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「仏教看護・ビハーラ学会」第19回年次大会に行く @タイムス情報

更新日:2023年7月5日


 「仏教看護・ビハーラ学会」第19回年次大会に行く @タイムス情報
  文化人類学者・上田紀行氏、宗教学者・鎌田東二氏などの錚々たる顔ぶれ


 13年ぶりの新潟での開催

 2023年6月10日、半袖でも蒸し暑さを感じる初夏の一日、「仏教看護・ビハーラ

学会」の会場となっている曹洞宗・大栄寺(新潟市東区)に出かけてみた。

 同学会協賛の「ささえあい生協」(ささえあいコミュニティ生活協同組合新潟)の高見

優代表理事から「ウエルネス@タイムス」編集部にイベントの案内が届いていたためだ。

 大会は対面とリモートのハイブリッド開催で、非会員の参加費(対面)は7000円。

気分的には御布施か寄付代わりである。

「仏教看護・ビハーラ学会」第19回年次大会(2日間)というから、どんな様子かと思

って来てみると、お寺の大広間に100名近い参加者が集まっていた。

 今回のテーマは「いのちのインクルージョン~対話の力を信じて~」で、基調講演は文

化人類学者の上田紀行氏(東京工業大学副学長)、コメンテーターを神道ソングライター

との異名を持つ宗教学者の鎌田東二氏(京都大学名誉教授)が務める。

 シンポジウムにはシンポジストの一人として、ラジオの人生相談でパーソナリティをし

ている尼僧の玉置妙憂氏(非営利一般社団法人大慈学苑)も登場。オンラインでの参加予

定だった九州の浄土宗・真福寺の堀眞哲住職(テラネット代表)は、オンラインでは寂し

いと、リアルな場でみんなと語り、お酒も飲みたいといって駆けつけた熱血和尚である。

3・11東日本大震災支援では「移動居酒屋」などを繰り広げて、メディアでの取材も多

い。

 その他、新潟で13年ぶりに開催されるビハーラ学会は、上田氏並びに鎌田氏、シンポ

ジウム参加者など、宗教を語るには、かなり豪華というか、貴重な顔ぶれである。

 開演に先立ち、会場を提供してくれた大栄寺の五十嵐紀典住職があいさつに立って「輪

廻転生」など、仏教にまつわる話をしていた。

 生まれれば、人はみな死んでいく。因果は巡り、死して土に帰り、それで終わりという

のが、近年の人間の考え方のようだが、当たり前に考えれば、仏教の知恵に限らず、昔か

らの教え、例えば「お天道様が見ている」「現世で過ちを犯しても来世がある」と思えば

誰しも積極的に悪事をなそうとは思わないだろう。

 とはいえ、お天道様も来世も科学万能の現代は、エビデンスの有無と再現性が実証でき

ないとかで「ナンセンス」とされる時代である。代わりに監視カメラが人々の行動をチェ

ックする。

「ウエルネス@タイムス」としては、そんな時代に行われてきたビハーラ学会の使命とと

もに、仏教の役割は何かが気にかかる。




 世界全体が病んでいる中での仏教看護

 ビハーラとはサンスクリット語で「精舎・僧院」を意味するそうだ。心身の安らぎ、休

息の場所であることから、1985年に「仏教を背景にしたターミナルケア施設」として

の仏教看護の場をビハーラと名付けたという。要は、仏教による傷病者の世話である。

 大会は、1日目が終わると、懇親会および夜の部が始まる。上田氏の他、主催者あいさ

つに「法螺貝と歌で大会を盛り上げてくれる」と書かれている芸達者な鎌田氏など、本大

会以上に、いわば夜の部が学会関係者の重要な交流・情報交換の場となっているようだ。

 一世代前の宗教関係者を見てきた「ウエルネス@タイムス」記者とは、一世代ちがう印

象から、改めて思うことは、案外、上田・鎌田両氏はオウム真理教や幸福の科学、あるい

は統一教会にだまされることはなかったのではないかということだ。

 上田氏も講演で語っていたが、父親が家族を捨てて家出したり、演劇少女だったという

母親はその後、翻訳家デビューして、アメリカに行くなど、小説のネタになりそうな苦労

をしている。鎌田氏はいまはステージ4の大腸ガンに悩まされているというが、宗教だけ

ではない、他の世界を知っている。

 大会長の今村達弥・ささえ愛よろずクリニック院長は「地域精神医療のロマンとリアル

~宮沢賢治に導かれて~」をテーマに、新潟大学医学部時代の上田氏、鎌田氏との関わり

とともに、ささえ愛よろずクリニックの設立に至る経緯など地域医療への取り組みを語っ

ている。

 基調講演では上田氏が「開かれた仏教と未来」をテーマに、自らの体験と仏教との縁と

ともに「仏教はリベラルアーツの究極である」と語り、若手僧侶を集めた「ボーズ・ビー

・アンビシャス!!」の取り組みなど、仏教の面白さ、可能性を語って、会場を盛り上げ

ている。

 その後、1日目のシンポジウムでは「社会にアウトリーチする仏教」をテーマに、西岡

秀爾・曹洞宗崇禅寺住職(東方学院講師)、伊藤竜信・浄土宗西蓮寺住職(臨床仏教師・

米沢わげんの会代表)、玉置妙優氏、堀眞哲氏の4名が、それぞれの体験に基づく取り組

みを紹介している。

「アウトリーチ」とは出張よろず相談とのことである。どれもみな、聞いていて頭が下が

る取り組みである。



 「がんばれ仏教」の先にあるもの

 2日目は失礼したが、午前中から学会員による研究発表、午後は「コミュニティの人柱

とならん~開拓する地域包括ケア~」をテーマに、上馬場和夫・日本アーユルベーダ協会

理事長、高瀬顕功・浄土宗法源寺副住職(大正大学社会共生学部専任講師)、大河内大博

・浄土宗願生寺住職、石川麗子・訪問看護ステーション街のイスキア代表理事によるシン

ポジウムが行われている。

 仏教看護に限らず、同様のイベント、取り組みは至る所で行われている。シンポジウム

の参加者を含めて、それらの取り組みがどれだけ世の中を変える力になっているのか。活

動は盛んでも、また結果もある程度、充実したものであっても、その影響・波及効果はな

かなか見えてこないのが実情ではないだろうか。

 そんな、仏教看護以上のことを考えたくなるのも、同学会の開催中にも、ロシア・ウク

ライナが当たり前に戦っている。日本も巻き込まれつつある中で、そこにこそ世界のリー

ダー、いい歳をした大人たちがつくり、いまなお支配している時代の真相があるからだ。

 あまりにナンセンスで悲惨な世界を前にして、やるべきこと、そして実際にできること

は、明るい未来をつくることでしかない。その意味でも、唯一の期待は、いまとはちがう

次の時代を担う人たちとともに、世代交代の時を待つのみである。

 それまでにできることとは、何か。仏教に限らず、一人の人間として、やるべきことは

明確である。それぞれの得手不得手、使命に従って生きる。それが明るい未来につながる

には、ただ平和に徹する、戦争はしない。それだけのことである。

 そんな当たり前が通用しない中で、かつて、仏教がどれだけのことをしてきたのか。時

代背景・環境等がちがうとはいえ、振り返ることは無駄ではないだろう。

 そこからは、今日のビハーラ学会に期待されるのは、仏教看護らしく精神文化面を含め

た赤十字か国境なき医師団のようにも思えてくる。

 もちろん、仏教看護のビハーラ学会は、そんな大それたことを目的にしているわけでは

ないのかもしれない。だが、宗教界に限らず、日本あるいは世界中で続けられている様々

な平和や連帯、世直し等の活動・取り組みの一方で、なぜかほとんど変わらない現状があ

る。

 上田氏の「がんばれ仏教」(NHKブックス)は2004年に刊行された本のタイトル

だが、まさに「がんばれ仏教」の先にあるものこそが、いま問われている。



 日本にあった国民運動の歴史

 昔とちがって、多方面から様々な情報が大量に飛び交って、ほとんど収拾がつかない。

便利な時代は、その取捨選択もコンピュータ任せで、いまやAIを頼らずには何もできな

いような状況にある。

 危機なのか、チャンスなのか。変革を求める声は世間に充満している。

「現在は、そんな時代の変わり目にある」との指摘も、個人的な体験を顧みれば、40年

前から、言われていたことでしかない。ということは、実は100年前も、1000年前

も同様で、濁りきった闇から光の世界へ、末法から正法の時代への転換が語られてきた。

 例えば、奈良時代に天皇周辺における権力闘争、天然痘の流行など、10年以上も荒れ

た時代が続いた。そこで、聖武天皇は国家の安泰と民衆の安寧をはかるには、仏の力に頼

る以外にないと、行基を日本で初めて大僧正に任じ、大仏建立を進めている。その難事業

を実現するために起こしたのが「一枝の草、一把の土を持って像を助け造らん」と願う人

々の協力を求める民衆運動であり、その結果、実現できたのが東大寺の大仏である。

 あるいは、明治天皇の崩御後、100年を視野に入れた明治神宮の森づくりもまた、全

国から必要な樹木を寄進してもらう形で進められた壮大な国民運動の成功例である。

 日本そして世界の置かれた状況を、冷静に客観視するとき、今日ではただの法螺話にし

かならないとはいえ、そのぐらいの気宇壮大な構想のもとに何かをやらなければ、自己満

足のイベント商法、講演会ビジネス、スピリチュアルおたくのゲームの域を出ることはな

いだろうというのが、ビハーラ学会を見ての感想である(※人のことは言えない。明日は

我が身というのが、世の中の法則である。お前はどうなのだ、と言われた時の答えは、別

に用意してある)。

 そんなことを考えながら、ここ日本でできることはそんなにないようにも思うが、実は

いま世界に必要とされているものの多くが、日本にはある。問題は、いかに世界にメッセ

ージするかである。

 京都に行くと、例えば浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺では、地方からの門徒が参加

したツアー客の他、外国人の姿も目にする。

 その意味では、日本の神道、仏教、和の文化、道の文化、それらがマンガやアニメなど

を通じて、世界に浸透しているのが、わずかな光明である。


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