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一般財団法人「日本熊森協会」森山まり子名誉会長 「新潟講演会」に行ってわかること

更新日:2022年4月22日

一般財団法人「日本熊森協会」森山まり子名誉会長

 「新潟講演会」に行ってわかること




 「日本熊森協会って知ってますか?」

 2022年2月20日過ぎ、上京した際に一般財団法人「日本熊森協会」(本部・兵庫

県西宮市/室谷悠子会長)の知名度がどのくらいあるのか、会う人たちに聞いてみた。

 10人足らずだが、誰もが「知らない」という寂しい結果である。

 しかし、少しだけ活動内容について話すと、逆に驚かれた。

 驚くと同時に、ちょうど30年前に始まった熊森の活動に、みなさん共感を覚える。

 水と森・自然を守ることは、日本人として当たり前のことだからである。

「ウエルネス@タイムス」記者が上京の直前、森山まり子名誉会長の新潟講演会に行った

のは、マクロビオティック(玄米菜食)指導者・美上みつ子さん経由で、福岡の熊森協会

支部の岡野吉郎氏から「今度、熊森を取材して欲しい」とのメールが届いていると聞いた

ためだ。

 早速「日本熊森協会」をネット検索したところ、2月19日に新潟県新発田市と、翌2

0日に村上市で森山まり子名誉会長の講演会が行われるとのことであった。

「なぜ、熊森なのか?」を含めて、話を聞けば、近年の日本で問題になっている自然環境

のみならず、日本列島の問題のすべてが「熊森」につながっていることがわかる。

 クマと森を考える活動そのものが、日本列島に起きている様々な問題、シカやイノシシ

による農作物被害、水源を中国をはじめ外国資本が買い占めていること、本来、エコが旗

印の再生エネルギーのはずが、山奥まで設置されているメガソーラーによる山の自然の崩

壊、風力発電・海洋発電による自然破壊および漁業の衰退など多くの問題の実態、不都合

な真実を暴くことになる。

 近年増えつづける土石流、山崩れ、大洪水は、全国各地で大問題になっている。

 戦後、日本列島を覆い尽くしてきた杉の人工林に対して、奥山・自然林の生物の頂点に

いるのがクマである。そのクマを守ることで、その裾野に広がるすべての生物が共存・共

生できるということだ。

 熊森協会では自然破壊著しいソーラーパネルは、都会のビルの屋上に設置するように、

メッセージしている。名案だと思う。



 女生徒が持ってきた新聞記事と作文

 日本熊森協会は25年前の1997年春に設立された。

 きっかけは、森山氏が理科教員を勤めていた兵庫県尼崎市の中学校で、一人の女生徒が

ツキノワグマが絶滅の危機にあるとの新聞記事と作文を持ってきたからだ。1992年の

ことである。

 そのいきさつが、森山氏の講演のテーマでもあるが、記事には痩せてガリガリのクマが

射殺され、両側から笑顔のハンターに持ち上げられた写真が大きく掲載されていた。

 見出しには「オラ、こんな山嫌だ 雑木林消え腹ぺこ、眠れぬ 真冬なのに里へ・・・

射殺 ツキノワグマ環境破壊に悲鳴」とあった。そのとき、彼女は初めて日本の森や動物

の世界で、何が起きているのかを知ったという。

 日本の奥山の広大な部分が、戦後の拡大造林という国策によって、同じ緑でもスギやヒ

ノキなど針葉樹だけの人工林に変わってしまった。その下に草木は育たない。

 生活の場を失い、お腹を空かせエサを求めて、仕方なく人里に出てきては、有害獣とし

て射殺される。クマを筆頭にした野生動物たちを絶滅の危機から救おうと、中学生たちが

立ち上がった。

 そのいきさつは森山氏の講演を基にした小冊子『クマともりとひと』(日本熊森協会の

誕生物語)に書いてある。重要なことは、クマたちの危機は日本の森の危機、自然環境の

危機であると同時に、われわれ一人ひとりの危機だということだ。



 大人のしていることは間違ってる!

 彼女たち理科教師は、日頃教室で「人間は自然がなければ生きてはいけない。無数の生

き物たちが密接に関わり合って、絶妙のバランスの上に成り立っている。一種類でも生物

の種類が欠けたら、このバランスがガタガタガタになって、崩れはじめてどんどん劣化し

ていく」といったことを教えている。

 だが、現実はどうなのか。

 現在、日本中で杉を植えた山の表土が流れだしている。

 広葉樹が育って、秋に葉っぱが落ちて1年間かけて、1ミリしか表土ができない。彼女

が調査に行く山の表土は30センチぐらいある。ということは、300年かかっている。

その原生林、自然林に杉を植えているから、よく育っている。

 山に養分がいっぱいあったからだが、広葉樹の代わりに、もともと保水力に欠ける針葉

樹を、人工林では効率を優先して狭い間隔で育てる。そのため、十分に根を張ることがで

きず、ますます保水力がなくなる。そして、台風など災害時には倒れやすくなっている。

 事実、全国の山の表土が猛スピードで失われて、崖崩れ、土石流、大洪水などの災害が

頻発している。

「見渡す限り緑で、自然がいっぱいと思っていたのが、あるのは杉だけ。あとの生き物、

生物が生きられない。あかん、この森崩壊する」と思った彼女は「理科だより」に、女生

徒が持ってきた新聞記事を載せた。

「理科だより」を教室で配ったところ、彼女の表現では「そこからエライことになってき

た」のである。

 中学生が「大人のしていること、絶対間違ってる」と言いだした。

 当時の兵庫県のツキノワグマの棲息数は推定60頭と言われていた。自然界の生き物で

300頭を割ると、絶滅が始まる。100頭を割ると、種の保存が不可能で、奇形が生ま

れると言われている。

 そうした実態を知った生徒たちが「先生、クマの絶滅止めてやろうや」と、行動を始め

たのだ。




 天然ツキノワグマを守る会

 クマたち並びに森の実態を知って、ショックを受けた彼女だが、当時は自分がやらなく

ても、クマを絶滅の危機から救う、クマを守る自然保護団体があると信じていた。

 そうした組織に任せたいと考えていた彼女は、それでも生徒たちの熱意に応えるため、

兵庫県庁に電話をしたり、関係すると思われるところにアタックした。

 どこも突慳貪な対応で、どこにもクマを守る団体も組織もなかった。クマは有害獣とし

て駆除の対象だったのである。

 そんなある日、図書館で『ツキノワグマ日記』を見つけて、10頭のツキノワグマと2

0年間暮らした著者・宮澤正義氏に会いに行った。

 宮澤氏によると、クマは本来、森の奥に住んでいて、大変に臆病な動物。99%がベジ

タリアンで、肉食といっても昆虫や沢蟹ぐらいで、人を襲う習性など全くないという。

 よく新聞記事になる人身事故は、怖がりのクマが人間から逃げようとして起きるという

話である。宮澤氏の娘さんの印象では「クマは犬を大きくした感じで、犬より頭がいい」

というものだ。

 結局、誰もやる人はいないことがわかって、彼女は自分がやるしかないと覚悟を決めて

同僚の理科教師と3人で「野生ツキノワグマを守る会」を立ち上げた。

 その後、会に参加した教え子たちとともに立ち上げたのが、日本熊森協会なのである。





 行政とは平気で嘘をつくところ

30年間、戦ってくれば、いろいろわかることも多い。

 講演会では「行政とは平気で嘘をつくところだとわかった」と、しみじみ語っていた。

「クマが絶滅の危機にある。ツキノワグマを殺さないで下さい」と、中学生が悲痛な声で

訴えても、行政担当者から返ってくるのは「絶滅しません!」という、木で鼻をくくった

ような返事。彼らは「ロボットが立っているだけの存在だ」と嘆く。

 そんな大人たちを相手に生徒たちは、もっとクマと森のことを勉強して、大人たちを説

得しようと、猛勉強を始めた。

 もともと中学生が抱いた疑問から始まった取り組みだけに、生徒たちの行動力はハンパ

ではなかった。

「これ以上、大人たちには任せていられない」と言って、日本中の関わりのあるところに

手紙を書いた。英語の得意な生徒は、いま日本で起きていることを世界中の人たちに知っ

てもらえるように、さらに英語の勉強に励んだ。

 クマの棲息する兵庫県北部の但馬地方に、どんどん電話をかけ始めた。

 県の「ツキノワグマ捕獲禁止緊急要請」の署名集めでは、彼女たち教師が集めた署名を

はるかに超える署名を集めてきた。

 生徒たちは一軒一軒ピンポンして歩き、駅やスーパーの前に立っていたのだ。

 夏休みには「クマを殺さないで下さい」と、環境庁(当時)に乗り込んだ。



 天皇皇后両陛下への手紙

 生徒たちが集めた大量の署名を県庁に持っていった後、兵庫県の猟友会が「兵庫県ツキ

ノワグマ絶命のおそれにつき狩猟を自粛します」と新聞発表した。

 生徒たちは、最後の手段として「県知事に直訴しよう」と言いだして、当時の貝原俊民

知事に手紙を書いて、面会できることになった。

 知事に面会できたことから、生徒たちの取り組みは大きく変わった。

 1994年5月、県北部での全国植樹祭では、知事が当初の計画を白紙撤回。26種類

の広葉樹を植えることになったのだ。

 植樹祭に参加した生徒たちは、天皇皇后両陛下の行幸を「チャンス到来!」と、お付き

の人に兵庫県並びに近県のクマの実態を訴える手紙を託した。

 翌日、そのことが東京の新聞で記事になり、当時の環境庁長官が「兵庫県のツキノワグ

マの狩猟禁止令」を発令した。

 生徒たちは、当時、高校生になっていたというが、彼らをそこまで駆り立てたものは、

何なのか。

 使命感である。この使命感こそ、教育の原点をなすものだと彼女は、生徒たちから教え

られたという。

 森山氏の後を継いだ二代目会長の室谷悠子氏(弁護士)は、当時、活動の中心となった

女生徒である。

 生徒たちの行動力の源泉は、大人たちは死んでいっても、自分たちは今後70年以上生

きていかなくてはいけない。絶滅するクマの運命は、自分たちの将来の姿だからである。



 戦後の林野行政は失敗だった

 熊森協会の活動は、既得権益の厚い壁を崩すための戦いでもある。

 相手に都合の悪い情報を暴くと、うまい具合に梯子を外されることもある。

 その農林水産省・林野庁、あるいは環境省も、自分たちの戦後行ってきた林野行政、自

然環境保護政策が失敗だったことは認めているという。

 間違いは認めても、諸先輩たちが行ってきたことを、自分たちがいまさら否定すること

はできないというのが、所轄官庁のトップ以下の基本的な認識である。

 まさかという感じだが、実際に森山氏は教え子の中学生、その後は高校生と一緒に、主

要官庁に出向いて、担当者から確認してきたというのだから、その戦う姿勢、行動力は敬

服に値する。

 同時に、30年は長い。純真な中学生とちがって、はるかに世間を知っている森山氏は

日本の行政、政財界、マスメディアすべてに失望したと語っている。

 そんな中、世界に目を向けると、英国では自然保護団体「ナショナル・トラスト」が政

治を味方につけて、大きな成果を上げていることを知った。

 そこで「誰か、いい政治家はいないものか」と思い、顧問の安田善憲氏に「尊敬できる政治家は?」と尋ねたところ、何と「天武天皇だ」という答えが返ってきた。

 当時は唐の文化を取り入れていた時代だったが、その中で一つだけ取り入れなかったの

が、肉食であった。事実、天武天皇の時代に「殺生禁止令」を出している。

 肉食禁止令は明治期まで、およそ1200年間、続いたのである。

 理由は、肉食をする文明は必ず滅びる。森が消えるからである。

 森山氏が安田氏から聞いた「日本文明の特徴」は、1.祖先への感謝(先祖供養するこ

と)、2.未来への責任(もったいない他、いまのSDGs)、3.生きとし生けるもの

への畏敬の念(共存・共生・共栄)である。

 皇居、明治神宮など、首都に広大な緑がある国も珍しいが、世界の首都、それも先進国

の首都に野生のクマが住む森があるところなど、東京以外にはない。

 奈良公園のシカは、人間と共生している世界でも珍しい例だが、日本には古来、彼らと

共生する棲み分けの思想があったのである。



 協会支部のない新潟にある「熊森」

 森山氏が、講演の最後に、何度も強調していた「新潟県には支部がないんです。ぜひ新

潟にも支部をつくって下さい」という願いに、いまさらながら新潟県に支部がないことを

知り、愕然とした。

 実際に、日本列島で起きていること、熊森協会が取り組んできたこと、その現実ととも

に、彼らの活動を知れば、新潟に支部がないのが、何とも恥ずかしい思いになる。

 何しろ、新潟県は全国で唯一「熊森」(燕市)という地名を持つ県である。読み方こそ

「クマノモリ」だが、その新潟県に熊森協会支部がないのは、何とも残念である。

 燕三条地域は、ものづくりで有名だが、登山・アウトドアメーカーが多いことでも知ら

れる。日本を代表する「スノーピーク」の他、多くの登山・アウトドアメーカーがある。

 なぜ、彼らが熊森協会支部をつくろうとしないのか。直接聞いてみたいぐらいである。

 記者の周辺にも、環境問題、地域起こしを兼ねて、新潟杉に関する活動に取り組んでき

た有志がいる。

 2019年12月には、南魚沼市の診療所の地下倉庫に、冬眠中のクマがいることがわ

かって、親子3頭のクマがいてニュースになったこともある。

 保護されたクマの親子を「殺さないで」「助けて!」という声に、連絡を受けた熊森協

会の精鋭部隊が、大型檻を用意して駆けつけた。

 その後、保護された親子3頭は翌年、無事、山に帰されたが、そのとき森山氏が痛感し

たのも「新潟に熊森協会支部があれば」ということだった。



 記事にならない「新潟講演会」

 熊森協会も2代目の時代になって、ようやく政治の世界でも理解者が増えて、流れは変

わりつつあるようだ。

 いまでは静岡県西部に、かなり広大な土地を所有するなど、地に足がついた活動を続け

いてる。次なる目標は「日本に200万人規模の自然保護団体をつくること」だという。

 そんな熊森協会の活動に大いに期待すると同時に、協会の歴史と活動を知るにつけて思

うのは「ぜひ、熊森の歩みを劇や映画にしてほしい!」ということだ。

「ウエルネス@タイムス」としても、少しは関係者に熊森の取り組みを伝えてあげられた

らと思い、講演会の後、余った資料をもらうため、若い女性スタッフに声をかけた。

「ジャーナリストです」と名乗ると、目を輝かせて「エッ、書いてくれるんですか!」と

聞かれた。

 その勢いに「まあ、書きますけど」と応えたものの、どれだけ力になれるのかは保証の

限りではない。

 同時に、ふと思ったのが「この講演会場には地元の記者が来ていないのか?」というこ

とだ。

 新潟に限らず、地方紙は東京などの大都市とちがって、ちょっとしたきっかけで記事に

なる頻度が高い。実際に、新潟の知人や企業などが、よく登場する。それだけ記事になる

ためのハードルが低い。

 特に「新潟日報」は地域版が、新潟、佐渡、下越、県央、魚沼、長岡、柏崎、上越と、

各1ページずつ設けられている。新発田市は「下越」に相当する。

 熊森協会側が講演会の開催を知らせなかったとも思えないが、結局「新潟日報」の下越

欄には、何の記事も載らなかった。それもまた、いかにも支部のない新潟県らしいという

ことなのかもしれない。

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