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「山脇服飾美術学院乗っ取りという『悪事』を犯した“善人”たちに告ぐ!」第2弾 「悪人」が頼りの受任弁護士の仕事とは? 無名ジャーナリスト 早河策毘頼

「山脇服飾美術学院乗っ取りという『悪事』を犯した“善人”たちに告ぐ!」第2弾

「悪人」が頼りの受任弁護士の仕事とは?

無名ジャーナリスト 早河策毘頼

山脇美術専門学校の口臭問題

2026年3月26日、「山脇服飾美術学院」乗っ取りの主人公である清水カツ子理事長に「ウエルネス@タイムス」第56号のコピーを携えて、辞任を勧めるとともに、とりあえずの取材のお願いをするため、直接訪ねていった。

突然の訪問でもあり、春休み及び年度末という微妙な時期である。別用があり、対応できないとのことなので、後日、手紙を送ることにした。以下、その文面である。よく読めば、無名ジャーナリストがいかにどうでもいい問題に関してまで、同組織の人間以上に彼らのことを気にかけているかがわかるはずである。


   *   *


前略 先日学校を訪ねていったジャーナリストです。

「略歴」等、持参いたしましたが、もう少しわかりやすいジャーナリストとしての立場は、一般的には『読売年鑑』の分野別人名録(報道)に記載されていることからわかっていただけるのではないかと存じます。お忙しいところ、清水理事長に余計なご心配、ご迷惑をおかけしているとすれば、これもジャーナリストとしての務めであると、お許しいただければ幸いです。

私がわざわざ訪ねていったのは、いまの時代、かえって面倒なことのようですが、古いタイプの日本人・ジャーナリストとして、立場のある相手に、気軽に電話やメールで済ませるのは失礼だと考えて、あえて通常は手紙で、相手によっては直接、出向いていくことにしています。先日の訪問は、その一環です。

「山脇服飾美術学院」創業の時代、交流のあった夏目漱石に限らず、当時は便利な通信手段もないため、訪問し合うことが当たり前だったこともあります。お互い面倒なことではあっても、どこでも直接、訪ねていけば、普段はわからないことも明らかになります。

私の思いは、レポート(「ウエルネス@タイムス」第56号)に書いてある通りです。改めて、一度、訪ねていって、清水様並びに吉田氏の考えを聞いた上で、辞任をお勧めしたいと考えている次第です。都合の良い日時を教えていただければ、幸いに思います。

なお、先日、お訪ねした際、代わりに私の名刺を持って対応していただきました秘書役の総務担当者の方でしょうか。「秘書ではない」との意思表示なのか、「理事長の代わりに責任を負うつもりはない(直接、理事長に連絡して)」とのことなのか、あるいは名刺代(?)を惜しんでなのか、自分の名刺は出さないため、こうして改めて理事長宛てに手紙を書いている次第です。

一般的な日本の慣習、特にビジネス社会では、名刺を出した相手には名刺を出すことが当たり前のマナーになっていて、私が知る世界では、名刺を切らしていることを含めて、このような対応は失礼なことということになります。ジャーナリストにとっては、たまにないわけではありませんが。

まあ「山脇は大丈夫なのか」と思いつつ、それも学校の方針なのか、理事長の社員教育がなっていない結果なのか、社会人としてのお粗末な対応に、いささか驚いています。

以下、蛇足ですが、当日、対応に出た男性の口臭に、久しぶりに困惑いたしました。虫歯がひどいのか、多忙や極度のストレスのためなのかわかりませんが「口臭」は、オフィス作業の人間でも、たまに部外者との対応に出ることもあるため、本人のため、また学院の健康管理並びに人事管理の一環として、余計なお世話ではありますが、注意を喚起していただければと思います。

連れに話したところ、さほど顔を近づけていたわけではないので「あれだけ離れていても感じるんですか?」と呆れていました。私が臭いに敏感なのかどうかはさておき、通常「口が臭い!」とは、なかなか指摘しづらいところです。ぜひ「先日のジャーナリストが歯医者に行ったら」と手紙に書いてあったと伝えていただければ、私の訪問も少しは他人の役に立つことになります。また、理事長としても、多少は指摘しやすいのではないでしょうか(以下省略)。


受任弁護士の仕事?

手紙を投函後、4月半ばに連絡すると追伸していたので、電話をしようとしたところ、配達証明スタンプ付きの内容証明郵便が届いた。代理人の岩田拓朗弁護士(半蔵門総合法律事務所)からのものである。

要するに、こちらの「取材活動に対する対応その他の一切の対応を受任いたしました」とあり、山脇服飾美術学院に連絡したい場合は、代理人・弁護士までにとの内容である。「通知人に直接ご連絡することや面談することは固く禁じます」とある。

実にわかりやすい取材に対する「妨害」、実質的な「取材拒否」あるいは教育者(清水理事長)の代わりに、つまりは一人の人間としての使命・責任からの「逃亡」を助長するものである。

弁護士として情けないと思わないのかとも思うが、本人たちは正当な権利として、法律のどこかにある都合のいい法令・条文、あるいは一般人にはわかりにくい、法曹界独特の用語を使って対応したつもりかもしれない。もっとも、そうした都合がジャーナリズムに通用しないことは、不倫等スキャンダル満載の「文春報」をはじめ、テレビ・週刊誌等のメディアを見れば、よくわかるはずだ。

受任弁護士の言い分に従っていては、その手の記事やスキャンダルは、基本的に自由に報道されなくなる。特に、フリージャーナリストは赤十字などと同様、大手メディアが行かないテロや戦争の現場に、国や周りの制止を振り切って赴いていく。そこに法をもてあそぶ弁護士の入り込む余地はない。

なお「取材妨害」の実態については、受任弁護士を通じた取材(?)のシュミレーションをしてみれば、よくわかるはずだ。


(筆者)清水カツ子理事長はジャーナリストに学院乗っ取りという「悪人」のレッテルを貼られて、恥ずかしくないのですか?


(弁護士)本人に聞いてきます。


後日「恥ずかしくない」というか「答えるつもりはない」というかは、聞いてみないことにはわからない。だが、少なくとも本人の顔も表情も言葉遣いなど、感情の機微や変化がまったく見えてこない。そんな取材をなぜジャーナリストが受け入れなければならないのか。相手に「都合が悪い」以外のどんな答えがあるのか、教えてほしいものである。

あるいは「口臭問題」に関してである。


(筆者)職員の口臭問題は、ちゃんと本人に伝わったのでしょうか?


(弁護士)本人に確認してきます。


後日、どのような返事があるのか、これまた聞いてみないことにはわからない。歯医者に行ったなら、筆者の「山脇」訪問も多少は役に立つわけだが「個人情報については答えられない」との返事があるかもしれない。

いずれにしろ、暖簾に腕押しである。イチイチ「山脇」ないしは理事長本人に持ちかえって、改めて弁護士が対応する。実にわかりやすい取材妨害・実質的な拒否である。


「悪人」がビジネスパートナー?


ついでに、使い走りされる弁護士の立場並びに余計な仕事に手を出す弁護士の在り方について、どのような背景があるのかを考えてみた。

いわゆる士業は、今日では、かつての威厳と輝きを失って、しばしば「悪徳」との言葉を冠した弁護士、税理士、社会労務士、医師(医学博士)、代議士などの不祥事とともに世間を騒がせている。司法試験は昔も今も最難関とされているが、その実態は折角、取得したはずの権利と義務、崇高であるべき使命感を忘れたかのように、近年は裁判員制度と称する、いわば素人に死刑その他、重要な刑の判断を任せている。

世間を騒がせた冤罪事件、公害訴訟など、重要な仕事もあるとはいえ、多くの士業の実態は、訴訟などに典型的だが、争い、対立、犯罪その他、世間の悪事・問題等が生じたときに、ビジネスと言えば体裁がいいが、出番がやってくる。弁護士や社労士は、社会が不安定になり、事件や問題が生じれば生じるほど、その出番が増えていく。そこでの犯罪者は、彼らの重要なビジネスパートナーとなる。

かつてのサラ金訴訟、近年の過払金返還訴訟等、悪徳金融ビジネスが巡りめぐって、弁護士の重要なビジネスのネタになっているわけである。結果「受任弁護士」の一般的な業務は、インターネットで検索すれば、よくわかる。真っ先に出てくる典型的な業務内容が「債権回収・取り立て」であり、様々な弁護士事務所が、借金取り・取り立てに追われる債務者相手に、相談を入り口にビジネスにしようと乱立状態になっている。


民主主義を無視する人たち

いわゆるジャーナリズムの知る権利とは「憲法」で保証された正当な権利である。それを自分たちに都合のいい権利を持ち出して妨害行為に走るのは、自分が疚しい立場であれば、やりたくなることもわからないではないが、相手(筆者)はジャーナリストである。

あるいは、弁護士が登場してくれば、こちら側も弁護士を用意するというのが、社会一般の対処法という一面もある。それは相手にも弁護士を雇える十分な資力と余裕があるならば、まだ許せる範囲内のようにも思えるが、相手がフリージャーナリストなど、組織を持たず、十分な資金もない場合には、問題の“土俵”に上がること自体が不可能になる。

そこでの受任弁護士は債権回収、取り立てといった受任・代理には熱心でも、それはもしかしたら相手があることであり、借金で首が回らなくなった債務者の自殺などの悲劇を幇助する可能性すらあるといった想像力の欠如を吐露しているようなものではないのか。要するに、弁護士を雇えないジャーナリスト(筆者のことではないが)には、そのこと自体が取材の妨害になるということだ。

そもそも、民主主義は一人ひとりの人間との対話を元に、対立を解消する手段として、まずは話し合いを続けることの中から、決定的な対立、反発等、最終的には戦争を避ける世の中のルール、知恵として機能してきた。

そうした歴史的な慣習、伝統文化自体が危機にある今日、教育界、法曹界もまた、そうした時代に引きずられているということか。民主主義をないがしろに、教育者の責任を果たすことなく、不誠実な対応をする。また、弁護士としての職責を果たしたつもりで、ジャーナリストから「悪人」のレッテルを貼られた人物の擁護に奔走する。

一事が万事である。「取材を妨害したつもりはない」と、仮に言ったところで、ここでも人として、また教育者として、弁護士として「恥ずかしくないのか?」と問い掛けたくなる。

次回は「山脇学院の未来を考える会」から届いた問題提起文についてレポートする。卒業生の父兄による同レポートは、筆者が問題にする以前から「山脇」の将来を案じて広く学校関係者・学生たちに、どのような形で訴えたら良いのかわからないまま、とりあえず窺い知ることになった問題点をメモしてきたというものだ。「ウエルネス@タイムス」が「山脇学院の未来を考える会」からの投稿を、同じ問題意識を持つ強い味方として歓迎する理由である。

 
 
 

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