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「高齢者は集団自決を」とは、いつか見た光景?  介護施設での殺人事件と経済学者・成田悠輔氏の問題発言について

更新日:4月22日



 「高齢者は集団自決を」とは、いつか見た光景?
  介護施設での殺人事件と経済学者・成田悠輔氏の問題発言について



 人生とは何か?

「口は災いの元」とは、前回「ウエルネス@タイムス」第31号の「世界的アーティスト

・草間弥生の反黒人的表現」の冒頭でも引用している警句ですが、今回は失言なのかどう

か、経済学者・成田悠輔氏の「高齢者は集団自決を」との発言が問題になっています。

 失言というよりも、あえて問題提起したとのニュアンスがあります。

 これまでジャニーズ問題以後、常に「人間止めますか?」と、われわれに迫るジャーナ

リストT氏からの原稿が届いています。

 特に、執筆を依頼したわけではありませんが、同じ高齢者として、勝手な世間が何かと

気になるようです。

 T氏の指摘に関しては、読者から「セレンディピティに富んだレポート、大変勉強にな

ります」といった声も届いています。セレンディピティとは意外性に富んだ「素敵な偶然

や予想外の発見」を意味します。

 今回も「人間、止めるかどうか」の決断を迫られる、そんな意外性に満ちた、ちょっと

危険な指摘かもしれません。

 サプリメントとちがって賞味期限はありませんが、以下のレポートはあくまで個人の見

解であり、効果(共感・賛否)は人それぞれ異なります。


         *                    *


 人生とは何かについては、恋愛論、幸福論など、多くの問題同様、たくさんの本が書か

れている。1冊の本になるぐらいだから「なるほど」と思った後も、ページが続いたりし

て、結局、よくわからなくなる。そのため、読者は自分なりの人生の定義を見つけて、納

得するしかない。本当かどうか? 改めて考えてみた。

「人生」とは、言葉通り「人の生」である。

 人の生とはその人の一生であり、その一生は人の数だけある。人が一人として同じでは

ないように、一生もまた人それぞれ。同時に、人それぞれの一生を見たとき、全員に共通

する2つが、生と死である。極論すれば、それが人生である。人は必ず生まれたときに人

生をスタートして、最終的に死を迎えて終わる。万人に共通する真実、人生の本質がそこ

にある。

 その人生をいかに生きるかも、人それぞれ。善人として生きるか、悪人の道を選ぶか。

早死にと長生き。病気の人生、健康な人生。残念な人生か、納得できる人生か。選ぶのは

その人自身の問題である。

 仏教に「生死一如」という言葉がある。一元論を象徴する一語として、要は地球ないし

は宇宙レベルから見れば、生も死も同じ一つという、命の本質を示している。現世的には

人生いかに生きるべきかを考えたとき、意味のある人生を送るための知恵、現実的な杖と

なるのが、生と死を扱う宗教・信仰というわけである。

 同じ「人の生」と同時に、人それぞれちがう「人生」をどう生きるか。生と死に挟まれ

た日々を、有意義に過ごせるかどうか、無駄にするかしないかが、人生の課題となる。

 だが、人生は単純なようで、単純ではない。人生の目的、あるいは目標はいくらでも語

れるが、万人共通の最終目的地が「死」だとわかれば、もっとも無駄のない、効率的な人

生は生まれたら死ぬということになる?

 そんなことを考えたのも、21世紀の今日、案外、死は称賛すべき祝福であるという、

意外な真相を衝いているのが、経済学者・成田悠輔氏の問題発言だからである。




 高齢者の集団自決と障害者刺殺事件

 成田氏は2024年早々、インターネット番組「ABEMA Prime」に出演した

際に、少子高齢化問題に関して、以下のように語ったという。

「唯一の解決策はハッキリしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決・集団切腹み

たいなことしかない。結構、大まじめで、やっぱり人間って引き際が大事だと思う」と語

り、そのためには「消えるべき人に消えてほしいと言い続けられるような状況をもっとつ

くらないといけないんじゃないか」と。

 当然、彼の発言は問題視されたというか、批判に曝された。結果、成田氏が登場してい

たキリン缶チューハイ「氷結」の広告取り下げという事態になって、広く知られるように

なったわけだが、影響は国内から米ニューヨーク・タイムズ紙にも取り上げられて、成田

氏が助教授を務める「イエール大学」が「成田氏の意見は彼自身のものであり、イエール

大学の見解を示すものではない」とコメントを発表する事態にまで至ったのである。

 成田氏は反響の大きさに、後日「発言はあくまでもメタファー(隠喩?)だった」と語

り、同番組のコメンテーターを降番している。

 広告を取り下げたキリンの見解は「過度な表現があると判断した」とのことだが、成田

氏の発言に対する筆者の率直な感想は「とうとう言ってしまったか!」というものだ。

 そんな発言(本音)を大手メディアで行えば、炎上騒ぎになって、表舞台から引きずり

降ろされる。事実、四面楚歌の状態になっているようだが、ネット上のニュースを見れば

当初は成田氏の理解者もいた。

「幻冬舎」の人気編集者・箕輪厚介氏が、X(旧ツイッター)で、一連の騒動を受けてキ

リンの缶チューハイの不買運動が起きていることに関して「まじうるせえな。言葉狩りじ

ゃなくて、中身を考えろよ」とか、キリンに対しても「そんな度胸ないなら、際どい人間

使うな。使うなら守れ」などと発言していた。

 なるほど。とはいえ、箕輪氏自身が一夜にして「怒っている気持ちも理解できます」と

「汚い言葉」を反省。「キリンさんの気持ちもわかります」などと、こちらも反省の言葉

を述べている。

 問題は箕輪氏の真意とともに、成田氏の発言が間違っているかどうかである。

 本音などは、思っていても場所を選んで話すことは、世間を生きる知恵でもある。そこ

では往々にして、本当のことはオブラートに包んで、直接言わない。いわゆる大人の知恵

として、心に仕舞っておく。本音と建前。コミュニケーション上の忖度ないしは配慮だっ

たりする。

 その背景にはクレームが来ること自体が、今日のクレーマー全盛の世界をつくり上げて

いる現実があると言っても、そう間違ってはいない。箕輪氏としても、世界の分断を推進

している「キャンセルカルチャー」の風潮を問題視していたため、あえて言ったはずであ

る。むしろ、残念なのは、他の多くの論客が、沈黙したままであることだろう。

 改めて、この問題を考えるとき、象徴的なのが、実は成田氏の発言内容を、すでに実行

に移して事件になった先駆者(?)がいることだ。相模原の障害者施設「津久井やまゆり

園」で、2016年に入所者19人が刺殺された事件である。

 3月16日に横浜地裁(裁判員裁判)で、殺人などの罪に問われた元職員の植松聖(さ

とし)被告(30)に死刑判決が下された。弁護側は、被告が大麻を乱用するなど、精神

疾患状態を理由に無罪を主張していたというが、衝撃の事件のベースにあるのは、例えば

オウム真理教の「ポア」思想などが、その典型である。

 いわゆる優生思想とされる考え方だが、持続可能性の問われる現在、単純に成田氏の発

言を無視できない事態が進行中であることは、ちょっと考えればわかることでもある。

 どういうことか?


 地球そして絶滅危惧種たちの声?

 先日、ある出版社の編集長とお酒の席で、コロナウイルス及びワクチン死について、国

やマスメディアとは真っ向対立する『文芸春秋』2024年4月号の福島雅典・京都大学

名誉教授の論文が話題になった。

 コロナ感染及びワクチン接種によって起きている近年の厚生労働省の統計での異常な死

者数の増加と、コロナの副反応、ワクチン死との関連を問題にしている。

 背景には、いわゆるデープステイト(闇の政府)など、世界の支配をもくろんでいる勢

力による金・エネルギー・情報等による支配から、ウイルスによる感染症とワクチン接種

による世界の人口削減計画の推進によって、世界の人口を自分たちに都合がいいレベルに

まで持っていく、その途上であるといった指摘が、ネット上、YouTubeなどでなさ

れている。

 あるいは、3月20日にニュースになった「100歳まで生きたいか?」との民間調査

では、日本人は幸福度が低いという結果になっているとか。

 国連が定めた「国際幸福デー」を前に、博報堂DKホールディング傘下のシンクタンク

「100年生活者研究所」が国内外5カ国の市民を対象に「100歳まで生きたいか?」

の他「幸福度」について調査した結果、日本は最下位という結果になったという。

 それはさておき、不老長寿、再生医療、アンチエージングは、今も世界の富裕層、支配

者の目指すところのようだが、今後さらに人が死なない新しい時代を目指す彼らの発想、

発言を聞いて、もし地球に言葉を発する力があれば何というか。絶滅危惧種である動植物

は何というだろうか。

「人間だけが増え続けるのはおかしいだろう」「迷惑だ」と言うはずだ。そして、言葉に

する代わりに、その通りの現象が地球上では起きている。

 昔「水を油に変える」あるいは「水を燃やす」技術を開発した天才科学者・倉田大嗣氏

は、著書『水を燃やす科学』(三和書籍)の「はじめに」で「人間は地球の害虫」と自戒

を込めて書いている。環境破壊、公害、温暖化など、みな人間がしたことだからである。

 近年の異常気象、天変地異による大災害・大惨事は、戦争同様、人類の大量死を積極的

に推進しているかのようである。

 そこでは、どのような形にしろ、現在の地球や動植物にとっては、戦争でも何でも人口

が減るならば、彼らにとってはハッピーなことになる。

 人を殺してはいけないという一般的な常識は、そこでは通用しない。事実、一人を殺せ

ば殺人者として罪に問われるが、戦争で人を殺せば殺すほど、勲章の数は多くなる。

 人を殺してもいいのか悪いのかについては、別の機会にレポートしたいと思うが、人間

だけが、自分たちの都合で、地球にやさしい生き方を逸脱して、壊滅的な地球環境をつく

り上げてきて、自分たちで困っているのが、SDGsなるものの正体である。

 では、どうしたらいいのか? 



 SDGsを成功させる2つのヒント

 地球並びに人類の未来を考える上での、一つのヒントが、その昔、日本であった「うば

捨て山」信仰である。ある程度、歳を重ねて、もう十分と自覚した高齢者が後進に道を譲

るために、死に場所を山に求める。つまりは自然に帰る。

 本能通り生きている生物は、弱肉強食、食物連鎖などとともに、ある程度、一つの種が

増えると、自然に淘汰される形で、地球にやさしい状態を維持する道を生きていく。その

意味では、役割分担が自然の中で機能している。

 もう一つは、宇宙開発に金を注ぎ込む余裕があるなら、その前に現在の地球の人口でも

地球や他の生物に迷惑をかけない平和な技術を完成させるということだ。それでこそ、万

物の霊長、地球の盟主・ホモ・サピエンス(知的人類)である。

 答えはわかっていても、平和で住みやすい地球への道は遠いと言わざるを得ない。



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