1400年ぶりの女帝の誕生と自民大勝選挙について 政党の歴史に見る野党と公明党の矛盾と弱点 無名ジャーナリスト・早河策毘頼
- vegita974
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1400年ぶりの女帝の誕生と自民大勝選挙について
政党の歴史に見る野党と公明党の矛盾と弱点 無名ジャーナリスト・早河策毘頼

永田町駅の“悪臭”
2026年1月23日に衆議院が解散して、2月8日の選挙はほとんど誰も予想できなかった自民大勝で終わった。“高市劇場”はまだまだ続きそうである。
解散の当日、自民党本部の様子はどんなものかと思って、永田町駅に降りてみた。自民党本部に近い階段を登っていくと、待っていたのは鼻がひん曲がるような悪臭であった。前を行く人物が、強烈なオナラをこいたのかと思ったが、そんな訳はない。
東京はいろんな場所で、ごみやガス、下水などの悪臭・異臭を感じることは少なくないが、自民党本部に向かう階段出口の悪臭は、飛び抜けていた。自民党の閣僚・議員の先生方は車での移動で、ふだん駅の階段など通ることはないため気がつかないのかもしれない。だが、もしかしたら、それは長年の腐敗した保守政党・自民党を発生源とする悪臭ではないのか。当事者は案外、自分の悪臭には気がつかないものだ。
選挙政策・公約を語る前に、まずは自民党本部に至る永田町駅の悪臭を何とかするのが先ではないのか。そんなことを感じた永田町散策となった。その場限りの永田町政治に毒されて、クサイ臭いの元にまでは、なかなかたどり着かない。大手メディアが報じない意外な真実の一例である。
公約など、政策を掲げての戦いが本来の選挙戦の在り方だが、実際の選挙になると、政党もメディアも「政策」という表現を使ってはいても、結局のところは政局しか語れない現実がある。
解散前、急遽、立憲民主党と公明党連立による「中道改革連盟」が発足したのは、その象徴的な展開だが、1+1が2になるならさておき、結果は存続が危ぶまれる解体の危機にある。
元左翼出身者が多く、いまなおリベラルを掲げるマスメディア並びに野党は「理由なき解散」とか批判していた。まあ、言いたいことはわかるが、左翼の時代を生きた高齢者同様、週刊誌は相変わらず裏金を問題にして、首相の部下と統一教会との関係ネタを探し出して、足を引っ張っている。新聞をはじめとしたメディアでの反高市キャンペーン(?)は、すでに新聞・活字メディアの時代ではないことを証明するかのように、何の影響力も発揮できないまま、高市圧勝となった。
その報道と結果を見ても、政局を語るだけで、歴史とともに語ろうとの視点が欠如している。大手メディアが報じないのは、すでに指摘してきた高市首相の歴史的な意味の他にも、例えば立憲民主党の出自並びに公明党の弱点などがある。
高市首相については、推古天皇以来、1400年ぶりに誕生した女帝であると、メディアが伝えない、その歴史的・時代的な意味を「ウエルネス@タイムス」第51号でレポートしている。「最強の野党の誕生」と自画自賛の立憲民主党+公明党の“出自”並びに“弱点”を絡めたレポートも、特に見当たらない。今回、あえてレポートする理由である。

立憲民主党+公明党の“出自”
立憲民主党の出自を考えたとき、日本の野党、つまりは社会主義政党の歴史ということでは、戦後間もない1947年5月に誕生した片山哲首相が最初である。近年では、自民党と社会党とさきがけとの連立によって、1994年7月、47年ぶりの社会党首班内閣となった村山富市首相など、大雑把に分類すると、やや強引だが、その特徴は以下のような具合である。
野党である社会党・民主党などは、知識人・労働組合等の出身者に顕著だが、頭を使う「知力・頭脳」に頼る傾向がある。一方、保守の自民党は官僚・企業経営者等、左翼よりは肉体を使う「体力・筋肉」と言えないこともない。事実、野党出身の首相の特徴は、みなさん体力が持たずに辞任している。
戦後初の社会党首班となった片山哲氏は、クリスチャンでもあり「高潔な人柄」で知られていた。だが、党内派閥(左右)との勢力争いなどのゴタゴタもあり、8カ月の短命内閣となっている。
自由党・鳩山一郎の後を継いで、1956年12月に首相になった「東洋経済」創業者である石橋湛山首相は、社会・民主党ではないが、期待された知識人内閣である。結局、病気には勝てずに、65日の短命内閣となった。
村山首相は就任後まもなく行われた国際舞台イタリア・ナポリサミット開会前のレセプションで腹痛と下痢を起こして中座し、翌日も体調不良のため一部会議を欠席している。
その昔、ノンフィクション作家・上之郷利昭氏が月刊誌で連載した戦後の総裁戦史の取材の手伝いをした際、当時を知るジャーナリスト(新聞記者)から聞いた話を思い出す。
期待されて誕生した社会党内閣だったが、首相の激務に耐えきれず、国会でも「疲れて居眠りをしていた」とか「総理がこんなに忙しいとは思わなかった」と、ボヤいていたという。村山首相のイタリアサミットでのことは、まだ記憶に新しいはずだが、創価学会スキャンダルなど、リアルタイムで知っている大手メディアはいない時代ということか。
1969年に起きた評論家・藤原弘達氏が書いた本『創価学会を斬る』(日新報道)に対して、出版を中止させようと圧力をかけた、いわゆる言論出版妨害事件は、当時の大きな社会問題となった。民主主義のルールを無視する創価学会の強引なやり方に、学会批判が頂点に達して、池田大作会長への国会証人喚問の要求まで出た。困った公明党の竹入義勝委員長が、当時の自民党・田中角栄幹事長に泣きついて、事件は何とか終息に向かった。
結果、公明党との縁が生まれたことにより中国とのルートができて、田中首相時代に日中国交正常化が実現したわけである。その中国では、井戸を掘った人を大事にするということで、娘の田中真紀子氏が訪中すると、国賓待遇を受けると報じられてきた。
一方の公明党は、今回、高市首相が誕生すると、連立を離脱して、かつての政敵・立憲民主党と連立して「中道改革連合」を結成した。井戸を掘った自民党に反旗を翻して、自民党との関係を無きものにしているわけである。その決断は人として、また政党として、どうなのか。いろんな理屈はあるとしても、義理と人情を重んじる古くからの日本の伝統文化からは、あまり誉められたことではない。

「笑うから楽しい」
今回の選挙では、母親とともに投票所に足を運んだという20代女性が、特定の支持政党を持たないが、高市首相になって、自民党のイメージが変わったことから「今回は自民党に入れないといけない」との母親の言葉に従ったという。そんな声がメディアでも、よく流れていた。典型的な、今回の選挙の投票行動・心理である。
暗い世界の中で、相変わらず暗い日本。世界の戦争・格差・分断の他、直接の戦争こそないとはいえ、日本社会も確実に“対立”が進行して、格差・分断・ステルス不況(デフレ?)が当たり前になっている。目先の問題を直視すれば、悲観と落胆、諦めしかない。
今回落選した経済評論家・海江田万里氏なども「悪いけど、彼女は経済オンチですよ」と発言して、一部で話題になっていた。同じ業界で仕事をしていた相手だけに、懐かしい名前だが、評論家の本領、要は言うのは簡単だが、日本の失われた30年は、彼が言う経済の専門家がリードしてきた結果である。
どんよりと暗い日本から、気分だけでもパッと華やかに、表情だけでも明るく笑顔でいくしかないと思う。海江田氏なども、本来はポジティブ思考を推進してきたはずだが、やってもいない前からできないことを前提に語る。左翼やリベラル優先の野党は、中国の手先とかずいぶん指摘されてきた。結果的に、日本弱体化の先兵の役割を担ってきたということだ。
どうするかを考えたとき、開き直って、明るい社会を思い描くしかないだろう。そこでのヒントは、笑えば楽しいという思考のメカニズム、行動様式の導入である。1400年ぶりの女帝・高市内閣が誕生した結果の、今回の自民大勝は「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」との近年の行動科学の成果を思い出させる。
「笑うから楽しい」とは、19世紀のアメリカの心理学者ウイリアム・ジェームスとデンマークの生理学者カール・ランゲによって提唱された理論「ジェームス=ランゲ説」として知られるが、つまりは刺激に対して、まず体が反応して、その後、感情が生まれるとの理論を提唱。今日、その正しさが実証されている。たぶん、大衆、若者が高市首相を支持する理由である。

歌手・武田鉄矢コメント
選挙を前にした2月3日のフジテレビ「サンシャイン」で、歌手・武田鉄矢氏が高市首相の人気について、注目すべき発言をしているとして、ネットニュースになっていた。
FNN全国電話調査の結果、自民党圧勝予測を受けて、彼は「日本全体の中に、今まとまるべきではないかという無意識の決意みたいなものがある」とコメントし、日本全体が高市・自民党を支持することで一体感を求めているのではないかとの見方を示した。
彼は2025年10月の高市首相誕生時に、番組内で涙を流し、彼女を「卑弥呼」に例えて「私にとっては信仰の対象」と発言したのだとか。ヘビーメタルバンドのドラマーでもあった彼女には、同じミュージシャンとしての親近感があるのかもしれない。
さすがに、卑弥呼発言には多くの批判が寄せられたということだが、それは日本の歴史を見れば、もともと日本には天照御大神がいるし、大きな歴史的な節目には、女神や女帝などの女性が登場する。「推古天皇以来、1400年ぶりの女帝の誕生」である。そこに意味があると考えれば、その持っている意味を生かすしかないということだ。その意味では、問題発言も多いとはいえ、武田発言はいいところを突いている。
「男は敷居を跨げば7人の敵あり」と、ことわざにはある。ライバルの他、嫉妬、足を引っ張る勢力など、多くの敵がいるが、ガラスの天井を破ったとされる女性であれば、なおさらである。そんなことはわかった上で、なお高市首相には元やくざ(?)の女、ヘビメタバンドのドラマーといった男勝りの強さがある。「働いて働いて働いて働いてまいります」との発言が、2025年の流行語大賞を受賞した。
時代錯誤と言われるが、労働が古来「罰」の結果とされる欧米とは異なり、日本では働くことは「端を楽にする」ことであり、仕事つまりは商売(商い)は「飽きない」ことである。彼女の発言は、そんな日本古来の在り方を、この時代に改めて宣言して、そのやる気に多くの者が勇気をもらって、その手腕に期待しているわけである。

3万円のカタログギフト
2月下旬には、高市首相が自民党の全議員に「当選祝い」のカタログギフト3万円分を送ったとして、野党をはじめメディアで大騒動になっている。石破茂前首相が衆院一期生に10万円分の商品券を配って、批判を浴びたことがあったため「またか!?」とか「まだ懲りないのか!」と、元左翼・リベラル主体のメディアなどが、裏金問題など、金を巡る悪弊の復活だとして張り切っている。
これまた、彼女は昔からある日本人の習慣、感謝・思いやりの風習を、改めて政治の場で示しただけのことではないのか。左翼・リベラルの声の大きさの結果、近年の政界からは、日本の古くからの慣習、例えば御中元・御歳暮などの贈答行為は、賄賂・裏金として表向き排除されている。
結果、法の抜け道、悪知恵を絞って、各々勝手な理屈を展開するなど、余計な苦労を強いられている。賄賂は明らかな犯罪行為であるが、賄賂と裏金の線引きは難しい。裏金も使い道によっては、有意義な資金源である。いつも言うことだが、金に罪はない。左翼団体では、お盆や年末年始に「カンパ」と称する一時金を、毎年、募っている。小学生に聞くまでもなく、裏金もカンパも同じお金でしかない。
世間ではいまも、御中元御歳暮は行われているが、最近は贈るほうも受け取るほうも、だいぶ肩身が狭いのではないか。使い方によっては、裏金・賄賂そのものである。そうした見方、声によって、どんどん日本の弱体化が進んでいく。高市首相はそうした流れに、少しは歯止めをかけようとしているのではないのか。そんな気がする自民大勝・カタログギフトである。



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