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東京・下北沢「アレイホール」の「萩原朔太郎大全2023」 「幻影の『猫町』下北沢 朔太郎X線の彷徨」を見にゆく

更新日:2023年9月5日


 東京・下北沢「アレイホール」の「萩原朔太郎大全2023」
 「幻影の『猫町』下北沢 朔太郎X線の彷徨」を見にゆく



 「レディジェーン」店主の仕事

 9月1日を迎えると「防災の秋」になります。天高く馬肥ゆる秋は「食欲の秋」、その

他「読書の秋」など、多くのキャッチフレーズがあります。

 そんな秋ですが、戦争や天変地異の続く世界で、もっとも好ましいキャッチフレーズは

「芸術の秋」と言えそうです。

 そんなことを考えたくなるのも、人間、歳を重ねると、当たり前に一線を退き、元気な

人もいれば、はたまた病気になったり、鬼籍に入る知人も多く、人生の散策も昔とはちが

って、ままなりません。

 コロナ禍に、次々となじみの店が閉店になる中、東京・下北沢の「レディジェーン」は、いまだ健在です。

 毎月、店主・大木雄高氏からのメール、84円切手を貼った封書の通信エッセイ「音曲

視祭行」と一緒に、店のライブスケジュールをはじめとしたイベント案内が届きます。

 音楽関連イベントのプロデューサーでもある大木氏の仕事には、音楽あるいはジャズと

いうジャンルに止まらないアートの広がりがあります。

 同時に「レディジェーン」をはじめとした様々な場所でのイベントが、そのまま新たな

アートにまつわる情報発信になっているのも、プロデューサーとしての大木氏の嗅覚と長

年の蓄積があってのことだとわかります。

 そんな一つに、2023年7月15日、下北沢「アレイホール」で行われた公演「幻影

の『猫町』下北沢 朔太郎X線の彷徨」があります。

 公演が「萩原朔太郎大全2023IN下北沢」を名乗るのは、朔太郎没後80年の20

22年に、北は北海道から南は九州まで、全国52か所で開催されてきた「萩原朔太郎大

全2022」の流れを汲む、いわばその掉尾を飾る舞台であり、なおかつ2023年以降

も続くことを宣言しているためです。

 当日の舞台を見に行った詩人・H氏からのレポートが届いたので、以下に紹介します。

          *                  *

 ひしゃげた座標軸

「レディジェーン」店主・大木雄高氏が「企画・台本構成・演出」という「幻影の『猫町』下北沢」をテーマにした公演を見に、下北沢「アレイホール」に行った。

 作曲・ピアノ・朗読の谷川賢作氏、オンド・マルトノ(電波楽器)と朗読の原田節氏、

歌・朗読の波多野睦美氏、そして朗読・朔太郎役の萩原朔美氏(映像作家)による公演の

チラシには「猫町とは何者か。それは詩人・萩原朔太郎が幻想譚小説『猫町』を書いた地

・下北沢」と書いてある。

 萩原朔太郎そして『猫町』と聞いて、イラストレーターの田村セツコさんを誘うことに

した。新宿のジャズスポット「J」での彼女の誕生日には、いつも作家以上にフラメンコ

に夢中だった萩原葉子さんが顔を出していたこと。猫好きで知られていること。もちろん

前橋文学館館長の朔美氏とは展覧会などでコラボしたりしている間柄だ。


 開演前、一足先に着いたという彼女は、アレイホール入口脇の革の店「FAR EAS

T」レザーの中で、店主と話をしていた。最近、愛用の革のバッグを買った店が、原宿か

ら引っ越してきたので立ち寄ったのだとか。


 ついでに、彼女がアレイホールの場所を聞くと、同じビルの2階であった。何という偶

然。下北沢は微妙な路地と不思議な縁でできている。

 詩人が散策したくなるのも、よくわかる。

 今回の舞台は「北原白秋が、中原中也が、大手拓次が、大木惇夫が、三好達治が来訪す」と、チラシにあるように、いわばきら星のごとき詩人たちとのエピソードを交えた「ひし

ゃげた座標軸」X地点における一幕なのである。

「ひしゃげた座標軸」とは、下北沢を舞台に『街の座標』を書いた作家・清水博子氏が、

小田急線と井の頭線が十字ではなく、X線に交差する様を比喩的に言ったものだと、萩原

朔美氏が説明していた。



 朗読というボーカル?

 萩原朔太郎が亡くなったのは55歳。急性肺炎のためである。いまなら、コロナ死のよ

うなものだろうか。

 下北沢X線物語は「1場」が下北沢と萩原朔太郎の旅上、「2場」が音楽と詩が交差す

る町・下北沢、「3場」が萩原朔太郎の鉄塔といった形で進んでいく。

 詩集「月に吠える」で登場した詩人は、下北沢に居を構え、幻想譚小説『猫町』を書い

た。その下北沢に、東京行進曲が巷に流行していたころ、萩原朔太郎一家が上京する。

「ふらんすに行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」と「旅上」で歌っている時

代でもある。

「3場」の鉄塔は、朔太郎の長女・葉子、つまりは朔美氏の母が『蕁(いらくさ)の家』

で描いた代田の家の側にあった高圧線の鉄塔のことである。

 当地に萩原朔太郎が居を構えたことを記念して、代田の丘の「61号鉄塔」が世田谷風

景資産となっているとか。

 萩原朔美氏は寺山修司主宰の「演劇実験室・天井桟敷」で、俳優、演出を務めたのを皮

切りに、ジャンルを超えたアートに関わってきた映像作家として知られる。とはいえ、萩

原朔太郎の孫、萩原葉子の息子である。

 ずっと萩原朔太郎の孫と言われることを嫌ってきたため、祖父とは距離を置いて、あく

までちがうジャンルのアートを手がけてきたという。だが、同じ芸術の道に携われば、自

分が3代続く血筋だと思い知らされ、やがて納得もできる。

 役者が詩を音読すると、どうなるのか? 役者上がりの彼が、朔太郎本人役を演じなが

ら言葉を操る。

「旅への誘いが、次第に私の空想(ロマン)から消えていった」という文句で始まる「猫

町」の舞台は下北沢である。

『猫町』は虚構だが、路地から路地へと渡っていて、ふと迷い込んでしまった、見知らぬ

ようで身近な町でもある。

 朔太郎はいつも下北沢の町を手帳を懐に忍ばせて、散歩の途中でふと立ち止まり、何か

をメモしていたという三好達治の言葉が紹介される。

 そんなエピソードを交えながら、朔太郎と下北沢との関わり、詩人や音楽家たちとの交

遊が、歌と音楽と朗読劇になって展開していくとき、まるで朗読はボーカルである。そし

て、この舞台では朗読が音楽の一ジャンルであることを発見する。

 朔美氏が、今回の舞台で、祖父・朔太郎を語る言葉は、すでに反発もなく、身内ならで

はの優しい表情と表現になっている。詩の音読とは言葉を「心に響かせる作業」である。



 大手拓次の「名も知らない女へ」

 ちょっと意外だったのが、当時の詩人たちとの関わりの中で、大手拓次をクローズアッ

プしていたことだ。

 大手拓次の死後、誰かが朔太郎に語った「大手拓次は朔太郎の詩を模倣している」との

評言に対して「そうではない」。逆に「萩原朔太郎が大手拓次を模倣したのだ」と語って

朔太郎は大手拓次の才能を評価していたことが明かされている。

 大手拓次の詩に触発されるようにして書いた朔太郎の詩は、大手拓次の詩を原石とすれば、それを洗練させて見事に自分のものにしているという印象がある。要はどちらを好む

のか、あるいは認めるのか、人それぞれである。

 あらゆる芸術は自然の模倣である。自分の発見のつもりでいれば、それは天に唾するよ

うなもので、芸術の本質から遠ざかる。

 その詩人・大手拓次には特別の思い出がある。含羞の面影の濃い詩人は、後の女優と一

緒の職場で働いたことがあり、密かに思いを寄せていたとの評伝などを読み、病的にも思

える詩句に粗削りな才能を感じ取って、密かに楽しんでいた。

 詩の何編かを暗唱できる程度だったが、そんなひとつに詩集『藍色の蟇』に収められて

いた「名も知らない女へ」の一編があった。

 大学卒業後、総合誌の編集部で仕事をしていたころ、隣は大衆小説誌の編集部だった。

そこに新卒の新人がいて、同じ新卒同士、彼の故郷の友人と3人で、よく池袋、新宿界隈

を飲み歩いた。

 コンパと称する大衆パブ、キャバレーが健在のころであった。

 3人は、一般サラリーマンとはちがう個性があって、ホステス連中には、なかなか人気

だった。

 あるとき、出勤前か、店が終わった後なのか、新宿・歌舞伎町の喫茶店で3人でひとり

のホステスを相手に詩論を戦わせたことがあった。詩人・吉原幸子の弟子だというホステ

スは、われわれ3人にはなまいきな女との印象だった。

 しょせん、不毛な議論だが、そのとき、私が「こんなの知ってる?」といって、紙ナプ

キンに大手拓次の詩をさらさらと書いて渡した。「名も知らない女へ」の中にある一節で

ある。

「名も知らない女よ、おまへの眼にはやさしい媚がとがっている」と始まる詩は、途中に

「おっかさん、あたし足がかったるくてしようがないわ」との言葉が挟まれている。

「知らない」と言いながら、読んだ彼女は突然、涙をポロポロ流したのである。

 その光景は知らない人が見たら、男3人がか弱い女性を泣かせているとしか思えない。

 想定外の事態にビックリしたが、人を感動させる、あるいは誰かを泣かせるには、一つ

の言葉、詩の一節で十分だと知った最初の体験である。

 突っ張ってはいても、故郷のことを思い出したのだろうか。

 詩は、生まれ故郷の母の記憶を閉じ込めて、不思議な言葉の力を発していた。



 音楽の詩人・朔太郎の作曲

『猫町』を下北沢に蘇らせた舞台は、言葉と音楽、つまりはアートの力を見る者に実感さ

せて、確かな感動を呼び起こして終わった。

 アンコールは、2曲。中原中也の詩「詩人はつらい」に朔太郎が作曲した曲。もう1曲

は朔太郎自身の「機織る乙女」である。

 萩原朔太郎は音楽の詩人と呼ばれる。マンドリンとギターを演奏し、作曲もしていた。

評論「詩の原理」の中で、彼は詩は文字としての翻訳技術であり、朗読は音楽としての技

術であると語っているとか。

 アンコールは散歩しながら思索中といった風情の音の響きとともに終わった。終わると

ともに、すぐにまた始まるような余韻を響かせながら。

          *                  *

  日本人はもっと怒れと 若者に説きて むなしく 老いに至りぬ

 2006年7月に出た岡野弘彦歌集『バクダット燃ゆ』(砂子屋書房)の中の一首です。

 彼の歌が突然、何の脈絡もなく目の前に浮かんできました。

 荒れる世界を前にして、歌人の世界も戦いを無視できない時代が続いています。

 音楽もたぶん例外ではない中、「レディジェーン」大木氏の長年の活動と「通信」は、

単純で愚かな戦いを超越したアートの力を確信している潔さがあります。

 その健全な在り方は、スタートして3年目の「ウエルネス@タイムス」が、理想とする

個人メディアの先駆者の一つです。

 もちろんそれは当方の勝手な思いであり、テーマをはじめ影響力その他、現実には何か

ら何までちがってはいますが。




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