戦争が続く時代の人間魚雷「回天」と日本書紀歌謡・琴歌譜
絵本『ひかりの海』作者・佐藤溯芳氏に会いに行く @タイムス情報
時代を象徴する神社の立て看板
我が国では、80年ほど前の戦争は、すでに遠い歴史として、記憶の彼方に消えていっ
ている。いまどきの若者に、特攻隊は知っていても、海の特攻「人間魚雷」について、知
っている者はかなりの歴史ファンか、マンガや映画に詳しいファンということになる。
知人から「人間魚雷・回天」の研究者である佐藤溯芳教授(和歌山大学観光学部特別フ
ェロー)の特別講座があるというので、聞きにいった。2023年10月8日、会場であ
る大崎駅からほど近いスタジオに向かう途中、氏神様を祀る「居木神社」の境内を通って
行く。
形ばかりの参拝をして、神社を抜けるとき鳥居脇に「駅への通り抜けはご遠慮下さい」
と書いてある。「エッ、こんな神社お参りするんじゃなかった」と思ったのは、後の祭り
である。本来、そこは神域である。余計な人物、邪心のある人物は、そんな看板などなく
ても、通り抜けることはない。逆に、神域の空気に触れること自体が、神道の影響を及ぼ
すことになる。それを自ら拒否しているのだから、残念な神社・宮司ということになる。
そんなことを考えながら、すぐ先にあるスタジオに向かった。
イスラム系テロと特攻隊の違い
人間魚雷「回天」の研究者である佐藤教授は、普段はこのスタジオで日本書記歌謡・琴
歌譜の研究会を開催している。内容が大学院レベルということもあり、参加会員はだいぶ
減ったというが、その日も会員が集まっていた。
当日のテーマ「人間魚雷『回天』の研究」は「和歌山大学観光学科・特別フェロー」の
肩書を持つ佐藤教授のもう一つのテーマのようである。
空の特攻隊に対して、海の特攻隊と言われる人間魚雷「回天」は、旧日本海軍が世界に
誇ったという九十三式酸素魚雷を改造、人が乗り込んで操縦して、敵艦に体当たりすると
いう特攻兵器である。名前の由来は「天を回して戦局を逆転する」との願いからくる。
回天は長さ14・75m、直径1mの大きさで、中に一人が座れるスペースがある。大
型の潜水艦に4基から6基搭載され、連合艦隊のいる太平洋に乗り出し、敵艦を見つける
と出撃する。それは死を意味するため、鉄の柩と言われた。
海の特攻隊員とその妻の話を書いた絵本『ひかりの海』(東京法令出版)は、佐藤教授
の原作に、絵本作家・熊谷まち子さんが絵を描いたものである。
その日の講演は、絵本ができることになる佐藤教授と特攻隊員の妻との出会いなどの話
の後、絵本の朗読が行われた。
講演の中で、近年、世界を騒がせているイスラム系のテロを特攻隊に結びつけて語る風
潮があることに対して、その違いを強調している。
敗戦の色濃い終戦間際、日本の特攻隊員は負けるとわかっていて、なお国を思う純粋な
心から自らの命を犠牲にした最後の手段であるのに対して、イスラムの場合は聖戦(ジハ
ード)と言われるが、宗教的な洗脳の結果である。
実際に、70数年後の今日、敵同士だった日米両国が同盟国になっているのに対して、
イスラム圏ではいまなおやられたらやりかえす形でのテロと戦争が繰り返されている。
人間魚雷「回天」秘話
戦後生まれの佐藤教授が人間魚雷「回天」に関わるのは、30歳のころ、山口県光市に
ある地方紙の記者時代である。
そこは回天の光基地があった土地であり、戦後50年には回天の特攻隊員の慰霊碑が建
立され、いまも毎年慰霊祭が行われている。空の特攻隊のことはよく知られているが、海
の特攻隊のことはさほど知られていないこともあり、何か話題があると、新聞記事にして
いたという。
出撃あるいは訓練中の事故で、145名が亡くなったという回天搭乗員の中に、2人だ
け妻帯者がいた。その一人、池淵信夫中尉の未亡人ユキ子さんと出会って、あるとき、ど
こにも書かれていない秘話を聞くことになった。
戦後10年たったころ、あるアメリカ人が、彼女のもとを訪ねてきた。彼は太平洋で回
天と死闘を繰り広げた元艦長で、戦後、平和の研究を続ける中、その搭乗員が池淵中尉で
あることを突き止めて、日本にやって来たのだという。一体、何のために?
池淵中尉の最期とその勇敢さを伝えるためである。大きな輸送艦に向かってくる回天は
逃げる輸送艦に追いつけず、結局、燃料が尽きて海に沈んでいった。
初めて、夫の最期の様子を聞いた彼女は「ああ良かった、艦長さんたちの命を奪わなく
て」と話したということである。
人間魚雷・回天の研究を続け、多くの取材を重ねてきた佐藤教授にとっても、その話は
初めて聞く内容だった。いつか、自分の手で形にしたいと思いながら、結局、20年たっ
て一冊の絵本にできたのが『ひかりの海』である。
現代における特攻の後継者
絵本『ひかりの海』はユキ子さんが93歳のときに出版された。すでに老人介護施設に
入っていたそうだが、彼女の姪を通して、無事、彼女の元に届けられた。
佐藤教授が「何とか間に合いました」と語っているように、彼女は翌年94歳で、夫の
いる天に召されていった。
絵本のタイトルである『ひかりの海』は、訪ねてきた元艦長が池淵中尉の回天が「無数
の金色の光に包まれて、海の底に沈んでいった」と話していたためである。
一人乗りの回天は複雑な操作が必要なため、操縦が難しく、多くの幹部候補生の中から
成績優秀な若者が選ばれていた。彼らは自らが犠牲になることで、祖国や愛する父母、兄
弟、同胞が安らかになれるならと七生報国を誓い、自らの死と引き換えに、後世に世界平
和の望みと夢を託したのである。
だが、彼らの思いが、どれだけ現代の日本そして世界に伝わっているのか。彼ら特攻隊
・回天の若者たちの自己犠牲の精神、その後継者はいるのか。すでに特攻隊、ましてや回
天など学校で教えられず、知らない者が大半である。
そんな世代における特攻は、特攻服に身を包んだ暴走族や比嘉健二著『特攻少女と18
25日』(小学館)の中に書かれているレディース暴走族とともに語られる時代になって
いるということか。
日本書記歌謡と正しい日本の歴史
必死必殺の特殊兵器である「人間魚雷・回天」の創案者・黒木統宇大尉の妹は、宮本雅
史著『海の特攻「回天」』(角川ソフィア文庫)の中で、次のように語っている。
「今の日本社会は、親兄弟や友達を簡単に殺したり、どこかおかしい。日本人の本当の精
神を忘れてしまっているようです。それは戦後教育にも責任があると思います。これから
の日本を考えると不安です」
多くの優秀な若者が、国の行く末を思って、自らの命を捧げてきた。その思いを無駄に
しないためにも、戦争の真実、特攻の真実を伝えていく必要がある。佐藤教授が人間魚雷
・回天について語るのも、そのためである。
同時に、彼は日本書記歌謡・琴歌譜の研究者である。
奈良時代にできた日本の歴史書「古事記」「日本書紀」には、日本の国の成立から歴代
の天皇が何をしたか、どんな歌を詠んでいるのかなどが書かれている。
「記紀」は中国・唐の時代の原音声調によって、その音を漢字で表している。原本は失わ
れているが、いくつかの写本があり、その中にはアクセントマーカーが付されたものがあ
り、漢字の声調を4種類に分けている。その「四声」をヒントに、佐藤教授は「記紀」並
びに平安時代初期の歌謡読本である「琴歌譜」の歌に着目して、その旋律の復元を試みて
きた。
古代歌謡を読み解いていくと、これまで多くの「古事記」「日本書紀」にはない、新た
な日本の国の歴史が見えてくるという。「新たな」ということは正しい歴史ということの
ようで、その研究成果が学術誌に発表されることになっている。
佐藤教授の研究テーマ、人間魚雷・回天と古代歌謡の研究・旋律復元はかけ離れている
ように思われるが、そのベースにある思い・使命感は、今日の教育現場では教えない日本
精神の根本にあるものを伝え、正しい国の歴史を伝えることによって、改めて日本人とし
ての自信を回復させたいということのようである。
もちろん、日本の正しい歴史というが、しょせんそれは書かれた歴史である。
歴史には書かれた歴史と書かれない歴史がある。書かれない歴史は、日本の芸、内匠の
技、あるいは神道など、口伝の形でのみ伝えられてきた一面もある。それもまた、昔から
の日本という国の在り方である。
重要なことは、伝えられず、誤解されてきた日本の歴史とともに、その真実を明らかに
していくことである。
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