神なき時代、なお威力を発揮する平将門の「首塚」
神田明神に表博耀宗家の「創生神楽」を見に行く!
創生神楽奉納の意義
2024年8月4日、「梨本宮記念財団」梨本隆夫代表理事に誘われて、東京・神田明神(神田神社)に向かった。昨年に続いて、今回で2回目という表博燿氏による「創生神楽奉納」が行われるからである。
主催・創生神楽東京実行委員会によると、大阪に拠点を置く表氏だが、東京でも月に一度、教室を開催するなど、日本国エンターテイメント観光大使としての活動に忙しい。
首都・東京は、近年・地盤沈下が著しいとはいえ、世界を代表する近未来都市である。
その一方で皇居、明治神宮、大江戸総鎮守・神田明神などに象徴される新・旧二つの顔を持っている。
神田神社境内での創生神楽奉納の意義について、表氏は次のように記している。
「私達日本人は、神様より生まれ祖先伝来の最も古い文化を培って参りました。未だに争い事の絶えぬ世界の中で初国(はつくに)と言われる我が国の習わしが、今後の世界の動向を変化させるきっかけに成ります。
グローバル世界都市東京は、アジアのニューヨークと言われる顔と、古の大江戸文化が織り混ざるオリエンタルな都市として有名です。その中でも1300年の歴史を誇る江戸の総社として崇められ、江戸っ子の守り神である平将門公をお祀りする神田神社は、正にアジアの初国の象徴とも称される威厳とモダニズムに富んだ大江戸の総鎮守です。年に一度は偉大なる力を発揮する神田神社で創生神楽の奉納を行い、神様と喜びを交わし、共に命の再生を分かち合う御祭りを、より多くの参画者達と祝い祀る奉納を行っています。
日本から世界の再生を祈り、共に奉納して頂き真摯なる祈りを重ねて世界平和の実現が成就することを願います。弥栄」
当日は、同じ世界平和への思いを共有する来賓である梨本代表理事の他、元イスラエル大使エリ・エリヤフ・コヘン氏が公演後あいさつをしていた。
神殿前、暑さ厳しい東京での公演は、会場の一角に設えた天幕の下での鳴動式から始まった。
神降ろしの秘儀
鳴動とは、かまが鳴り響くことをいう。その鳴動「波動」を聞きながら、大自然「神」の声を聞き取り進路を正すための儀式ということである。
何も知らなければ、まるでお茶の野点(のだて)のようである。真夏の午後4時過ぎとはいえ、今年の夏は異常である。その炎天下、昔ながらの釜を炊いて、鳴動する気配によって、時代の行く末、その吉凶を占う。
神々の声を聞き取ることで、行くべき道を探る。混迷の時代になくてはならない儀式だが、実際に目にする機会はない。いまの日本や世界では目に見えず、聞こえるとも思えない声などは、ないのと一緒である。
だが、その鳴動式は古代より吉凶を占う「卜占」として、鉄器農耕民族に伝わる神降ろしの秘儀ということである。
鳴動式に続く当日のプログラムは「飛龍混沌之舞い」(ひろおこんとんのまい)で、天地定まらず、混沌のとき、イザナギ・イザナミの陰陽の二神が地球を創り固め成す、国生み神話にある「こうろこうろ」のうねりを、龍体となった神の化身が天地を創り固めて行く様を飛龍で表現している。
「四方祓五坐」(しほうはらへござ)は玉垣(バリアー)の四隅からの魔「穢れ」を、祓い除けて中央の原点・元気を天地と繋ぎ合わせて活性化させることにより、場のエネルギーを浄化清成する祓の舞である。古式からなる弓の鳴弦「弓の弦を打ち成らす」儀式は、梓弓(あずさゆみ)と言って波動によってゼロ地場を作り出す打還元方である。
「剣之舞」(つるぎのまい)・「琵琶之謡い」(びわのうたい)は、武家の作法であり命そのものである剣は権力の象徴であり、剣そのものが権威を表している。武家が“矛を止める家”と書く所以は、剣は鞘にはまってその品格を表す。もし抜くことあらば、その権威により、直ちに神威を発揮して万世平定成す。これは、武家の草分け頭領である平将門公の心持ちそのものである。
琵琶の謡いは、平家の旋律を示す将門公を追悼して懐かしむ歌舞音曲となっている。
「種放之舞」(しゅほうのまい)は、農耕民族の基本である豊作の祈りを込めた舞。古にアマテラスのモデルになった和歌姫「わかひめ」が現在の和歌山に上陸して稲作を営むときに、種もみを撒きながら扇を持ってイナゴを祓い、和歌を歌いながら稲穂を育てた故事に因む舞である。現在も能狂言に伝授される三番叟(さんばそう)が、この名残である。
我が国の経済「経世済民」の根本は、稲作の豊作に起因するものである。
最後の「新世開闢之舞」(しんせかいびゃくのまい)は、我が国では、人はみな神の子孫である。大自然が生み育み続けた結果が現在も続いている。神話に基づくイザナギとイザナミに代表される国生みを元にした舞で、どの時代でも生きる人々の使命は、より良い未来を創り出すことに他ならない。地球創生に因む創生神楽を代表する創生の舞である。
日本三大怨霊・平将門の「首塚」
神域に鳴り響く太鼓や鈴の音が暑い中にも、神聖で厳粛な雰囲気を感じさせて、見る者にも風の声、木々の緑の香とともに、創生神楽の舞と謡いが現代に力を持って蘇るのがわかる。ベースに美が生きているのが、創生神楽である。
とはいえ、IT(情報技術)にAI(人工知能)が支配しつつある現代、「そんなことで、何か変化があるとも思えない」と言いたくなるのもわかるが、炎天下、神社の境内で行われていること自体、すでに神の意思が働いているからではないのか。
忙しい現代人はわれわれ自身の先祖が体験してきたことを忘れがちだが、いくつもの実例がある。そこは、都会の真ん中、神田明神である。
もともと神田明神は大手町にある「将門塚」のそばにあった。別名「首塚」は、伝承によれば、討ち取られた東国の英雄・平将門公の首が、平安京から無念の思いとともに、遠い江戸まで飛んできたというものだ。
その日、昼間にもかかわらずあたりは闇に包まれ、大地が鳴動したという。恐れおののいた住民らは、将門公の怨念を鎮めるため、その首を埋葬して塚を立てた。だが、それでも怒りはおさまらず、時の僧侶が板石塔婆を立てて供養した。1307年(徳治2年)のことである。
このとき、近隣にあった神田明神に将門公の霊を祀ったことで、ようやく怨念は鎮まったとされる。
戦後、焼け野原になっていた跡地に、GHQ(総合司令部)が駐車場を造ろうとしたところ、ブルドーザーが横転して、運転手が死亡するなどの事故が起きた。
そこは大正時代に、大蔵省(当時)の庁舎が置かれた際に、工事関係者や省職員に不幸が相次ぎ、時の大臣が急死したり、庁舎が落雷のため焼けるなどの不審な事故が立て続けに起きた因縁の場所である。疎かにはできない。
その前例が生かされないまま、工事を進めたために、通常あり得ない事故が続いて、ついにGHQも諦めたという、いわく付きの土地である。
現代における「初国」の意義
東国の英雄・将門公は崇徳上皇、菅原道真とともに、祟りを恐れられる日本三大怨霊の一人である。だが、その将門公は神田明神に縁結びの神「大己貴命」(大国主命)、商売繁盛の神「少彦名命」(えびす様)とともに、御祭神として祀られている。
平安中期の武将・平将門は、もともと鎮守府将軍・平良将の第三皇子。伯父・国香を殺して、近国を侵し、天慶2年(939年)偽宮を下総国猿島(きしま)に建て、文武百官を置き、自ら新皇と称し、関東に威を振るったが、翌年、甥の平貞盛及び藤原秀郷に討たれたというのが、表の歴史である。
菅原道真公とともに、謀叛のイメージのある将門公であるが、なぜ神田明神の御祭神に祀られるのか。神田明神の説明文には「除災厄除の神様」とされ「承平・天慶年間、武士の先駆け『兵』(もののふ)として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆を守ったお方です」と書かれている。東国・江戸の英雄である。
その見えないものの姿を見て、聞こえない声を聞きとることができるのが、つまりは日本の力である。GHQが恐れた日本のなお消せないものの正体である。
「そんなバカな」と思いながら、認めざるを得ないため、ついに彼らさえも引き下がるしかなかった将門の真実である。
いわば敵さえも神として祀る。怨霊さえももっとも尊いものとして祀る。対立するものを一つにする日本の「和」の力である。諸外国にはできない芸当のため、世界ではいまなお争いが絶えない。日本もそうした悪弊に染まりつつあるが、なお日本はいまも世界でもっとも清潔な、つまりは神が住まうに相応しい、もっとも安全な国として知られる。
初国にはいつくもの初めてがあるが、現代において、もっとも価値があるのは、日本が世界に先駆けて「戦争の終わり」(終戦)を宣言し、平和憲法を持ったこと。そして、戦後80年近い平和を実現していることなど、平和を古来から世界に先駆け実現してきて、いまも世界平和を語るときに理想の国家モデルとなっているからである。
多くの日本人は知ろうとしないが、それは日本の原点である縄文時代にすでに戦いのない平和な時代が1万年以上続いたということである。
創生神楽は、そんな古くて新しい日本の真の姿をいつも示しながら、次のステージへと続いていく。
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