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「ライオン」創業者・小林富次郎の実像(19)  小林氏の「聖書日々実行録」(先代の言葉)3月

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「ライオン」創業者・小林富次郎の実像(19)  小林氏の「聖書日々実行録」(先代の言葉)3月 

イエスも釈迦も実在の人間

 イエスも歴史上の人物  多くの宗教同様、イエス・キリストも仏陀・釈迦も、もともと歴史上の人間である。  実在の人間が奇跡を起こし、あるいは悟りを開いて、神や仏として崇め奉られるのは、人情として、ごく当たり前のことであろう。  問題は、例えばキリスト教は「偶像崇拝」を厳しく禁止していることだ。他の一神教も同様で、天地を創造した神=創造神以外の人や物を信仰の対象とすることは、偶像崇拝として否定されている。  仏教でも、当初は偶像崇拝は否定されていて、釈迦の死後、初期仏教の時代には、仏像は造られなかった。  ところが現実には、十字架に架けられたキリスト像や聖母マリア像が教会に掲げられていて、当たり前に崇拝の対象となっている。仏教では荼毘に付した釈迦の骨を集めた仏舎利(塔)や仏足石などが、崇拝の対象になっている。もちろん、その後は多くの仏像をはじめ、釈迦の肖像、釈迦如来像も造られて、ごく普通に崇拝の対象になっている。  死ねば終わりと師が言ったところで、その通りにはできないのが人情である。宗教に限らず、日本でも全国各地に偉人の記念碑・顕彰碑があるのと、似たようなものだろう。  もともと「新約聖書」は、イエス・キリストの行跡を当時の弟子たちが語ったり、書き残した手紙などが元になっている。同じエピソードでも、微妙に異なる内容になっているのも、イエス・キリストも実在の人物だと思えば、不思議なことではない。


 神を信ぜよ

3月1日 「天国は辛子種の如し」 「聖書の句」 「神の国を何に比べようか。また、どんな譬(たとえ)で言いあらわそうか。それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。(「マルコによる福音書」第4章30以下)

3月2日 「イエスに接する者」 「聖書の句」 村でも町でも部落でも、イエスがはいって行かれる所では、病人たちをその広場におき、せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いした。そして、さわった者は皆いやされた。(「マルコによる福音書」第6章56)

3月3日 「自我を捨てよ。大我に入れよ」 「聖書の句」 「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」。(「マルコによる福音書」第8章34以下) (※前出の2月8日「人のことは思わず、神のことを思え」の「聖書の句」には「マタイによる福音書」第17章に同様の内容が掲載されている。「聖書」は弟子たちによるイエスの行跡・言動を伝えるもののため、似たようなエピソードがよく出てくる。)

3月4日 「謙遜は主の意に叶うなり」 「聖書の句」 イエスは彼に言われた。「もしできれば、というのか。信ずる者には、どんな事でもできる。その子の父親はすぐ叫んで言った。「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。イエスは群集が駆け寄ってくるのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「おしとつんぼの霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出ていけ。二度と、はいって来るな。すると、霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言った。しかし、イエスが手を取って起こさせると、その子は立ち上がった。(「マルコによる福音書」第9章23以下)

3月5日 「自分を守るための奥義」 「聖書の句」 もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。両眼がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片目になって神の国に入る方がよい。(「マルコによる福音書」第9章47) (※「厳しい裁き」という言葉で語られるが、信仰者として罪を犯したままよりは、片目を失っても、悔い改め、なお信仰者として神を信じ、神に相応しい者として生きよという意味である。)

3月6日「夫婦の神聖」 「聖書の句」 天地創造の初めから、「神は人を男と女とに造られた。それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである」。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。(「マルコによる福音書」第10章6以下)

3月7日 「神の横顔」      「キリストは道、真理、生命なり」 「聖書の句」 イエスは言われた。「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるのである」。(「マルコによる福音書」第10章29以下)

3月8日 「神を信ぜよ」 「聖書の句」 イエスは答えて言われた。「神を神じなさい。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。(「マルコによる福音書」第11章22以下)

3月9日 「人を許せ」 「聖書の句」 立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。(「マルコによる福音書」第11章25以下)

3月10日 「すべてを投げ入れる」 「聖書の句」 イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群集がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。そこで、イエスは弟子(でし)たちを呼び寄せて言われた。「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである。(「マルコによる福音書」第12章41以下) (※当時は近隣諸国の通過が共通して使用されており、レプタはギリシャの最小単位の銅貨で、2レプタでローマ貨幣の1コドラントに当たる。1コドラントは一日の労働賃金に相当するデナリ銀貨の64分の1に当たる。)

 信仰は最大の幸福

3月11日 「我は我が父のことを務める」 「聖書の句」 イエスは言われた。「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。(「ルカによる福音書」第2章49以下)

3月12日 「人にもそのごとくせよ」 「聖書の句」 人々にしてほしいと、望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛しているものを愛したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人(つみびと)でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいのことはしている。(「ルカによる福音書」第6章31以下)

3月13日 「まず己を潔くせよ」 「聖書の句」 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟に向かって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのぞくことができるだろう。(「ルカによる福音書」第6章41以下)

3月14日 「聞きて行うべし」 「聖書の句」 わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。それは地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水(こうずい)が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。しかし、聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである。(「ルカによる福音書」第6章47以下)

3月15日 「主の同情は貧者に多し」 「聖書の句」 「行ってあなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」。(「ルカによる福音書」第7章22以下)

3月16日 「人の子は枕するところなし」 「聖書の句」 道を進んでいくと、ある人がイエスに言った。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。イエスはその人に言われた。きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらするところがない」。(「ルカによる福音書」第9章57以下) (※「人の子」とはイエスのこと。イエスにはきつねや鳥のように、安心して眠るところがない。つまりは、それだけ大変だということである。)

3月17日 「後を顧みることなかれ」 「聖書の句」 またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると、その人が言った。「まず、父を葬りに行かせてください」。イエスは言われた。「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にはふさわしくないものである」。(「ルカによる福音書」第9章59以下)

3月18日 「天に知られたるを喜べ」       「天父の御旨」 「聖書の句」 七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪魔までがわたしたちに服従します」。彼らに言われた、「わたしはサタンが雷光のように天から落ちるのを見た。わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。そのとき、イエスは精霊によって喜びあふれて言われた。「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。(「ルカによる福音書」第10章17以下)

3月19日 「主の祈り」 「聖書の句」 イエスはある所で祈っておられたが、それが終わったとき、弟子(でし)のひとりが言った。「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。そこで彼らに言われた、「祈るときに、こう言いなさい。『父よ、御名(みな)があがめられますように。御国(みくに)がきますように。わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。(「ルカによる福音書」第11章1以下)

3月20日 「信仰は最大の幸福なり」 「聖書の句」 イエスがこう話しているとき、群集の中からひとりの女が声を張りあげて言った。「あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」。しかし、イエスは言われた。「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言(ことば)を聞いてそれを守る人たちである」。(「ルカによる福音書」第11章27以下)

 神の国は内にあり

3月21日 「身の明かりは目である」 「聖書の句」 「あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。(「ルカによる福音書」第11章34以下)

3月22日 「恐れることなかれ」 「聖書の句」 五羽(わ)のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。(「ルカによる福音書」第12章6以下) (※アサリオンはローマの青銅貨で、100円程度。非常に安く売られているということである。)

3月23日 「生命は持つものによらず」 「聖書の句」 人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲(どんよく)に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはならないのである」。(「ルカによる福音書」第12章15)

3月24日 「天の父の情け」 「聖書の句」 罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人のただしい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。(「ルカによる福音書」第15章7)

3月25日 「父の愛心は、即ち神の御心なり」 「聖書の句」 むすこは父に言った、「父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかって罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません」。(「ルカによる福音書」第12章21以下)

3月26日 「小事に忠なる者は大事にも忠なり」       「神と財と両方に奉仕することはできない」 「聖書の句」 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。だから、もし、あなたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。(「ルカによる福音書」第16章10以下)

3月27日 「まず、神の前に義となる」 「聖書の句」 律法と預言者とはヨハネの時までのものである。それ以来、神の国が宣(の)べ伝えられ、人々は皆これに突入している。しかし、律法の一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい。(「ルカによる福音書」第16章15以下)

3月28日 「神の国は内にあり」 「聖書の句」 神の国はいつ来るのかと、パリサイ(びと)が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない」。また、「見よ、ここにある」「あそこにある」などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。(「ルカによる福音書」第17章20以下)

3月29日 「敵の許しを祈る」 「聖書の句」 イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をさせているのか、わからずにいるのです」。(「ルカによる福音書」第23章34)

3月30日 「道(ことば)は光なり、命なり」 「聖書の句」 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初め神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の命であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(「ヨハネによる福音書」第1章1以下)

3月31日 「信仰により、神の子となしたまう」 「聖書の句」 彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲によらず、ただ神によって生まれたのである。(「ヨハネによる福音書」第1章12以下)


 
 
 

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