「ライオン」創業者・小林富次郎の実像(18) 小林氏の「聖書日々実行録」(先代の言葉)2月について
- vegita974
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「ライオン」創業者・小林富次郎の実像(18)
小林氏の「聖書日々実行録」(先代の言葉)2月について

「私の聖書物語」?
当たり前だが「聖書」に関しては、いろんな人物が本にしている。教会関係者はさておき、多くの信者、特にキリスト教の洗礼を受けた作家たちが「聖書物語」「イエス・キリスト伝」などを書いている。
どのような思いで書いているのかは、想像するしかないが、小林富次郎氏の「聖書日々実行録」(先代の言葉)の「聖書の句」を書き写していると、それは小林氏自身並びにライオン従業員に向けた、小林氏なりの「私の聖書物語」ではないのかと思えてくる。
もっとも、一般的な日本人には、そんな「聖書」の内容も、キリスト教の成り立ちも、歴史の教科書などで習ったことはあっても、イスラエル・パレスチナ問題同様、何度聞いてもわからない。というか、すぐに忘れてしまう。
そんなこともあり、改めてお復習いするならば「旧約聖書」は「ヘブライ語聖典」と呼ばれるユダヤ教の聖典である。神の啓示が記されている。
紀元前1300年ほど前、イスラエルの民は指導者モーセ(予言者)に率いられて、エジプトを脱出、約束の地を目指して荒野をさまよった。その途上、モーセはシナイ山で神と出会い、神の掟(律法)を授けられた。この神とイスラエルの民との間で交わされた契約が「旧約聖書」である。
一方、イエスは「旧約聖書」に基づいて、独自の新しい生き方と教えを説いた。それが「新約聖書」であり、イエスの言葉や行動を記した4つの福音書と、イエス復活後の弟子たちの活躍を伝えた使徒行伝(使徒言行録)、弟子たちが信者たちにあてた手紙類、ヨハネの黙示録(預言書)からなる。
福音書とは「幸福のたより」の意味であり、イエスによって人類が救われ、神の国が実現することを記している。

「聖書日々実行録」(先代の言葉)2月
2月1日 「天父の御心に従う者はキリストの兄弟なり」
「聖書の句」 ある人がイエスに言った。「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます。イエスは、知らせてくれた者に答えて言われた。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた。「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。(「マタイによる福音書」第12章47以下)
2月2日 「恵みに恵みを加えられる」
「聖書の句」 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるであろう。(「マタイによる福音書」第13章12)
2月3日 「知恵と知識と一切はキリストに秘蔵されている」
「聖書の句」 天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。(「マタイによる福音書」第13章44)
2月4日 「一切の世のものより、天国は勝れる」
「聖書の句」 天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。(「マタイによる福音書」第13章45以下)
2月5日 「哲人は知られず」
「聖書の句」 「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」。(「マタイによる福音書」第13章57)
2月6日 「この世を恐れるなかれ。ただ信ぜよ」
「聖書の句」 弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。するとペテロが答えて言った。「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼はさけんで「主よ、お助けください」と言った。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。(「マタイによる福音書」第14章25以下)
(※ペテロとは、本名がシモンのため「シモン・ペトロ、ペトロ、ケファ」とも呼ばれる。ペトロもケファも岩の意味であり、いわゆる12使徒の一人、イエスの一番弟子である。「水上を歩くイエスの話」は有名だが、2月8日の「聖書の句」ではペテロを「サタン」と呼び、彼の裏切りを予告している。その彼はイエスの死後、再び信仰の道に全身全霊を捧げ、宣教のためローマに渡り、バチカンの初代教皇となっている。)
2月7日 「金言」
「聖書の句」 イエスは群集を呼び寄せて言われた。「聞いて悟るがよい。口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。そのとき弟子たちが近寄ってきてイエスに言った。「パリサイ人(びと)たちが御言(みことば)を聞いてつまづいたことを、ご存じですか」。イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう」。(「マタイによる福音書」第15章10以下)
(※ライオン創業者・小林富次郎氏が、この聖書の句を「金言」としている真意は、明らかではないが、彼は人の悪口などを言わなかったとされる、その生き方、信仰生活、従業員などへの接し方、すべて自らの行動を律する基本にしていたからであろう。ここでの「つまづいた」との表現は、日本語としておかしいようにも思うが、小林氏の「聖書の句」では「パリサイ人、此言を聴きて厭い捨つるを爾(汝)知るか」となっている。なお、パリサイ人は「ファリサイ人、ファリサイ派」とも表記される。律法学者など、律法(神の掟)の遵守にばかり固執し、肝心の信仰心が伴っていなかったとの逸話である。)
2月8日 「人のことは思わず、神のことを思え」
「聖書の句」 イエスは振り向いて、ペテロに言われた。サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、何の得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。(「マタイによる福音書」第16章23以下)
(※「もし、人が全世界をもうけても」とは、日本語として不自然だが、小林氏の「聖書日々実行録」では「若し人全世界を得るとも」となっていて、普通にわかりやすい。)
2月9日 「弟子を励まし、また我を励ます」
「聖書の句」 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう」。(「マタイによる福音書」第17章20以下)

首領たる者の心得るべき奥義
2月10日 「謙遜」
「聖書の句」 弟子たちがイエスのもとにきて言った。「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて言われた。「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである」。(「マタイによる福音書」第18章1以下)
2月11日 「諫言の方法」
「聖書の句」 もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。もし、聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい」。(「マタイによる福音書」第18章15以下)
2月12日 「財をたのむ者とならず、義のためこれを使う者となれ」
「聖書の句」 イエスは弟子(でし)たちに言われた。「よく聞きなさい。富んでいる者が神の国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。弟子たちはこれを聞いて非常に驚いていった。「では、だれが救われることができるのだろう」。イエスは彼らを見つめて言われた。「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。(「マタイによる福音書」第19章23以下)
2月13日 「いやしくも首領たる者の心得るべき奥義」
「聖書の句」 あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕(しもべ)とならねばならない。それは人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである。(「マタイによる福音書」第20章26以下)
2月14日 「後悔は神の心にかなう」
「聖書の句」 イエスは言われた。「よく聞きなさい。取税人と遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人と遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった」。(「マタイによる福音書」第21章31以下)
2月15日 「神に帰すべし」
「聖書の句」 彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。(「マタイによる福音書」第22章21)
2月16日 「神を愛すべし」
「聖書の句」 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた。「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。(「マタイによる福音書」第22章36以下)
2月17日 「謙遜をまとえ」
「聖書の句」 あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。(「マタイによる福音書」第23章11以下)
2月18日 「内を清めよ」
「聖書の句」 偽善な律法学者、パリサイ人(びと)たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲(どんよく)と放縦とで満ちている。盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。(「マタイによる福音書」第23章25以下)

ノアの洪水
2月19日 「心の備えをせよ」
「聖書の句」 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使(みつかい)たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水(こうずい)の出る前、ノアが方舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして、洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。(中略)だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけないときに、人の子がくるからである。(「マタイによる福音書」第24章35以下)
2月20日 「全能の父に任せ奉る」
「聖書の句」 「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままではなく、みこころのままになさってください。(「マタイによる福音書」第26章39)
2月21日 「敵を友と呼ぶ」「剣を取る者は剣にて滅ぶ」
「聖書の句」 イエスは彼に言われた。「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。すると、イエスと一緒にいたひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕(しもべ)に切りかかって、その片耳を切り落とした。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」。(「マタイによる福音書」第26章50以下)
2月22日 「心の貧しき者は真の信仰が得られる」
「聖書の句」 百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。(「マタイによる福音書」第27章54)
(※「百卒長」とは、古代ローマ軍の百人隊ケントゥリアの指揮官のこと。日本では「百人隊長」「百卒長」と訳される。軍団の中核を担っていることにより、ローマ軍団の背骨とされる。)
2月23日 「万国の民を教えよ」
「聖書の句」 イエスは彼らに近づいてきて言われた。「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。(「マタイによる福音書」第28章18以下)
2月24日 「子の喜びは親の喜び、人の喜びは神の喜び」
「聖書の句」 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。私たちが水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下ってくるのを、ごらんになった。すると、天から声があった。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。(「マルコによる福音書」第1章9以下)
2月25日 「主の同情」
「聖書の句」 イエスのうわさは、たちまちガリラヤの全地方、いたる所に広まった。それから会堂を出ると、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレとの家にはいって行かれた。ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床についていたので、人々はさっそく、そのことをイエスに知らせた。イエスは近寄り、その手をとって起こされると、熱が引き、女は彼らをもてなした。(「マルコによる福音書」第1章28以下)
(※シモンは、12使徒の一番弟子ペトロのことであり、アンデレはその弟である)。
2月26日 「祈祷の心得」
「聖書の句」 朝はやく、夜が明けるよほど前に、イエスは起きて寂しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。(「マルコによる福音書」第1章35)
2月27日 「人の真価」
「聖書の句」 安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである。(「マルコによる福音書」第2章27以下)
2月28日 「人の安息日に主たる権威」
「聖書の句」 イエスは片手のなえたその人に、「立って、中に出てきなさい」と言い、人々にむかって、「安息日に善を行うのと、悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらが良いか」と言われた。彼らは黙っていた。(「マルコによる福音書」第3章3以下)
2月29日 「教えを撒く者」
「聖書の句」 良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである。(「マルコによる福音書」第4章20)



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