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絶対得するビーガン&ベジタリアン9  「ベジタリアンの血を見たい」と言われて

更新日:2022年11月8日


 絶対得するビーガン&ベジタリアン9  「ベジタリアンの血を見たい」と言われて


 ベジタリアンは人間失格?

前回(第13号)の「絶対得する」は、本当は「徳する?」だという指摘には笑って しまいました。でも、ベジタリアンだと外食には困るんじゃないですか?

 まあ、苦手ですけど、そうも言ってられないので、何事も人生修行だと思って楽しむよ うにしています。普通は何か食べるものはありますから、好きにしてもらえれば困ること はありません。


というと、困ったことはあるんですか?

 それはいくらでもありますよ。よくあるのが、着席式のパーティや宴会です。前菜から 始まってデザートまで、贅沢な席であればあるほど、食べるものがないからです。次々に 出てくる料理が並んで、そのまま手をつけずに下げてもらうのですから、苦行といった感 じです。


アハハハハ、苦行ですか。

 先日、たらこを食べましたよ。


エッ、魚卵は食べるんですか?

 いやいや、駅のお土産ショップで梅干しのおにぎりを買ったら、まさかのたらこだった からです。具が見えてきて、パクって一口食べて、飲み込んだら「梅干し? エッ、たら こ!?」という感じで気がついたわけです。

 すでに遅くて、1口飲み込んだ後でした。最悪の体験ですけど、たらこなんか30年近 く食べていないので一瞬、よくわからなくなるわけです。


アハハハ。それは災難ですね。

 残りは捨てましたけど、まあたまにまちがって肉を食べたり、魚肉が入っていたりする のも、ベジタリアンにはよくあるということです。  それをみなさん美味しそうに食べているわけですから、一人だけ人間失格といった気分 です。


人間失格は、ちょっとオーバーじゃないですか。


 牛丼チェーン「すき家」初体験

 気分的には、いまの時代、ベジタリアンは普通に疎外されながら生きているのが実情で す。たまにベジタリアン対応メニューが用意されていることもありますけど、弱者救済メ ニューとして特別扱いされている気分です。

それは被害妄想じゃないですか。

 確かに、否定しませんが、今年一番困ったのが、北海道に行ったときです。網走駅に夜 の8時半過ぎに着いて、遅い夕食を食べようと思ったら、駅の店はすでに閉店。もともと コンビニもないわけです。

 駅前にあるのは、ステーキハウスで、仕方なく「すき家」に入りましたけど。


牛丼チェーンでしょ。食べるものありました?

 うなぎが目玉商品のようで、店員に「ベジタリアンなんですけど」と言ったら、さすが に困ってました。

 とりあえずビールを頼んで、単品の冷や奴とオクラサラダとおしんこに御飯と味噌汁で 立派な夕食になったのですから、1080円での貴重な「すき家」初体験です。


うーん、ベジタリアンも大変ですね。

 結局、そうした体験を含めて楽しむしかないわけです。修行と称する理由です。


修行ねえ。

 もともと肉魚などが嫌いだったから、ベジタリアンになったと言いましたけど、修行と いう面では、多くの宗教者が需要な儀式、祭典などの前には肉食を断って、精進潔斎して 臨むわけです。いまでは形骸化していて、普段は肉食という宗教者ばかりです。

 彼らの代わりに誰かが、その本来の在り方、つまりは修行であるという意味を伝えてい く必要があることから、私が代わりにやっているようなものです。

 殺して生かす「殺生」とベジタリアン


宗教的には殺生が問題ということですか?

 殺生とは辞書を引くまでもなく「生き物を殺すこと。残酷なさま」のことを言います。 やってみればわかりますけど、やらなくても嫌な気分だということはわかります。宗教的 には魂が汚れる、霊性を損なうことになります。

 しかし、現実問題としてはハエやカ、ゴキブリを含めて、殺生は人間が生きていく上で 避けられないことです。そこでの「殺生」は殺して生きるという人間の宿命を表している わけですが、その殺生を「殺して生かす」のが、宗教的な真実になります。

 ただ殺せば、恨みが残りますが、殺して生かすことで、尊い犠牲となるからです。


ずいぶん哲学的ですね。  

ベジタリアンになればわかります。仏教が殺生を禁止しているのは、肉食に付き物の恨 みや欲を断つための修行だからです。


でも、植物や野菜にも命がありますよね。それはいいんですか?

 そうですよね。よく「野菜も命ですから、動物も一緒」という人がいます。その通りで すが、彼らは自分の命が大事だから、そういう言い方になるということに気がついていな いのです。


どういうことですか?

「いのちが大事」と、よく言われますが、ベジタリアンにとっての命と多くの人がいう命 には大きなちがいがあります。ベジタリアンにとっては、すべての命が大事ですから、菜 食を続けていれば、究極は宗教者に至るわけです。

 しかし、多くの人にとって大事なのは、自分の命、人間の命、ペットの命です。自分に 都合のいい命だけを優先する結果、地球上で人間の人口だけが増え続けて、その現実に人 間自らが困っているのが、世界の現状です。


難しいですね。  

話をもどして、植物の命はいいのかというのは、植物たちに話を聞いてみればわかりま すよ。


エーッ?

 それは冗談ですが、嘘ではありません。ベジタリアンの宮沢賢治の童話は、ベジタリア ンだからこそわかる真実がベースになっています。


 植物は人の役にたつことを望んでいる?

 マクロビオティックでは「植物は摘もうとしても逃げない」という言い方をします。果 樹などの果物については、手の届く範囲のものを食べることが健康で充実した人生を送る ために必要なことだという言い方をしています。

 それがその土地で採れたものを消費する「地産地消」のベースになる考え方です。地場 のもの、季節に合った旬のものを食べる。そして、遠くから運んでくるものは、燃料や輸 送費もかかることもあり、なるべく避けることで自然に今日のSDGsの生き方になって いるわけです。

なるほど。

 植物が命を断たれるとき、どう考えるか。普通の人はそんなことは考えないかもしれま せんが、植物の気持ちがわかるベジタリアンには、彼らの声が聞こえてきます。あるいは 自然界の在り方を見ることによって、十分に想像ができます。  きれいな花などわかりやすいですが、摘まれれば、そのとき命は断たれます。一瞬、痛 い思いをするとしても、それ以上に摘まれた理由を考えます。きれいだという花の価値を 認めてくれて、花瓶に入れて部屋に飾られれば、ずいぶん摘んだ人の役に立っていること もわかって満足します。

 中には、ムシャクシャした人が木の棒か何かを手に、きれいな花を「チクショー!」と か叫びながら、メッタ斬りにすることもあります。そのとき、植物は一瞬「止めて!」と 言葉にならない叫びを発します。  大きな痛みも感じますが、その後、すぐに相手のことを考えて、自分が犠牲になること で、少しでもその人のムシャクシャした気持ちが治まるなら、役に立てて良かったと思い ます。


うーん、本当ですか?

 信じないのはわかりますが、植物はバラには刺があり、中には毒草もありますけど、彼 らが攻撃してくることはありません。バラの刺は人生の真実を伝える警句になり、毒は現 実に薬になっているぐらいで、彼らは徹底した平和主義者です。

 そこにベジタリアンの究極の姿があるわけです。人間離れしていると言われれば、その 通りですが。


 30年ぶりの血液検査結果

確かに、健康そのものに見えますけど、本当に大丈夫なんですかね?

 ベジタリアンを30年近くやってきて、知り合いの医者からも、同様の疑問とともに、 忠告もされてきました。「青身魚を食べず、肉食を避けていると、必要な栄養素が不足す る」と。  そのときの反論は「世の中、そう科学の教科書通りにはできていない」ということと、 「現代栄養学には興味がない」というものです。科学・医学が発展して、栄養学が広まっ て、どうなったかということですが、その点に関しては、次の機会に説明したいと思いま す。


では、医者にも行かないんですか?

 健康保険は30年以上使ったことはないですけど、病院には仕事や見舞いなどで行くこ とはありますよ。

 数年前、長崎に行ったときに、波佐見病院の岡崎敏幸院長から昼食を御馳走になった際 に「ベジタリアンの血を見てみたい」と言われ、病院にもどって、30年ぶりに血を抜か れました。

 その年の年末、東京のイベントでたまたま岡崎院長に会ったときに、血液検査の結果を 聞いたところ「何の問題もない。ちょっと赤血球のヘモグロビンが大きい」とか言ってま したが「献血もできる」ということでした。


へえ、そうですか。

 ベジタリアン仲間の話では、病院の血液検査で検査結果のデータを見た医者から「生き ていない?」というレベルの数値だったとかで、献血もできないのではないかと思ってい たので、「なあんだ」というか「やっぱり」というか、とりあえず問題はないので一安心 でした。 

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