ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々 16 チェス、ビリヤードそして神戸について 作家・波止蜂弥(はやみはちや)
- vegita974
- 6 時間前
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ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々 16
チェス、ビリヤードそして神戸について 作家・波止蜂弥(はやみはちや)
神戸・山口組本部
兵庫県・神戸も広いが、昔から何かと縁がある土地柄のようで、旅行に取材によく訪れ
ている。
最初がいつ、何の用事だったのかは記憶にないが、もしかしたら大阪での広域暴力団・
山口組の取材で、神戸の高級住宅地にある山口組総本部を訪ねたのが最初かもしれない。
訪ねたといっても、作家が書く月刊誌の「山口組VS稲川会」の取材のため、とりあえ
ず訪ねた証拠写真(?)だけ撮ってきたようなもの。筆者は山口組担当だったからだが、
総本部周辺にはパトカーが停まっていて、まるで警察がガードマンといった感じだった。
大体が、山口組総本部を訪ねたところで、当たり前だが門前払いになる。それでも広報
担当の親分の事務所が大阪にあると聞いて、そちらに向かった。
ヤクザ小説を書いていた作家の紹介状があれば、多少は融通が効いたようだが、当時は
そんな知恵もない。親分への取り次ぎをお願いすると「紹介状は?」と聞かれた。「特に
ない」と答えると、呆れられたが「いい度胸しているじゃねえか」と言われて、名刺だけ
は受け取ってもらえた。
携帯電話などない時代、ホテルに泊まっていると言ったところで、連絡が来るわけでも
ない。
当時の組長は、武闘派の四代目・竹中正久氏で、千里にあった竹中邸の、こちらはまる
で要塞のような家の写真を撮ってきた。まあ「親分も大変かも」と思ったのは、一眼レフ
カメラを拳銃かライフルで狙いをつけるようにしてシャッターを切ろうと思っても、どこ
にも死角がないからだ。
狙うほうも大変だが、狙われるほうも大変だなと、そんなことを思ったのも、行ってみ
て、初めてわかることである。
神戸への新婚旅行
以上、いつものように、どうでもいい話だが、その神戸は聞けば、ダーツのレジェンド
「青柳運送」の青柳保之代表取締役社長が新婚旅行に出かけた思い出の場所でもある。
青柳社長はダーツの仲間が関西にいるため、東京での結婚披露宴の他、大阪でのお披露
目、さらに三宮のホテルでも仲間がスィートルームを用意してくれていて、お祝いパーテ
ィをやったとかで、各地のダーツ仲間との交流が、かなり密だったようだ。
当時、ダーツの試合のため、神戸にはよく行ったというが、そのためだけでもないだろ
うが、新婚旅行は神戸にして、大阪そして最後に京都と、青柳社長曰く「ダーツ旅行」を
して帰ってきた。いかにも青柳社長らしい、そのダーツ人脈の広さがよくわかるエピソー
ドというわけである。
特に神戸は、作家・森瑶子さんと出会う前に、夫アイヴァン・ブラッキン氏が日本に上
陸して、ダーツバーを見つけて感激したという港町である。
そのブラッキン氏が見つけたダーツバーではないが、青柳社長も戦後すぐからある古い
ダーツバーにも行ってきたという。
関西でのダーツの仲間たちとのお祝いの会は2次会、3次会まで続いたという。日本経
済がバブル期へと登り詰めていく、42〜43年前のことである。
村上春樹ゆかりのジャズバー
2026年2月半ば、毎月のように会っている青柳社長と元ダーツ日本代表の小熊恒久
氏と、1年ぶりに池袋のビーガンレストラン「アインソフ」で会食した。
ハードダーツからソフトへの移行期について、2人の関わりなどを聞けたらと思っての
ことだが、団塊の世代の3人が会って、お酒が入れば、それぞれ言いたいことを言って終
わるのも、いつものことであり、お互い元気な証拠でもある。
その日は、筆者が前日、神戸・三宮のジャズバーに行った翌日のことである。
1年ぶりの神戸は、知人の案内で前年行った関西学院大学出のママがやっていたジャズ
クラブが、高齢のためついに引退ということで閉店。その代わりに、学生時代に通ってい
たという老舗ジャズバーに案内された。その後、三宮駅前に移転しているという「さりげ
なく」である。
移転前の店には作家・村上春樹氏が通ったという伝説の店である。村上春樹氏とはすれ
違ったまま、直接会うことはなかったが、多少の縁はある。筆者の顧問役霊能者は、村上
氏と親しい人物からの紹介である。
初めて訪ねて以来、その神戸は何かと訪ねる機会が増えていった。特に、芦屋の竹園ホ
テルに泊まって、一時期は本づくりなどのため、しょっちゅう芦屋の億ションの住人を訪
ねていた。阪神・淡路大震災後の大阪から三宮あたりの惨状を目の当たりにしてきたこと
もある。
ラブストーリーということでは、元カノのシャンソン歌手Hさんと一緒に、新宿のジャ
ズスポット「J」で遊んでいたころ、確か西宮にジャズフルート・柳原淑乃さんの実家を
訪ねたことがあった。
当時、彼女はニューヨークに行ったままだったこともあり、近況などを聞ければという
ことだった。とはいえ、突然、東京からHさんが消えて、ちょっとした騒動になっていた
と後日、彼女のマネージャーが話していた。ついに、駆け落ちでもしたのかと思われてい
たらしい。
西宮を訪ねた後、その日は京都に泊まったのだが、世間は狭いというか、不思議な縁に
満ちている。旅行から帰ったある日、行きつけのゴールデン街の店のママから「二人を店
のお客さんが京都の四条河原町の交差点で見たと話してたけど、行っていた?」と聞かれ
て、ビックリしたことがあった。
エッ、確かに行っていたけど!?
映画「ハッピーダーツ」
ハードダーツが盛んだった1960年代から70年代、ダーツのレジェンドたちが六本
木で遊び始めたころ、ダーツよりも、筆者の周りでは遊技場として目立っていたのはビリ
ヤードだったとの印象がある。
たぶんポール・ニューマン主演の米映画「ハスラー」(1961年公開)の大ヒットの
影響である。見たことはなくても、賭けビリヤードの世界で生きる主人公とともに、ビリ
ヤードがカッコいいゲームとして、日本でも人気なっていった、そんな時代である。
ビリヤードのプロが「ハスラー」と呼ばれ、特別な存在になるのに対して、ダーツの世
界を描いた映画は、特に思いつかない。誰かが「AI」に聞いていたが、特にないとか。
ちょっと不思議なようにも思うが、代わりに紹介されていたのが、2008年制作の日
本映画「Happyダーツ」(主演・辺見エミリ)である。世界初の本格的ダーツ・ムー
ビーとの触れ込みである。
派遣社員として働く女主人公が、友人に連れていかれたダーツバーで、店員をしながら
プロを目指すイケメンに一目惚れ。彼の気を引くため、店に通いつめるうちにダーツの魅
力に目覚めていくという青春ドラマである。
ストーリーはいかにもという感じの展開だが、筆者にとっての発見は、その映画には多
くの現役ダーツプレーヤーが友情出演していたことだ。
しかも、その筆頭に名前が上げられているのが、いまも現役のプロ佐藤敬治氏(K−P
ON)、中板橋「Palms」の浅野ゆかり氏である。
「K−PON」こと佐藤氏が、ソフトダーツの「神」と言われたのも、よくわかるという
ことか。
冬季オリンピック
ダーツのレジェンドたちと会ったその日は、ちょうどイタリアのミラノ・コルティナで
冬季オリンピックが開催中とあって、日本勢のメダル獲得数と活躍ぶりが、自然に話題に
上がった。
スノーボードや、あるいは女子のフィギアなどもそうかもしれないが、昔のような各選
手がライバルというピリピリした感じではなく、みんな仲間として日本チームを盛り上げ
て、ミスしても励まし慰める。戦いではなく、一緒にゲームを楽しむ同士=仲間たちとの
印象が強い。
確かに、比較的新しい競技であるスノーボードのメダリストが語っていた。
「スノボーでは成功しても、失敗してもスゴイこと、カッコ良さがメダル以上に価値があ
る。カッコいいが、すべての基準です」と。
新しい世代のスポーツ、オリンピックの在り方が、少なくとも日本チームからは感じ取
れたことは、普段、スポーツなどには縁のない筆者にとっても、新鮮な発見あり、実に感
動的であった。
青柳社長は、以前「ダーツをオリンピック競技に」と、関係者が考えていた時代、その
渦中にいただけに、当時は自然消滅する形で消えていったオリンピック話だったが、スノ
ボーに限らず、様々な新競技がオリンピック種目になる時代である。案外、ダーツがオリ
ンピック種目になっても不思議ではないと語っていた。

ジャパニーズ・ダーツ
ダーツではないが、2026年1月に出版された石井仁蔵著『コンフィデンシャル・ゲ
ーム』(講談社)を読んだ。
著者の石井氏はもともと2023年にチェスに熱中する男女4人の青春を描いたデビュ
ー作『エヴァーグリーン・ゲーム』(ポプラ社)で「第12回ポプラ社小説新人賞」を受
賞。待望の第二作ということである。
冒頭のナポレオンからアメリカ独立後の話、東西冷戦最中のキューバ危機、明治時代の
西洋将棋(チェス)など、各国の運命を分けた瞬間に、チェスの「世紀の大局」があった
としたら−−と、本の帯には「大胆で変幻自在な語りが生み出す、唯一無二のチェス・エ
ンタメ小説!」とある。
将棋に限らず、麻雀小説は直木賞作家・色川武大氏が阿佐田哲也名で書いた『麻雀放浪
記』などがあるが、やはりダーツ小説は、これといったものがない。

そんな日本だが、昔から和製「お座敷ダーツ」があると、1月15日付の「日経新聞」
の「文化」欄に紹介されていた。「和製ダーツ『投扇興』世界雄飛」の見出しの記事で、
「世界」とあるのは、台湾・ルーマニア・ハンガリーなどでも体験会が開催されているか
らである。何と、筆者は東京・本寿院住職の三浦尊明師。NPO法人「日本投扇興保存振
興会」理事長である。
投扇興は開いた扇子の要部分を手で持って「胡蝶」と呼ばれる的に向かって投げる。的
を置く台「枕」と扇子、的の絡み方で24種類の得点銘があり、難易度によって1点から
50点まである。
フジTVのお昼の番組「ぽかぽか」で、タレントが対抗戦をやっているのを、何度か見
たことがある。もともとお座敷遊びがルーツだから優雅なものだが、かつては大衆的な娯
楽として広まり、賭け事として過熱したことから、幕府が禁止令を出したこともある。
「ジャパニーズ・ダーツ」にも意外な歴史的背景があるわけである。
前出のチェス小説の本の帯には「ルールは一つ、『最善』を尽くすこと」とある。
歴史を舞台にしたチェス・エンタメ小説を読みながら、殺人ゲームのように世界で戦争
が続く中、盛んに停戦協議が模索されているが、お互いの意地とメンツがあるため、しょ
せん茶番の域を出ないままである。
誰か、改めてビリヤードでもチェスでもいいけど、大昔、兵士たちが始めた「ダーツで
決めろ!」と提案してほしいものである。そのときダーツは「平和の祭典」であるオリン
ピックに相応しい世界の、そして世紀の難局を救うものになるはずである!?



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