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有権者が自ら選んだ“世界危機”への道!?  京都「西本願寺」での住職補任式及び帰敬式に参列して考えたこと!

21 時間前
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有権者が自ら選んだ“世界危機”への道!?

 京都「西本願寺」での住職補任式及び帰敬式に参列して考えたこと!


 透明な難民たち

 地震をはじめ、気候変動によるゲリラ豪雨と洪水、山火事などの続く近年の日本列島。“世界危機”とは大げさなようだが、怖いものとされてきた「地震・雷・火事・親父」の言い伝えは、親父の代わりに、世界の戦争やケタ外れの台風、洪水、ウイルス感染症などを連ねれば、いまも世界は様々な危機の中にある。


 2026年8月、知人から「息子の新しい本ができた」と、本が送られてきた。小俣直彦著『世界難民危機』(岩波書店)である。本書については、後日、改めてレポートするつもりだが、その中に「透明な難民たち」という表現があった。


 難民に限らず、多くの危機は、毎日の新聞・テレビ・Webメディア等々で伝えられているが、無関係や無関心の他、情報の氾濫などもあって、危機は確かな現実として伝えられていても、繰り返される多く危機に疲弊するかのように、やがて「透明な、見えない危機」となって蓄積されていく。


 同じ夏、いわゆる見えない世界に詳しい知人からは「来年7月から8月が危ない!」とのメッセージが天から届いたと、わざわざ教えてくれた。ありがたい知らせだが、以前から言われてきた「ノアの洪水」の再来ということか。


 ネパールと中国国境で起きた土石流による大洪水は、さらに上流の巨大ダムの崩落がいつか起きるはずだと、大災害の危機が噂されている。


 そんな地球の現状を見ていれば、危ないのは来年の7月、8月どころか、いまも十分に危ない。本当の危機は、その深刻さを理解はしていても、どこかで自分は大丈夫と、他人事として、無意識のうちに日々やり過ごして生きていることである。


 有権者の権利と責任?


 有権者とは選挙用語のようだが、実際には誰もが地球上に生きている有権者である。


 政治家を有権者が選ぶように、世界の戦争、地球上の気候変動、ウイルス感染症なども結局のところ、われわれ有権者が自ら選んだ結果である。


 その自覚がほとんどないことが、実は“世界危機”の本質ではないのか?


 8月のお盆シーズンが過ぎて、一月後は秋分の日、秋のお彼岸である。祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日、国民の休日である。


 先祖供養とは先祖を大事にすることだが、その先祖は実は自らの係累には止まらない。過去を含めて、そこには国の先人たちがいて、みな自然の恵みの上に生かされている。さらに人類は太古、宇宙から飛んできた星のカケラから生じたという意味では宇宙こそが先祖ということになる。


 その先祖を大事にせず、粗末に扱えば、どうなるかは、今日の地球の現状を見れば明らかなことだ。人工衛星の飛び交う地球周辺の宇宙も、きれいに見えて「デブリ」と称する宇宙ゴミだらけという惨状である。


 それは天にツバすれば、どうなるか。その通りの結果だが、それこそ人類が地球に君臨する「有権者」だからだろう。だが、選挙に限らず「有権者」には、選んだ者としての責任がある。


 そんな自覚がないまま、権利だけを行使すれば、持続可能性の問われる地球ができあがるのは、至極、当然のことである。


 これまでも「ウエルネス@タイムス」では「先祖供養は未来への投資」とのメッセージを折に触れて伝えているが、それはあらゆる面で「先祖供養」が足りないため、多くの天変地異・災害等の不幸が起きていると考えるからである。


 日本人のDNA


 廃寺、墓じまいが問題になる時代。その最先端を行く、左翼の時代を生きた進歩的文化人が「葬式無用」、あるいは「海とか山に散骨して」と遺言する。


 見えない世界を科学的ではないと否定し、効率優先、合理的な生き方を第一にする風潮の中では、先祖供養より、求められるのは、自分の都合である。


 大衆に迎合する評論家が、そんな風潮を後押ししている。例えば、昔はいまのようなお墓制度はなかったとか。


 歴史をたどれば、その通りだが、都合のいい部分だけ抜き出しても、真実には到達できない。


 逆に、近年のようなお墓制度がなかった時代は、いまでは想像もできないほどの神と仏と、つまりは宗教的信仰生活の中で人々は生きていた。そこでは、墓の有る無しなど、さほど意味はない。


 そんな現代日本社会だが、宗教的伝統文化はいまも年中行事などの中に、色濃く残っている。そうしたいわば日本人のDNAが、なお働いているからこそ、多くのインバウンドの観光客が、日本のトイレや街のきれいさに驚き、テーブルの上にモノを置いていても盗まれない、財布を落としてももどってきたという話が当たり前にあるわけである。


 一神教の国から来た宗教指導者が、そんな日本社会、日本人の在り方を見て、実は日本人の大半が「無宗教」であり、実際に「宗教教育などない」との話に驚いたという有名なエピソードがある。


 彼らは自国で一生懸命、宗教教育に取り組んでいるのに、なおその成果が得られないのに対して、日本では、すでに彼らの教育目標が実現されていたからである。


 時代や環境の変化の中でも、なお日本では宗教・信仰の在り方は「透明なまま、見えない」ようでいて、いまのところ、確かに機能しているわけである。


 なり手がいない役員


 多くの典型的な日本人同様、筆者の自宅には神棚と仏壇がある。また、形の上ではいくつかの縁ある神社の崇敬者として御札をもらい、お彼岸やお盆にはお寺に行く。


 職業柄、個人的には「神も仏もバカにはならない」と、よくわかっているとはいえ、気分的には「ほぼ無宗教」というのが、偽らざる心境である。


 だからといって、信仰心がないわけではなく、日本人の中に昔からある信仰心を、さほど意識することなく体現している。


 そんな典型的な日本人である筆者が、2026年6月24日~25日に開催された京都「西本願寺」での住職補任式に参列することになった。


 前年、北山浄光寺の第40代目の住職となった稲川真太郎師の住職補任式に同行してのことだが、それもたまたま我が家が昔からの門徒であり、お墓がある北山浄光寺の門徒総代の一人になったからである。


 たまたまというのは、嘘ではない。北山浄光寺は山川出版社の『新潟県の歴史』に出てくる宗祖・親鸞聖人の創建になる由緒正しいお寺である。


「門徒総代」と言われれば、知らない人は驚くというか、なかなか立派な肩書だが、当時のお寺は様々な事情から荒れ果てていて、そのいわば再建のため「北山浄光寺護持会」を発足させるに当たって、筆者にも声がかかり、発起人の一人になっただけのことである。


 だが、護持会を発足させようにも、会長並びに役員になど、誰もなり手がいないのが実情である。


 どうするか? まさかの苦肉の策が寺族からの「阿弥陀籤で決めたら」との提案であった。「エッ!?」というか、アッと驚く提案だが、もっと驚いたのは、阿弥陀籤の結果、決まったのは、まさに適材適所の会長並びに役職であったことである。


 その驚きの結果に、誰も文句のつけようがなかった。ちなみに、門徒総代の一人となった筆者の担当は、新たに発行する「寺報」の企画・編集である。


「ほぼ無宗教」の筆者とはいえ「阿弥陀籤恐るべし」との認識を新たにした。


 住職補任式研修


 さて、京都行き当日のスケジュールは、朝の7時に「北山浄光寺」に集合。まずは阿弥陀様にお参りをした後、2台のクルマに分乗して新潟空港に向かった。途中、多少の渋滞はあるが、8時45分のフライトには、時間は十分にある。


 離陸して1時間ちょっとで、伊丹空港に着く。空港からエアリムジンに乗って、約1時間で京都駅着。八条口にあるKMタクシーで西本願寺の宿坊「聞法会館」に向かった。


 11時半、地下にある日本料理「がんこ」で昼食を取った後、12時30分受付開始。


 13時から開会式が始まる。


 一日目のスケジュールは「住職補任式研修」である。門徒総代のわれわれも、稲川住職と一緒に研修を受ける。研修の一つには「門徒総代への願い」がある。


 早速、「基本日程」と当日の「資料」をまとめた「第176回・住職補任式及び住職補任式研修」(伝道部)の冊子を開くと「住職補任式次第」(阿弥陀堂)のページ下には親鸞聖人の「恩徳讃」が載っている。


  如来大悲の恩は

  身を粉にしても報ずべし

  師主知識の恩徳も

  ほねをくだきても謝すべし


 何となくわかる気もするが、要は「阿弥陀如来の大慈悲」には一生懸命に報いて、釈迦をはじめとした仏教の師に何としても感謝すべきとの「報恩感謝」の誓いである。改まった場で「恩徳讃」を目にすれば、自然、気が引き締まる。


 オリエンテーションの後、研修の最初は「宗教法人の実務と運用」(寺院活動支援部・三明大慶部長)について、資料「宗教法人の実務と運用」並びに『宗門基本法規集』(本願寺出版社)をもとに、近年の変更、注意すべき点などの説明に、およそ60分費やされる。正直なところ、とてもついていけない感じだが「門徒及び信徒」に関して、第27条3に「門徒は、帰敬式を受けるものとする」とあることなど、大半の信徒は知らないはずである。帰敬式とは浄土真宗で、生前に法名を受ける儀式のことである。


 15分の休憩の後は「葬場勤行について」(総合研究所・冨島信海上級研究員)、資料をもとに、現代社会の変化と葬儀、葬場勤行の執行にあたって、そして葬儀を営むということについての35分ほどの講演。近年の葬儀に関する指摘は参考になる。


「門徒総代への願い」(教化部・波佐谷真悟部長)は、30分ほどの内容である。『門徒総代として-歩もう住職とともに-』(本願寺出版社)の冊子が用意されていて、要は総代は門徒の代表であると同時に、門徒とお寺・住職をつなぐ役目を担っているわけである。ノンキにしては居られない。


 15分の休憩を挟んで、社会部より改めて15分の「資料説明」があって、同じく15分の「宗門の重点プログラムについて」(総合企画室)と続く。


 内容は親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗は、門主を中心に自他共に「心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献すること」を目的としており、そのために行っている様々な活動に関してである。


 その重点プロジェクトは、例えば子どもたちを育むための「貧困の克服に向けて~Dana for World Peace~」が、2024年から2027年まで行われている。「子どもたちの笑顔のための募金」の成果をはじめ「子どもたちの居場所づくり」「施設で暮らす子どもたちの笑顔を応援します」といった取り組みなどがある。


 まさに知らないことばかりだが、既成仏教として、一般的にはさほど存在感のないイメージの浄土真宗でも、日本ばかりではない世界を視野に入れた様々な取り組みをしていることを教えられた。


 その後、1階総会所に移動して、一般にも公開されている法話「ともにお念仏する身となる」(藤本唯信師)を聞いた。


 終了後、翌日の補任式の説明・事務連絡の後、解散となり、盛り沢山な住職補任式研修の一日はお開きとなった。


 豆腐料理「豆水楼」


 夕方5時半過ぎ、その日の宿である京都「東急ホテル」にチェックイン。部屋は最上階8階のツインルーム。朝食券付きのセットだが、残念ながら利用する時間的余裕はない。


 その日の夕食は、高瀬川沿い、鴨川に面した豆腐料理「豆水楼」に行った。雨ということもあってか、外国人観光客カップルなどがいたが、さほど混んではいない。予約した川に面した桟敷席は使えないが、雨に濡れた外が見える席で、少しは京都の情緒に浸ることもできた。


 今回の京都行きの主役は、もちろん稲川住職だが、自らの補任式のみではなく、3人の総代の先導役でもある。老人相手に「ご苦労様」という感じだが、一日を終え「乾杯」をするころには、その日の疲れも吹き飛んだ様子である。


 食後、ほろ酔い加減で、京都の細い路地を歩くと、昔、木屋町周辺、先斗町などを歩いた思い出が蘇ってくる。


 たまたま『明暗』を読み返していたこともあり、夏目漱石の新聞小説『虞美人草』の取材にまつわる話を思い出した。


 当時、京都大学学長として上洛していた哲学者・狩野亨吉宅に逗留していた漱石を俳人・高濱虚子が訪ねたときのことである。


「京都ではどこかに遊びに行ったか?」と尋ねた虚子に、漱石は案内役の関係から叡山の他、お寺の名前ばかりを上げた。答えを聞いて、虚子は「せめて都踊りだけでも」と思って、堅物(?)の印象のある漱石を誘った。


 見学後、帰るにはまだ早い時間とあって、虚子が京都を舞台にした短編『風流懺法』に書いた「一力」茶屋に誘った。快諾した漱石と若い舞子2人との交流など、意外な漱石の一面を紹介している。


 その「一力」は筆者も、京都の粋人に誘われて、上がったことがある。


 人生、長く生きていれば、職業柄、人の知らない経験は少なくない。もちろん、西本願寺には修学旅行の他、何度も行っている。宿坊「聞法会館」には、最近も泊まっている。


 だが、まだ夜は浅いとはいえ、25日は早朝6時からの「晨朝参参拝」の後、われわれは「帰敬式」(法名授与)、稲川住職は補任式を控えている。


 京都の夜を楽しめるはずもなく、コンビニで翌日の朝食を買って、ホテルに帰った。


 法名帰敬式とは?


 25日は早朝5時45分にロビー集合。みなさん、すでに揃っていた。


 6時から朝の勤行・阿弥陀堂での「晨朝参拝」の後、7時から帰敬式がある。


 帰敬式には事前に、リハーサルがあって、筆者が左端に座っていたら「右端の女性の隣に」と言われて、右端になった。式が始まると、御門主様が登場して、式が始まる。


 姿勢を正すと、御門主様が後ろに回って、最初に筆者の頭に剃刀の刃を三度当てて、隣へと移っていく。


 仏の弟子、正式に浄土真宗の門徒になったということのようである。


 その後、参加者代表の一人が御門主様から全員の法名を受け取り、もう一人が御礼の言葉を述べる。式の終了後、隣りの龍虎殿に移って、そこで各自法名と記念品などを受け取る。ちなみに、筆者の法名は「釋清真」(しゃくしょうしん)である。


 左に「本願寺々務・専真」とあるのは、門主・光淳師の法名ということだ。


 法名の清真とは「出拠経典・御本典(信巻)」の原文では「如来以清浄真心」(如来、清浄の真心をもって)ということである。


 解説に「このご文は『顕浄土真実教行証文類』「信巻」の一節です。ここでは、三心一心の問答が示されています。無疑の一心で往生する理由に疑いをもつ私たちのために、その一心には阿弥陀如来の真実心(至心)と、無疑心(信楽)と、衆生を浄土に往生せしめんとする欲願心(欲生)との三心の徳があることを示されています。『清浄の真心をもって』とは阿弥陀如来の至徳の成就する心を表したご文です」とある。


 法名には「光」は門主一族は別にして、基本的に使われることはないとか。稲川住職の法名「釈公真」も北山浄光寺の住職であれば「光」であっても不思議ではない。公はたぶん「光」の代わりであろう。真心のある、その働くところに「光明」はあるということではないか。


 阿弥陀籤で門徒総代になったわれわれ3人の法名も、まさにそれぞれにピッタリであって、今回も阿弥陀如来の法力を実感する貴重な機会となった。


 帰敬式には1万2000円の実費が必要になるが、数珠や式章などの記念品がお土産代わりになる。お金を惜しんでいる場合ではない。



 住職補任式とは?


 その後、雨の中、本来の目的である住職補任式のため、8時15分「安穏殿」に移動。住職らが着替えた後、住職と門徒総代2人一組で阿弥陀堂に移動する。


 スケジュールは8時30分集合、9時15分から習礼(式の予習)と称するリハーサルがあって、10時に御門主様が登場して、補任式が始まった。


 各自、順番に名前を呼ばれると、正面の光淳門主から作法に則って、一人ずつ賞状と記念品をいただいて、元の席にもどる。


 当日の参加者は、北海道から九州・熊本まで、全28組である。総代は3人まで参加できるが、多くの教区が住職と総代1人での参加という中で、3人参加の北山浄光寺が有力寺院のように見えてくる。


 無事、式が終わると、全体を2組に分けて、阿弥陀堂の階段前での記念撮影を行う。その日は、朝のお勤めから帰敬式、補任式、写真撮影、そのそれぞれに御門主様が臨席するという、何度も御門主様と身近に接する一日となった。


 聞けば、そんな機会など滅多にない「ラッキー!」で特別な一日だったようである。


 梅雨時の暑い京都での2日間は、親鸞聖人・浄土真宗・北山浄光寺そして、信仰が身近なものに感じられるありがたい体験となった。


 特に、帰敬式について、まったく知らなかったが、その意味を知れば、総代に限らず、門徒すべてが本山にツアーを組んで、臨むべき重要なものだとの感を深くした。


 しかも、浄土真宗では仏壇には位牌ではなく、法名軸などを飾るのが、本来の在り方だという。「そうなんだ」というか、手に取るように知らないことばかりである。


 すべてが終わって、安穏殿にもどると、まだ11時30分である。朝が早いと、一日が長い。


 弾丸ツアー?


 予定では、伊丹行きのバスの時間までは「自由時間」だが、雨の中、やることは限られる。


 とりあえず、昼食は「伊勢丹」9階の「京のおばんざい」を謳った食堂に入った。みなさん、鴨肉と魚の照り焼きなどを主菜に、おばんざい数種類がセットになっているメニューである。


 すでにほぼ満員の席は、ほとんどが女性たち。みんなビールや日本酒、ワインを飲みながらランチをしている。男性はたまに老人客がいるぐらいで、さすが伊勢丹という感じである。


 昼食を終えて、予定の時間まで、地下で京都土産などを買ったりしていたが、旅に出れば、どんなハプニングが起こるかわからない。


 内容はさておき、まさかの時間つぶしができて、早めに空港に向かうことにした。


 雨が激しくなる中、八条口に行くと、すでにバスを待つ客が並んでいて、ほどなくして来たエアリムジンで伊丹空港に向かった。


 早めに着いて、空港ビルの上の階にある「カフェにでも」ということで、晴れていれば飛行機を見る親子連れやカップルが目立つデッキ脇のカフェに入った。


 コーヒーを飲みながら、ほとんど客もいない静かなカフェで、新潟の話などをしているうちに、フライトの時間になった。


 午後5時40分発の飛行機で、帰りは1時間後に新潟空港に着陸。無事、2日間のタイトなスケジュールの京都「弾丸ツアー!」は終わった。

 
 
 

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