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候補乱立の自民党総裁選の行方は「神」のみぞ知る? 金のかからない総裁選は「阿弥陀くじ」で決めろ!

候補乱立の自民党総裁選の行方は「神」のみぞ知る?

金のかからない総裁選は「阿弥陀くじ」で決めろ!

「秘書を愛人にしている」一番人気候補!?

人気低迷の中でも、自民党総裁選に意欲を見せていた岸田文雄首相が、2024年8月半ば、突然不出馬を表明して、にわかに総裁選が活気づきました。先の東京都知事選の56人には及びませんが、10名超の候補者名が取り沙汰される事態になりました。永田町というか、日本の政治状況が国民の話題になること自体は、悪いことではありません。


とはいえ、派閥が解消が進み、統一協会問題、裏金問題など、ダメージばかりが続く中での自民党総裁選にどれほどの意味があるのでしょうか。相変わらず、勝手な“井戸端会議”状況を垂れ流すメディアのハシャギぶりだけが目につきます。「ウエルネス@タイムス」関係者が、国民からの人気トップの候補が、地元でどのように見られているのか、以前に聞いたことがあります。


「自分のことだけしか考えない。選挙の票が気になると、立場を変える。口ではうまいことを言うけど、結局、関心は自分の保身と金のことだけ。何より、秘書を愛人にしているような奴、あいつだけは許せない! バチが当たらないのが不思議だよ」と、ボロクソである。「本当か?」という内容ですが、前回は推薦人20人を集められずに、立候補を断念しているぐらいで、自民党陣営での人気のなさがよくわかる話です。


では、他の候補はどうなのでしょうか。ドングリの背比べ状態で、誰がなっても似たようもの? ここは「難しいことは小学生に聞く」をモットーにするジャーナリスト・T氏に久しぶりにレポートをお願いすることにしました。誰も期待しない総裁選の本質を、かなり衝いたレポートになるはずだと信じてのことです。


* * *


決め手に欠ける総裁選

近年、町内会の会長などの役員選びは、なり手がなくて困っている。市町村会議員でもなり手不足が深刻になってきている。そんな中で、国会議員だけは、まだまだ買収してもなりたい人たちが、たまに逮捕されるという夢(悪夢?)の世界である。


金がモノをいう政治業界とはいえ、パーティ券などの裏金問題など、金がらみの話ばかりが話題になって、逆に金のかからない選挙・総裁選がテーマになっている。とはいえ、基本的に、何も変わらない。


誰が総裁になるのか、9月27日には決まるわけだが、常に言えることは、誰がなっても同じようなもの? 初めから諦めムードの中で行われる。そして、都知事選の56人ほど多くはないが、飛び抜けた存在がいない。


そんな中、8月22日、テレ東BIZがテレ東と日経が実施した8月の世論調査「次の総裁にふさわしい人」で、小泉進次郎・元環境大臣がトップの23%で、石破茂・元幹事長が2位の18%、高石早苗・経済安保担当大臣が3位の11%。49歳と小泉氏に次いで若い小林鷹之・前経済安保担当大臣が8%という結果になったと伝えていた。


この報道を受けて「総裁選は小泉・高石・石破・小林の4人の争いになった」との見方も

あったが、そのポイントは「いかに自民党が変われるか?」を訴えるため、人気で選ぶのか、若さで選ぶのか、ジェンダーフリーの時代で選ぶのかというものだ。


狙いが見え透いていて、いま一つ決め手に欠ける。しかも「いかにしてお金のかからない選挙戦を実現するか」と言いながら、15日間という異例の長期戦になるのだから、余計にお金がかかる。「郵送で1億円、電話で1000万円かかる」と言われる総裁選である。


もっとも、昔はサントリーとかニッカとか、金にまつわる話が多かったことを振り返れば、当たり前だが、隔世の感がある。ニッカ、サントリーが政治用語になったのは、2派どころか、3派から金を受け取ることを揶揄した言葉だが、まさに金がかかる選挙の象徴であった。ちなみに、あちこちから金をもらうオールドパーというのもあった。


本当の狙いが同時期に行われる立憲民主党代表選潰しだとしても、「節約」とはほど遠い総裁選が展開されるのだから、困ったものである。


小学生に聞いた総裁の選び方

「神の国・日本」と言って、問題になったのは森喜朗・元首相だが、ここは神仏に頼る以外ないのではないか。苦しいときの神頼みである。


だが、その前に小中学生なら、どうするのだろうか? クラスのホームルームなど、徹底した討論の後に、例えば投票もあるが、面倒な場合、もっともわかりやすいのがジャンケンでの決着である。


まさか、国会議員同士でのジャンケンはちょっとあり得ない。ジャンケンに代わる身近な方法はないのか、小学生に聞いてみた。以下、順不同である。


・クイズダービー方式で、上がりが自民党総裁というクイズで決める。なるほど、バカではなれそうもない。

・小中学生代表を選んで、彼らに投票してもらう。選ぶ方法として、政治の話は難しいので、お題に沿った絵を描くとか、好きな歌を歌ったり、小中学生からの質問やアンケートなどに答えてもらう。なるほど。テレビで中継すれば、24時間テレビ以上の視聴率を稼げるかもしれない。そんなことないか。

・候補者名をルーレットボードに書いて、候補者自身に矢を投げさせる。自分の名前を狙ったつもりが外れたりもするが、それも自分がやったこととして、諦めがつく。

・街頭アンケートで決める。インバウンドの観光客も多いので、グローバルの時代に、外国人と日本人半々で、気に入った人に赤いシール、ダメな人に黒いシールを貼ってもらって決める。なるほど。見た目は大事である。やってみる価値はありそうだが、その他を含めて、いずれも実現可能性ゼロのものばかりである。


そんな中で、もっともやる価値があると、個人的に思う方法は「阿弥陀くじ」による選出法である。「バカじゃないの!」と言われて当然かもしれない。筆者自身、一瞬「そう思った」ことがある。そんな昔のことではない。




苦しいときの神頼み?

 およそ5年ほど前、新潟県の歴史の本にも登場する親鸞聖人七不思議の一つ、枝が下を向いて生える逆さ竹で知られた北山浄光寺で、護持会発足のための発起人会が開かれた際の出来事である。

 本来、親鸞聖人がつくった由緒あるお寺だったが、当時は先代住職が亡くなって、いわゆる放漫経営でお寺が存亡の危機に瀕していた。先代住職の家族は、誰もお寺を継ぐつもりはない。わずかに、姉の娘一家が寺族として、北山浄光寺再興のため、諸々の問題をクリアーすべく、まずは金銭問題を解消するために「護持会」を立ち上げることになった。

 先祖代々の墓がなくなれば、門徒としても困ってしまう。そこで、先代住職とも親しかった筆者も発起人に名前を貸すことになった。名前を貸しただけのサクラのつもりが、積極的に関わろうという者などいないため、およそ10名ほどの発起人が、全員役員になるしかない状況になった。

「エーッ! 話がちがうよ」といった感じだが、それは全員似たようなもの。そんな中、とりあえず会長を誰にするのか。

 長年、続いているお寺の護持会、役員、門徒総代であれば、単なる名誉職的な色彩も強いかもしれないが、北山浄光寺護持会の会長職は明らかに、そう簡単なものではない。しかも、誰にでもできる仕事でもない。

 そんな中、何度か集まっているうちに、社会労務士事務所を経営する人物がもっとも適任だということがわかってきた。会計なども、会社で経理をやってきた人物もいた。しかし、問題の会長職は当の本人が仕事との関係もあり、かたくなに拒否している。

 まずは会長が決まらないことには、護持会づくり、要はお寺の再興などあり得ない。どうしたものか、暗礁に乗り上げ、思案も尽きたころ、寺族から「阿弥陀くじで決めたらどうですか?」との提案があった。

「エーッ!」そんな手があったのか。というか「それでいいの?」と思ったが、他に手段はない。

 神社の「大吉」コレクターでもある筆者は「御神籤、恐るべし!」と、年に何回も呟いている。その点、阿弥陀くじなどはハナからバカにするというか、まともな選択肢になるとは思ってもいなかった。

 やってみた結果は、アッと驚く内容であった。

 「三角大福」時代を経て

 阿弥陀くじの結果、問題の護持会会長はその人物しかいないと言われていた人物に。

 さらに、会計担当、責任役員、そして筆者は門徒総代の一人として「寺報」(機関紙)を担当することになった。少ない人数の中で、すべて適材適所というしかない。

 恐るべき阿弥陀くじの法力(?)に、一同、唖然とした。さすがに、誰も文句は言えない。

 確かに、もともと仮本堂で、補修の必要な状態だったとはいえ、ありがたいご本尊は、まさに阿弥陀様である。親鸞聖人像も正面を向いた顔で見ている。何でも、宗祖・親鸞聖人の正面を向いた肖像画は珍しく、それだけお寺と深い関わりがある証明であり、多くの浄土真宗のお寺の肖像画は、横を向いているのだとか。

 永田町関係者、メディア、そして政治意識が高いと自信のある全日本国民に問いたい。

「あなたは阿弥陀くじ以上に『最適だ』と自信を持って言える総裁の選び方を知っていますか?」と。

 小学生にはすでに聞いた。では、大人の事情で選ぶと、どうなるのか。

 聞くまでもないことだが、いわゆるこれまでの自民党のやり方は、実質的な実力者の鶴の一声、派閥の論理で決まる。

 あるいはもっとわかりやすいのは、多くの実例がある金の力、あるいは談合・取り引きでというものだ。

 多少、体裁がいいのは、せいぜい「禅譲」などと言ってごまかすケースだが、禅譲とは辞書を引けばわかるように、本来の意味は、天子がその位を世襲とせずに、他の有徳の者にゆずることである。

 自民党の禅譲が、噴飯物であることはいまに始まったことではないが、以上が自民党における民主的な手続き・手段による選び方である。

 問題は、それで自民党政権下、満足できる総裁がいたのかということだ。

 もちろん、好き嫌いだけではなく、事情は様々である。「今太閤」と言われた田中角栄がロッキード事件で失墜したように、多くの総裁・総理が疑獄事件で失脚している。退陣の理由は、女性問題から金の問題まで多岐にわかるが、総じて言えることは、退陣しても周りは大して困らない。すぐに次が現れるということだ。

 民主党政権時代は、図らずもその実験のようでもあったが、要するに誰がなっても変わらない。

 もともと、日本の政治は三流と言われていた。それでも回っていたのは、経済が二流、官僚が一流と言われてきたためだが、失われた30年を経た今日、それも怪しい。

 金のかからない選挙の決め手

 沖縄返還により、ノーベル平和賞を受賞した首相・佐藤栄作後を争った「三角大福」の総裁選は、いまなお歴史に残る過激な総裁選であった。勝ったのは田中角栄だが、その後の三木武夫、大平正芳、福田赳夫の3人も、総裁・総理になっている。

 振り返れば、日本の経済成長著しい時代で、欧米との関係もあり、誰がやっても似たようなもの。歴史に「if」はないが、あのときもし「阿弥陀くじで決めよう」という天の声が下っていたならば、金のかからない総裁選が実現していたことは確かである。

 総裁選に限らず、党内での切磋琢磨と言えば、言葉はきれいだが、他にもっと世界的にも国内的にも、率先してやるべき課題があったはずである。だからこそ、政治は三流と言われながら、時の総裁・総理が最後は残念な結果に終わるとしても、誰がやっても通用した。つまりは、誰でも一緒ということである。

 だったら、金がかからないに越したことはない。

 何しろ、阿弥陀くじの要領は、総裁選であれば、白い紙に人数分の縦線を引いて下に総裁、副総裁、幹事長などの役職名を書いて、その部分を折って隠して、縦線のあちこちに横線を引く。「当たり」なのか「ハズレ」なのか、誰がどの役職を引くのかわからない阿弥陀くじのできあがりである。

 紙と筆記道具があればすむだけに、実に安上がりな方法である。しかも、御神籤同様、神・仏の指摘であれば、仮に納得がいかなくても、ある種、諦めもつく。

 しかも、誰が総裁・総理になっても、アメリカの新大統領、中国の習近平国家首席、ロシアのプーチン大統領、北朝鮮の金正恩総書記などを相手にまともな外交ができるとは思えない。

 そんな中、阿弥陀くじなら、金がかからないだけではなく、いわば神・仏のお墨付きが得られるのだから、少しは自信にもなるはずだ。

 なお、石破氏が総裁選の討論会で、各候補が語る政策テーマを「くじ」で決めることを提案したと、一部で話題になっている。一歩前進のようにも思えるが、テーマをじゃんけんで決めるのと、何ら変わりがない。

 いまからでも遅くはない。総裁選における「阿弥陀くじ」の採用を真剣に議論すべき時期である。そんなわけないか?

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