東京・谷中「天王寺墓地」に眠る新潟出身 江戸三筆の「巻菱湖」 フォトギャラリー5


 東京・谷中「天王寺墓地」に眠る新潟出身 江戸三筆の「巻菱湖」

 フォトギャラリー5



 写真

1.谷中・天王寺と巻菱湖の墓




2.浅草・三囲神社と「巻菱湖先生之碑」




3.巻菱湖の教本



4.「巻菱湖歴史記念館」磯島瑛俊氏の書簡



5.東京學館新潟高校書道部の書





 前回「第5号」では、新潟にある日本一の一つとして、地元ではさほど脚光を浴びない

吉原芳仙画伯が新潟市に寄贈した「芭蕉堂」について紹介した。

 新潟生まれの「ウエルネス@タイムス」編集子だが、すぐに東京で育っているため、自

然に東京人意識が身についている。

 高円寺にあった平和保育園に通った後、家の近くに環状7号線が通ることになり、園児

たちはみんなどこかに引っ越していった。我が家は父親の仕事場があった浅草に移って、

浅草小学校に入学した。

 その浅草小学校から言問橋を渡って、しばらく行った向島に「江戸三筆」の一人である

「巻菱湖先生之碑」が建っている三囲(みめぐり)神社がある。

 三囲神社は閉店した三越池袋店のライオン像が移転されて、参道脇に建っていることで

も知られる。

 東京を離れたのは、過疎化の進む地方を再生するためには、どうしたらいいのか。東京

一極集中の解消のためにも、誰もが生まれ故郷に帰ればいいだけのこと。そう考えて、還

暦後、実行に移したわけである。

 長らく東京で暮らした人間が、地方で暮らすようになると、当然ながら、そのちがいに

戸惑うことがたくさんある。

 逆に、意外な新潟の日本一に出会って、新鮮な感動を覚えることもある。そんな一つが

吉原芳仙画伯の生き方。そして、もう一つが巻菱湖の書であった。

 やがて、新潟市東区に「巻菱湖記念時代館」があると知って、最初に訪ねていったのは

かれこれ10年近く前のことである。

 館主の磯島瑛俊氏からは、興味深い話をいろいろ聞いているが、よく覚えているのが、

いわゆる芸術書道全盛の風潮を嘆いていたことだ。

 そこには中国では王義之、日本では北嶋雪山の流れを汲む巻菱湖の楷書が、完璧過ぎる

こともある。新潟に書家は多くても、とても菱湖の域になど、到達できるはずもないと、

始めから「芸術書道に逃げている」との現実に対する不満があったようだ。

 確かに、巻菱湖は基本に忠実に、楷書から行書、草書、かななど7体の書を極めた。そ

の実力と評判によって、江戸末期、1万人を超える弟子がいたという天才である。

 その書体は将棋の駒に使われている他、明治時代の書道の教科書の手本にされているよ

うに、いわゆる基本に忠実な、完璧な書体とされていた。

 磯島館主父子が、多くの巻菱湖の作品を集めているのが、巻菱湖の価値を知る者にとっ

てはありがたいことだが、その孤軍奮闘ぶりを見ていると、書家も多く、書道も盛んな新

潟で、案外、巻菱湖の価値が知られていないことに愕然とする。



 掲載写真について

 日暮里駅からすぐの谷中・天王寺墓地の一角に巻菱湖の墓はある。左隣の弟子・巻菱潭

のほうが大きいので、間違いそうになる。

 三囲神社には隅田川七福神の「恵比寿神」「大黒神」が祀られている。

 巻菱湖は楷書から行書など7書体すべてを巧みに書き分けたという天才的な書家。酒に

関する逸話も多く、酔って、興が乗っての揮毫も多い。

「巻菱湖記念時代館」館主・磯島氏からの書簡。

 新潟は書道も盛んで、古町商店街で毎年書き初めが行われ、東京學館新潟高校書道部の

干支にちなんだ書が飾られる。

(次回は、春を待つ新潟らしい「雪景色」)



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