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「現代文明病とアーシング」 ウエルネス情報  ソーシャル・イノベーションとしてのダ・カッパ水(νG7量子水) 

更新日:2023年9月4日


 「現代文明病とアーシング」 ウエルネス情報 
 ソーシャル・イノベーションとしてのダ・カッパ水(νG7量子水) 



 千葉・いすみ市の古民家及び房総洋館

「ウエルネス@タイムス」第25号で、ジュジュベ・ファミリーがハワイから本格的に千

葉県いずみ市に移住。新たな展開をスタートさせたことを記事にしています。

 早速、北海道の女性からの反響があって「ここで修行をしたいという若者が記事を読ん

でいるそうで、リンクを送ってくれたとのことです。意外な反響です。

 その後の変化に関しても、玄関脇の「ダ・カッパ水」(νG7量子水)装置の周りに石

を入れたり、古民家に合うようなホースの巻き場所を確保したりと、少しずつきれいな状

態にしているということです。

 いずみ市に拠点を構えて、様々な活動を始めたジュジュベ・クリニックは、故・森下敬

一「お茶の水クリニック」院長が続けてきた『森下自然医学』を引き継ぐ形で、『アロハ

自然医食』(アーシング・ライフスタイル)として、装いも新たに継続されることになり

ました。

『アロハ自然医食』が「アーシング・ライフスタイル」をキャッチフレーズにしているこ

とは、実に象徴的です。

 日本での新たな展開を始めた「ジュジュベ・ハワイ・クリニック」そして〜アーシング

ライフスタイル〜を掲げる亀井士門院長の取り組みが注目されます。

 参考までに、2020年3月に出版された『νG7量子水』(早川和宏著/ヒカルラン

ド)の第2章「メーシャル・イノベーション」から「現代文明とアーシング」に関する一

節(一部抜粋)を掲載することにします。

 本の帯に「病気とは無縁の元気の素『量子水』」と書かれています。



          *                 *

ネット時代の水ブーム

 その昔、日本では安全も水も「ただ」と言われた。文明国の仲間入りをした日本が、国

際化しグローバル化していくにつれて、やがて水を買って飲むようになり、家にカギをか

け、警備保障会社にお金を払って安全・安心を買うようになっている。

 それを当たり前のように受け入れているが、本当はおかしいのではないかと気がつけば

文明社会の正体も見えてくる。

 二一世紀の今日、何事もネットで済ますことができる時代に、活字媒体が衰退して、あ

らゆる情報がネットで流される。中には巨大な官僚組織と化したマスメディアに代わって

伝えられる真実もある。

 そこにネットの役割も見て取れる一方、どこまでが事実かわからない情報、明らかな嘘

フェイクニュースが一人歩きする時代でもある。

 背景には大量の情報の海の中で、結局のところ何を選択すべきなのかがわからない“選

択不能”の現実がある。机上の計算では、情報が多ければ多いほど正しい判断ができる。

そう信じて迎えた高度情報化社会の目論見は、あえなく崩れて、いまや人間の能力を超え

た情報処理をIT(情報技術)、AI(人工知能)に委ねている。

 結果、ネット検索に象徴的だが、ITを駆使した様々な方法で無意識のまま、一部の支

配的な意見に誘導されていく。そこでは、一見、重要な情報が、それらしくリストアップ

され、ヒット数が多いとしても、どれが正しいのかわからない。

 それら混沌の中の情報は、実は「ないのと同じだ」というネットの真実に突き当たる。

 ネット社会の皮肉な副産物というしかないが、それはブームである「水」の場合も例外

ではない。

 水素水やシリカ水、電解水、アルカリイオン水などなど、数多くの機能水とともに、浄

水器、活水器などの水の関連装置が売られている。

 薬事法の関係があり、その効用・効果は「○○さんの個人的な体験で、その効果には個

人差があります」との注釈もつく。

 だが、例えば水素水の良さはわかっても、どのメーカーの、どの説明を信じていいのか

がわからない。信じていたら、消費者センターから「効果なし」のニュースが出たりして

混乱するのもブームだからこそ見えてくる皮肉な実態というわけである。

 多くの水関連商品がある中から、何を選ぶかは自分にしかできないことだが、根本的な

問題はどこにあるのかを考えた場合、現代文明そのもの、要するに社会と人間にあるとい

う結論になる。



 靴の生活とアーシング健康法

 人類の定義はいろいろあるが、代表的なものはホモ・サピエンス(知性人)である。万

物の霊長とも言われる。最近では世界的ベストセラーとなったユダヤ人歴史学者ユヴァル

・ノア・ハラリ著の『ホモデウス』(河出書房新社)という言い方もされている。デウス

はラテン語の「神」である。

 いずれも、動物とはちがう立派な定義と言えそうだが、現実はどうか。

 いまのところホモ・デウスは人類が次に進化すべきモデルでしかないが、そうした概念

が登場するのも、現代文明が末期的な症状を呈しているからだろう。

 文明に関して考える上で、興味深いエピソードを二つ紹介する。

 一つは裸足で行う健康法として注目されている「アーシング」である。静電気、電磁波

等、体内に蓄積された電気が、様々な不具合を生じることから、いわば体にアースをつな

げて地中に余分な電気を放出する。そのもっとも簡単かつ原始的な方法としての裸足であ

る。

 そこでは靴は文明の象徴のような存在である。靴の使用によって、便利で快適な生活を

送れるようになったのに、なぜか不具合が生じて、現代ではアーシングが有効な解決法と

して、愛好者を増やしている。

 靴がいかにして世界中に行き渡るようになったのか、参考になるビジネス小話がある。

 かつて二人の商社マンが、社命を受けてアフリカに靴を売りにいった。一人は現地に降

り立って「これじゃ、ダメだ。誰も靴など履いていない」と知って、売り込みを諦めて帰

国した。

 もう一人は、誰も靴を履いていないのを見て「これはビジネスチャンスだ。独占市場を

築けるぞ」と、本社に帰って本格的に売り込む体制を整えた。

 ビジネスを成功させるには、常識にとらわれず、時に逆転の発想によってチャンスを掴

む必要があるとの教訓的なエピソードというわけである。

 文明は便利で快適なようだが、常に大きな矛盾を孕んでいる。

 もう一つもアフリカの話である。マクロビオティック(玄米菜食)の日本人指導者がア

フリカにシュバイツアー博士を訪ねていった際に見聞した文明と現代疾患との因果関係に

ついてである。

 かつて植民地だったアフリカ諸国が、次々と独立して豊かになっていったときに、何が

起こったのか?

 アフリカでの欧米食は文明の豊かさを象徴するものであった。

 だが、欧米型の食事ができるようになった上層部、富裕層から順に、その後は中流層へ

という具合に、以前はなかった糖尿病などの生活習慣病が増えていった。

 当時の医学界では、食事が病気の大きな原因をなしているとは考えられてはいなかった

ようだが、そこでも文明は新たな病気を蔓延させる役目を担ってきた。



 病気にならない人は知っている

 病気の原因を考えたとき、重要なことは人類の定義とは別に、人間が現実にどのような

存在かということである。

 地球という星の上に住んでいる人間にとって、地球は揺りかごであり、生活の場そして

墓場でもある。その上で生かされ、様々な自然の恩恵を受けている人間にとって、当たり

前だが、地球が病めば社会も病み、そこで生きる人間も病んでくるということだ。

大宇宙の中の地球は、大海の小舟はおろか点ほどの大きさもない。その壮大さとともに

存在する自然の神秘を知ることが、人間の宗教的な心の原点となる。

 地球上に生を受けたあらゆる生物は、そのことを本能として身につけている。食物連鎖

の頂上を占める哺乳類も同様である。そこでの本能(性質と能力)は欲求・欲望に似てい

るが、基本的に地球にやさしい。

 そんな中で万物の霊長と呼ばれる人類=ホモ・サピエンスだけが、自然を自らの都合で

開発・利用する形で、破壊し続けている。その結果が、今日の持続可能性が問われる地球

である。

 自然と共存して生きる動物は基本的に病気をしない。人間もかつて猛威をふるったペス

トやコレラといった伝染病などを、特効薬やワクチンの発明により、ほぼ制圧した。その

代わりに新たな病気が登場してくるのだが、その度に大量の薬が投与され、医学並びに医

療機関の発達とともに、診療体制は万全なものになっていったと信じられている。

 だが、皮肉なことに、どれだけ多くの薬が使用され、医者と病院が増えて、アメリカと

並ぶ医療大国となっても、病気が減ることはない。日本では花粉症、アトピー、インフル

エンザその他、生活習慣病が増え続けて、いまや二人に一人がガンにかかると言われてい

る。

 薬の使用量が増え、病院が増えれば、病人は少なくなってもおかしくはないのだが、事

実は逆である。

 製薬会社および病院経営をビジネスと考えれば、ビジネス的には大成功だが、その成功

はすればするほど賞賛からはほど遠いものとなる。



 すべての病気は現代文明病である

 大事なことは、動物は基本的に病気にはならないということであり、ケガや病気をした

ときも、自分で治している。その動物がペットとして人間と暮らし始めると、飼い主同様

の病気にかかる。

 つまり、人間も動物も自然から離れた生活をすることによって病気になる。その意味で

は病気は文明がもたらす、いわば「文明病」である。

 原因には文明の発展によって生じるストレスの他に、PM2・5をはじめとする空気中

の汚染物質、様々な電気製品から出る電磁波、あらゆる食品に使われる農薬・化学肥料、

食品添加剤・保存料、新建材に使われる防腐剤などの化学物質、プラスチック公害。もち

ろん病気を治すための薬剤や水の汚染もある。

 そうした文明のつくり出す“毒”のすべてが、病気の背景にある。

 そこから導き出されるのは、表向き立派に見えても、矛盾だらけの「近代文明の没落」

と「成長の限界」であろう。



 文明の毒をデトックスする

「われわれはどこで間違ったのか」と考えたとき、現代文明の出発点に立ち返ってみる必

要があるのではないか。

 病気の原因となる体内に蓄積された毒素は、デトックスすることによって排出される。

同様に、文明の毒もまたデトックスする必要がある。

 現実に洗脳を解く場合には、その来し方を振り返るように、洗脳に要したのに等しいほ

どの長い年月が必要になる。

 それでもリセットすることでしか、文明によって狂わされた心身の回復は不可能であり

、間違った時点にもどって、もう一度やり直すしかない。人間として当たり前の考え方に

立ちもどることで、これまで絶対的な価値として信じられてきた文明と成長そのものの乖

離に目を向けることだ。

 二一世紀の現在は、そうした二律背反する時代的流れの分岐点にある。そこでの再生に

必要なものこそ、原点回帰と心のイノベーションというわけである。

 文明の何が問題なのか?

 一般的な人間の営みからわかることは、われわれは誰でも先祖や両親がいると言う過去

があって、この世に生まれてくる。そして、現在の家族や社会があって、未来へと続いて

いく。

 日本も世界も単位や大きさは異なるが、同様の国の歴史や伝統文化がある。先人がいた

過去があって、その恩恵の上に現代があり、次世代以降の未来につながっていく。

 そこでは生活の基盤である国や社会の在り方に限らず、いのちの基盤である地球もまた

例えてみれば、賃貸の部屋を引き払うときにはなるべく元通りにして返すようなもの。本

来であれば、まともな国や社会、きれいな地球にして返すのが、人間として当たり前の営

みであり、いまを生きる人間の最低限の責任・使命である。

 その当たり前の営みが、諸々の事情によって不可能になり、持続可能性の問われる二一

世紀になっている。

          *                 *

社会のイノベーションとしてのランド・オブ・アロハ

以上、心のリセットと同時に、体のリセットが必要な理由です。

 何事にも変革や刷新が求められる昨今、イノベーションは時代を表すキーワードです。

とはいえ、AIや宇宙開発に象徴される技術的なイノベーションには、肝心なものが欠落

しています。そこに足りないものこそが人間の心と社会の在り方を問い直す「ソーシャル

・イノベーション」なのです。

 つまり、人間の心がまともにならない限り、平和も環境破壊も実現はしないということ

です。

 ジュジュベ・クリニックでは、心身の健康を取り戻すために、アーシング等を用いて、

単なる原点回帰ではなく、古いものと新しいものの両方の良さを利用することによって、

自然にやさしい循環型の生活システムを構築し、価値ある世界の実現を目指します。

 そこでの、人間の心身を自然に整え、平和も地球温環境改善への取り組みに用いられる

のが「ダ・カッパ水」(νG7量子水)だということです。



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