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瞬時の計算能力が勝敗を左右するダーツと「ラブ・ストーリー」  バカではできない? ダーツ「はじめの一歩」から 作家・波止蜂弥(はやみはちや)

vegita974

更新日:7 日前

瞬時の計算能力が勝敗を左右するダーツと「ラブ・ストーリー」

 バカではできない? ダーツ「はじめの一歩」から 作家・波止蜂弥(はやみはちや)


 花園神社の占い師

 新宿ゴールデン街そばにある花園神社は、神社本庁所属のれっきとした神社だが、神社本庁は日本の神社界、神道界のいわば利権を一手に握っている立場から、何かと組織的な問題が多い。

 筆者の知る花園神社は、そんな神社界の在り方に疑問を感じて、神社界で革新的な活動を続けている宮司が仕切っていた。酉の市のにぎわいは、すっかり有名になったが、奇才・唐十郎率いる「状況劇場」による紅テント興行などが境内で行われてきたのも、そのためである。

 当時、神社に面した靖国通りには、ぽつんぽつんと運勢判断、人相判断、手相見などが並んでいた。

 ゴールデン街に向かって歩いている、ある日「お兄さん、ちょっと寄っていって!」と声をかけられた。

 運勢判断など、普段は気にとめることなく通りすぎるのだが、そのときは考え事をしながら歩いていたため、ふと「何か、用か?」と、足を止めた。

「手を出して」と言われて、素直に応じると、左手、右手を比べながら、右手の小指下の筋を示して「ここに結婚運が出ている」という。

「エッ、独身ですけど」と応えると、今度は顔を見ながら、生年月日を聞かれた。占いによる総合判断では、別れた彼女とのことが「結婚そして離婚」と出ていたらしい。

 そして次の結婚が「1回切りのチャンスだ」と、聞いてもいないことを教えてくれた。

 自分の人生のようで、いつも誰かが筆者の行く先を示してくれる気がするのは、よくあることである。

 “バカ”の壁を超えるモノ

 ダーツはエキサイティングなゲーム、立派なスポーツゲームだと本に書いてある。

 その楽しさは多くの人が語っている通りである。何度も言うようだが、ダーツに人生を賭けたレジェンドたちがいるぐらいである。

 その使命感は何なのか、結論は出ていないが、日本のダーツ草創期に人生を賭けるに値するモノを見つけた、直観に似た瞬時の判断があってのことだろう。まるで「ラブストーリー」の条件の一つ、一目惚れのようである。

 そのダーツは真ん中に入れればいいだけのゲームではないことをはじめ、門外漢には勝手な思い込みを裏切る意外な要素に満ちている。

 そんな一つが、マージャン同様、自分で点数を覚えて、それなりの駆け引きが重要になるということだ。バカではできない。ゲームでありながら、知的な要素があるということだ。

 ハードダーツに替わるように、現在、主流になっているアメリカ発のソフトダーツは、ダーツマシーンが得点から何から勝手に計算してくれる。素人でも初心者でも、勝敗は別にして、ゲームに集中できる。

 もともとのダーツは、知的なゲームである一方、例えば英国の港近くのパブで、いわば港湾労働者、船乗りたちが一杯のビールを賭けて楽しんでいた。ゲームにして、ギャンブルの要素があった。マージャンやパチンコなどと同じである。

 パチンコはさておき、点数の計算が必要なマージャン同様、ダーツも瞬時に得点を計算して、次の狙いを決める必要がある。計算能力もまた、ダーツの基本である。

 バカにはできないと書いたが、筆者は職業的にたまに「先生」と呼ばれる。バカの対極にある立場とされるが、まったくの文系のため、数学はもちろん計算なども苦手である。

マージャンの点数は何となくわかるが、細かい部分はわからずに、いつも人任せにしていた。

 そんな計算バカのレベルにある筆者には、さほど学歴があるとも思われない英国のパブの港湾労働者たちが、ダーツをするときは、算盤の大家、暗算の極意を得た人物ように思える。瞬時に得点を計算して勝利の道筋を見いだすからだ。

 それも、勝負の結果、ビールをただで飲めるか、相手の分まで支払うか。負ければ悔しいだけではなく、財布も痛む。得するため、損しないための計算能力は、必須条件というわけである。

 そこでは、表向きの教育、学歴などは意味をなさない。つまり、ゲームやギャンブルには“バカ”の壁を超えるモノ、パワーがあるということである。

 ダーツ、はじめの一歩

 ダーツは足下のスローイングラインから8フィート(2・244メートル)先のボード

に、3本1セットになったダーツ(矢)を投げる。1回3本のダーツを投げることを1スローという。

 8フィートとは、およそ8歩先ということである。近いようで、微妙に遠い。ダーツのレジェンドたちも「絶妙の距離」と口を揃える。

 もっとも、最近はだいぶ事情が異なるとはいえ、欧米人と日本人の身長差を考えれば、日本人には高すぎる的と言えるかもしれない。

 8フィート先にあるダーツボード(ハード)の大きさは、直径約34センチ。ソフトダーツのボード(約39センチ)よりやや小さめである。

 ダーツボードの中心は8フィート8インチ(約1・72メートル)の高さにある。実際にボードの前に立つと、それほど高くは見えない。だが、そのダーツボードの上辺は189センチである。

 初心者は「少し上を狙って投げるとちょうどいい」とアドバイスされて投げるのだが、始めのうちは、そんなに高いという印象がないこともあり、真ん中を外れて、ボードに当たればともかく、届かなかったりする。

 点数は、前回紹介しているように、1から20までの得点エリアに分かれていて、真ん中のインナーブルが50点(アウターブル25点)と、一番高得点だが、それ以外にダブルリング、トリプルリングに入ると、その数字が2倍、3倍になる。20×3=60と、真ん中のブルよりも高得点になる。

 ゲームの内容によって、持ち点をゼロにする代表的なゲーム「ゼロワン」の他、ゼロワン同様、プロのトーナメントで行われている15~20のナンバーとブル(50)の計7つのターゲットを陣取り合戦的な要領で取り合うゲーム「クリケット」など、誰でも楽しめるようになっている。

 素人に分かりやすいのは、ひたすら真ん中のブルだけをターゲットにするゲーム「ブル・シュート」だろう。

 そんなはじめの一歩から、ダーツへの世界はスタートする。もちろん、ラブストーリーに限らず、ダーツに恋をするか、夢中になるかは、人それぞれである。

 ビギナーの練習について

 長谷川洋著『英国流ダーツ入門』の第8章には「練習の方法」として、次のように書かれている。

「プラクテス」(練習)として「ダーツに限らずすべてのことについて言えること、それは練習の積み重ねです。練習こそが上達への近道です。ダーツを始めたばかりの頃は、夢中でボードに向き合いただひたすら投げ込むものです」

「定期的な練習は、コンスタントなスローイングを育てます。

 コンスタントなスローイングは、ゆるぎない自信となります。

 ゆるぎない自信は、最高のプレーを、保証してくれます」

 と書いてあり、自分に合った練習メニューで始めることを推奨している。

「スローイングペース」については「いつも決まった自分のスローイングペースを、しっかり身につけておくことが大切です。場所、対戦相手に影響されることなく、いかに自分のペースでダーツを投げ続けられるかが、勝敗のポイントになるからです。常に一定のペースで投げる技術を身につけておけば、試合のときにあがってしまったり、必要以上に興奮したりすることも少なくなると思います。スローイングペースは、人それぞれですが、心の中でゆっくり『1・2・3』と数える人が一般的です」

 特に「ビギナーの練習」についても、取り上げられていて「スローイングの感じをつかむには、高いテーブルや机などに、二の腕を固定します。ダーツを持たずに上腕を垂直に立てて上腕の前後運動でダーツを投げる練習をします」とあり、その感覚を掴んだ後、実際にダーツを持って、最初は距離を短めにダーツボードに投げるようにすると、コツが掴めるということだ。

 初めはボードにダーツが届かなかったり、3本がバラバラになったりしがちである。

 ビギナーの練習として重要なことは、まずは3本のダーツをあちこちバラバラにならずに、グルーピングさせることが大切だということである。

「どこか狙う場所を決めて、グルーピングで3本のダーツが刺さってつくられる三角形がより小さくなるように練習します」

 といった説明などを目にすると、ダーツを極めれば、どこか人生の極意を得られる気もしてくる。

 マージャンもパチンコも夢中になる人間が、そこに人生を重ね合わせるようなものかもしれない。


 美味しいコーヒーの淹れ方

 いまさらながら、我が人生を振り返ると、ダーツに限らず、ゲームやギャンブルにはあまり縁がないというか、夢中になることはなかったように思う。

 ダーツ草創期のレジェンドたち同様、学園封鎖が当たり前だった時代に学生時代を送った筆者は、ゼミや一部講義は別にして、クラブ活動といっても、実質、マージャンやパチンコ、コンパなど典型的なノンポリ学生の日々を送っていた。

 卒業後も、出版社の編集部はマージャンを大半の編集者がやっていた。最初にデスクを持った大手出版社では、マージャンでマンションを手を入れたという猛者がいた。もしかしたら、頭金かもしれないが、それでもケタ外れである。

 作家連中とのつきあいには、マージャン・ゴルフは欠かせない。仕事のできる優秀な編集者だった彼に付き合わされて、たまにマージャンをしたが、その情熱というか、負けず嫌いに唖然とした思い出がある。

「私にはできない」と思いながら、編集見習いの筆者は、いつも近所のコーヒー店にだけは付き合った。その店はコーヒーの卸業者が経営していたもので、カウンターだけの狭い店だったが、美味しいこともあり、すぐ近くにもう1店できたほどである。

 その店に毎日のように通って、コーヒーを飲んでいた。

 ある日、いつもと味が違うので「コーヒー豆、変えた?」と聞くと「同じだ」という。

コーヒーは同じだけど、実は電動式のコーヒーミルが故障したため、別のものを使っているのだとか。

 そのとき初めて、焙煎はさておき、コーヒーは同じでも、ミルや牽き方によって微妙に味が変わる。コーヒーに限らず、お茶なども淹れ方で味が変わる。素材はもちろん重要だが、それ以外の要素がいかに大きいかということを知った。

 そんなことを思い出したのは、ダーツの資料を借りるため、実際に話を聞いたり、ダーツのレジェンドたちと一緒に、ダーツカフェの走りである池袋「モモンガ」に行って、あるとき、普通に「美味しい」(褒め言葉です)と思ったからである。

 というのも、人気のスターバックスなど、容器の要素も大きいと思うが、一度も美味しいと思って飲んだことはないからでもある。

 それはさておき、ダーツを通して、いろいろ自分の知らない世界に触れる機会があることは、ありがたいことである。

 
 
 

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