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 ギャラリー店主は「文化の伝道師」と言われている? 「一期一会」の場を提供する「ガレリアプント」を訪ねてみた

更新日:4月12日


 ギャラリー店主は「文化の伝道師」と言われている?
 「一期一会」の場を提供する「ガレリアプント」を訪ねてみた



 世界は今日も“仰天の日常”

 ネット情報をチェックすれば、世界は仰天の“日常”に満ちている。当たり前過ぎて、

誰も仰天といった言葉などは使わない。メディアはいつものように、例えば世界の選挙イ

ヤーの2024年3月、ロシアで行われた大統領選での異常な光景を伝えている。

 投票日は15日の一日だけだと思っていたら、今回は3日間だという。なるほど、金・

土・日の三日間が投票日なら、選挙はいわばお祭りである。投票率も上がることも予想さ

れる。

 それはさておき、ウクライナ侵攻に反対する出馬予定者が排除されたプーチン政権下で

の選挙では、複数の露メディアが、各地の投票所で起きたことを伝えていた。

 なぜか女性が多いが、首都モスクワで「女性が投票用紙の記入台を燃やそうとした」と

か、別の投票所でも「女性が投票箱にインクを流し込んだ」。第2の都市サンクトペテル

ブルクでも「投票所に火炎ビンを投げつけた女性が拘束された」といった具合である。

 大統領選は戦争中とは思えない当たり前の日常生活と、いつミサイルが飛んでくるかわ

からない中での反政府イベントでもある。選挙後には、人気ミュージシャンの公演会場で

イスラム国(IS)による銃撃テロで130人以上が亡くなっている。

 ロシア・ウクライナ戦争が膠着状態にある中、戦争はイスラエル・ガザ(パレスチナ)

間へと飛び火して、戦争好きな世界の指導者たちが、それぞれの立場に立って、イキイキ

と立ち回っている。

 NGO(国際非政府組織)「セーブ・ザ・チルドレン」によると、過去の百日間で、パ

レスチナの子どもたち1万人の命が失われたという。そんな仰天の日常も、遠い日本では

非現実的な数字、戦争ゲームの延長でしかない印象がある。

 だが、われわれの平和、一見幸せな日常がそうした世界の上にあることに目を向ければ

世界に平和で幸せな日常などないとわかるはずである。ひと事ではないにもかかわらず、

何も感じないのは、心に余裕がなく、想像力が欠如しているからである。



 鶴林寺ビエンナーレ

 後期高齢者になってから、新たな知人・友人ができることは、さほど珍しいことではな

いと思う。だが、遠く離れた地方の人と再会を果たすことは、あまりないのではないか。

 その点「ヒマ」と「ムダ」など、世間が嫌うことを率先してメッセージし、行動の指針

にしているのが「ウエルネス@タイムス」である。

 出かけていけば、意外な出会いなどが待っている。親しくしているベンチャー企業経営

者から「一度、加古川の鶴林寺について書いて下さい」と言われて、訪ねていったのが、

2023年10月7日のことである。

 母親の実家と深い関わりがあるようで、調べて記事の形になれば、少しは先祖供養にも

つながる。

 鶴林寺は聖徳太子縁の寺であり、国宝などがあることで知られる。姫路には麓からロー

プウエーで行ける書写山もある。

 行った当日は、たまたま「鶴林寺ビエンナーレ施美(せみ)時間」と称する「鶴林寺隔

年芸術祭」のオープニングの日であった。

 3つほどのお寺が中にあって、その各書院でアーティストの作品が展示されていた。時

代を反映したウクライナ関係の展示の他、未来のアーティスト(加古川みどり幼稚園の園

児たち)の作品が、その一画を占めているなど、楽しくもあり、驚きもあるユニークな地

域のイベントになっている。

 各スペースには制作に当たったアーティストがいて、一言二言、言葉などを交わしなが

ら、とりあえずは署名代わりに名刺を置いてきた。みなさん名刺は持っていない。

 最近は名刺よりもスマホの時代ではあるが、そういえば、昔の作家(小説家)、芸能人

は名刺を持っていなかったなと思いながら、一人だけ名刺を交換できたのが、ギャラリー

「ガレリアプント」(加古川・神戸)の藪多聞代表だった。ビエンナーレの仕掛け人・プ

ロデューサーである。

 ガレリアプントとはスペイン語でギャラリー+点のこと、英語ではギャラリー・ポイン

トである。「一期一会」というアート、人生の本質を象徴する点と点を結び、線となる場

となっているようだ。

 立ち話で、ギャラリーの広報誌というのか、機関紙を出していると話していた。



 108の煩悩?

 ありがたいことに、今年1月、藪氏から現代アート情報誌「Punto press」

(17号/定価300円)が届いた。

「今度、飲みましょう」とか「会いましょう」と言っても、単なる社交辞令であることが

普通だが、誠実な対応は人生を生きる上での基本である。バカ正直のようでも、正直は貫

いてみれば、大きな力になることは、そうしてきたことがある人だけが知る人生の真実そ

して果実である。

 加古川を再び訪れた3月10日は、79年前の東京大空襲の日。翌11日は13年前の

東日本大震災・福島原発事故の日である。戦争も大きな不幸も、現在進行中である。

 京都から加古川に行く前に「ガレリアプント神戸」を訪ねた。

 三宮駅から北野坂を歩いていくと、右手にガレリアプントのあるビルが現れる。安藤忠

雄氏のデザインだという。オシャレな外観でいわゆるデザイナーズブランドのショップと

ギャラリーなどが入っている。地下に降りていくと「ガレリアプント神戸」がある。

 当日は「108」(グイド・ピザーニ氏)の「Gates of memory」が展

示されていた。日本初となる展示である。

「ポスト・グラフィティアート」と表紙にある「プントプレス」誌に登場するのは「アー

バンアート」108の他に「舌下免疫療法」の野村直城氏、「日々是好日」の里知純氏、

「物質と現象」の馬川祐輔氏、「アートと暮らす」の西岡英里奈氏といったアーティスト

の面名。彼らのユニークな仕事と作品の紹介、そして学芸員・山本暁子さんの「戦利品」

(連載・山本列伝)、ガレリアプント周辺の動きを描いた不思議な漫画?「クンストプン

ツ」の椎名寛氏まで、わかる人にはたぶんわかるといった、楽しい情報誌となっている。

 ちなみに「グラフィティ」とは、英語で落書きのこと。スプレーなどを使って、公共の

場に描かれる落書きは、アートの原点でもある。グラフィティアートはキース・ヘリング

やバスキアなどがポピュラーだが「ポスト」がつくのは、彼らの後を引き継ぐ新しいグラ

フィティアートということだろう。

 アーバンアートはストリート・アートなど、都市環境を背景にしたもので、その代表は

オークションで巨額の落札価格になったり、盗まれたりして話題になる匿名の作家バンク

シーである。

「ポスト」を掲げる「プントプレス」の表紙を飾る108(チェントオット=伊語)は、

イタリア在住のグイド・ビザーニ氏のアーティスト名である。108は煩悩の数であるこ

とからわかるように「東洋哲学と幾何学への興味に由来する」と同誌には書かれている。

「ミラノ工科大学で工業デザインの学位を取得した彼は、イタリアのアーバンアートシー

ンの提唱者であり、廃墟と化した建築物や放置され見過ごされがちな産業スペースから芸

術の道を歩み始め、国内及びヨーロッパレベルでの抽象的なポストグラフィティアートの

最初で最大の先駆者の一人とみなされている」

「アーバンアートは、言語、文化、宗教の壁を超えた視点から、差別や貧困、人種問題な

どの社会問題を念頭に、規則に縛られず、アーティスト個々の手法によって浮き彫りにす

るものだ」

 そんな「彼のことをもっと知りたい!」という思いになる最初のきっかけ(点)が、日

本初「ガレリアプント」での108展ということになる。次回、作家が来日することによ

って、点が線になっていくわけである。



 ライブペインティングの持つ力

 環境破壊が進み、相変わらず戦争が続いている中で、現代アート、近年のアートが昔と

は大きく異なるのは、当然である。

 そんな時代の空気を先取りする形で、どこか哲学めいた(?)怒りや悲しみを隠してい

るように見えるのも、アーティスト・詩人は時代の先行きを見透す力を持っているからで

ある。

 そんなアーティストの言葉は「哲学の原石のようなもの」というのが、筆者の基本的な

認識である。

「物質と現象」の馬川祐輔氏(陶芸家)は、同誌で「人間が増えていくことで秩序が無く

なっていく」と、常識やルールが機能しない時代について語りながら、自らの作品づくり

について、そんな人間を「ただの物質と生命という現象」として表現するという。

 また「多くを語らない」という「舌下免疫療法」のアーティスト・野村直城氏の「ベロ

ベロカヌー」なる作品は、彼が語らずとも、日本から「フランスや台湾、韓国など世界を

舞台に独り歩きするようになった。争いや勝敗など、とうに放棄した作品は、どれも揺る

がない個性と品格を備え、いつだって平常心でそこに居る」(山本氏)というものだ。

 以下、省略するが、同誌に登場するすべてのアーティストが、魅力ある点として登場。

線から面、そして3次元から、そこに音楽が加わることによって4次元へと至り、そこま

で行けば、5次元は目の前にある。

 すべてにアートの力と役割があるわけだが、心と時間の余裕、挑戦する機会がなければ

それは単なる無駄の集積、猫に小判・馬の耳に念仏である。

 その日のガレリアプント神戸には、先客が一人、書家の藤田雄大氏がいて、藪さんのパ

ートナーである学芸員の山本暁子さんが、茶器にコーヒーを入れてくれた。

 書もアートであり、ギャラリーとは何かと縁がある。つい、余計なおしゃべりをしてき

たが、絵が売れない時代、ギャラリーの経営も大変だと思う。

 だが、気に入った絵などのアートを手に入れることは、金銭的な価値を超え、お金とち

がって持つと心が豊かになる。新鮮な感動、満足感は何ものにも代えがたいものである。

 ガレリアプント代表の藪多聞氏は終戦後の1945年11月、福岡県博多に生まれた。

 後期高齢者になっても、自分の主催する舞台を持ち、若い人たちの協力を得ながら、ア

ートに関わるビジネスを展開している。

 ガレリアプント加古川は、鶴林寺近くにあったという前の店が浸水(?)したため、現

在地に移転してきて、2023年4月、ギャラリー兼カフェとしてオープンした。

 スタンドピアノが置かれている部屋には、テーブルの奥の壁1面の鮮やかなというか、

生きるエネルギーに満ちた絵が目に飛び込んでくる。音楽などではわかりやすいが、絵画

でも同様の効果を生むライブの力である。どこか音楽が聞こえてくるようでもある。

 そんな躍動感を感じさせるのも、そのアート作品は絵本作家・小林コージ氏と美術家・

堀越ちあき氏の合作。以前、鶴林寺で行われたビエンイナーレでの即興ライブ作品だとい

う。確かに、命そのものの躍動感が絵になっている。

 3月10日も、音楽会兼飲み会があると聞いていたが、実際には同じ兵庫県のバイオリ

ニスト・神田恭子さんと、一緒に活動しているピアニストの河合輝織(かおり)さんとの

打ち合わせの日だったようだ。遠来の客(?)が参加したことによって、本来の目的が中

途半端に終わってしまった。

 いささか申し訳ないとはいえ、改めてライブの力を味わうことができたのは、実にラッ

キーなことである。





 フーテンの寅さん?

「ガレリアプント」の藪代表は、例えば世界の草間弥生氏、横尾忠則氏など、いまでこそ

日本を代表する作家として知られるが、彼らのデビュー当時から個展を開いている。彼は

他の人が興味を持たない時代の作家や作品に着眼するようで、昔からよく「藪さんは眼が

違う」と言われていたという。

 その片鱗というか、ガレリアプントならではのアート、取り組みは至るところにある。

 東京・下北沢に住んだこともあるという藪氏だが、縁あって、岡山でギャラリーを開い

ていたが、移転の必要があり、神戸への出店を考えていた帰りに、加古川を通ると「トイ

ザらス」や「ベビーザらス」などがズラーと並んでいた。

「ここは若い人が住んでいる」と確信した彼は、そのとき加古川に移転することを決めた

と、学芸員の山本さんが話してくれた。

 いい加減なようで、直観的な印象を重視する。結果、なるようになる。

 そんな生き方を、当の本人は「フーテンの寅さんみたいな人生」と話していた。何しろ

一般的な日本人とちがって「就職したことがない」からだが、そんな自由な人生を送れる

のも、先祖をはじめ親戚縁者など、周りの助けがあってのことだろう。

 いまも現役で、今年は岡山の芸術祭・アートフェスティバルのプロデューサーとして、

多くのアーティストの活動の場を用意している。「パトロン」という言葉が、ほとんど死

語となりつつある中で、なお自分のできることをする。それができるのも、ギャラリー店

主・藪氏の先祖の遺徳というか、愛すべきキャラクターということかもしれない。

 その彼が手掛けるギャラリーが、いわば世界の評価を超越しているのは、当然である。

そして、108の日本初の展示が物語るように、世界のアートシーンの次(ポスト)、将

来にも通じている。

 一流の萌芽を、目敏く見つけることは、藪代表のこれまでの実績が物語っているが、東

京にはない、純な要素に満ちた地方に根ざして活動し、何かを発信することは、それだけ

の自負と使命観があってのことなのである。

「ウエルネス@タイムス」があらゆるアーティストに勝手なエールを送っているのも、人

が生きていく上で、本来不可欠な宗教・アート・エンターテインメントが、最近流行りの

SDGsの17の目標から、見事に欠落しているためである。



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