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元東京都知事・猪瀬直樹氏の“不徳”を証明する!   無名ジャーナリストの仕事  「大宅ノンフィクション賞」受賞作『ミカドの肖像』剽窃事件の真実


 元東京都知事・猪瀬直樹氏の“不徳”を証明する!   無名ジャーナリストの仕事

 「大宅ノンフィクション賞」受賞作『ミカドの肖像』剽窃事件の真実


 大宅壮一の名言「男の顔は履歴書」

 2024年3月末、東京のジャーナリスト・坂口義弘氏から彼が執筆している雑誌『公評』2023年12月号(創刊60周年)と一緒に、猪瀬直樹氏の大宅賞受賞作に関する

レポート(月刊「TIMES」3月号)のコピーが送られてきた。

「月刊タイムス」の香村啓文氏と話をした折りに、筆者の名前が出たそうで「いかがお過ごしでしょうか」との一文とともに「読んだ感想など伝えてもらえたら」と、香村氏の住所が記されていた。何とも懐かしい名前である。

 記事は飯村直也氏(ルポライター)による「短期連載2」の「『ミカドの肖像』にみる猪瀬直樹(参議院議員)剽窃の真相を探る」というもの。「大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した出世作を検証」との副題がついている。

 2022年6月の参議院選の応援演説で、女性候補の胸を触ったとして問題にされた猪瀬氏は「セクハラ」と指摘された記事で名誉を傷つけられたと、朝日新聞社と上智大学教授・三浦まり氏を相手に名誉棄損で訴えていた。

 レポートは、裁判に関して「セクハラ記事、猪瀬直樹氏が敗訴『意図的に胸に触れたのは真実』」(共同通信)と、猪瀬氏の訴えを退けた東京地裁の判決から始まる。そして、猪瀬氏は判決を不服として控訴したことを伝えつつ「この手の品性の欠如が、昨今の猪瀬直樹関連ニュースに通底している」として、本題である『ミカドの肖像』の「剽窃隠し」に関する検証を行ったものだ。

 訴訟の行方はさておき、初めに指摘しておくべきことは、あらゆる問題は猪瀬氏の「身から出た錆だ」ということだ。そして、彼の将来のために同情すべき点は、妻である蜷川有紀氏がどう思っているかはさておき、誰も彼のことを擁護する者がいないことである。

 何かと話題の多い猪瀬氏だが「男の顔は履歴書(女の顔は請求書)」と言ったのは、大宅壮一である。その大宅ノンフィクション賞を受賞しているのだから、一連の事件はまさに猪瀬氏の不徳の結果であると同時に、ナンセンスなギャグのようでもある。


 オフィスイノセのオープン

 猪瀬氏に限らず、不徳の人々にとっての“いいとき”、つまりは金と名誉と地位があって、批判を封じられる環境が確保されているときには、問題が発覚することはなくとも、やがて立場が変わって、ボロを隠せなくなると、いっせいにこれまでの周囲の鬱憤・憤懣が、表沙汰になる。よく見られる、この世の姿として、表の履歴書に隠れていた真実がベールを剥がれて、本来の履歴書通りの姿を現してくる。

 講談社・小学館などの雑誌・週刊誌の記事づくりは、大きなテーマや連載企画では、取材を手伝うデータマンが用意される。自分の署名記事とはいえ、そこそこ優秀な彼らデータマンが、大半の取材データを用意してくれる。もちろん、重要な取材は自ら手がけたりもするが、多くのスクープ記事、連載は、そうやってできあがる。

 まとめ役(スターライターないしはアンカー)になれば、原稿枚数、締め切り、いかに読ませる内容にするかといった苦労はあるが、一からつくりあげるほどの苦労はない。ある意味では、流れ作業的に処理できる。

 次から次へと仕事をこなして、やがて手がけた記事が本にでもなれば、まとまった金も入ってくる。

 そんなライターとしての成功への階段を昇り詰めた彼にとって、一つの到達点は新たなオフィスのお披露目である。

 人気作家、評論家、有名ジャーナリストの周りには、常にメディア関係者が集まってくる。彼らは新年会・忘年会、ゴルフなど、何かと催し物を行っては、親睦を兼ねた情報交換、顔つなぎを行うといった、お互い持ちつ持たれつの関係にある。そうした立ち位置を象徴するのが、事務所のオープンでもある。

 猪瀬氏が東京の一等地にオフィスをオープンすると、多くの担当編集者がお祝いを持って駆けつけた。オープニングパーティに招待された先輩ジャーナリストが、後日、そのときの猪瀬氏の様子を伝えてくれた。

「○○さん。見てください。とうとう、これだけのことができるようになりました!」と担当編集者、メディア関係者、さらには各界の有名人が馳せ参じたことを自慢していたという。

「お金持ちのジャーナリストは信用できない」と誰かが言っていたが、その道を突っ走る猪瀬氏を見て以来、彼は猪瀬氏とのつきあいを自ら断ったという。「あんな俗物と付き合っているヒマはない。何がジャーナリストだ!」と、呆れてのことである。

 猪瀬氏の昔を知る人物の代表的な見方である。

 その猪瀬氏にも、確か2つ下に弟がいて、都会へのコンプレックスの裏返しである上昇指向と自己顕示欲の目立つ兄とは異なり、万事控えめで同じ兄弟とは思えない好人物であった。出会った当時、思わず「兄・直樹氏のマイナスイメージを払拭するのに貢献していますね」と口にしたほどであった。

 だが、男の顔は履歴書である。

 元・愛人として不倫関係にあった作家・中平まみ氏は、彼が都知事に当選した翌2017年「何であんな男が東京都知事になるの!」と、「週刊文春」で実名告発した。その理由について、副知事から、知事にまで上り詰めた「その処世術は見事の一言です。でも、本当にこれでいいのか。私は猪瀬氏が政治家として出世していく姿を見る度に危機感を覚えずにはいられませんでした」と語っている。

 出る杭は打たれるものだが、2023年10月には新国立劇場でのシェイクスピア喜劇『尺には尺を』の観劇マナーに関して、名指しでボロクソに批判されていた。

 本人は「デマ」だと反論していたが、ここでも問題は誰も彼を擁護しようという人間が現れないことだ。そして、何かコトを起こす度に、過去の行状が蒸し返される。

 2020年の東京オリンピック招致を成功させたことが、彼の功績とされているが、すぐに徳州会グループからの不透明な借入金問題を追及され、現金5000万円を入れたとするカバンのファスナーが締まらずに、焦りまくる姿が大いに話題になって、結局、任期1年余りで辞職した。

 しかし、人の噂も75日。叩かれてもメゲることなく、なお上昇指向は続く。常に復活を遂げて、いまは日本維新の会(比例区)の参議院議員である。

 元・東京都知事に持ち上がった剽窃事件

 猪瀬氏は1946年11月、教育県として知られる長野県飯山市で生まれた。

 学生時代は70年安保を巡る学生運動華やかなりし頃である。信州大学人文学部経済学科を卒業後、上京し結婚。出版社勤務を経て、明治大学大学院政治経済学科に進学。アルバイトなどを経て、作家活動に入った。

 筆者が仕事をしていた光文社などで、仕事を始めた当時の猪瀬氏は、お固い学術論文のような文章を書いていた。編集者からも「学者になったほうがいいかも」と言われていたが、それでも、いくつものテーマをこなすうち、編集者に揉まれながら、やがて講談社でも仕事をするようになり、徐々に読みやすい文章になっていった印象がある。

 そんな彼の将来を決定づけた出世作が、小学館の『週刊ポスト』で連載され、後に大宅ノンフィクション賞を受賞する『ミカドの肖像』である。

「身から出た錆」はいくらでもあるようだが、結局は出世作自体が、やがて「剽窃」と指摘される。要するに「盗作だ」と言われることになったのが、今回の月刊「タイムス」の検証レポートである。

 もっとも、一冊(石井妙子著『女帝・小池百合子』文芸春秋)の本になって、いまなお

蒸し返される小池百合子都知事の学歴詐称問題に比べれば、痛くも痒くもない。実際に、

コピーが送られてくるまでは、当事者である筆者さえ知らなかったぐらいである。


 データマンに見放される猪瀬直樹

『月刊タイムス』誌の検証とは、要するにネタ本になったとされるルポライター・草野洋氏の本『西武商法』(エール出版社)など、旧皇族・北白川邸などに関する記述と、猪瀬氏の『ミカドの肖像』の当該カ所の類似性のチェックである。

 その前提として、西武グループと北白川邸を巡るいきさつがなければ、大宅賞は受賞できていなかったということであり、そのことは当時から言われていた。

 特に、問題とされているのが、ネタ元になっていた草野氏らの本が、参考文献にも上げられていない。つまりは、意図的に隠されているということのようである。

 もっとも『ミカドの肖像』の無断借用(剽窃疑惑)問題は、以前から問題にされており

例えば、2012年12月号の『月刊ベルダ』は「猪瀬直樹にもあった『ネタ隠し本』の過去」とのタイトルで記事にしている。

 ジャーナリストの佐野真一氏が過去に発表した作品群に他人の著作から盗用した記述があるという、いわゆる「パクリ批判」について、かつての仕事仲間である猪瀬氏がツィッター(現X)で盗用の事実を具体的に指摘したことで騒ぎが広がった。

 当の猪瀬氏に「他人のパクリ批判をする資格があるのか」というのが、月刊ベルダのレポートである。自分の本のネタ本については、一切口をつぐんでいるとして、次のように書かれている。

「そのネタ本とは『堤義明・悪の帝王学』(早川和廣著、エール出版、81年12月刊)

と『西武商法 悪の構図』(草野洋著、同、83年3月)である。しかし、『ミカド』の本文中に、注釈・引用文の類はなく、参考文献にも書名は載っていない」

 しかも、猪瀬氏のデータマンをつとめた池田房雄氏(ジャーナリスト)がメディアの取材に応えて、猪瀬氏に無断借用に関して苦言を呈したが、無視されたとのいきさつを語っている。味方であるはずの人間に暴露されているわけである。

 後で問題にならないためには、猪瀬氏も、参考文献として明記すれば良かっただけのよ

うにも思うが、単純に自分の手柄にしたかったのだろう。

 もっとも『月刊タイムス』によると、草野氏はよほど無断借用が不本意だったのか、当時あったマスコミ情報誌『噂の真相』にネタを持ち込んでいた。だが、締め切りを過ぎているとのことで「読者投稿欄」に掲載されたいきさつも紹介されている。

 今回、一連のレポートに目を通すと、それらは大筋のことで、本当の真相、具体的ないきさつは書かれていない。

 猪瀬氏の名誉のためになるとも思えないが、当時の西武グループと北白川邸の関係を知る立場の者として、真相を明らかにしたい。


 知られざる『ミカドの肖像』の真実

 当時、タブーとされていた西武批判本(1981年刊『堤義明・悪の帝王学』)を最初

に出版したのは筆者である。

 知られざる真相とは、北白川家の番頭役である元秘書を取材したときのことだ。

 筆者に「いまは関係者が生きているので、すべてを話せない。後日、話せる時期が来たら、必ず真相を話します」と、約束していた。そのため、当時の本の記述はあらすじ程度の内容で終わっている。

 後日、そんな約束などすっかり忘れたころ、元秘書から電話がかかってきた。

 週刊ポストで猪瀬氏が『ミカドの肖像』の連載を始めることになり、記者が「プリンスホテルと北白川邸のことを調べていて、何度も取材に来る」のだという。あまりに熱心なため、困って電話がかかってきたのである。

 それが筆者に最初に話すと約束していた「北白川邸の真相を話していいか」という相談であった。

 すでに西武グループについて書くつもりなどなかった筆者は「どうぞ」と伝えたため、

元秘書の協力が得られて、猪瀬氏は記事にできたわけである。

 特許にしろ、スクープネタにしろ、何もかも自分で抱えて、金や名誉等の材料にするつもりなどない無名ジャーナリストにとって、重要なことは必要な情報や真相が世に出ることである。

 もともと同じ雑誌で執筆していたこともあり、そうしたいきさつを猪瀬自身が知っていたためか、以前、あるホテルでのパーティの席で、筆者を「(良く)知っている!」と話していた。

 一方の草野氏は今も生きているのかネット検索したところ、生年は1934年(昭和9年)で生きていれば90歳だが「没年不詳」とある。

 意外な消息を知ってしまったが、長く生きていると、いろんなことがある。

「男の顔は履歴書」だが、作家・藤本義一は「男の顔は領収書」と語ったことがある。

 両方とも「自分の顔には責任を持て」というありがたい教訓だが、猪瀬氏には通用しな

い教えでもある。

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