「山脇服飾美術学院」乗っ取りという「悪事」を犯した“善人”たちに告ぐ! 無名ジャーナリスト 早河策毘頼
- vegita974
- 8 時間前
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「山脇服飾美術学院」乗っ取りという「悪事」を犯した“善人”たちに告ぐ!
無名ジャーナリスト 早河策毘頼

神様のデザイン
ジャーナリストの仕事の本質は、世の中に起きるあらゆる問題に関して、誰かの代わり
に、その場に行って、見て聞いて、確かめて伝えるという仕事です。
誰かの代わりということは、究極「神の代わり」ということであり、その使命を自覚す
る者にとっては、厳しい“行”のようなもの。疎かにはできません。とはいえ、それはあ
らゆる仕事(いわゆる天職)は、そのようなものとして発祥し、かつ存在しています。
デザインの世界でそのことを直接、指摘していたのは、いまは亡き広告デザインの大家
・佐野寛氏(東京学芸大学教授)です。同氏の著書『21世紀的生活』(三五館)の中に
は、デザインの本質が書いてあります。それが「神様のデザイン」という表現です。
「われわれはデザインの中で生まれてデザインの中で生き続ける」という彼の主張は、近
代以前、そのデザインの多くが自然や気候風土と密接に絡んでいたため、いわばわれわれ
人間は、神様のデザインの中に生きていた。その伝統的なあり方が、20世紀にはすっか
り失われてしまったという嘆きです。
筆者が南青山の「アタリー」に行ったのは、ただの偶然つまりは人の縁によりますが、
それもまた神様のデザインの中でのできごとということです。
初めて訪ねた青山骨董通りにある「アタリー」は、フランスの香りを閉じ込めた展示と
ともに、すべてが美と洗練を形あるものにしていて、新鮮でした。
学校法人「山脇服飾美術学院」が経営する「山脇美術専門学校」創設者・山脇敏子氏の
思いなのか、3代以上続く伝統のなせる技は一流ないしは超一流の世界を知る者には、た
ぶん無駄に忙しくて慌ただしい大都会の中のオアシスのように、心地よく落ち着く空間と
なっていることがわかります。

モダンなスペース
「最近の、現代風の」という言葉の英訳は「モダン」です。「アタリー」にはそのモダン
が、これ見よがしにではなく、ごく当たり前に、そのため実に上品にあふれています。そ
こでのモダンとはただの空気のような存在ですが、よりわかりやすい表現では「時代の最
先端」を意味します。モダンアートのモダンです。
しかし、その「先端」は、意外にもただの先端ではありません。
試しに辞書を引いてみれば、そこには「1.ものの端、先。2.とがっているさま。3
.時代・流行の先頭。さきがけ」と書いてあります。1.の英訳は「end」です。
なぜ? まるで英語でも陰陽の法則(陽が転じて陰になり、陰が転じて陽となる)が、
こんなところにも現れているのかというような「モノの先端=終わり」との事実です。そ
こからわかることは、その先端はすべての歴史・伝統の積み重ねの上に、今日あるという
こと、それがモダンです。
その「アタリー」の壁の上には、モダンなスペースには場違いなようで、実はもっとも
相応しいというように、自然な形で「神棚」が祀られています。聞けば、榊は定期的に伊
勢から取り寄せているということです。
筆者が無条件に「アタリー」並びにオーナーである平山寛子代表取締役社長を信じる理
由です。
教育について
「アタリー」は「山脇服飾美術学院」創設者の孫である山梨淑子氏が、1964年にオー
プンしたブティック兼ギャラリーです。平山社長は彼女の長女です。
職業に貴賤はないとはいえ、教育はとりわけ尊い職業です。学卒者が教員免許をもらっ
て、学校に行った瞬間「先生」と呼ばれる存在になります。そこでは、勘違いも生じやす
いとはいえ、その本質は人は教える立場になることによって、逆に教えられるという共に
学ぶ者として、学生・生徒に対峙するということです。
幼児教育学者・松田道雄氏が筆者の恩師に伝えたという「教師と学生は同じ学ぶ者同士
だ」との関係です。
学べば、様々な知識・技術・知恵などが身につきます。そうした教育の場に携わること
ができる生き方は、人として尊いと同時に、その使命の重さから、厳しく自らが律せられ
る職業でもあります。
「聖人君子でいろ」と強要されることはなくとも、教師は「聖職」とされています。それ
は服飾・デザインを教える「山脇美術専門学校」の場合も例外ではありません。
そのいわば聖域で何が起こっているのでしょうか?
ジャーナリストにとっては、貴重な人間観察の場でしかないとはいえ、それは教育の場
には相応しくない醜い欲と悪が跋扈する、見たくもない“善人”たちの暗躍です。
盗人にも三分の理
改めて「山脇服飾美術学院」を巡る不祥事について考えるとき、忘れてならないことは
物事は単純に考えたほうが、問題の本質がよくわかるということです。なぜなら、聖職で
ある教育の現場では、乗っ取り等、不祥事は本来、起きるはずがないからです。
なぜ、本来、起きるはずのない不祥事が起きたのかは、2代目学院長(2代目理事長)
・原あやめ氏が晩年に認知症を患ったことを奇貨として、清水カツ子・現理事長、会計顧
問の吉田恭治公認会計士等が同学院の運営並びに財産を乗っ取ったためと考えると、なる
ほどとわかります。
世間によくある乗っ取り事件、業務上横領等、ごく普通の“善人”がカネと権力を握る
ことによって犯す悪事の典型だからです。
そこでは、創設者ファミリーは学院運営・財産に関して、嘘をつくなり、策を弄する必
要はありません。
トラブルの原因は、創設者が亡くなって、山脇ファミリー2代目が跡を継いだ晩年ので
きごとですが、そこでも当たり前に、山脇ファミリー3代目に継承されていれば、トラブ
ルは生じるはずがありません。
認知症をはじめ、どのような事情があったにしろ、原あやめ氏の長女・原暁子氏、「ア
タリー」創設者・山脇淑子氏、その長女であり原暁子氏の養女でもある「アタリー」オー
ナーの原寛子氏(平山寛子)に継承されていれば、いまさらながら「乗っ取り」とか「業
務上横領」等で、訴えられることもないわけです。
とはいえ「盗人にも三分の理」とのことわざもあります。
相手の言い分に寄り添えば、事実とは異なる結果になります。物事を複雑にして、いろ
んな理屈を付けていくと、もっともらしく見えてくるからです。
同じ様に、始めは良かれと思ってやったことでも、ちょっとしたことから教育に携わる
“善人”が、寸借・窃盗・業務上横領等の悪事に染まっていくわけです。
残念ながら、どこにでもある話です。一つ嘘をつけば、次の嘘をつかざるを得ないこと
から、多くの悪事は生じて、辻褄が合わなくなり、最終的に露呈していくわけです。
事業継承者の役割
理事長の清水カツ子氏は、晩年の原あやめ2代目学院長(2代目理事長)の側近として
学院経営に携わりながら、自らの理事長としての職務・役割をどのように考えていたので
しょうか?
本来、その職責・役割を全うしていれば、もめごとが起こる理由はありません。
一般的に、人は誰かから何かを引き受けることになれば、その当初の状態を基本的に保
持した上で、役目の終わった時点で次に引き渡すことになります。
創設者ファミリーに代わる第三者、例えばサラリーマン社長や学院長が、事業を引き継
ぐ場合、原則として最低でも現状維持、できれば事業の将来を見据えた資産の蓄積と事業
の繁栄を保証するものでなければなりません。それが暗黙の了解というものです。
ところが、多くの現実はそのようには行かないものです。
どこにでもある創設ファミリーと継承者を巡るいざこざは、金と力を握れば、多くの者
はそれを自分のモノだと勘違いすることによって、起こってきます。
同様のケースでは、記憶に新しいのが2025年1月、東京女子医大元理事長(岩本絹
子容疑者)が1億円超の不正支出の疑いで逮捕されています。新聞報道では「女子医大の
プーチン」の異名を持ち、ヒト・モノ・カネを一手に握っていたということです。
同医大の創業者の遠縁にあたるという女性です。始めから悪事を働こうとする理由など
ありません。その彼女が、結果的に1億円を超える背任事件の容疑者として罪に問われる
ことになるわけです。
「アタリー」オーナーの思い
清水カツ子理事長により、山脇ファミリーの手を離れた学院運営は、しょせん“乗っ取
り犯”の仕業とあって、かつては服飾、ファッション、デザイン、美術界を代表するブラ
ンドだった学院を、凡庸な人気のないものにしたばかりではありません。その罪=責任は
山脇美術専門学校及び学生たち、さらには教育界の将来にも関わることでもあり、さらに
重いものがあります。
とはいえ、そんな学院の呆れた現状も、なお将来を考えれば、これまでに起きているト
ラブルに大した意味はありません。
詳細は別の機会に譲りますが、そもそもの発端となった2代目・原あやめ氏の認知症、
実質的に彼女を餓死させた継承者(清水理事長)の責任、主治医の役割を全うしなかった
医師の責任、遺言の存在、遺族による寄付返還訴訟、監査法人の代表であり、公認会計士
協会から登録拒否された、実質的に無適格者による会計監査(吉田公認会計士)が関与し
ての「山脇服飾美術学院」のイメージ失墜、並びに創業家とのトラブルであり、今日でも
学院の基本財産等の不適切な処分、特に市ヶ谷キャンパスの用地売却などが問題になって
いるわけです。
創設者ファミリーが訴訟等を含めて、学院側と戦っているのは、最終的に学院を本来在
るべき姿にもどすことが目的です。そこでの「アタリー」オーナーの思いは、筆者と基本
的に共通するものです。
「アタリー」のオフィスで、平山社長は現体制の人たちと戦う姿勢を顕著にする担当者を
前にして「私は清水カツ子さんにだまされたとか、怒るとか、そんな気持ちはない」と語
っていました。
それは“善人”が罪を犯すきっかけをつくった子孫(創設者ファミリー)が、積極的に
関与して来なかった結果、犯罪者をつくったという一面もあるため、彼らは加害者である
と同時に被害者でもあるからです。
とはいえ、第三者であるジャーナリストに「悪人」呼ばわりされ「乗っ取り犯」のレッ
テルを貼られて、なお地位=欲とカネに汲々とすることに関しては、人として恥ずかしく
ないのかと聞いてみたくなります。あるいは、すでに恥を知る心を捨てたのでしょうか?
自ら教育に携わる資格があるのかを考えたとき、かつての“善人”の心を、もう一度思
い出せば、やるべきことは一つ。自ら身を引いて、学院を本来のあるべき姿にもどすこと
だと思います。
今後も、仮に「学院は適切に運営されている」、「法的に何の問題もない」と強弁した
ところで、真実のジャーナリスト、ましてや神をだますことなどはできません。

大手メディアの限界
2016年1月、「アタリー」の担当者が、被害者(創設者ファミリー)の立場を代弁
する形で清水理事長への質問書を送って、対応次第では「大手新聞社」への情報提供を考
えていることなどを伝えています。
メディアへの対応を相談された筆者は「早まらないように」と、いわばそれ以上の動き
については「待った」をかけています。
理由は、多くのメディアは、基本的に自分たちの都合を優先するため、表面的な事実に
しか興味がないためです。
嘘ではありません。古い話ですが、後に公正取引委員会が問題にした「三越」の岡田商
法について、あるいは西武グループの堤義明の失脚について、その後のオウム真理教、幸
福の科学問題なども「新聞メディアが取り上げない」ため、すべて大手メディアに先駆け
て、筆者が手がけた問題です。大手メディアは、三越や西武グループが社会問題になり、
また多くの宗教被害者が生み出されるまでは、知っていても基本的に記事にすることはあ
りません。
特に「山脇服飾美術学院」問題は内容が一見、複雑怪奇なこと、すでに時間が経ってい
ること。寄附返還訴訟の際、一度、和解が成立していることなど、単純な構図を描きにく
いという事情もあります。
重要なことは「山脇美術専門学校」のブランドイメージを傷つけないことであり、同専
門学校並びに学生たちを守ることです。それが4代続く「山脇」の伝統を守ると同時に、
今後の発展を保証することになります。
慎重な対応・展開が必要とされる理由ですが、メディアにおける告発は、現・理事長サ
イドがなお反省・改心せず、学院を本来の在り方にもどそうとしない場合、最後の手段と
して考えられるということです。
誰にでも間違いはあります。週刊誌等メディアで断罪される前に、罪を反省して、辞任
という形で、自ら退いて学院を本来の姿にもどすことを勧めたいと思います。
「アタリー」は1929年(昭和4年)、銀座にできた「アザレ」(山脇敏子創設)の後
身であり、現在の学校の原点である「山脇洋裁学院」は、この「アザレ」の中からスター
トしています。
2029年に「山脇美術専門学校」は、創立100周年が控えています。もともと一つ
だった「山脇」のDNAを再び一つにすべき時期とタイミングではないでしょうか。



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