春を待つ新潟らしい「雪景色」
フォトギャラリー6
写真
1.春を待つ雪国の遊び心
2.道路は雪の壁に覆われる
3.川端康成「雪国」
4.関越自動車道の積雪量の推移
すっかり雪が少なくなってしまった雪国・新潟ですが、忘れたころにドカンと大雪が降
ってきます。
今年の2月24日には、南魚沼市津南町で観測史上最高という419センチを更新した
と、話題になっていました。
新潟市中央区生まれの「ウエルネス@タイムス」編集子ですが、幼少時から東京で育っ
たため、新潟県人としての自覚などありませんでした。
その新潟が問題になったのは「生まれは?」と聞かれて「新潟です」というと、相手は
勝手にこちらが新潟に詳しいと決めつけていると、知ったときです。
中には新潟に縁のある人が、親近感から新潟の話題を振ってきます。
答えられないことで、新潟が、突然、コンプレックスになったのは、たぶん社会人にな
ってからのことです。
新潟について、教科書以上の知識など、なかったのです。
社会人になってからは、さすがにお盆や冠婚葬祭のため、叔母が住んでいた実家を訪ね
たり、少しずつ新潟に関する知識は増えていきました。
決定的だったのが、還暦後、新潟での初めての仕事となった大阪・船場の繊維商社「サ
ンウェル」の創業者・今泉信昭会長の自伝兼社史『和ッショイ』を書いたことです。
今泉会長の生い立ちを調べるため、改めて郷里・新潟について勉強しました。
結果、魚沼産コシヒカリはおいしいお米の代表格ですが、その昔、新潟米は米穀商間で
は「まずいコメ」の代名詞だったこと。新潟は「北陸」だと思っていたら「北陸3県」は
福井・石川・富山で、新潟は天気予報では「関東甲信越」ですが、電気は東北電力、ガス
は北陸ガスです。鉄道もJR東日本だと思っていたら、北陸線はJR西日本といった具合
で、何とも意外な事実を学んだものです。
そんな中、驚いたことの一つが、江戸時代後期、豪雪地帯の生活文化を書いた鈴木牧之
の『北越雪譜』が江戸時代の大ベストセラーだったことでした。
最初に彼が出版を考えて、当時人気の戯作者・山東京伝に依頼したのが、26歳。その
後、山東京伝の弟子の滝沢馬琴、十返舎一九などの手を経て、最終的に日の目を見たのは、亡くなる4年前、68歳の時。実に40年がかりの出版にして大ベストセラーなのです。
雪国の人特有の忍耐力、粘り強さの賜物ですが、それは刊行からおよそ180年後の今
日、今なお名著として読み継がれている本が、実は40年もの間、日の目を見なかったと
いうことです。
『北越雪譜』の出版の経緯が教えていることは、世の中には『北越雪譜』同様の価値ある
情報が、今日でも日の目を見ないまま、多くの無駄や嘘が氾濫する情報の海に埋もれてい
る現実があるということです。
掲載写真について
津南町で記録破りの雪が降った2月24日、上越新幹線の浦佐駅に降りて、翌日「池田
記念美術館」を訪ねる道すがら、春を待つ雪国ならではの雪景色に遭遇した。
浦佐駅は総理大臣・田中角栄が強引に誘致したと、当時から言われていた。駅の近くに
は、田中角栄の立像が建立されている。
道も雪に閉ざされて、遠回りを余儀なくされる中で、雪の壁に描いたお雛さまに、子ど
もたちの喜ぶ顔が浮かんでくる。雪だるまは雪が多すぎて現実的ではない。
一般的には「雪国」は川端康成の小説のイメージである。「雪国の宿」として知られる
旅館「高半」には川端康成資料館がある。
関越道「越後川口」SAにある毎年の最大積雪深を表す指標が立てられている。
(次回は、上越出身の外交官・芳澤謙吉)
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