天皇の大御心とは? 「白川神道」の真髄について
梨本宮記念財団の世界平和行脚(その3) 無名ジャーナリストの仕事
戦争の代わりにスポーツを!
2024年夏、平和の祭典「パリ・オリンピック」が始まっている。
相変わらず世界は戦いに満ちているが、スポーツの祭典「オリンピック」は、世界の戦争同様、汚い金や“政治”に満ちているとはいえ、戦争とは異なり、通常は殺し合いは行われない。銃をはじめとした武器も殺人のためには使われない。
スポーツの世界では、5月6日、東京ドームでボクシング・スーパーバンタム級の井上尚弥が、悪童ルイス・ネリ(メキシコ)を相手に6回KOで勝利した。
1回、まさかのダウンを喫したが、そのときの対応を含めて、そのすごさが評価され、米リング誌のパウンド・フォー・パウンド(PFP)の第1位にランクされた。改めて、彼の強さがクロースアップされた形だが、それでも異を唱える人はいる。
事実、その後に行われた世界ヘビー級タイトルマッチの結果、4団体統一王者のオレクサンドル・ウシク(ウクライナ)がPFPランキングの1位に返り咲いているとか。
全階級を通じて、誰がもっとも優秀な選手かを決めるというPFPのシステム自体、無理がある証明のような展開だが、いずれにしろ、戦争とはちがって、殺人を競うわけではない。興奮したファンがケンカになる程度である。
殺し合いを避けるという意味では、スポーツ、あるいはゲームは、十分に戦争に代わって決着をつける手段にできるはずである。そこにこそ、人類共通の敵に勝つ知恵もあるはずだが、それでも納得しそうもないのは、戦争をやりたい連中がいるためである。
戦争のメリット・デメリット?
なぜ、戦争が続くのか。戦前に生まれた知人女性が話していた。「男の子はチャンバラごっこや戦争ゲームが好きだから、大人になると、戦争を始めたがるのかも」と。
極端な意見のようだが、紛争や災害への対応に女性の参画を推進する取り組み「女性・平和・安全保障(WPS)」が注目される時代でもある。確かに、女性に比べて、男性リーダーは様々な理屈を駆使しながら、武器を持ちたがる。そして持てば、使いたくなるのが、人間の性である。
事実、自衛隊に限らず、世界の軍隊の規模は、早々に武器を捨てて解散というわけには行きそうもない。戦争経済がどのくらいの規模かはさておき、昔から武器商人、戦争特需といった言葉があったぐらいで、戦争は国の経済に直結している。
先が見えない戦争ビジネスだが、ウクライナそしてガザ地区から、次はアフリカだというのが、彼らの狙いだと、公然と言われている。
それが表向き世界平和を理想に掲げ、常に軍事産業・防衛ビジネスが、新たな戦争というビジネスチャンスをつくりだしている実態である。
戦争を正当化するための理屈には、いろいろあるが、当然ながらメリットはそのままデメリットになる。例えば、以下のような具合である。
1.結果的に、増え続ける人口の削減になる=殺人・戦争の正当化。
2.戦争特需による一時的な経済成長、失業対策になる=環境破壊、社会の荒廃等。
3.技術革新の原動力となる=ダイナマイト、核の脅威を生む。
4.国を一つにまとめる力になる=民族主義を助長、世界の対立・分断を招く。
そして、戦争に勝利することは、一方で敗者を生み、支配とともに被支配者を生み、対立を助長。報復の連鎖による戦争が繰り返される。それが戦争の絶えない人間の歴史の真実である。
戦争が続く現在、改めて「終戦」の事実に向き合うとき「恩讐を超えて」との「梨本宮記念財団」梨本隆夫代表理事のメッセージに意義がある一方、なかなか伝わらないとの現実は、平和と戦争という同じ問題の裏と表でもある。
昭和天皇の「終戦」は、そのまま世界に戦争の終わりを告げたものであって、そこではあらゆる対立・恩讐を超えることが求められる。だが、戦争を止めるためには、すでに指摘しているように、それ相応の覚悟が要る。
愛と平和同様、言葉でいうことは簡単だが、平和が容易に実現できないのは、自らの胸に手を当てて、その声を聞くとき、中途半端な思いしかないと覚る必要がある。
天皇の大御心とは?
「恩讐を超えて」と語る梨本代表理事の思いは、どのようなものなのか?
無名ジャーナリストが、先代・梨本徳彦王の時代から行動を共にし、定期的に同財団の活動に関わる中でわかることは、実は彼らはいわゆる天皇の大御心を当たり前に尊重し、行動に移しているということだ。
どういうことか。
天皇の大事な仕事は、宮中祭祀である。天皇にとっての祭祀とは、神に豊作を祈願し、自然の恵みに感謝しつつ、国の安寧を願うことだ。
天皇の大御心とは「この世のすべての不幸は自らに責任がある」との前提の下、天に自らの力の不足について「申し訳ない、赦してください」と詫びる心である。それが天皇の祭祀、日々の祈りの基本である。
それは宮沢賢治が『農業芸術概論綱要』の序で「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と記していたベジタリアンの思いにつながるものでもある。
「幸せとは何か」というとき、自分は何の悩みもなく、成功を手に入れ、金も名誉もおよそ世間がうらやむすべてのものを手に入れて、幸せの絶頂にあると自慢したところで、それは彼の信じる幸せであり、少し地球の裏側を見る視野と想像力があれば、それはただの自己チュー、鈍感、想像力の欠如でしかないということだ。
仁徳天皇の「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」との和歌にある逸話は、遠くにかまどの煙が立つのを見て、庶民の暮らしぶりを忍ぶ様子を伝えている。あるいは「よものうみみなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」と歌った明治天皇は、日露戦争の際、大国ロシアに挑む無謀な戦いを案じて、寒いシベリアにいる兵士の苦労を忍んで、宮中で暖房のない生活を送ったという。
昭和天皇は戦後、GHQに赴いた際に「敗戦の責任は、すべて自分にある」と伝えて、マッカーサーを驚かせるとともに感動させている。
天皇にとって、古来、国民は大御宝(おおみたから)だからである。
そうした天皇の大御心こそが、世界平和の原点となる白川伯王家、白川神道の真髄となる考え方でもある。白川神道、白川伯王家の霊統を継いだ梨本代表理事にも共通する思いというわけである。そのぐらいの思いがなければ、天皇の大御心は理解できないし、世界に平和は来ないということでもある。
一事が万事、すべてが自分の至らないせいだと思って、お詫びして、いまできることをする。それが世界平和のための条件である。
伯家神道・伝承の系譜
梨本宮記念財団の主たる目的は、定款にあるように「日本国・天皇家の立場に立った過去の因縁解消、懺悔滅罪の基本理念のもと未来に亘っての東洋平和、世界平和を提唱していくこと」である。
今日、様々な事情から天皇が参拝できない靖国神社に、毎月15日、団体参拝を続けるのも「天皇陛下万歳!」と叫んで、戦場に散った英霊たちの慰霊・鎮魂のためである。
同様に、毎月23日、白川伯王家墓前での祭典を続けるのも、本来であれば天皇家並びに宮内庁が、先祖供養の一環となすべきところ、代わりに慰霊・鎮魂を行うのが、霊統を継ぐ者としての勤めだからである。
いわゆる「伯家神道」に関する本にもいろいろあるが、口伝とされる古神道の世界だけに、あまり参考となる書籍はない。
白川神道の詳しい説明は、次の機会に譲るが、2023年1月に出版された松濤広徳著『伯家神道 伝承の系譜』(くしびなる日本とかむながらの道/大玄社)は、正統な修行者兼研究者による伯家神道の系譜とその持つ意味を探った本格的な著作である。
本の帯には「高濱清七郎に始まる明治以降の伯家神道の歴史、中でも祝之神事(はふりのしんじ)と呼ばれる御道が、どのような経緯で伝わってきたのか、初めてその歴史と事跡をまとめた書、遂に出版なる!」とあり、「はじめに」には「古(いにしえ)の昔から宮中の奥深くに秘められた、語らずも知る古の道、神と舞う神遊びの道、伯家神道に伝わる御道について、継承のために努力した方々の歴史を残したく思いました」との著者の言葉が引用されている。
具体的には、伯家最後の学頭として知られる高濱清七郎の系統、その関わりの中から、残された資料とともに、自らの修行を通じて、浮かび上がる真実を、一部推測を含めて書き残した労作である。
もっとも、そこには違和感がないわけではない。その一つが、白川伯王家・最後の血筋である子爵・白川資長に関して、その彼にはまるで白川神道を継ぐ資格がないといった前提で、本書の筆が進められていることだ。
なぜ白川資長の存在を無視するのかは、本人に聞いてみないとわからないが、もっともわかりやすい理由は、表向き白川神道は明治政府、いわばお上からその地位と特権的立場・王の称号を剥奪されたことにより、引退を余儀なくされている。その後の情報がほとんどなかったためとも思われるが、不思議なことである。
最後の学頭・高濱清七郎が積極的に伯家神道のお道を残そうと活動したことから、唯一の後継者ということにしているのだろうが、これまでも霊統の重要性について記してきたように、霊統が強調される場では、逆に血統が重要になる。つまり、そこでの霊統の不備・乱れによる不具合の多くは、血統によって正しい道を貫く役割を担う。それがあらゆる道の継承につきまとう真実である。
血統の重要性について
松濤氏の『伯家神道』の一番の問題点は、白川伯王家の血統について、法的・行政・組織上の問題として処理していることに関して、何ら疑問を持っていないことである。
血統の重要性に関しては、前号で梨本代表理事の活動の背景・根本には両親が行ってきた世界平和のための行脚があってのことであり、それは一朝一夕にできることではないと述べてきた。
例外はどこにでもあるが、基本的に徹底して正しいことを行っているならば、神は味方する。そうではないときには、どうなるか。お役御免という形で、命を取られる。それこそ、高濱氏の後継者・娘婿である宮内忠政氏が、若くして死ぬことの意味である。高濱氏並びにその後継者にとっての伯家神道が、伝統的な力を引き継いでいくためには、白川伯王家との関係があってこそ可能であるという、そのことを後継者の若き死は教えているのではないか。
逆に、血統の継続性に関しては、科学的な証明とは無縁の世界のできごとだが、いわゆる生まれ変わりないしは亡くなった親族が乗り移る形で、使命・役割を引き継ぐことになる。突然の変化を実感するケースは、少し霊的な家系では、当たり前にあることである。
身近な例では、ある程度の社会的な地位を得た人物が、中国・韓国などに出向き、あるいは国内でも揮毫を求められることがあった。その度に、自らの書の稚拙さに愕然として実子には幼少時から書道教室に通わせていた。そんな彼が、後年、揮毫する必要が生じた際、実家にある掛け軸の文字を書いた。
そのとき「アレッ?」下手なはずの書が、なぜか普通に書けている。署名もそれまでの稚拙な字とは異なり、いわゆる書になっている。不思議なこともあるものだと思っていた
ところ、毎年、お盆の際に訪ねていっていた叔父が亡くなっていた。
実家に掛かっていたのは、かつて書家を目指したという叔父の書であった。お盆などの際、先祖供養を率先して行う姿に感心して、何かと目をかけてくれたという。
その叔父が亡くなって、まるで書家を目指した叔父の遺志を継げというかのように、彼は周りから達筆だと言われるようになった。叔父が乗り移った結果だと考えるしかないというのが、彼の結論である。
似たような話は、どこにでもあって、そうした世界に縁のない者には、単なる「バカな話」でしかないが、芸事、職人、代々続く伝統の世界では、当たり前にあることである。そこでは自然、つまりは神を敬い、常に祈り、精進する生き方がベースにあることで、奇跡=神を味方にすることができる。
「世界平和塔」落慶式の白川資長
40代以上続いた伯家神道の家系を考えれば、白川資長自身が、お家の断絶にただ腕をつまねいていたと思うことなどあり得ない。自分の代でその道が途絶えることは断腸の思いである。彼の名前が、高濱氏の後継者が継いだ和学教授所や会合などで見られるのも、そのためである。
同時に伯家神道は天皇家の神事を司るという裏の役目に徹するという意味では、表には見えない形での継承を模索することになる。
1949年(昭和24年)12月8日、梨本代表理事の実父・神林茂丸師が羽黒山に建立した「世界平和塔」の落慶式には、当時80歳の白川資長様が参列されている。
世界平和塔の台座に載せた球体は世界(地球)を表し、縦と横の線は日本と外国の人が手をつなぐこと、平和を意味している。
世界平和のため、球の上には十字架を載せる案もあったというが、決心がつかなかった茂丸師は一人晩秋の湯殿山に参拝に行った。そのとき、空高く円を舞う鳥を見て、球の上に3本足の霊鳥ヤタガラスをいただくことを思いついたという。
先の大戦は日本人だけでなく、敵国の人たちも同じように悲しい思いをしたことから、二度と戦争がないようにとの思いを込めて、戦没者の英霊を鎮めるために建てられた。その経緯が昭和天皇にまで届いたことによって、落慶式には宮内庁から白川資長様が参列されたわけである。
松濤氏の本『伯家神道』では、白川神道(伯家神道)は表向き、明治期の神祇官制度の変遷により、白川家による神祇伯の世襲制が廃止、王号も返上されて、白川神道は途絶えたとされている。
だが、白川資長様に実子がなかったからといって、自分の代で御家を断絶していいと思うはずもない。
実際に白川資長氏は白川神道が自分の代で途絶えることを憂いて、表の伊勢神宮に対して、裏の月山と言われる出羽三山の修験者である「三山大愛教会」管長の神林茂丸師に相談している。
結果、梨本代表理事は梨本宮家と同様、白川資長様から直接、霊統を継承している。
その経緯と証拠の文書類が偽物であり、間違っているならば、彼もまた高濱氏の後継者同様、とっくに命を取られている。神を欺くことはできないからである。
いまはまだ明かすことはできないが、不思議としか言えないような秘密に直面し、他の誰にもできないようなお役目を担わされて、86歳の現在がある。その使命感があるから
こそ、天皇家に代わって、昭和天皇のやり残した戦後処理を粛々と執り行うべく、取り組んでいるわけである。「ウエルネス@タイムス」並びに無名ジャーナリストが少しでも、その真意が伝わるならばと思い、関わりを持つ理由でもある。
(一部敬称略)
Comments