中国の理解者・鈴木英司氏をスパイ容疑で「拘束」した習近平の正体!
「また一人、中国ファンを失った!?」 無名ジャーナリストの仕事
明らかにされた不法拘束の実態
昔も今も、手を伸ばせば、すぐ届く「一衣帯水」の近さとされる中国だが、その関係は
常に不安定である。
それでも、2022年は「日中国交正常化50年」の節目の年である。
だが、話題になることはあっても、コロナ下ということもあり、ほとんど何の盛り上が
りもないまま過ぎていった。
そんな中、メディアの脚光を浴びたのが、中国でスパイ罪で拘束された鈴木英司「日中
青年交流協会」元理事長の帰国である。鈴木氏は2016年7月、中国でスパイ活動をし
たとして、北京市国家安全局に拘束され、懲役6年の判決を受けて服役。2022年10
月、刑期を終えて、日本に帰ってきた。
これまで、多くの日本人がスパイ容疑で、中国当局に拉致・拘束されてきた。2023
年3月には、アステラス製薬の幹部社員がスパイ容疑で拘束されている。本来は鈴木氏の
ケースも、そうした一つでしかない。
鈴木氏が脚光を浴びたのは、これまで刑期を終えて帰国した彼らが、揃って口を閉ざし
ているのに対して、帰国早々、毎日新聞の取材を受け、拘束後の中国での体験を明らかに
したためである。
俄に時の人となった鈴木氏は、2023年4月、「スパイにされた親中派日本人の記録」との副題がついた『中国拘束2279日』(毎日新聞出版)を緊急出版した。
連休前、三和書籍に寄った際、高橋考社長から同書を譲られた。高橋社長は中国で植林
事業を行うNPO活動をしている関係で、鈴木氏とは昵懇の関係である。
鈴木氏の著書『中南海の100日(秘録・日中国交正常化と周恩来)』の他、張香山著
『日中関係の管見と見証』の翻訳などを、三和書籍から出している。
また一人、親中派日本人を失った!?
『中国拘束2279日』は第1章「中国に魅せられた青年時代」に書かれているように、
日本のためという以上に、中国の味方といった活動を展開してきた鈴木氏が、突然拘束さ
れたという体験報告である。
第2章「希望を奪われた拘束生活」、第3章「中国社会の腐敗がはびこる刑務所生活」
には、徹底した監視と監禁生活、裁判と中国人弁護士の呆れた実態とともに、刑務所生活
が描かれている。いずれも、現在の中国社会の縮図といったような内容である。
そして、第4章「日本政府はどう動いてくれたのか」は、一人「信頼できる領事部長」
を除いて、アメリカとは異なり、日本大使館も政府も頼りにならなかったという内容であ
る。
第5章「どうする日中関係」では、親中派として活動してきた鈴木氏が、改めて日中の
民間交流の重要性を語るとともに、大国になった中国がその責任を果たすべきことを求め
ている。
刑務所生活の章で興味深いのは、拘置所で中国最高人民法院(日本の最高裁判所にあた
る)判事の王清林氏に会ったことである。陜西省楡林市の炭鉱開発権をめぐる事件で、共
産党幹部と中国最高人民法院トップに重大な規律違反があることについて、習近平総書記
並びに6人の常務委員(中国共産党指導者=チャイナセブン)に手紙を送ったところ、逆
に王清林氏が拘束され、刑務所に送られたわけである。
その他、刑務所内での生活は、自分を守るために利用できるものは、徹底して使うとい
う中国共産党・習近平政権の意外な一面を伝えている。
詳しくは同書を読んでもらうしかないが、中国での壮絶な体験ドキュメントに目を通し
ての感想は「また一人、親中派日本人を失った!?」というものだ。
鈴木氏のスパイ容疑自体、身に覚えのないものだが、現実に拘束され、実刑判決まで受
けている。改めて中国が彼を拘束した狙いは何だったのか。彼の結論は、公安調査庁に中
国のスパイがいるということだ。
これまでも、日本人からすれば典型的な親中派の日本人だと思っていた人物が、突然、
拉致・拘束されてきた。その度に「エッ?」という違和感を覚えたものである。
要は、中国の国内政治あるいは日本への政治的なカードとして使われてきたということ
なのだろうが、誰かが逮捕される度に「貴重な中国理解者を失った!?」と思うのも、無
名ジャーナリスト自身、中国には恩義を感じていたが、度重なる反日活動にうんざりして
以来、感謝の気持ちも失せ、中国擁護を止めた経験があるためだ。
友好から悪化に転換した日中関係
第二次世界大戦終結時、中国国民政府の蒋介石総統は、国民に向かって「徳を以って怨
みに報いよ」と訴えて、多くの日本人を感動させた。
戦争は終わった。もともと日本兵として戦った台湾人、韓国人もいるぐらいで、今後、
平和を築いていくためには、まさに恩讐を超える必要があるということだ。
そして、何はともあれ「日中国交正常化」に至り、日中友好ムードが盛り上がって、日
本人の対中国観は大いに好転していった。
ところが、文化大革命、天安門事件を経て、やはり中国は日本とは異なる不思議な国と
して、やがていわゆる「歴史問題」がクローズアップされた。その結果、戦争を知らない
戦後の日本人の多くが反省を迫られ、親中から嫌中へと転換していった。
いまや、鈴木氏が記しているように「日本人の8割程度が中国に好意を抱いておらず、
日中関係は悪いと思っている人は9割にも上ると言われる」状況にある。
鈴木氏も指摘していることは、中国が経済大国から米国に代わる世界一の大国にのし上
がることを目標にするなら、真の大国に相応しい振る舞い、つまりは責任を果たせという
ことだ。真の大国として尊敬される国でなければ、大国になる意味はない。
残念ながら、現在の習近平体制の中国に、とてもその資格はない。
近年の中国の反日教育・活動が日本人の中国への感謝の思い、親近感を無にして、逆に
嫌中を招く結果となり、現在の日中関係はかつての関係が嘘のような最悪の状態にある。
中国への感謝と失望
二〇〇一年八月、山東省棗庄(なつめそう)市を再訪した。
棗庄市には、大々的な国民教育の場である「台児荘大戦記念館」がある。北京の新幹線
駅には、日本での「そうだ! 京都に行こう」のキャンペーンを彷彿させる「台児荘大戦
記念館」のポスターが貼られていた。中国の名所なのである。
世界平和を掲げて、日本軍による戦時中の残虐行為に対する反省と謝罪を目的とする日
中友好ツアーに同行。台児荘大戦記念館で形ばかりの献花を行ったわれわれは、近くを流
れる運河に横付けされた船のレストランでの歓迎夕食会に出席した。
中国ではあいさつ以外にも、よく途中で「○○さんに」と、相手を指名して、お互いに
乾杯する。そのとき、簡単なスピーチをするのが通例である。
宴たけなわとなって無名ジャーナリストも、乾杯のついでに一席ぶつことにした。それ
は日中友好のためのツアーに何度か参加して、逆に日中友好並びに平和が遠ざかるのを実
感したためである。
以下は、そのとき話した内容である。
満州の収容所から脱走した父親
中国には深い思い入れがあります。私の両親は、戦前、満州に渡って、新京(長春)で
印刷業などの事業を手がけておりました。戦争が終わって、満州にいる日本人男性はみな
拉致されて、一時的な収容所に集められました。私の父も隣り組の仲間たちとともにそこ
に送られました。
そこに入れられることは、その後シベリアに送られる日をただ待つということでした。
シベリアは当時の彼らにとって、ほとんど死を意味する辺境の地でした。
そこで、私の父は脱走を決意して、隣り組の仲間たちに宣告しました。
「オレは、ここを脱走する。一緒に来たいやつは連れていく」
しかし、彼らは一人として「一緒に行く」とは言いませんでした。それまで脱走しよう
として、失敗した仲間が銃殺されているのを見て、目の前の死を恐れたのです。
その夜、父は天井裏に潜んで、三日後に収容所のゴミにまじって外に出たのです。一日
二日は「○○が脱走した!」と、大騒ぎになったといいます。
いったん、母たちのいる日本人住宅の一角にもどった父は、脱走の経緯を話し、その場
を後にしたのですが、隣り組の奥さんたちから「何でウチの人も一緒に連れてきてくれな
かったの」と、さんざん泣かれたということでした。
父は石炭列車に紛れ込んで南下し、日本を目指しました。
その間、中国人になりすまして逃げたのですが、いくら中国語がうまいとはいえ、すぐ
に日本人だとバレてしまいます。そんな父を見て、中国の人々は黙って見逃してくれ、逆
に匿ってくれたりと、手助けをしてくれたのです。
その結果、父は日本に帰ることができたのです。その父から、私はジャーナリストとし
ての命と、死をも恐れない勇気を授かりました。
戦後生まれの私が、いまこの地にいるのは、父の死を恐れぬ勇気と密告せず、逃亡を助
けてくれた仲間たち、そして中国の人々のおかげです。私はずっと、そのことの御礼を中
国の人たちに伝えたいと思って生きてきました。
ですから、私が中国に来るのは、いつもその御礼と感謝の気持ちを伝え、少しでも日中
友好のために役立つことができればという純粋な思いからです。本当に、ありがとうござ
いました。
* *
意外な話の内容に、みんなはグラスを持ったまま耳を傾けていた。終戦直後の日本人の
状況を知る中国の友人たちは、涙を流して聞いていた。
私が話し終えると、みんな「いい話だった」といって、潤んだ目をしながら握手を求め
てきた。「打算ではなく、心からの思いなら通じる」と、私は彼らの様子を見ながら実感
した。
同時に、私が初めて自分の父親の話をしたのは、表向き盛んに日中友好を口にする日本
人並びに、彼らと付き合う中国人を見てきて、失望したからである。
話の最後に言わなかったことは「常に感謝の思いと御礼の言葉を伝えたいと思っていた
一人の日本人ジャーナリストが、昨今の大人げない中国の反日の実態に呆れて、中国ファ
ンであることを止めた。つまりは、あなたたちは貴重な中国の理解者を失った」というこ
とである。
中国を揺るがす「白紙」運動
昔も今も、日本人は中国を東洋そして孔子をはじめとした諸子百家の国、そして日本に様々な伝統・文化を伝えてくれた国と見てきた。だが、実際の中国は東洋と言われていて
も、とても孔子を生んだ国とは思えない。
そんな中国を知るための、もう一冊の必携書が2022年12月に出版された王柯(神
戸大学名誉教授)編の『「友好」のエレジー』(藤原書店)である。「中国人が見る『日
中国交正常化五十年』」のサブタイトルがついている。
習近平体制下の中国で、拘束されるのは、日本人ばかりではない。反権力、民主活動家
つまりは共産党一党独裁に反旗を翻す相手は、徹底的に排除される。
彼らに指摘されるまでもなく、現在の中国には言論の自由はない。ネットも同様で、一
見、共産党批判めいたつぶやきも、当局が敢えて流れるのを許していることもあって、フ
ェイクとリアルの見極めは一筋縄では行かない。
そんな中で、ゼロコロナ政策への反発もあって、2022年11月、中国の主要都市で
起きたのが「白紙」を掲げて「共産党、退陣しろ!」と連呼する抗議デモである。
中国では、香港の民主化デモ同様、この手の抗議活動は、必ず当局の鎮圧に遭う。
「白紙革命」はいまだ進行中である。
日中間の問題に限らず、一連の中国のできごとに触れるとき、中国のことは、中国人に
聞くしかないのかもしれないとの思いを新たにする。
知識人を失望させる一党独裁
同書に最初に登場する賀衛方・北京大学教授の「信念を貫き五十年、得たのは落胆のみ
である」の章題が、すべてを語っているように、彼は「最も不安なのは、近い将来には好
転するだろうという希望の光がまったく見えないことである」との思いを吐露している。
その上で、例えば靖国問題の困難さは、中国の日本研究者自体が、ほとんど日本文化を理
解していないこと、また研究自体が遅れている結果であると指摘している。
2人目は張倫・CYセルジー・パリ大学教授の「民主と自由の価値観に基づく協力関係
を目指して」である。広く世界を知る立場から、彼は日本の根本的な戦略的誤りを、中国
人民よりも「中国政府とのつきあいに重点を置きすぎ、上層部路線を歩むことを選んだこ
とである」と、指摘。
「中国共産党はいずれ歴史の表舞台から退場するだろう」と明記し、孫文の名を出して、
そのとき日本が再び世界の手本になるだろうと記している。
そもそも金沢を訪ねた際、本書を贈呈してくれたのは、李鋼哲・東北亜未来構想研究所
所長だが、李氏は「彼を知り、己を知れば、百戦殆(あやう)からず」(「統一戦線」工
作からの脱却を目指して)の一章を寄稿している。自らの中国における「洗脳と洗脳から
の脱却」そして天安門事件に衝撃を受け、一九九一年に来日。現在は夫婦揃って、日本に
帰化している。
李氏は白紙革命に驚き「いまの習近平体制が続くわけがない」と明言していた。
以下、紙幅の関係もあり省略するが、ぜひ日本そして中国を理解するために、本書を手
に取ることを薦めたい。8人の執筆者に共通する特徴は、中国人の中でも、もっとも日本
を良く知っているということである。
中国は本書に登場する日中友好のために、実に重要な8人を失望させることによって、
貴重な日中友好サポーターを自ら遠ざけている。日中友好のみならず、習近平一党独裁下
の中国が危機に陥るのも当然であろう。
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