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クルマ椅子の“フェラーリ!?” ペダル付きクルマ椅子「コギー」  常識のカベ突破にチャレンジする株式会社「TESS」の奇跡




 クルマ椅子の“フェラーリ!?” ペダル付きクルマ椅子「コギー」

 常識のカベ突破にチャレンジする株式会社「TESS」の奇跡



 国際福祉機器展&シンポジウム

 日本でも車椅子を見かける機会が圧倒的に増えている。

 2024年1月27日には、テニス「全濠オープン」のクルマ椅子男子シングルス部門

で、17歳・小田凱人氏(おだ・ときと)が「最年少で大会初制覇を果たした」とニュー

スになっていた。


 意外な場所では、1月25日に京都アニメーション放火殺人事件の京都地裁で「死刑判

決」を受けた青葉真司被告(45)が、自らも大火傷を負ったこともあり、クルマ椅子に

乗って登場。法廷内の全員が立ち上がって裁判官らに一礼する中、一人座ったまま頭を下

げたとのイラスト姿が報じられている。

 そのクルマ椅子は競技用のものこそ、車輪の角度が特別仕様になっているが、あとはほ

とんど同じ姿形をしている。


 どのようなクルマ椅子が、現在の主流なのか、東京ビッグサイトで開催された「国際福

祉機器展&シンポジウム」に出かけてみたのは、2023年9月末のことである。古い友

人から、ペダル付き足こぎクルマ椅子「コギー」を取り上げてみませんかとのメールが来

ていたためだ。


 クルマ椅子はほとんど人類の歴史とともにある。だが、現在のクルマ椅子の原型は、1

933年にエンジニアのハリー・ジェイニングス(米)が開発した世界初の金属フレーム

のクルマ椅子だとされる。その後、折り畳み式、電動式などが登場しているが、小さな前

輪に駆動用の大き目の後輪が、長い歴史のあるクルマ椅子特有の“常識”である。そのス

タイルは90年後のいまも、ほとんど変わることはない。


 そんな中「国際福祉機器展」には出展していなかったが、株式会社TESS(鈴木堅之

社長)のペダル付き足こぎクルマ椅子「コギー」は、かなりユニークである。

 クルマ椅子の商品開発・イノベーションの観点からは、現在でも定番である標準的なク

ルマ椅子の他には電動式が登場している程度で、いわば足こぎクルマ椅子は3つ目のカテ

ゴリーになる。


 電動式などとは異なる真の意味のイノベーションを実現したクルマ椅子だというのが、

広く関心を持たれ、注目される理由である。





 クルマ椅子のフェラーリ

「コギー」は2022年8月に、テレビの「カンブリア宮殿」で作家・村上龍が紹介して

いる他、すでに多くの賞を受賞している。

 株式会社TESSは、2008年11月設立。2009年3月、足こぎクルマ椅子の試

作第1号「プロファンド」を完成。7月には全国販売を開始している。

 2010年6月には「第2回宮城優れMONO」に認定。

 2011年1月、東北ニュービジネス大賞「アントレプレナー大賞」受賞。

 2013年3月、日本クリエーション大賞2012「日本クリエーション賞」受賞

 2014年2月、日本ベンチャーアワード2014「経済産業大臣賞」受賞。

 2016年6月、商品名を「コギー/KOGY」に変更。

 同年11月には「グッドデザイン賞」BEST100金賞を受賞。

 2017年には、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルで銅賞を

受賞するなど、日本のみならず、海外でも注目されている注目のクルマ椅子である。

 これまでの同社の歩みを羅列すると、順調そのものに見えるが、何事も世界初ともなる

と、一筋縄ではいかない。

 鈴木堅之社長の表現では「不思議な」あるいは「奇跡的」そんな綱渡りの連続で、10

年が過ぎて、少しは世間に知られるようになり、新たな10年が始まろうとしている。そ

のためにも、よりみんなに知ってもらう必要があるということである。

 その受賞歴、特に「グッドデザイン賞」BEST100金賞受賞からわかることは「コ

ギー」はクルマ椅子のスーパーカー「フェラーリ」か「ポルシェ」ということである。

 しかも「当初はクルマ椅子らしくない」と違和感を持たれていたらしいが、最近は「か

わいい」「カッコいい」という声をよく聞くようになったという。

「10年前と(デザインは)何も変えていないのに、10年やり続けると評価が変わる」

と、鈴木社長は語っている。




 クルマ椅子の常識というカベ

 筆者も、その昔、ベビーカー(バギー)に子どもを乗せて外出したり、母親の介護のた

め、クルマ椅子で散歩をしたりと、移動用に利用したことがある。

 そのときに思ったことは、前輪が小さいため、段差につまずいたり、じゃり道で不自由

したりすること。その度に「何で、もっと前輪を大きくしないのか?」と不思議に思って

いた。折り畳みの関係などから大きくすることができないのかと思っていたら、そんなこ

とはなかった。

 鈴木社長も「不思議な話だ」と話していた。最近は多少変わってきているとは思うが、

要はクルマ椅子の標準的なスタイルができた後は、昔からの形を変えるという発想がない

のだという。

 逆に、その常識的な形から逸脱すると「おかしい、クルマ椅子ではない」といった認識

になるそうで、それもコギーの意外な苦戦の理由だったとか。ちょっと不思議である。

 だが、子どもは素直なので、どこへ行っても「コギー」を見て集まってくるという。

「コギー」はクルマ椅子の常識を超えたという意味では、クルマ椅子界の「フェラーリ」

「ポルシェ」である。

 スポーツカーはクルマの機能と形状を理想的な姿にした最高モデルである。同じクルマ

でも、F1が世界のビジネスになる理由であり、カッコいいことからファンが多い。企業

側はF1車に関わることで、実際のクルマ造りにフィードバックできる利点がある。

 クルマ椅子も同じ乗り物だと思えば、どのような変革・進化を遂げるかは、今後の課題

だが、すでにあるイノベーションこそが「コギー」だとわかれば、少しは世の中に広まる

きっかけになるのではないか。

 価値を知らないため、クルマ椅子の世界でも既得権益の壁、常識の壁にぶちあたって苦

労するのは、多くの画期的なベンチャーの持つ宿命である。

 だが、常識をぶち破ることでしか、できないこともある。そこでは、通常のビジネス志

向とは異なる理想、モチベーションが不可欠となる。

「国際福祉機器展」に限らず、多くの展示会に共通することは、出展している企業が協力

者となる代理店を求めていることだ。そこに共通するのが、代理店側の「楽をして儲けた

い」という基本的な姿勢である。

 ところが、往々にして画期的な技術・商品は「楽して」という安易な考えではうまく行

かない。それもまた、株式会社TESSが当初、苦戦してきた理由である。

 最近になって、ようやくクルマ椅子を必要とする施設や病院等に「コギー」をモニター

として実際に使ってみてもらう、実際に貸し出して体験してもらうといった取り組みを始

めているという。



 宮澤賢治の夢見た理想郷

鈴木社長は1979年に静岡県下田市に生まれた。父祖・父親は薬剤師をしていたとい

うが、本人は好きだった宮沢賢治に関わる何かをやれればと思って、盛岡大学・文学部児

童文学科に進学した。担当教授のアドバイスもあり、4年間、童話を書いては、新聞社や

出版社に送っていたという。

 いわゆる宮澤賢治好きの元・文学青年である。彼らの本質的な良さは、理想を抱いて、

その世界に生きようとしていること。その多くは挫折するが、それは世間という世の中の

舞台があってのことで、理想を捨てる捨てないは、本人の問題でもある。そして、多くの

文学青年は理想を捨てて、普通の大人・社会人になる。

 現実は甘くないとはいえ、鈴木氏は幸いにして、大学卒業後「宮沢賢治の夢見た理想郷

をつくる」という地元の会社社長に誘われて、知的障害者更生施設・社会福祉法人「いき

いき牧場」に指導員として就職することができた。

 だが、理想と現実は異なる。最重度の障害者が集まってくる中、そこでの仕事の限界を

知って、2年半で退職。リハビリ・セラピストが不足している現状があったことから、山

形にある4年制の理学療養士養成学校に入学した。

 ある病院からの奨学金を受けてのことだが、病院側の事情により奨学金は2年で打ち切

り。止むなく中退して、同養成学校校長の薦めもあり、大学で取得していた小学校の教員

免許を生かして、当時、国家資格になるとされていた言語聴覚療法士(スピーチセラピス

ト)の道を目指すことになった。




 昼休みのテレビニュース

 めでたく試験に合格、山形県天童市にある「ことばの教室」で、幼稚園児から中学生ま

で、吃音や発声障害がある生徒を相手にしていたのだが、公立のため2年目には普通学級

へと異動することになった。

 だが、新たに赴任した小学校への異動が、やがて彼の進路を決定づける。そこで、彼は

クルマ椅子の男の子を受け持つことになった。当時は、クルマ椅子の生徒が普通学級に来

ることなどは、ほとんどなかった。

 当然、昼休みなど、クラスの全員が外に遊びに行く中、彼は一人教室に残っている。

 そんなある日の昼休み、テレビで「東北大学医学部のリハビリの教授が足で漕ぐクルマ

椅子を開発した」とのニュースが流れていた。動けないはずのおばあさんが、楽しそうに

足こぎクルマ椅子に乗っている。

「すごいな」と思った彼は、クルマ椅子の生徒に乗せたいと思って、開発した東北大学の

半田康延教授の研究室を訪ねていった。

「いつ製品化できるんですか?」と聞くと、まだ決まっていない。ましてや、子ども用な

どない。

 それでも、情報交換を続けていると、2001年当時、経済産業省の大学ベンチャー1

000社政策により、東北大学でも大学ベンチャーがいくつもできた。その一つが半田教

授の「FES」で、メインの電気刺激療法と足こぎクルマ椅子の開発を行うベンチャーが

スタート。彼は教員を辞めて入社して、足こぎクルマ椅子の担当となった。

 大きな足こぎクルマ椅子の試作機ができたとはいえ、大学ベンチャーは4年で解散。大

学側と交渉して「知財」を受け継いで、新たに株式会社TESSを設立したわけである。


 乗ればリハビリになるクルマ椅子

「COGYは全く新しい『健康増進モビリティ』です」というのが「コギー」のキャッチ

フレーズの一つである。

 寝たきりの老人、重度認知症、パーキンソン病、脳梗塞患者など、歩行困難だった人が

自力でペダルを踏み、好きな場所に行ける画期的な乗り物である。そこでは、乗っている

ことが、そのままリハビリになる。

 信じられないことが起きていることは「どうせ会社側の宣伝、セールストークだろう」

との先入観があったとしても、例えば「コギー」利用者がイキイキと楽しそうにしている

YouTube映像、体験者の声を聞けば嘘ではないと、わかるはずだ。

 それは、スイス連邦工科大学ローザンヌ校などの研究チームが「脊髄損傷で下半身が麻

痺した患者に脳の信号を読み取る装置などを埋め込み、自発的に歩く機能の回復に成功し

た」との「日経新聞」(2023年9月1日付)の記事内容の証明のようでもある。

 脳と機械をつなぐBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)技術の進歩により、

脳を刺激して体が動くことで、失われていた機能が回復するという発見である。

 同様に「コギー」もペダルを踏んで、足が動くと、本来、機能していなかったはずの足

まで動きだす。そんな目に見えない機能がある。株式会社「TESS」のもう一つの事業

の柱である電気刺激治療にも通じる。

 事実、小脳を切断した患者の動かないはずの脚が動く。人間の体の不思議というしかな

いが、実際に「自転車に乗りたい」という夢を持っていた、自分の体をコントロールでき

ない子が「コギー」に乗ると、先生が「漕げないよ」と言っていたのに、体がちゃんと反

応する。漕ぐことができて喜ぶ子どもを見て、両親は涙を流していた。

 クルマ椅子及びリハビリの常識を変える、そんな奇跡があちこちで起きている。

 電動クルマ椅子が便利なことはわかるが、乗っていると、やがて様々な不具合が生じて

きているというが、クルマ椅子も乗り物だと思えば、自動車がバスとタクシーそして自家

用車と乗り分けているように、状況に応じて普通のクルマ椅子、電動式、コギーとを使い

分ける新たな文化ができればというのが、株式会社TESSの目指す世界である。




 機嫌の悪いビジネスパートナー?

 いまでこそ、様々な夢を語ることができる「コギー」だが、大学ベンチャー解散後の道

のりは、スタート早々、準備した資金も底をつき、モノもつくれないまま、結局、会社を

畳む決断をすることになる。

 だが、そこから不思議な展開が始まる。日本商工会議所の「会報」の記者が「面白いこ

とをやっている」ことを聞きつけて、取材に来た。「でも、今月で会社はお終いです」と

正直に伝えたところ、話したことがそのまま記事になった。

 すると、記事を読んだ静岡の警備会社の会長から電話があって「もったいないじゃない

か」と、500万円を用意してくれたのだ。福祉関係の仕事をしていて「完成したら自分

のところでも売るから、返す必要はない」という。

 さらに、奇跡は続いた。当時、実際に製品をつくってくれる企業を探していたのだが、

すべて断られて、最後に受け入れてくれたのが、パラリンピックの競技用クルマ椅子をつ

くっていた「株式会社オーエックスエンジニアリング」(石井勝之社長)であった。

 出来てきたのが「コギー」である。その出来ばえは、鈴木社長の予想をはるかに超えて

いた。プロの職人技であった。

 とはいえ、石井社長はなぜか不機嫌な顔をしている。その理由は、実際に「コギー」が

できてきたときに明らかになった。

 石井社長が鈴木社長に協力したのは、何と鈴木社長が完成させようとしている車椅子な

ど「できるわけがない」ことを証明したいと考えてのことだった。

 これまで大学や企業の研究者の机上の空論に振り回されてきたため、今回も同じことだ

と思っていたら、リハビリ室で歩けなかった重度の患者さんが、目の前でスイスイと漕ぎ

だしたのだ。「ホントなんだ」と、我が目を疑うと同時に、自分がつくった「コギー」で

みんなが喜ぶ姿を見て、石井社長自身が感動したのである。

 試作品ができて、唯一、話を聞いてくれていた地元の仙台銀行からの融資が決まって、

何とか動きだした。



 台湾の元外交官からの電話

 だが、一難去ってまた一難である。パートナー企業であるオーエックスエンジニアリン

グの国産工場では、月産20台しか生産できない。仕方なく、中国に行って、その技術力

に衝撃を受けるのだが、信頼関係、秘密保持という点では心もとないところがある。

 困っていたところ、台湾の外交官から電話があった。

 以前、東京にリハビリに来ていた台湾の富豪を案内してきたのが、その外交官で「クル

マ椅子が、その後どうなったか」問い合わせてきたのである。

 台湾の富豪は試作機に乗って、ものすごく感動して「君も外交官なんか止めて、あの仕

事を手伝いなさい」と言われたそうだ。しかも、実際に退官して「TESSの役に立つこ

とをしたい」と、すでに台湾の会社に目をつけていたと言って、何と困っていた「製造工

場は用意しておいた」との展開になったのである。

 こうした展開自体、自分の意思を超えた何かがあるとしか思えない。そんな奇跡と運命

の連鎖の上にTESSの「コギー」は、世界へと踏み出した。

 何しろ、日本だけでも脳梗塞患者はおよそ200万人いる他、当たり前だが、高齢者の

大半はクルマ椅子予備軍である。

 どんなクルマ椅子を選ぶかで、その後のリハビリ、そして人生も変化する。しかも、自

分自身の力でやりたいことを叶えることが、本人にとっても幸せであるだけではなく、介

護者にとっての幸せでもある。というのも、介護の現場は何かとお互い気を使う。そんな

余計な気遣いから解放される。

 実際に、クルマ椅子生活の中でも「コギー」に乗って、ハワイのホノルルマラソンを走

っている人もいる。

 そうした事例は「コギー」並びにTESSの持つ可能性のホンの1例でしかない。今後

も、TESSには「新しい事業の材料がいっぱい溜まっている状態です」という。

 ストリートビューを使った装置を組み合わせたり、電気刺激療法をはじめパワーアシス

ト装備の「コギー」など、これから登場してくるはずである。

 まさに、今後のTESSが楽しみという2022年10月、「コギー」の開発者である

半田教授が、突然、この世を去った。まるで「後は自分でやれ」「お前に任せた!」とい

うように。

「コギー」の世界的な展開と同時に、TESSの今後に注目していきたい。



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