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「ヘーシンクを育てた男」道上伯が選んだボルドーワイン            Vin株式会社のベースにある武士道(もののふ)のDNA

更新日:2023年8月4日


 「ヘーシンクを育てた男」道上伯が選んだボルドーワイン
   Vin株式会社のベースにある武士道(もののふ)のDNA


 「QOLサポート研究会」講演会

 2023年6月15日、ミューザ川崎で行われたNPO法人「QOLサポート研究会」

第24回講演会に出かけた。

 テーマは「QOLを高める」で、毎回、ユニークな講演が行われる。

 今回は日本登山学会理事の野口いづみ氏(前・鶴見大学准教授)の開会の辞に始まり、

同研究会の松本高明理事長(メディサイエンス・エスポア社長)による関連事業並びに活

動報告の後、矢澤一良氏(早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構「規範科学総合研究所」

ヘルスフード部門部門長)による「フレイル予防とQOLを高める栄養素について」、道

上雄峰氏(「Vin株式会社」代表取締役)の「QOLを高める赤ワイン」、大槻公一氏

(鳥取大学名誉教授)の「人ウイルスに変化し続ける新型コロナウイルス」、野口千代子

氏(一般社団法人「日本発声医学協会」代表理事)による「脳を活性化する発声」の4講

演が行われた。

 今回は特に道上伯の長男である道上雄峰氏が登壇すると知って、楽しみにしてきた。

 もともと、柔道家・道上伯については、名前だけはよく聞かされていた。彼と同じ、愛

媛県八幡浜出身の知人が、何かというと、地元の名士の一人として語っていたためだ。

 その道上伯が「ヘーシンクを育てた柔道家」であることはともかく、柔道とは無縁とし

か思えない「道上ワイン」があることは知らなかった。

 今回、道上社長がNPO「QOLサポート研究会」の講演会に登場するのは、もちろん

赤ワインがQOLを高める、つまりは健康にいいことがわかっているためである。

 とはいえ、生涯不敗という世界柔道界最強の柔道家であった道上伯が、なぜボルドーワ

インなのか?

「道上ワイン」を日本で販売するVin株式会社(埼玉県さいたま市)の道上雄峰社長の

話は、ワインの本場を知る人物だけに、貴重な情報・知識が満載であった。




 柔道着姿で立つモノクロ写真

 道上雄峰社長の講演は、父・道上伯が腰に手を当て、立っている柔道着姿のモノクロ写

真をバックに行われた。

 1953年(昭和28年)7月、道上伯は40歳のとき、恩師の推薦で柔道が盛んだっ

たフランスに、柔道指導者として渡った。

 観光もそこそこに、早速、外国人相手の講習会を始めたとき、日本の柔道の本質を学ぼ

うというフランスの有段者会会長が、道上伯に様々な質問を投げかけたという。

 そのときに、彼が答えたのが礼に始まり礼に終わる日本の武道の本質「心・技・体」の

重要性であった。

「柔道の最終的な目的は、心技体の練成を通じて、立派な人間になろうと努力することで

ある。身体を鍛えて強くなろうとすれば、技術の練成が欠かせない。技術を身につけよう

とすれば、苦しさに耐えて練習を積み重ねなければならない。苦しみに耐えてそれを続け

れば、精神力を強くする。このように心と体と技を同時に鍛練するのが、柔道というもの

だ。柔道は人間形勢そのものなのだ」

 ボルドーを拠点に活動を始めた道上伯は、11月、パリのクーベルタン記念体育館で行

われた「道上来仏歓迎柔道大会」で、型と技の実演を行った後、後々まで語り継がれるこ

とになるフランス最強の有段者10人を相手に、10人連続で試合をする「十人掛け」を

行った。

 道上伯はその10人をわずか5分30秒で退けた。これまで来仏した柔道指導者が誰も

できなかったという快挙である。

 そのとき、会場の観客のスタンディングオベーションが続く中、当の道上伯はこともな

げに静かに畳の上に立っていた。柔道着姿のモノクロ写真は、そのときのものである。


 いまだ知られざる道上伯の生涯

 Vin株式会社および道上ワインについて語ることは、実は道上伯について語ることで

もある。

 道上伯は1912年(大正元年)10月、愛媛県八幡浜町で、4男1女の次男として生

まれた。

 アメリカへの移民の多い土地柄で、父親もアメリカに働きにいった経験があり、実際に

5歳ちがいの兄はアメリカで成功していた。兄は「お前もアメリカに来い」と語り、道上

伯もそのつもりでいた。

 だが、人生はままならない。

 小学校時代から相撲の大会で優勝していた道上伯は、14歳のとき地元の八幡浜商業で

柔道に出会い、半年後に初段の試験を受けた。試験は満点に近く、試合でも8連勝したが、

他の受験者がみな黒帯を授けられたのに対して、14歳ではいかにも若すぎると、初段の

免状は15歳になってから届いたといった“武勇伝”もある。

 17歳のときに、学業半ばで渡米を試みたが、頓挫。その後、彼の柔道人生を決定づけ

る師に出会い、やがて京都にあった大日本武徳会の教育機関・大日本武徳会武道専門学校

(武専)で柔道の才能を開花させる。すでに「武専の3年のとき、当時、一番強いと言わ

れていた先生たちを破り、日本で一番強いといわれた」という。

 卒業後、地元での高校教員、日中戦争下の上海の東亜同文学院での教員生活。そして、

終戦。戦後、GHQの武道禁止命令を受けて、大日本武徳会経営の武専も廃校になった。

結果、日本柔道は講道館柔道が主流となっていく一方、武徳会再建運動が起こるなど、日

本の柔道界が揺れている中、道上伯に声がかかってフランスに渡り、先のモノクロ写真に

つながるわけである。

 道上伯の生涯は、一冊の本(眞神博著「ヘーシンクを育てた男」文芸春秋社)になって

いるぐらいで、詳しく紹介している余裕はないが、その本づくりも「私は宣伝はしない」

というボルドーでの出会いから始まっている。

 その武士道(もののふ)、大和魂に裏打ちされた信念から、いまなおフランス・ヨーロ

ッパ等では有名な彼の名前は、本国の日本では実力通りには知られていない。



 日本柔道が敗れた日

「宣伝はしない」道上伯の存在がクローズアップされたのは、1964年の東京オリンピ

ックのときである。

 オランダのアントン・ヘーシンクが第3回世界選手権(1961年)で、当時日本で最

強と言われた神永昭夫五段、古賀武四段、曾根康治六段を破り、東京オリンピックでも本

戦と、決勝で敗者復活戦で勝ち上がってきた神永選手を、2度敗った。そのヘーシンクを

見い出し育てたのが、道上伯だったからだ。

 だが、日本の敗北が試合を観戦していた多くの日本人に衝撃を与えたのは、単に日本柔

道がオランダのヘーシングに敗れたからではなかった。

 決勝戦で、主審の「1本!」の声で、ヘーシンクが勝利したとき、興奮したオランダの

選手団が「やった!」とばかりに、畳の上のヘーシンクのもとに駆け寄ろうとした。

 その動きを知ったヘーシンクは、手で彼らの動きを制して、負けた神永に手を差し伸べ

て助け起こした。正座して胴着を整えた後、貴賓席の皇太子殿下(現・上皇陛下)に向か

って一礼をして、畳を降りた。その一部始終を見た日本人は、そこにスポーツと化した柔

道の本来の姿があることを思い知らされたのである。

 フランスをはじめ、世界70カ国で柔道指導を行った道上伯は、日本では急速に失われ

つつあった武道としての柔道指導を基本にした。当時から、日本柔道の弱体化を危惧する

とともに、本来の柔道の在り方を、ヨーロッパ等世界に伝えたのが、道上伯であった。

 ワインの話からは、逸れるようにも思うが、決してそんなことはない。

 本物を見分ける目は、日本の武士道とヨーロッパの騎士道。おそらく日本の農民と共通

するブドウつくりの農民とワインづくりの職人技にも通じているからである。

 本物は本物を知る。道上伯が選んだワインであれば、安心であるということだ。



 日仏貿易の先駆者・道上伯

 2002年8月、90歳で亡くなる直前までワインを飲んでいたという道上伯は、ボル

ドーに道場を開設したこともあり、およそ3000ほどあったボルドー中のワイナリーの

ワインを飲んだと語っている。もともと酒には強く、晩年、日本にもどってからも、ワイ

ンを飲み続け、ワインがないときには日本酒の一升瓶を空けたという。

 すでにフランスでは名士として知られる存在になっていた道上伯は、1953年に日本

人で初めて、日本とヨーロッパの貿易許可を取得した。

 貿易ライセンスの存在を知った、戦後、ヨーロッパに進出していた日本企業、例えば自

動車メーカーなどが「ライセンスを使わせてほしい」と、陳情にきたという。戦後の日本

経済の復興に役立つならばと、彼は無償でライセンスを使わせた。

 長年、日本人で貿易ライセンスを持っていたのは、道上伯だけだったという意味では、

彼は日本とヨーロッパ貿易の先駆者であった。

 やがて、彼が貴重な貿易ライセンスを持っていることを知ったボルドーの各ワイナリー

の経営者から「先生、ウチのワインも日本に輸出してほしい」と頼まれて、ワインを輸出

したのが、いわば道上ワイン(Vin株式会社)前史ということになる。

 当時、ボルドー中のワイナリーの全てのシャトーのワインを試飲したという道上伯が選

んだのが、現在の道上伯ラベルの「シャトー・ラ・ジョンカード」であった。



 フレンチパラドックス

「一廉の人物になるまで帰国しない」と決めていて、親の死に水も取れなかった道上伯だ

ったが、長男が小学校を卒業した1964年、家族をフランスに呼び寄せた。

 フランス・ボルドー地方で過ごした少年時代、それが道上社長のワインとの出会いであ

る。

 いつの時代も、偉大な父を持つと、子は苦労する。道上伯の長男であることにより、誇

らしい思いをすることもあれば、逆に理不尽ないじめにもあう。

 だが、日本にいては経験できない多くの体験と同時に、日本にいてはわからないワイン

の一部始終を知ることにもなる。

「日本人はフランスワインを非常に誤解している」と語る道上社長は、昼も夜もワインを

飲んだという父親のもと、彼もまた小学生のころからワインを飲んでいた。当時のフラン

スでは、小学生のころから、食事の際にはワインを飲むのが当たり前だったからだ。

 道上伯の飲み方は極端だが、赤ワインが健康にいいことは、ヨーロッパでも特に動物性

脂肪の摂取量が多く、喫煙率も高いフランスで、動脈硬化患者が少なく、心臓病による死

者が少ないことから「フレンチ・パラドックス」として知られる。理由は、赤ワインに含

まれるポリフェノール(特にレスパラトロール)が関係しているとされている。

 赤ワインが健康にいいことに関して、道上社長は「チェルノブイリ原発で事故が起きた

とき、すぐにボルドーの赤ワインが売り切れました。理由は治療に役立つ。健康にいいか

らです」

「スイスの新聞でも、40数年前に、ボルドーの赤ワインを飲んでいる人の83%はガン

にならないとのデータが紹介されている。血の巡りが良くなる」と講演で話していた。

 赤ワインは医者が薦めるぐらいで、日本でも酒は「百薬の長」と言われている。適度な

飲酒は、健康にいいとされる。


 Vin株式会社の設立

 最近は、日本でもワイン文化はすっかり定着した。日本各地でワインがつくられるよう

になり、国際的に評価もされるようになっている。

 その一方で、多くの輸入ワインに関しては、しょせん嗜好品とはいえ、何を基準に選ん

だらいいのかわからないという側面もある。

 そんなワインファンに対する道上社長のアドバイスは、例えばスーパーで安く売ってい

る輸入ワイン、様々な畑のブドウを混ぜ合わせた、いわゆる混ぜものワイン(バルクワイ

ン)は、お酒のチャンポン同様、頭が痛くなるという。

 逆に、選ぶ際に注意すべき点として、シャトーで瓶詰めされたもの、生産者表示がある

ものを基準にすべきだと語る。

 そして「なるほど」と思ったのが「みなさんは毎日食べるお米を、毎日変えますか?」

と、ワインをお米に例えたことである。

 コシヒカリにしろ、何にしろ、基本的にそれぞれの好みのお米を食べている。長年食べ

ていれば、美味しさの基準ができてきて、美味しいか不味いか、自分の好みかどうかがわ

かってくる。

 ワインも同じだというのである。わかった上で、後はいろんなワインを楽しむ。

 1977年設立のVin株式会社は、同社のホームページにあるように「創業者である

道上社長が、父・道上伯師範の仕事の関係で、少年時代をフランスのパリ、ボルドー地方

で過ごしたことにより、日本でのワインの扱いの悪さ、値段の高さに疑問を覚え、直接フ

ランスワインの輸入販売を開始した」というものだ。



 道上伯が毎昼毎晩飲んでいたワイン

 道上ワインは道上伯が愛飲していたワインを、長男の雄峰社長が「友人たちに分け与え

たい」と、父親に内緒で道上伯の写真入りラベルを生産者に作らせ、無料で毎年1万本ほ

ど送っていたものだという。

 そのうち「お金を出してもいいから、もっとたくさん飲みたい!」と多くの人に頼まれ

て、一般販売を始めることになった。

「白ラベル」はメルロー80%、カベルネ・ソーヴィニヨン20%。樹齢15~25年の

若木から取れたブドウを使用。早い時期に熟成を迎えるメルローを多く使っているので、

2~3年の比較的短い熟成期間でも、なめらかな美味しさが楽しめる。

「黒ラベル」はメルロー50%、カベルネ・ソーヴィニヨン50%。樹齢25~35年の

成熟した木から取れたブドウを使用。長期熟成させるほどに、ワインに深みのある香りと

味をもたらすカベルネ・ソーヴィニヨン種のブドウと短期熟成でもなめらかさを楽しめる

メルロー種のブドウのそれぞれの魅力を引き立たせあうことにより、5年以上の熟成期間

で楽しめる。

「赤ラベル」はメルロー20%、カベルネ・ソーヴィニヨン75%、カベルネ・フラン5

%。樹齢35~45年の充分に成熟したブドウの木を使用して、カベルネ・ソーヴィニヨ

ンの品種のブドウを多く使用。そのため、10年以上熟成して、いよいよ飲み頃を迎える

ワインとなる。また、品質へのこだわりとして、特に優れたブドウの収穫年にしか生産を

行わない。

「ボルドーの赤ワインは健康にいい」「ワインは基本的にすべてオーガニックである」そ

して、多くのお酒が白ワインを含めて、みな酸性の中で、赤ワインは唯一のアルカリ性だ

という。

 そんな道上社長の話を聞いて、実際に道上ワインを味わってみれば、これまでのお酒そ

してワインの常識が覆されて、ワインの世界が広がる印象がある。

 赤ワインの本場、ボルドーのシャトーに「道上ワイン」があることは、実に象徴的であ

る。

 日本柔道は、武専の伝統こそ、道上伯の弟子たちによって引き継がれているが、大きく

変わってしまった。そんな中、なお道上精神の残るフランスが、いまや世界一の柔道人口

を誇り、日本を上回る“柔道大国”になっている。

 そこに、生業としての道上ワインがあることによって、いまもフランスと日本とがつな

がっている。そして、道上伯の足跡を伝えることは道上社長の使命でもある。道上ワイン

はその歴史的事実、功績を知るための一つの入り口だということである。



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