隠れキリシタンがマリア像を重ねて祈った聖観音 フォトギャラリー
島根「足立美術館」庭園とは対照的な名跡「石照庭園」を訪ねる
2024年6月半ば、松江からクルマで1時間ほどの雲南市木次にある「石照庭園」を訪ねてきました。
庭園は以前、松江のベンチャー小松電機産業、並びに併設の人間自然科学研究所の広報を担当していた堀江研次氏の実父・堀江洋伸氏が造ったもので、2016年秋、郷里にもどった研次氏が代表になっています。
元・地方紙記者だった彼は、松江時代、結婚はしていたものの、子どもがいないため、子宝に恵まれないのか、あえて子どもを持たない主義だと勝手に思っていました。
訪ねていったとき、夫人と一緒に「息子を連れて帰った」と聞いて「エッ?」と思ったものです。同時に、次男である彼が、父親の仕事を引き継いだこと。家の由来と変遷、父親の人生を記録した本があることを知って、なぜかホッとしたものです。
それが2023年8月に出版された『石照の庭(堀江洋伸とその時代)』報光社(松江文庫)です。冒頭「なぜこの地に」の章には「堀江家は不思議な家系である」と書いてあります。堀江家は鎌倉後・南北朝時代にまで遡ることができるそうで、もともとは、滋賀県の多賀大社門前に、由来の土地があったとのことです。
庭園は2ヘクタールの広大な敷地を舞台にしたもので「風景の錬金術師」と呼ばれた庭園造りの巨匠・伊藤邦衛氏の設計によるたたら製鉄跡のある森林を背景に、巨大な石と清水が落ちる滝の流れが下の池に注いでいるという回遊式庭園です。
訪れた6月は花菖蒲がきれいな時期ですが、四季折々、しゃくなげ、紅葉、雪景色などいつ行っても楽しめる東出雲の自然を舞台にした庭園になっています。
夏は流し素麺やバーベキューが人気だというのも、よくわかります。
流行りのディズニーランド、USJジャパンなどのテーマパーク、遊具優先の公園、あるいは同じ島根でも、庭園が人気の足立美術館とは異なり、自然の森や石、流水が流れる舞台に足を踏み入れることができる何ともぜいたくなスペースです。
開園は2000年(平成12年)ですが、実際の庭造りは1960年(昭和35年)ごろから始めたそうです。石を集め、小さなダムをつくって水路を確保するなど、実に本格的です。
父・洋伸氏は1932年(昭和9年)、日中戦争の最中に生まれています。
県立横田高校卒。家業を継いで、林業などに従事。地域での青年団活動などを経て、家具や庭石販売などを手広く手がける中、50歳のとき、木次町会議員に立候補。3期連続して勤めています。石照庭園は、そんな父親の地方の過疎化・衰退を見据えた地域振興および貢献するための事業なのです。
本は書き溜めていたものをベースに「父のタイムリミットを考えながら」の仕事ということで、実際の本づくりには、クラウドファンディングを利用したとのことです。
地方の将来を見据えて、地域振興並びに観光資源とするために手掛けた庭園です。ただの金集めのクラウドファンディングとは異なる意義深い利用の仕方です。
そして、今回、家の歴史を紐解けたのは、江戸中期(享保)に、一度、第12代堀江太郎兵衛(太兵衛)が、家の起こり、歴史を書き残した古文書「堀江氏根元」があってのことです。そのバトンを受け継いだのが、元記者の研次氏です。
「先祖供養は未来への投資!」です。複雑な家の歴史と変遷を640余年後に振り返り、父親の人生を一冊の本にすることができるのは、実に幸せなことです。
掲載写真について
訪問時、座敷には古衣で制作した人形を並べて、花嫁支度や田舎生活を再現した「もとつねけいこと夢をはこぶ仲間たち展」が開催されていました。後日、作品展の様子が「山陰中央新報」の地域版に掲載されていました。折々の催しが、地域や訪れる人に潤いをもたらしています。
堀江家先代が建立した地域名「石」地区を「照らす」寺が名前の由来との石照寺(観音堂)には、聖観音、薬師如来、弘法大師が祀られています。
母屋・別棟・仏壇を含めた日本家屋を建てたのは、津和野・乙女峠にあるマリア聖堂を建築した熟練の職人・稲村重清氏です。再建された現在の観音堂は、完成時「できたぞ観音堂」「精根込めて3年」との見出しで「山陰中央新報」(1989年8月31日)の記事になっています。
稲村大工は同じ温泉村の出身とはいえ、戦前からのカトリック信者です。その彼が「親方」と呼んだ父親のために建てた日本的伝統建築や観音堂です。堀江研次氏は彼の最晩年の「その本尊は、隠れキリシタンがマリア像を重ねて祈った観音像だ」と書いています。
聖観音がマリア像のように見える秘密です。
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