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特派員レポート ジャーナリストの行くところ 事件は起きる!  深夜のホテル、部屋のドアを開けられる!?

特派員レポート ジャーナリストの行くところ 事件は起きる!

 深夜のホテル、部屋のドアを開けられる!? 


 突然、ドアが開けられた!

 2025年2月23日、インド滞在6日目の夜、首都デリーのホテルでの夜。

「何か、嫌な予感?」

 それは虫の知らせのようなものなのか。

 やがて、外でドンという大きな音がして、何かと思っていたが、何と筆者の部屋のドアが開いていた!

 ドアは古いタイプのため、ドアノブのボタンを押してロックするもの。何か挟んでスライドさせれば、割と簡単に開く。金属製のドアガードで、一応は全部は開かないようにしていたため、まさに開いた状態のままになっていた。

 ドアガードを使わずに、ドアが開いたとしても、一体何の用なのか。「金を出せ」と言っても、バレるのがオチである。

 夕方、ホテルにチャックインした後、フロントから部屋は気に入ったかと聞かれて「OK」と応えたものの、最初に部屋に案内されたとき、となりの部屋に数人の若者がいて、こちらを物色するような目で見ていた。そんな印象を受けることは海外ではよくあることだが、そこは客室ではなく、なぜかパントリーになっていて、従業員が屯していた。

 とりあえず、あまり気分良く眠れない夜を過ごして、朝、8時半過ぎにレストランに行った。奥の少人数用に使えるソファーとテーブル席は欧米人グループが座っていて、2つのテーブルが空いている。

 チャパティにポテトとベジバーグにパスタ。飲み物はオレンジジュースとチャイ。アメリカ西海岸のホテルでの無料の朝食を思い出す。

 10時半、下に降りて、昨夜のことを伝えて、部屋を変えてもらうことにした。部屋を見るかと言われて見に行くと、ダブルベッドで、こちらはバス付き。ヘヤードライヤーはない。シャワーがまともじゃないのは、昨日と同じだとはいえ、バスタブ付きだけマシということか。事実、そこはホテルで一番広くて立派な、いわばスィートルームである。

 洗面台に樟脳ボール?が3個置かれているのは、臭い対策だが、3階は臭くはないので気分はいい。定期的に聞こえたうるさい音もしない。

 ガイド料2500ルピー?

 インド滞在7日目のランチは「コーヒーとクッキーぐらいで、ディナーはビールと小僧寿司のテイクアウトで」と伝えたつもりだが、途中寄ったドライブインでコーヒーとインドのドーナツを示したつもりが、出てきたのはスナックとはいえ、カレー味のナッツなどの入った茶色と緑色のプレートである。

 エーッ、まるまる一食分じゃん! というわけで、ディナーはなしに決まった。

 インド滞在8日目の25日は、インドの最終日である。

 朝食は9時前に下に降りていった。どのテーブルも塞がっていて、ボーイに空きはない?と聞くと、ちょうど食事が終わる男性のテーブルを示して、片づけ始めた。

 ドア前のテーブルの女性が「ここ、終わるからどうぞ」という感じであったが、とりあえず奥の一角に座った。色付きのライス少々に、白いおからのようなインド料理。薄味で美味しい。チャパティの4つ切り一片とバナナ、ジュース、チャイの朝食である。

 部屋にもどって、日本から持ってきたコーヒーをブラックで飲んだ。甘いチャイを飲んでいると、胃薬のような感じで苦く感じる。

 帰りの飛行機は18時55分発と遅いため、運転手の迎えは昼前の11時30分。ドアボーイの老人にチップを渡して、ホテルを後にした。

「最後にどこか見たいところは?」とか言っていたが、旅行社のボスから「最終日にオフィスに寄って、ツアーの感想などを聞かせてくれ」と言われていたので、まずは旅行社に行った。

 オフィスは欧米人が何組もいて雑然としていた。リピート客、紹介の客が多いと話していたが、悪い旅行代理店ではないということだろう。

 しばらく待って、ボスのブースに案内されて「アグラ、タージマハル、ジャイプールはどうだった?」と聞かれたので、アグラ城とタージマハル案内のガイドから2500ルピー請求されたというと、ガイド料は「すでにこちらから支払っている」と言っていた。

 1500ルピー渡したと伝えたら1000ルピーだけもどしてくれた。そのお金がお土産のお菓子代と運転手のチップになったわけである。

 前日の夕方に、筆者が泊まっているホテル近くの商店街に家族と出かけていたそうで、紺色の上着を着ている筆者を見かけたと話していた。こちらは気がつかなかったが、広いインドで、何とも意外な縁である。

 インド門のモノ売り

 空港に行くにはまだ早いので、クルマから見ただけのイディアンゲートに行った。

 駐車場から歩いていくと、モノ売りが近づいてくる。買うつもりもないが、象の彫刻を見せられて「匂いを嗅げ」と言われれば、断る理由もない。

 香木で作った透かし彫りの象は2500ルピーとか。「ノーマネー」というと、日本円でもいいというので、1000円札と300ルピーを出した。

 足りないようで「じゃあ、要らない」というと、バッグからタージマハルの飾りのついたショットグラスを出してくる。こちらはいくら? とかやっていると、最後は象の彫刻2個とグラスで2000円+300ルピーになる。

 高いんだか、安いんだかわからないが、人助けだと思えばジャーナリストとしては、だまされても文句は言えない。


 一難去ってまた一難?

 次は昔で言えば、絵葉書のようなものだが、ガンジー、インド門その他名所のカラフルな絵の裏にマグネットがついているものを手にした男性が、1枚500ルピーのカードを5枚セットで買えとまとわりついてくる。

 ようやく、インド門に近づいたと思うと、高齢のシスターが自然な仕種で、いつの間にかインドの国旗のシールを、筆者のシャツの胸にピンで留めて「子どもたちのために」というので、チップ用の200ルピーを渡した。

 寄付で学校が成り立っているようで「全然、足りない」という感じだったが、お人好しの日本人は、彼らのいいお客さんでもある。

 インド門の写真と、その先にあるチャンドラ・ボースの像の写真を撮って、駐車場にもどった。

 そこでも赤ん坊を抱えた女性がカラフルな腕輪を「200ルピー」と言って、4~5本まとめて押しつけてきた。特に要らないので、チップ用の20ルピーとキャンデーを渡そうとすると、意外にも受け取らない。

 物乞いとはちがうというプライドがあるようで、彼女はあくまでもモノを売る商人なのかもしれない。

 ヒンズーベジタリアンメニュー

 空港に着いて、入り口前にクルマを止めた運転手とはそこでお別れ。多いのか少ないのかわからないが、残りのルピーをチップとして渡した。

 空港内は、手前が国際便、奥が国内便になっている。日本人と見ると、ここでも荷物を持つポーター役がしつこく付きまとう。荷物持ちや案内が必要だとも思えないが、時間はあるため、一通り空港内を見て引き返してくると、空港スタッフが2人立っていた。

「羽田行きのANA便は、どこから?」と尋ねると、前の列を示して「ここでいい」というので、その列に並んだ。

 私の胸に付いている国旗のシールに気がついて、何やら話していた。悪い印象ではないようだ。「ANAはグッドフライトだ」と言っていた。確かに、代理店の社長も最近はインド人も自国の飛行機よりも、JALやANAに乗ると言っていた。

「オール・パスポート・ホルダー」と書いてある前に並んで、とりあえず中に入れた。

 荷物検査で、日本出国の際は大丈夫だった小さなハサミは、インドではダメということで、没収されてしまった。

 帰りの便は満席のようで、隣は女性客二人。搭乗後、英語でしゃべったりしていたので韓国とかどこかアジアの人と思っていたら、なぜか日本人だった。

 機内食はヒンズーベジタリアンメニューのため、ここでもウンザリである。

 ダールライスにベジミートボール、豆、野菜スープ、フルーツ。水と白ワイン、苺アイスクリーム、コーヒーと内容は豊富である。とはいえ、ベジタリアン天国と言われたインドだが、ヒンズーベジタリアンも、ずっと続くと地獄である。

 水に当たってお腹を壊したわけではないので、正露丸の出番はなかったが、ヒンズーベジタリアンメニューの食べ過ぎで、ひどい目にあった感じである。

 2月26日、二度ほどウトウトとした後「東京まで残り1時間40分」とかいうアナウンスが行われた後、5時55分、無事、羽田に着いた。

 入国カードを隣の2人連れ女性が一人はもらって、一人はもらわなかったので、どうしたのかと思っていたら、隣の彼女は電子申請のコーナーで手続きをしていた。なるほど、そういう時代である。2・26は遠くなった。

 機内1泊という10日間のインド弾丸ツアーは、一先ず終わった。

 
 
 

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