込みに過ぎない」と述べています。 世界は存在しない
この認識にたどり着くことによって、いよいよ新しい時代が到来
することになります。ChatGTPは言語による社会支配からの解放をもたらし、コン
ピュータの演算速度の向上は時間からの解放を促しています。また、メタバースは空間か
らの解放を推し進めていると言えるでしょう。
これらの促進により、私たちは言語、時間、空間の三重の拘束から解放された真の自己
を知ることになります。そのとき、自由で無限の「大調和」たる世界観へと私たちは導か
れるのです。
デジタル掛け軸は“移ろい”をコンセプトにしていますが、これはすなわち、言語、時
間、空間からの解放を意味しています。何にも拘束されない解放された自分こそが、本当
の自分です。だからこそ、デジタル掛け軸は自分が生きていることを実感できる唯一のア
ートなのです。
デジタル掛け軸は見るたびに新しい展開があり、ある瞬間に目に映る光景は一期一会、
二度と現れることはありません。それはまさに方丈記で語られるとおり「ゆく河の流れは
絶えずして、しかももとの水にあらず」です。
毎日が始まり、毎日が新しい。人類一人一人の数だけ宇宙があります。
「あなたが宇宙」この世界観をWEB3.0が叶えてくれます。このような世界観は19
70年代にすでにバックミンスター・フラー(米国の思想家)などによって想像されてい
ましたが、それから50年を経て、ようやく形を成してきたと言えるでしょう。
* *
まさに長谷川氏が哲学者である由縁が、よくわかる。
そして、彼に新しさ、変化、挑戦を求めるN氏へのメールであるようにも思えるのも、
同じアーティストとして、一つの世界を生きているからである。
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