早稲田大学「山稜会」OBから届いた海外登山レポート2
日本のサラリーマンの英国・山岳部体験レポート
石丸謙二郎の「山カフェ」
早稲田大学「山稜会」の創設メンバーとして、サラリーマンになっても、登山を続けて
日本だけではなく、英国をはじめとしたヨーロッパ、そしてアメリカでの登山を続けたO
B小俣英毅氏の体験は、なかなか貴重である。
それは、中高年登山、タレントや山ガールまで、意外な登山ファンが登場する山の人気
番組。NHKラジオで毎週土曜日に放送されている石丸謙二郎の「山カフェ」のゲストと
して、登場してもおかしくはない。
小俣氏は証券会社に入社して、3年目の1970年3月、ロンドンでの英語トレーニン
グ兼駐在員事務所の補助という事で、ロンドンに転勤した。その半年後には、ロンド事務
所が多忙になり、正式に駐在員となり、約5年強勤務。しかも、後日、もう一度ロンドン
勤務になり、合計11年強勤務している。
その11年間は、海外におけるサラリーマンの貴重な山岳活動ともなっている。
早速、小俣氏の回想期の続きを掲載する。まずは「英国編」である。
* *
インペリアルカレッジ山岳部
英国に赴任して、できれば登山を続けるべく自分に合った登山クラブを紹介してもらお
うと、いろいろ新聞雑誌等で探したが、分からないため、結局「英国山岳会(The A
lpine Ciub=AC)事務所を訪ねることになった。
訪問主旨を伝えると、これまでの登山経験を詳しく記述するように求められ、所定の用
紙に記入した。
10日後、再出頭するように言われて、出かけていくと、これまでの登山歴に合う山岳
部を紹介され「すぐにでも訪問しなさい。先方にはすでに貴方の紹介状を届けてある」と
のことだった。
見ると、紹介先は「Mountaineering Club of The Imp
erial College(MC of TIC)とある。
「大学の山岳部ですけど、いいんですか」というと、受付の女性の「それがどうしました
か?」という感じの返事には驚いた。
何しろ、当時(1970年5月)のTICはロンドン大学の工学部カレッジであった。
その後、独立して、英国での理工学の最高峰として、オックスフォード、ケンブリッジに
次ぐ難関大学となっている。
私はこの山岳部に約2年間所属した。数ある大学山岳部の中でも、トップレベルである
とのことだった。
およそ、日本では考えられない展開だが、早速、受付の女性に言われたように、インペ
リアルカレッジの地下一階に行った。英国はパブ文化で知られるが、そこは大学内のパブ
で、午後4時位だったが、かなりの数の学生がビールなどを飲んでいた。
「こんなところに山岳部?」という印象だが、ちょっと周辺をキョロキョロ見回して仲間
らしき人物を探していると、日本人だとわかったのだろう、少し顎髭を伸ばした穏やかな
風貌の男が近づいてきた。リーダーのブルース・フッカーだった。
続いて紹介されたのが、サブリーダーのデイブ・スチールで、彼は部では登攀力とNO
1の実力者とのことだ。いかにも岩と雪に強い「鉄の男」のイメージだ。
三番手はケン・ジャクソンともう一人ポール・ベンティンである。
ケン・ジャクソンは学生結婚をしていて、隣に奥さんらしい女性がいた。後々、彼とは
一番親しくなり、家に呼ばれて食事を御馳走になったり、山では一番、彼とザイルを結ん
だ。ポール・ベンティンとも、ザイルを結ぶ機会が多かった。(写真)
とにかくタフな英国の登山
この山岳部の仲間とは厳冬期のスコットランドのベン・ネイビィス(英国の最高峰、標
高1344m)に行った。標高は高が知れているが、この辺の緯度は日本の北海道よりも
10度高く、雪も深い。北海から吹きつける風は凄まじく、寒さが厳しく、英国での登山
では一番厳しかった。
他にも、ウェールズ湖水地方(Lake District)、コーンウオール地域の
冬山登山、岩登りを四季を通して楽しんだ。
総体的に見ると、英国の冬山はスコットランドを除けば、緯度も下がり、標高も総じて
1000mそこそこなので、比較的容易なレベルである。
岩のルートは総じて短い(20〜25m)。トレーニングなので、安全のため、固定ザ
イルは何本かセットする。
私はそのころ、いわゆるフリークライミングはまだ知らなかったが、後々思うには基本
的にすべてフリークライミングで、場所によってはかなり手ごわいルートもあった。
ただ、決して急がせず、時間をかけてでも出来るだけ、各自に工夫をさせて何回も登ら
せるやり方だった。
もっとも、私自身はすでにロッククライミングをやっていて、そこそこのレベルであっ
たからであろうか、リーダー格の人間から登り方の指導はまったくなかった。
不思議なことに、イギリスではどこの岩場に行っても、ほとんどのルートで他のグルー
プとかち合うことはなかった。いつも空いていたからだろうか、岩場では本人が納得して
登れるようになるまで、何回もトライする。確保者も何も言わない。各自、とにかく体力
はすごいが、精神力もタフだ。
特に冬山で感じたことだが、総じて彼らの体力はケタ外れで、無茶苦茶タフというか、
その忍耐強さには驚かされた。
何しろ、大きく雪庇が張り出していて雪崩れるのではないか、と思われる雪壁の下、左
右どちらかに回り込んだほうが良いのではないかと思われる場所で、直登山で張り出した
雪庇の根元に穴を空けて、強引に稜線に出るなんてことが、何回もあった。(写真)
英国の自由と規律
英国の山岳部の最大のイベントは、毎年夏、恒例のフランスアルプス(シャモニー)で
の2週間強の合宿である。
当日は、大学前から大型のバンに唯一の共同装備であるテントと、参加者9人分の膨ら
んだザックを積み込み、シャモニーまで行った。
シャモニーの町から山側のちょっとなだらかな坂を上がった林を左に入っていくと、結
構広い草付きのスペースがある。山岳部が毎年、ここをテン場基地にしているようだ。町
まで近いのに他のパーティは、まったく来ない。静かな良い場所だ。(写真)
ここをベースにして、まずモンブランを登りに行き、帰った翌日、天幕をたたんで、メ
ール氷河をたどりエギーユ・シャルドネを登った。シャルドネは結構、厳しかった。
英国の国情・文化に関して、昔、慶応大学教授の池田潔氏の英国のパブリックスクール
での経験を記した『自由と規律』を読んだが、この本で得た自由と規律に関する印象に対
して、この山岳部での経験では、基本的にリスクのある山が舞台であるにもかかわらず、
自由のほうが(というか、何か無頓着な感じ)優先される傾向が強い。
このシャモニーに来て驚いたのは、英国内での短い岩のルートはともかく、アルプスで
は比較的易しいルートでも結構長いし、上部は部分的に氷雪がついていて難しい部分があ
る。
にもかかわらず、この合宿で初心者だと思われる新入部員(二人は高校時代からの友達
同士)が、ザイルを結び中級程度の岩のルートを登りたいとリーダーに言うと、リーダー
のブルース・フッカーが「気をつけて登れ」というだけで許したのには、かなりビックリ
した。
結局、彼らはそのルートを無事に登りきり、自信を得たのか、その後の登攀技術は急速
に伸びた。その後の英国内での登攀でも、彼らはザイルを結び、登攀の腕をぐんぐん上げ
た。
私自身が「ちょっと心配性なのかな」とも思ったが、これが自由の良さなのかなとも思
う反面、規律というのをどこに設定しているのかがわからない。
そういうものなのかなあと感心していたが、私は参加できなかった翌年のシャモニーで
の夏合宿で、いつもの通り例の二人がザイルを結び、中〜上級レベルに挑んで、二人とも
墜落死した。
徹底した個人の判断
自由と規律の問題は、難しいというか、日本での常識は通用しない。
何しろ、モンブラン登山からシャモニーのテン場に戻った日、翌朝はこのテン場を引き
上げ、エギーユ・ド・モアンの小屋まで移動する。
だが、その日の夕方、リーダーが言ったのは「明日モアンの小屋に午後4時に集合のこ
と」ということだけ。その夜は、全員でシャモニーの街に飲みに出かけた。
基本的に何時まで、どのくらいの量を飲むのかは、個人の判断で、すぐ酔っぱらってテ
ン場に戻るのもまったく自由で勝手である。総じて、酒の強い上級生は夜中の12時くら
いまで飲んでいたが、お酒が強くない者、または明日のモアンの小屋まで他人より歩くペ
ースが遅い者、まだ自分の登山装備などパッキングを終えていない者は、自ら判断して勝
手にテン場に戻り、さっさと整理してシュラフに潜り込んで寝る。
そして、翌朝、足に自信のない奴は何と、適当に自分の朝食を取り、午前4時過ぎにテ
ン場を一人で出発した。
昨晩、デレデレに酔っぱらった上級生は、9時〜10時に起きてきて、適当に朝食を食
い(彼らのほとんどがチーズとレタスを挟んだサンドイッチとスープだけだから、飯は早
い)、パッキングしてお昼近くにテン場を出る。見るとテントは上級生が背負った。
これらはすべて午後4時にまでに山小屋にたどり着くことができるという個人の判断で
ある。
即ち、英国ではテント以外(食事・燃料等)はすべて個人装備。食事の時間、食事の種
類等、すべて自由である。
モアンの小屋まではちょっと長いが、モンタンベールの駅からほとんどメール氷河上を
グランドジョラスの北壁の前まで行き、対面の比較的易しい岩稜を登っていく。結構、こ
の方面に行く登山者がいるので迷う心配はない。
ほとんどのメンバーが午後3時ぐらいにはモアン小屋に着いたが、一人が4時になって
も来なかった。
そこで初めてリーダーが少し心配し始め、続々到着する他の人たちに、メンバーの服装
などの特徴を伝えて、途中見なかったかと聞く。誰かが「その人なら少し遅れて来てます
よ」と聞いて安心する。それが英国流である。
「自由と規律」の兼ね合い
小屋も基本的に自炊ベースで泊まるので、朝飯も夜飯も何をいつ食べるかは、まったく
個人の判断に基づき自由である。
リーダーは夕食後の適当な時間に、明日の行動予定を説明し、明日の登山のグルーピン
グを伝えるだけである。
「これで良く統制が保てるなあ?」「これで大丈夫なのかなあ?」といつも疑問に思って
いたが、英国では他の学校もおよそ同じスタイルだとのことだった。
逆に、彼らに言わせると「日本人はなぜ個々の体力がちがうのに、一列に並んで全部同
じペースで歩かせるのか?」「食べたくないものまで、何で無理やり同時にみな一緒に、
食べるのか? 腹の減りぐあいは、みなまちまちではないか?」と何回も質問された。
結局、私が在籍していた2年間に、新人二名がフランスアルプスで墜死。またサブリー
ダーのデイブ・スチールは個人山行でアンデスの岸壁で滑落死した。果して英国式が良い
のか、日本式が良いのか「自由と規律」の兼ね合いは難しい。
* *
文化のちがいと言えば、その通りだが、英国の自由と規律は、合理的・効率的ではあっ
ても、日本人の常識とはあまりにギャップがある。
日本式の「いただきます」もなく、各自が好きなときに始める食事は、確かに自由で合
理的ではあっても、ちょっと味気ない感じもする。
日本では、キャンプ地での飯盒炊飯や定番メニューの一つであるカレーライスを一緒に
食べるといった楽しみも彼らには想像できないようだ。
登山の様式も、昔とはちがってきているとはいえ、英国の山岳部での登山は、両国の文
化のちがいを浮き彫りにしてくれる。特に、リスクが付いて回る環境だからこそ、英国人
の生活スタイルが極端に現れるということだろうか。
(次回は、スイスの「国際登山学校」、アメリカ・ニューヨーク勤務時代について)
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