松原幸夫・元九州大学教授の「楽観主義のすすめ」 一口知識
「発明の周辺」から
相変わらずのコロナ・パンデミック、そしてロシア・ウクライナ戦争に、世界も日本も
振り回されています。暗い時代の側面ばかりに目を取られていると、新潟大学から九州大
学へ移った松原幸夫元教授から「ウエルネス@タイムス」宛てにメールが届きました。
現在はコンサルタント企業「日本パテントサービス株式会社」顧問として、2022年
7月にはオンラインのwebセミナーをライブ配信しています。
同セミナーは「技術に勝ってビジネスで負ける」と言われる日本のものづくりに関して
です。負ける最大の原因はビジネスの土台となる国際契約面での知識と体制の不備から来
ているため、日本企業の陥りがちな弱点をカバーするための心構えと対応策を「国際技術
契約の周辺〜異文化理解、法務DX(デジタル・トランスフォーメーション)、これから
の日本〜」のテーマで解説。これからの国際技術契約のあるべき姿を考えるというもので
す。
松原教授については「ウエルネス@タイムス」第5号に「コロナ・パンデミックと『暗
黙知』について」のタイトルで提唱してきた「暗黙知50年の仮説」を用いて、現代文明
の在り方について論じています。
今回届いたメールは、これまで企業のブログに発表してきたエッセイ「発明の周辺」の
「その3:楽観主義」のタイトルで「九州大学学術情報リポジトリ」に掲載されているも
現在の日本並びに世界に必要なメッセージのため「ウエルネス@タイムス」でも、再録
し、情報の共有を図ることにしました。
* *
ナスカの地上絵
新潟市の西のほうに内野という小さな港町がある。この町は「北国の春」「星影のワル
ツ」「高校三年生」など昭和の名曲を数多く生み出した作曲家・遠藤実の故郷である。ま
た幻の名酒「鶴の友」「上々の諸白」の蔵元もこの町にある。
10キロほどさらに西に行けば、カーブドッチというワイナリーがあり、温泉を楽しむ
ことができる。その露天風呂からは角田山が一望できる。角田山は、雪割草、カタクリ、
コスモスなど四季折々の花が一年中咲き乱れている。
この小さな町の小学校のグランドで、学生たちと町の人たちと一緒にナスカの地上絵を
描いたことがある。
ナスカの地上絵で一番有名なのが「ハチドリ」だ。学生たちと話しているうちに、これ
が実際にどのようなものか、いちど実寸で描いてみたいということになった。
どれほど大きなものか見当もつかず描ける場所があるか不安だったが、小学校の運動場
に入るくらいということがわかり、先生にお願いして許可をいただくことができた。
当日は9月の中旬だというのに37度まで気温は上昇したが、快晴で絶好の空撮日和で
あった。実際に巻尺と分度器を使って絵を描いてみると、なかなか大変な作業である。地
上絵を書くためのラインマーカーの石灰は小学校から寄付していただいた。
あらかじめ作っておいた設計図どおりできるだけ正確に線を引いているのだが、実際に
やっていると自分達が何をやっているのか全くわからない。ただ設計図の指示に従って何
の意味も感じないまま、黙々と炎天下の中で作業しているだけだった。しかしできあがっ
てから無人ヘリを飛ばして航空写真をとると、確かに見ごとなナスカのハチドリの地上絵
がそこに横たわっていた。
山も高台もないナスカの大地でなぜこのような絵を描いたのか、当然飛行機もないのに
誰に見せるためにハチドリを描いたのだろうか。実際に描いてみるとますます謎は深まっ
た。それと同時に私たちは普段目の前のことに脇目もふらず取り組んでいるが、たまには
日常から離れて遠くから長い時間軸と空間軸の中でみると新たな発見があることを実感し
た。
前置きが長くなってしまったが、昨今のような大きな変革期には、いちど立ち止まって
これまできた道、これから進む未来を俯瞰することが大切ではないだろうか。自分のこと
を振り返ってみても、災難と思えるようなことが後から思い返してみると、それが恵みだ
ったり、次の飛躍へのスプリングボードだったりすることはよくある。
囲碁の名人の話
ふと立ち止まったとき、見慣れた場所でも、全く新しい景色に出会うことはないだろう
か。同じように遠くを俯瞰するとき、様々な選択肢があることに気づく。これまで実現不
可能だったと思えた選択肢も可能になってくる。選択の幅が広がると、これまでやむを得
ず短期目標を優先する選択しかできなかったものが、三方よしの全ての人に喜ばれる選択
肢も可能になってくる。遠くを俯瞰すると、おのずと心が広々と広がり楽観的になる。心
が楽観的になると、よいアイデアも湧いてきて夢が広がっていく。楽観的になることで勇
気も出てくる。
このような事業は社内もお客様も社会もみんな応援してくれるので、自ずと事業は発展
していく。二宮尊徳が「遠くを図るものは富み、近くを図るものは貧す」といったのも、
このようなことではなかっただろうか。
囲碁の名人は碁盤の一隅で、形勢が危うくなり動きが取れなくなると、そこをいちど離
れ、他の一隅で碁を打つという話を聞いたことがある。これを繰り返すうちに、形勢が問
題の一隅と連なり対局が好転してくるのだ。大きな壁に突き当たっても、そこに固執する
ことなく全体を俯瞰することで、展望が開けてくることは多々ある。
仕事のことで行きづまったときに、身の回りの小さな用事や家事をコツコツ片づけてい
ると、知らない間にどうにも手がつけられなくなかった難事が向こうのほうから勝手に片
づいていくというのは、日常よく経験することではないだろうか。
このように書いていくと、あまりにも日本的で調子よすぎると思われる方もいるかもし
れないが、楽観主義は別の一面も持っている。
英国の元首相サー・ウインストン・チャーチルは「私は楽観主義者だ。それ以外のもの
は、あまり役に立たないようだ」といっている。当時英国は第二次世界大戦のさなかで、
ロンドンは空襲にさらされ窮地に追い込まれていた。その最大の危機を乗り越えたときの
首相がチャーチルである。英国にとって楽観主義は、国家存亡の危機を乗り越えるための
究極の戦略だったのではないか。
楽観主義は苦難のときにこそ、その真価を発揮するのだ。
「困ったときの神頼み」という言葉があるが、「困ったときは、楽観主義」ということな
のだろう。そういえばヘレン・ケラーも「未来を開く鍵は楽観主義だ」といっていた。自
分に与えられた試練に向き合い、身を削るような思いをした人ほど、楽観主義の大切さを
身にしみて感じているのかもしれない。
* *
7月19日、フィギュアスケートの羽生結弦選手が引退を表明しました。
翌日の新聞の1面等には、彼の引退を伝える記事が特集されていました。その中に彼の
言葉が紹介されています。
「壁の先には壁しかない。人間とはそういうもの。課題を克服しても人間は欲深いからま
た超えようと思う」と、壁を前にして楽観に基づく飽くなき向上心を語っています。
楽観主義の対極にあるのは、悲観主義です。日本は文化的にすべての対立を受け入れる
「和」がベースにあるという意味では、本質的に楽観的ですが、戦後、日本的なるものが
否定されてきた中で、楽観主義は影を潜めつつある印象があります。
江戸時代の庶民の姿を見れば明らかなように、我が国を訪れた外国人は町と風景の美し
さ、人々の明るさ、子どもたちの生き生きとした姿に、現代のユートピアのようだとの指
摘さえありました。
暗い世相に染まりつつある現代、いまこそ楽観主義を意識して生きることが、政治・経
済・社会、家庭・学校・企業あらゆる組織に必要とされているように思います。
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