新潟市にある「日本一の芭蕉堂」 フォトギャラリー4


 新潟市にある「日本一の芭蕉堂」 フォトギャラリー4



 写真

1.新潟護国神社境内にある「芭蕉堂」

2.日本画家・吉原芳仙画伯像

3.「富士の大観・ヒマラヤの芳仙」の歌

4.吉原芳仙画集




 新潟から東京へは、最速の新幹線で1時間40分、通常は2時間ちょっとで行き来でき

る。

 交通の便利な時代、地方と東京のちがいなど、さほどないはずだが、長らく東京で暮ら

した人間が、新潟で暮らすようになって、よく気がつくのが、地方にあるものに対する価

値観の差である。

 よく「田舎には何もない」と、過疎地などでは言われてきた。そして「あるのは自然だ

け」と、謙遜とも卑下とも取れそうな言い方が罷り通っている。

 その中に暮らしていれば気がつかないが、都会や外から来たものにとっては、その自然

こそが価値あるものとなる。

 そのことを気がつかせるのは、往々にしてヨソ者である。

 全国各地に「日本一」を売り物にしている地域や都市は少なくない。

 餃子日本一は、宇都宮なのか浜松なのか、毎年のように話題になる。北海道には日本一

寒い町(村)を競っている地域もある。

 それだけ日本一は、地域起こしや地域の話題づくり、観光需要などの広報の役に立つ可

能性があるわけだ。

 新潟にも神社の数が「日本一」などいろいろあるが、新潟県護国神社には日本一と言わ

れる芭蕉堂がある。

 15年ほど前の元禄2年(1866年)、芭蕉は弟子の曾良とともに越後を旅した。旅

の様子を記した『曾良随行記』によれば、7月2日、越後に着いた芭蕉は、新潟の大工・

源七母子の家に一夜の宿を借りている。

 源七母子の温情に感じて詠んだ句が「海に降る雨や恋しきうきみ宿」である。

 海岸の松林の中に建つ「降雨庵芭蕉堂」は山形県の山寺(立石寺)にある芭蕉記念館な

どは別にして、芭蕉堂としては日本一の大きさだと言われる。

 そのすぐ側には私財を投じて芭蕉堂を制作し、1966年(昭和41年)、新潟市に寄

贈した吉原芳仙画伯の銅像が建っている。

 画伯は日本人として初めてヒマラヤ百景を描いて「富士の大観、ヒマラヤの芳仙」と称

された。インドでタゴール社中で美術を学び、中東を経てフランス・パリに渡り、サロン

初出品で入選。一躍、時の人となった。

 1930年(昭和5年)帰朝記念と銘打った『天竺浪人物語』を台湾で出版するなど、

国際的な日本人としての確かな足跡を残している。

 その功績を讃えて「五月晴れ余生ヒマラヤかきつづけ」と刻まれた句碑もある。

 だが、それら過去の栄光も虚しく「降雨庵芭蕉堂」同様、いまではほとんど忘れられた

存在と化している。



 掲載写真について

 芭蕉堂とされているが、その形は大工・源七の家を模して造られた石室である。そのわ

ずか九尺二間の家でも、野宿の多かった芭蕉にはありがたいものだったのだろう。

 壁面には、吉原芳仙画伯の手になる「芭蕉と曾良の行脚像」が描かれている。

 近くの芭蕉らが蓑を脱いだという場所に「蓑塚」が造られている。

 戦後、2冊の「画集」を出版、1977年版の「芳仙画集」とヒマラヤの画の一例。

(次回は、江戸三筆と言われた書家「巻菱湖」)


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