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旧・統一教会とジャーナリズムのベースにあるモノ  無名ジャーナリストの仕事9  野党にもある旧・統一教会との接点

更新日:2022年11月8日

 

 野党にもある旧・統一教会との接点

 安倍元首相の死、そして国葬を経て、旧・統一教会(世界平和統一家庭連合)問題が国

会を揺るがしている。

 メディアは連日、野党と歩調を合わせて、安倍元首相の置き土産である負の遺産を大き

く取り上げて、飽きることがない。

 その印象は、東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件や、2年以上続いた新型コロナ

問題などと共通する。メディアは世の中の不幸をネタにイキイキと躍動している。

 そこに正義があると信じてのことかもしれないが、要はそれが視聴率等、カネになるか

らである。

 当然ながら、旧・統一教会(以下、統一教会)問題の本質に迫ることなど、ほとんどな

い。結果、似たような情報が繰り返し垂れ流される。

 その正義が、いわば片目を瞑った正義、自分たちに都合のいい正義でしかないのは、自

民党議員の統一教会との接点を問題にする一方、野党側の関係者を無視するという暗黙の

了解があるためだ。

 立憲民主党の泉健太郎党首は、国会の場でわざわざ細田博之・衆院議長席を見上げて、

統一教会との関係を迫っていた。だが、統一教会との関わりは、立憲民主党議員も岡田克

也、枝野幸男、安住淳、原口一博などが、関連団体への出席や会合への祝電、パーティ券

の購入そして、実質的な機関紙「世界日報」のインタビューや座談会に出席している。

 立憲民主党の他、国民民主党、日本維新の会などの野党議員も、同様に関わりがある。

数こそ少ないものの自民党と何ら変わりはない。

 なぜか?

 それは統一教会側にとってのメリットを考えたとき、政権党である自民党のほうが利用

価値があるからである。野党でも立憲民主党の枝野氏や岡田氏などがターゲットにされた

のも、野党の中では使える人間と見なされたためである。

 ジャーナリストも似たようなもので、そこそこ使えるという相手には、ごく普通に近づ

いてくる。ジャーナリストにとっても、取材対象、特に敵対する相手、ガードの固い対象

にアプローチするには、相手の懐に飛び込むぐらいのことをしなければ取材はできない。

 統一教会について知るには、教団幹部、有力な関係者と親しく接して、情報を得るのが

一番の近道である。政治家とジャーナリストの立場は異なるが、誤解を恐れていては何も

得られない。

 統一教会の教勢拡大の立役者

 統一教会問題を象徴する人物の一人で「瀬戸際大臣」と呼ばれていた山際大志郎経済再

生担当大臣が、統一教会のトップ・韓鶴子との集合写真を問題にされ、とうとう辞任に追い込まれて、岸田政権の支持率は低迷したままである。

 さすがに暴力団など、反社会的勢力との関係には敏感になっているが、統一教会は「国

際平和」「女性連合」など、様々な名称を冠した団体をつくってアプローチしてくるため

どうしてもガードが甘くなる。

 昔も今も、似たようなことが展開されている。

 昭和40年(1965年)代、統一教会の下部組織による、いわゆる原理運動が全国の

大学・高校に広がり「親泣かせの原理運動」と問題になったこともある。

 オウム真理教その他、多くの新興宗教周辺で、同様の事態が繰り返されてきた。そこで

の問題提起は「モグラ叩き」に似ている。その意味でも、統一教会問題の根は深い。

 何しろ、日本での統一教会の教勢拡大に大きな役割を担ったのが、立正佼成会からの大

量入信者なのである。

 暗躍したのは、統一教会が宗教法人になった1964年に日本統一教会会長に就任した

久保木修巳氏である。

 もともと立正佼成会・庭野日敬会長の秘書だった彼は、統一原理に興味を持った庭野の

命によって、統一原理の研究会を続けるうちに、統一教会に取り込まれた人物である。

 宗教界は単純ではない。立正佼成会も創価学会も、多くの社会的事件を起こし、国会で

問題とされ、教団存続の危機に面したこともある。

 逆上れば、いまでこそバチカンは世界のカトリックの頂点に君臨して平和を説いている

が、その出自、歴史的な使命は植民地支配をスムーズに進めるための宣教師の伝道を担っ

ていた。宗教とは、実に複雑怪奇な世界である。


 新興宗教にだまされる宗教学者

 今回のメディアの情報源の多くは、霊感商法が社会的に問題になった後、多くのメディ

アが話題にしなくなる中で、統一教会問題に取り組んできた弁護団とジャーナリスト藤倉

善郎氏が創刊したニュースサイト「やや日刊カルト新聞」で副代表・主筆を歴任してきた

ジャーナリスト・鈴木エイト氏である。

 大手メディアはいつも、安心して叩ける(批判できる)ようになってから取り上げる。

 ジャーナリストとしての鈴木エイト氏の手腕に関しては、同じジャーナリストとして、

頭が下がる。というのも、いまでこそ無名ジャーナリストを名乗っているが、かつては一

部で宗教ジャーナリストと言われたこともあり、その大変さがよくわかるからである。

 いわゆる宗教ジャーナリストを見ていて思うことは、大半のジャーナリストは左翼の時

代を生きてきたこともあり、神や宗教に否定的で、宗教を信じていないということだ。

 大学等のアカデミズムと同様、神や奇跡、見えない世界を信じていない者が、宗教を語

り、批判をしていた印象がある。

 そのためか、学問として宗教を学んでいる人物が、見事にだまされて、新興宗教教団、

カルト教団の宣伝役を担ったことも少なくない。

 例えば、真言密教を利用して、教勢を急拡大した阿含宗は、京都の東山に広大な敷地を

所有し、京都の冬の風物詩と銘打つ「阿含の星まつり」を催すまでになった。多くの真言

宗関係者、密教学者が協力する形で利用され、教団の出版物に執筆したためである。

 オウム真理教や幸福の科学では、宗教学者の島田裕巳氏や中沢新一氏が教団と教祖を持

ち上げる形で、多くの信者がだまされるのに、多大な影響力を発揮している。

 事件が起きた後、反省を迫られ、一時期、表舞台から去っていたが、いまではそんな過

去など忘れたかのように、宗教学の大家としてメディアに登場している。

 オウム真理教や幸福の科学に協力するということは、今日の統一教会に肩入れし、教団

擁護をするようなものだ。

 島田氏について、10年近く前、国学院大学での講演会で同席したときのことは、よく

覚えている。

 神道の本場・国学院大学ということもあり、神社界の重鎮や神道研究者などの他、参加

者もそれぞれ一家言を持っている人物、集団が参加していた。

 そんな中での彼の講演は、創価学会をはじめ、日本の新興宗教界の実情を述べながら、

神仏に関しても知見を披露していたのだが、ちょっと聞いただけでも、知識量はさておき

神や奇跡の本質を知らない、要はメッキが剥げるがごとき言動を続けて、その度に聴衆席

から「ちがう!」という声が上がっていた。

 そんな彼だから、オウム真理教や幸福の科学にコロッとだまされ、取り込まれるわけだ

と納得したものだが、その程度の人物のほうが、実は一般大衆受けする。著書も宗教書と

しては珍しくベストセラーになるわけである。

 彼らを批判しているわけではない。狙われれば、本来オピニオンリーダーたる識者もだ

まされ、利用されるということだ。

 野党並びにメディアは安倍元首相と統一教会の癒着の構図を、何とか近年の右傾化した

風潮の中で、疑獄事件としてクローズアップしたいのかもしれないが、利用される側には

ほとんどそんなつもりはない。

 それは大人の世界、あるいは政界には本音と建前、裏と表があるためである。

 そのことと関連して、特徴的なのは、現在、メディアの主流となっているメディアの担

い手が、統一教会のもっとも華々しい時代を知らない世代だということだ。

 いまでは問題になった組織的な高額な壺に象徴される霊感商法が、忘れられたまま、さ

ほど問題にされなくなっている。

 とはいえ、教団の名称が変わり、表向き霊感商法被害が少なくなったとしても、教団の

本質は変わらない。安倍元首相を銃殺した山上徹也容疑者の母親のようなケースは、その

ことを証明している。

 新興宗教やカルト教団の存在が一筋縄ではいかないのは、明らかな洗脳によりだまされ

ていたとしても、本人はなお教団にすがって、家族や生活を犠牲にしても、献金に励む。

そこには正しい宗教もまちがった宗教もない。あるのは、邪教にすがり、取り込まれた弱

い人間の姿である。


 『新興宗教の辞め方・断り方』

「邪教も人を救うことあり」と、誰かが言っていたが、人間関係にも相性があるように、

宗教もその人間のレベルに応じて関わりが生じる。そのため、仮に統一教会を辞めたとし

ても、また別の新興宗教の信者になっていく。そうした人物を何人も見てきたことから、

著したのが『新興宗教の辞め方・断り方』である。

 多くの新興宗教についてレポートする中で、当然ながら、現役信者・元信者などの関係

者を取材する。中には、信仰上の相談を持ちかけられることもある。その度に、親身にな

ってアドバイスをしてきたつもりだが、その数があまりに多く、また教団はちがっても、

似たような悩み・相談ごとであることから、一々答えているのは大変である。

 そこで「この本を読んで」と、辞め方・断り方のノウハウを書いたわけである。

 多くの新興宗教信者に共通するのは、結局のところ、広い意味での人生勉強が足りない

ということ。どれだけ人生に投資してきたか、教育に投資してきたか。学問の世界だけで

はなく、どれだけ多くの人生勉強を重ね、体験を積んできたかによって、新興宗教あるい

は振り込め詐欺などの被害から遠ざかることができる。

 冷たいようだが、人生勉強が不足し、広い意味での教育に対する投資が少ない人は、結

局のところ、だまされて学ぶしかないというのが、多くの宗教指導者に尋ね、実際に宗教

にかかわってきたジャーナリストとしての結論である。

 その背景には、日本では神や仏を教育の場で語ることができないまま、まったく宗教教

育がなされていないこと。神仏を否定してきた明治以後、特に戦後の教育の成果が日本社

会を統一教会をはじめとしたカルト教団にとっての天国・草刈り場となっている影響がある。

 日本社会の団結力を恐れた欧米列強、戦後のアメリカ(GHQ)の影響を受けた日教組

教育のある意味、当然の帰結である。


 統一教会幹部からのアプローチ

 統一教会は、今も昔もわれわれメディアの身近にあるという典型的な例が、NPO法人

「未来戦略フォーラム」の大脇準一郎氏のオルグ活動である。

 彼の使命は統一教会の文化人を取り込むことである。表向きは、平和や人権活動、音楽

・芸術などの文化活動・イベントを通じて、多くの文化人にアプローチしている。

 どこまで、その成果が上がっているかはわからないが、古くから無名ジャーナリストも

統一教会幹部と知っていての付き合いである。

「ウエルネス@タイムス」第4号の「厚生労働省と製薬業界と戦い続けるガン研究者・小

林常雄医博」とのタイトルで著書『今こそ知るべきガンの真相と終焉』出版記念会レポー

トは、大脇氏からの招待によるものである。

 大半の人物は、彼が統一教会幹部だとわかっていても彼につきあい、時にそのイベント

に協力する。大学学長、国連経験者、元外国大使、企業経営者など枚挙にいとまがない。

 その大脇氏からは、定期的にメールが届く。2022年6月2日、統一教会の信者間で

「韓国政府高官の愛人として送り込まれた」とも言われてきた「野島登美子姉の聖和式」

に関する情報が届いたのが最後になっている。

「大脇より愛をこめて」とある、その日のメールは「食口(兄弟姉妹・家族)」という統

一教会用語も登場するなど統一教会情報そのものである。ちなみに聖和式とは、教団の葬

儀を意味する。

 そんな大脇氏だけに統一教会幹部とわかっていても、どこか憎めないところがあり、み

なさん付き合っているわけだ。

 仮に鈴木エイト氏に、その点を追求されたら、誰もが申し開きはできない。それは無名

ジャーナリストも同じである。

 人のことは言えない、明日は我が身というのが、世の中の法則の一つだからである。


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