日本のダーツ、始まりは「ラブストーリー」その後の日々 21 そして愛と平和の日々は続く 作家・波止蜂弥(はやみはちや)
日本のダーツ、始まりは「ラブストーリー」その後の日々 21
そして愛と平和の日々は続く 作家・波止蜂弥(はやみはちや)

マリア・ブラッキンの彼氏
久しぶりに大阪の知人に会うと「その後、君のラブストーリーはどうなったの?」と、聞かれた。
突然の質問に「エッ?」と驚いたが「さすがに、もうないでしょ」と、人ごとのように応えた後、少し考えた。自分のことではない。
ラブストーリーに限らず、何事もいつまでも自らの天下が続くわけがない。そう気がつく前に、次の世代に任せるのが、自然な人生の流れである。
そうとわかれば、女盛りで亡くなった作家・森瑶子さんのその後のラブストーリーは、3人の娘のうち、「母・森瑶子と私」の副題のある『小さな貝殻』(新潮文庫)を書いた次女マリア・ブラッキンさんに聞くのが、一番相応しいようにも思える。
彼女は、長女と三女の狭間で、世間のいわゆる次男坊・次女としての振る舞い方、処世術を自然に身につける立場にある。
森瑶子さんが亡くなったのは、1993年7月6日である。
本の「あとがき」で、彼女は母の死を「あの夏の悲しみ」という言葉にして、ボーイフレンドに最初に感謝の気持ちを伝えたいと書いている。
「二年前のあの夏の悲しみから救い出してくれた私の彼氏、マサキ。いつも私を新しい気持ちにさせてくれるあなたを尊敬し、愛している」と。
そして、母の死後、ひたすら森瑶子さんの本を読み続けて、2年後の1995年12月に、新潮社から『小さな貝殻』を出版した。それもすでに、33年前のことである。
「二十二歳で母を失い、そのためにいろいろなことを学んだ。今も学び続けている」と書いた彼女は、55歳になっているということである。
その後、本の末尾に名前が上げられていた彼氏との間は、どうなったのだろうか?

大人の女としての条件
彼女は、本の中で森瑶子さんが書いた「大人の女としての十の条件」を紹介している。
そこには若い彼女が、まだ体験できないでいる大人の女性になるためのハードルがいくつも並んでいた。
1.人のせいにせず、苦しみや痛みを自分で引き取る。
2.仕事を持ち、夫に頼らないだけの自分の収入がある。
3.結婚している。あるいは男と暮らしたことがある。
4.子供を産み、そして育てた経験がある。
5.男をすべて恋人にせず、友達づきあいできる男がいる。
6.一人でレストランやバーに行って、食事ができ、お酒が飲める。
7.しゃれた会話ができるような、インテリジェンスがある。
8.年齢を重ねていっても、決して感性が衰えない。
9.どんなことにも好奇心を持って接することができる。
10.自分が不幸な状況にあっても、人に対してやさしくできる。
10の条件を紹介した後に、彼女は「私はただ、母のような女性に早くなりたいとばかり、今は願っている。母は私が人生をどう生きるべきかを教えてくれた。どのように幸せになれるか、輝けるかを」と書いている。
それは彼女の21歳のとき、母から贈られたバースディカードに、英語で書いてあったことだ。
「あなたは私があなたを愛したように自分を愛し、そして自分が素晴らしいユニークな人間であることを受け入れてくれれば、私は安らかにあなたの人生から一歩下がり、安心してあなたを自分の手に渡せる」
大人の女としての条件にある結婚や子供を産みという条件は、33年後の現在、どうなっているのだろうか?
伝え聞くところによると、自宅と別荘のあるい軽井沢を行き来して、夫と息子と愛犬たちと、まさに母・森瑶子さんが語った「大人の女」の条件に当てはまるようなステキな女性になっているようである。

大人の学芸会
筆者の息子が、現在は役者の相棒とビーガン「罪無き麻婆豆腐」を虎の門と三田でやっていることは、これまで何度か書いてきた。
東京に住んでいたころ、芸能事情に詳しい知人女性が、何度か息子の姿を目にしていて元ジャニーズのタッキーこと滝沢秀明氏に似ているようでいて、タッキーとは明らかにちがうことから、なぜか「ターキーよりタッキーらしい(?)」と語っていた。誉め言葉のつもりのようだが、要するに彼よりも「もっと上品」とのことであった。
タッキーには失礼のようだが「そうなんだ」というしかない。
当時はモデルとしてテレビCMや映画に出たり、俳優・小栗旬氏の事務所に所属していたころ、テレビドラマ「花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス~」(2007年版)に、その他大勢というか御殿山左京役で出ていた。
そんな中、よくできていると思ったCMは「三井のリハウス」(山下リオ編)の憧れの先輩役だが、家族に「出ているよ!」と呼ばれて、画面に映る自分の子どもを見ると、さすがにドキッとする。
事故や事件じゃないのが救いだが、息子が芸能界に足を踏み入れたのは、よくある街でのスカウトがきっかけである。とはいえ、本人の希望以上に大きかったのが、たぶん音楽出版社に入社し、その後、個人の芸能事務所に勤めたことのある女房の意向であろう。
別段、ステージママなどではないが、密かに自分の代わりに芸能界デビューを果して欲しかったのではないか。その意味では夢は半分実現したわけだが、結局のところ、芸能界の水には合わないとわかって、いわば卒業後、いまはイケメンの相棒と「大人の学芸会」というコンビを組んで、たまにシュールな劇を演じている。
赤塚不二夫氏との関係からタレントのタモリ氏に「母さん」と呼ばれる88歳のイラストレーター・田村セツコさんには、その舞台は「エスプリが効いていて、楽しい!」と受けていた。
いまはビーガン「罪無き麻婆豆腐」が忙しいようだが、相棒に「店と舞台とどちらが本業なの?」と聞いたら、舞台というか芝居だと話していた。
相棒はまだ独身のようだが、息子のほうは一度付き合った彼女がいて、別れた後「AKB48」に誘われたことがあるという可愛い女性と結婚。2人の子どもの父親でもある。
マリア・ブラッキンさん同様、次の世代は愛と平和の日々を送っているようである。

意外なダーツ人脈
2026年9月はダーツのレジェンド「青柳運送」の青柳保之代表取締役とは会えなかったが、元日本代表の小熊恒久氏とは、別件もあり、大阪からの帰りのランチタイムに池袋で会って話をした。
聞けば、総合スポーツブランド「ミズノ株式会社」の営業本部長をやっていたY氏と、中板橋の「Palms」に行ってきたのだとか。東京・虎の門あたりで食事をした後、その日は王子のホテルに泊まるY氏と同じ帰り道でもあり、話のついでに東京のダーツの聖地「Palms」に寄ったとのことであった。
「さすがミズノの人だけあって、筋がいい」と小熊氏は驚いていた。大した説明もしないまま、大体こんな感じでと投げると、最初から150点、2回目が200点である。
初めてではないとはいえ、久しぶりに投げて高得点が出れば、ダーツが面白くなる。
その日、今度からお互いの関係者を誘って、定期的に「Palms」に集まりましょうとの話になったと話していた。みなさん、忙しい立場上、そうしょっちゅう集まれないとはいえ、先日はYさんと再び「Palms」に行ったということだから、意外なダーツ人脈の拡がりである。
もともと本連載「ダーツをぬぐるストーリー」を始めたきっかけは、WOX(酸素補給水)の開発・製造メーカー「メディサイエンス・エスポア株式会社」を訪ねた際に、そこでダーツのレジェンド・元日本代表の小熊氏と「Palms」オーナーの浅野眞弥氏、ソフトダーツの神こと佐藤敬治氏を紹介されたことである。
そのWOXが、スポーツ等の酸素補給にいいことから、好意で積極的に販売に協力していたのが「ミズノ」のY氏だった。筆者がY氏と親しいことから、小熊氏はいつか「ミズノのYさんにダーツの魅力を伝えられたらいいね」と話していた。
実際に、WOX関係のイベントの場で小熊氏を紹介したのが、1年前のことである。
その後、詳しくは忘れたが、ミズノ東京本社を訪れてから、何度か会ううちに、ついに東京のダーツの聖地「Palms」に行くまでになったわけである。

金メダリスト・柔道の山下
小熊氏がミズノとの関係をつくりたいと考えたのは、もちろんリカバリーウエア「アムズバランス」などのエコタン(エコロジー×炭)製品を手掛ける「アムズ企画株式会社」の顧問をしていることもあるが、それ以上に老若男女が楽しめるダーツ人口を増やすとともに、大きく健康寿命を延ばすことで、社会に貢献できると考えたからである。
同時に、ミズノにとっても、ダーツ分野が新たなビジネスチャンスにつながるはずだとの思いもある。
今後の展開はまだわからないとはいえ、世界におけるダーツの始まりが戦場での兵士たちの娯楽であり、武器としての矢を用いての勝負であるのに対して、日本の場合はダーツを初めて日本に紹介した英国人のアイヴァン・ブラッキン氏が、世界放浪の旅の途中に立ち寄った日本で、作家・森瑶子さんと恋に陥ったことであった。
ラブストーリーつまりは愛と平和が日本のダーツの原点なのである。
いまなお戦争の続く時代に、日本のダーツの在り方は、世界が見習うべきクールなモノとして、独自の位置を占めている。
そのヒントとなるのが、前回紹介した弓道の話である。日本では武器に限らず、あらゆるモノが「道」になるという独自の伝統・文化がある。
そこでは戦い・勝負の本質は、勝つことは負ける者をつくることである。だから、戦いを意味する「勝負」は、勝ちと負けの二文字でできている。
1984年のロサンゼルス五輪の金メダリストで全日本柔道連盟会長や日本オリンピック委員会会長を勤めてきた山下泰宏選手は、2023年10月、箱根の温泉での転倒事故によって、現在は車椅子生活を続けている。
その山下選手が8月22日、テレビ朝日の「報道ステーション」で、スポーツ解説者・松岡修造氏のインタビューに応じた。その中で、彼は3年前の事故と心境の変化を語りながら、次のように勝負の本質について話していた。
指導者になり気がついたこととして、彼は「もう戦うことが嫌いになっていたんです。ずっと勝ってきたということは、ずっと相手の夢を打ち破ってきたわけでしょ」と語っている。
戦い・勝負の世界は、それだけ厳しく非情なものが、戦う者たちの運命を左右する。
日本代表として世界の舞台で戦った小熊氏の場合も、それは変わらない。
だが、どんなに戦っても、血で血を洗うことは基本的にない。あらゆるスポーツは、戦争とは異なるゲームだからである。
そんなダーツの世界だが、中でも日本のダーツはすでにスポーツの理想型を「始まりはラブストーリー」であることにより、世界にはない唯一の歴史にしている。
改めて、日本のダーツがプロダーツトーナメント、プロダーツリーグの人気とともに、カラオケブームの後に、総合エンターテインメントの重要な一角を占めていることは、愛と平和を象徴するものとして興味深い展開だと思う。



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