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日本の暑い夏は「愛と平和」を語る季節の風物詩か!?   『文春ウーマン』、東大作氏の「世界は平和に向かうはずだった」のモヤモヤ

日本の暑い夏は「愛と平和」を語る季節の風物詩か!? 

 『文春ウーマン』、東大作氏の「世界は平和に向かうはずだった」のモヤモヤ


 「昭和大戦博物館」室長のモヤモヤ

 また、日本の暑い夏「8月15日」がやってくる。

 だからというわけではないだろうが、2024年7月「ウエルネス@タイムス」編集部に、岡山県倉敷で「昭和大戦博物館」(設立準備室)を運営している浦田雅治室長から、

東大作氏(上智大学グローバル教育センター教授/元NHK報道局ディレクター)の登場している『文春ウーマン』(2024年夏号)のコピーが送られてきた。記事のタイトルは「世界は平和に向かうはずだった」というもので「文・小峰敦子」とある。

 その東氏の談話について「東大作さんの一文にはモヤモヤが募ります」とあって「200字前後にて、なぜ世界は平和に向かわなかったのか」を知りたいとのことであった。

 6月、倉敷に浦田室長を訪ねた際に、駅前の居酒屋「わん」で御馳走になったこともあり、無下にはできない。

 とはいえ、貴重なお宝でがあふれた展示品の一方、その実情は「物持ち貧乏」との表現を用いていたが、戦争に関する収集品に使う金はあっても、本来、酒を飲む余裕などない

はずである。昔の言葉を用いるならば「爪に火を灯す」ような生活を送っている。表からは見えない下着やステテコなどは継ぎ接ぎだらけという具合で、それは戦時中の「ゼイタクは敵だ」という時代風潮を知る彼にとっての美学のようでもある。

 そんな中、自宅2階の居室で、神棚と仏壇を前に、祈りと鎮魂の生活を続けている。

 毎日、倉敷の美観・風致地区を散歩する際には、ごみを拾って歩く。その姿が行であるかのごとく自然に身についていて、どういうわけか、貴重な警察、防衛等の極秘資料を拾って、物議を醸すこともあるという。

 以前、自身の特徴として「発達障害」の一面があると語っていたが、いまも「瞬間湯沸器」の異名を持ち、ちょっとしたことで怒りの感情が爆発するという欠点も自覚しているが、長年、骨董を生業として、貴重な戦争の遺品を収集できるのも、その生き様と平和に賭ける思いが本物だと関係者にはわかっているからだろう。

 とはいえ、世間はほとんど誰も彼・浦田雅治という人物など知らない。だが、人間、還暦を迎え、そこそこ目立った活動をしていれば、やがてジャーナリズムの標的にもなる。

事実、骨董業界では長年「倉敷こっとう倶楽部」を運営。現在は、集めた収集品を収納・展示する「昭和大戦博物館」設立のための「準備展示室」を展開している。

 靖国神社宮司を脅迫した人物として、事件になったこともある。新聞沙汰を記憶している向きには、過激な天皇主義者、右翼のように思える。それが世間一般の認識とすれば、跳ね上がりの天皇主義者、右翼であるが、その本質は近年極めて稀有な存在となった「国士」であるというのが「ウエルネス@タイムス」の認識である。浦田室長に関しては、これまで第18号(2023年1月)、第24号(2023年8月)、第32号(2024

年4月)でレポートしている。

 PKOも7割は成功した?

 肝心の『文春ウーマン』の記事は「世界は平和に向かうはずだった」というタイトルで下に、東氏の顔写真と経歴が載っている。1969年生まれの彼は、NHK報道局ディレクターを経て、国連アフガニスタン支援ミッション政務官、東京大学大学院教授を歴任。

国連日本代表部公使参事官を経て、現職は上智大学グローバル教育センター教授である。

 記事は、次のような文章から始まる。

「<世界は一つの時代を克服し、新たな時代へ向かっている。我々は長く平和に満ちた時代を歩き始めた> 1989年末に開催された米ソ首脳会談におけるゴルバチョフの声明どおり、90年代は世界が対立の時代から協調の時代へと動き出したはずだった」と、いわば輝かしい希望に満ちた当時の状況を伝えている。

 その見通しは、今日のウクライナやガザ地区における現実の前に否定されるわけだが、東氏による論考は「90年代の国際社会の希望とその後の挫折について、NHK報道局ディレクターとして中東和平、北朝鮮核問題、イラク戦争などを取材、カナダで博士号取得後、09年から国産政務官としてアフガニスタンにおけるタリバンとの和解プログラム作りに携わった東さんが読み解く」というものである。

 彼が身近に体験してきただけに、その内容は、いわば時代の証言者としても貴重なもののはずである。

 見出しには「PKOも7割は成功した」とあり、国連によるPKO(平和維持活動)の取り組みとともに、ある程度の役割は演じたとしている。しかし、近年の歴史を見るまでもなく、もう一つの見出しは「30年を経て対立の時代に逆戻り」というものだ。

 2001年に米ブッシュ政権が誕生し、同年に起きた9・11テロとイラク侵攻。2014年のロシアによるクリミア併合と、冷戦終結から30年で、再び対立の時代に逆戻りしている。その事実に「徒労感も覚えます」と、正直な心情を吐露している。

 そんな東氏のもっとも説得力のある指摘は、案外「長年、和平調停や平和構築を専門に研究してきましたが、もはや脳科学や医学の力を借りて人間そのものを研究しなければ、戦争という行為を止められないのではと思うこともあります」というものかもしれない。

 脳科学や医学の力はさておき、人間そのものの問題だという指摘は「ウエルネス@タイムス」の思いと、基本的に一致している。そのため、これまでも様々なソーシャル・イノベーションの重要性ともに、霊性を高めるためのヒントと方策を発信し続けているわけである。

 結果、東氏の結論は「90年代の希望の時代に戻るためには、経済的な格差を是正しつつ、平和作りに向けて世界がもう一度、協調できる機運をつくっていけるかが、勝負だと思います」と、どこかで聞いたことのある虚しい内容の繰り返しとなる。

 浦田氏ならずとも、モヤモヤは尽きない。

 詰まるところ「人間」の問題

 浦田氏の質問に200字で答えるのは、困難な作業だが、おおよそ次のような感じだろうか?

 モヤモヤの理由とは、東氏の言う「1980年代の冷戦の終了の前にも、例えば第二次世界大戦後に国際連合をつくって、世界平和のための試みが行われた。そこでも、戦争反対と愛と平和というピースが揃えば、世界平和は実現するはずであった。

 結果は、朝鮮戦争が勃発しているように、戦争は終わらない。戦争をしたい人たちは、常に次なるビジネスチャンスを求めている。事実、世界はその通りの展開を続けているということだ」。

 要は「戦争反対並びに愛と平和というピースが揃えば、世界の平和が実現する」というお粗末な認識が、モヤモヤの真相だと思うというのが、その答えである。

 第二次世界大戦では、ヒトラーのナチスドイツと天皇ヒロヒトの日本が、平和の敵として、徹底的に批判された。ナチスドイツの後、日本は連合国がつくった国連の、平和のための「敵(敵国条項)」とされている。

 ドイツと日本を叩けば、平和は実現するはずだったが、新たな戦争が起こって、次はソ連(ロシア)に象徴される左翼陣営が崩壊して、冷戦後に平和が実現するはずだったというのが、東氏の文脈である。だが、現実は戦争と平和をめぐるモグラ叩きゲームが続いているのが、その後の歴史である。

 そこだけ見ると、正しい答えが見えてきたつもりでも、やがて矛盾というか、綻びがすぐに現れる。近年の社会科学的手法、近視眼的な判断全般に関わることだが、全体を理解するために、まずいくつかの要素に分けて、部分的にアプローチして、その部分を組み立てることによって、全体を掴む。あらゆる分野で専門化、細分化が進む理由であるが、その結果、何が起こってくるかは、医療の世界を見ればわかりやすい。

 内科・外科・小児科・精神科といった分野から、細分化が進んで、よく言われてきた現代医療の弱点が対症療法である。一方、最近の医者はパソコンの画面を見て、患者の顔も見れず、聴診器を当てられないと言われている。結果、人間を全体的に見る治療法が必要だとの認識から、東洋医学が脚光を浴びるようになり、統合医療が注目されるようになっている。

 文中、東氏が指摘しているように、戦争と平和も詰まるところ「人間」の問題ということになる。

 平和のチャンスは常にある

 アルフレッド・ノーベルの秘書であり、女性初のノーベル平和賞受賞者の作家ベルタ・フォン・ズットナーが『武器を捨てよ』という世界のベストセラーを出したのは、第一次世界大戦前であった。つまり、平和のきっかけ、チャンスはいくらでもある。同時に、戦争を続けたい人たちもまた、あらゆるチャンスをうかがって、戦争を続ける理由を探している。そして、世界はその通りの展開を続けている。

 人間の歴史を見れば、どこにでも語りたいテーマに添った事実は見つけられる。それが東氏の場合は「平和が実現するはずだった」1980年代末、冷戦の終わりだっただけのことである。歴史の都合のいい部分を切り取れば、当時の東西の状況、リーダーたちの置かれた状況、戦争反対の世論、愛と平和を語るメディア等々、いつくもの平和のためのピースがある。それら平和のピースは、すでに十二分に揃っているため「平和は実現するはず」だった。だが、結果はもちろんその通りにはならない。

 歴史のどこを見るか。人間の歴史=戦争の歴史を見れば、その歴史に学ぶ人たちはまた戦争を始める。平和を求めるのなら、平和の歴史を見るべきだが、戦争を続けたい人たちは、そこからいかに目を逸らすかに、暗に腐心する。

 そのため、世界の教科書からはギリシャ、ローマその他、各時代の平和を切り取って、お茶を濁すことはあっても、本当の平和の時代に学ぶつもりがない。そこにあるのは、戦争・争い・殺戮のない理想的な時代だからである。

 本当の平和の時代とは、日本でもほとんど無視されてきた縄文時代である。そこでは平和は日常である。何も難しいことはない。1万年以上続いたことが、その証明である。

 最近、少しは風向きが変わってきたのが、わずかな慰めであるが、なお平和が遠い理由である。


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