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ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々 17 「ソフトの神」と「人生」について 作家・波止蜂弥(はやみはちや)

ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々 17

「ソフトの神」と「人生」について

作家・波止蜂弥(はやみはちや)


ホテル前のビーガンカフェ

昔はさておき、近年は大阪に用があるときには、大体が新大阪駅近くのホテルを利用する。特に、新大阪には知人のオフィスがあることもあり、昔からよく利用してきた。

昨年末、新大阪に行ったときのこと。朝、知人と待ち合わせてモーニングを御馳走になった。よく利用するカフェに行くのかと思ったら、その日は東口駅前広場に面した店に行った。何でも「30年間、新大阪に住んでいるけど、そこがカフェだとは知らなかった」という店なのだとか。

そう聞いた筆者も「東口駅前広場にカフェなんてあったかな?」と考えていたら、確かにその店はあった。長いカウンターのある店で、公園に面した側にはテーブル席が並んでいる。オレンジ色の看板が目立つ「PUPE」である。それまで筆者も新大阪駅・東口広場には何度も降り立っている。とはいえ、ずっと目にしていても、そこはケータイか介護や保険のサービスショップか何かだと思っていて、まさかカフェだとは思ってもいなかった。知人同様、その日初めて知ることになって「えっ、カフェだったの!?」と驚いた。

見えていても別のものとの思い込みがあって、目に入って来ないのである。世の中というか、人生とは案外そんなものである。意外な盲点というか、思い込みによる落とし穴を教えられた気分である。

そんなエピソードを思い出したのは、4月23日、巣鴨に用事があるときはよく泊まっていたホテルの目の前に、ビーガンケーキを売るカフェ「TAKAGIYA」があることに、10年近く経って初めて気がついたからである。ホテルに泊まった翌日、ホテルを訪ねてきた友人と会うため手頃な喫茶店を探していたところ、目の前にあったのがその店であった。やはり「えっ、カフェだったの!?」と驚いた。その際、お土産用に買ったケーキセットのマドレーヌはビーガン仕様のため、いつも食べているものとは明らかに異なる、ベジタリアンには安心感のある美味しさであった。ミルク製品を使っていないことが、その秘密である。

鎌倉ミルクホール

4月のダーツのレジェンド「青柳運送」青柳保之代表取締役社長と元日本代表・小熊恒久氏との恒例の集まりは、御徒町駅近くにある思い出の店に行くことになっていた。彼らの後輩であり、前回の連載に映画「ハッピーダーツ」にプロとして登場していた「ソフトダーツの神」と呼ばれる「K-PON」こと佐藤敬治氏夫妻と一緒に訪ねようという話であった。

ところが、店のママもレジェンドたち同様に高齢のため、いまは週の半分と予約の入った日しかオープンしない。その日はいつもは開いている日なのだが、たまたま用事があるため閉店。同店には次の機会に行くことになった。以前もそんなことがあったが、結局、佐藤氏夫妻は初めてなので、ビーガン「罪無き麻婆豆腐」虎の門店に行った。

今回はピリ辛麻婆豆腐セットの他、つまみ類を頼んで、ビールにレモンサワーなどを飲みながら、佐藤夫妻に学生時代に知り合って、そのまま結婚して現在に至るというわれわれ団塊の世代3人とはまったく異なるラブストーリーを聞いてきた。

と言いたいところだが、狭い店内で5人で酒を飲んでいれば、わかりやすいラブストーリーではなく、筆者には所々ついていけないハード時代のダーツの思い出話が始まる。

店はその日、満員で次から次へと客がきていた。初めて来たときは、気がついたら外国人ばかりになっていたが、その日は日本人客がずいぶん増えていた。今回、初めて頼んだフライドポテトは、スパイスが効いていてカリッと揚がって、なかなか美味しい。

青柳社長が、その日は休みの店主(筆者の息子)に「フライドポテト、美味しかったと伝えておいて」と話していた。

別れ際に、来月は御徒町の店に行くということになって、初めて店のママが鎌倉で「ミルクホール」という店をやっていたことを知った。鎌倉を引き揚げて、御徒町で店をやっているということである。

ミュージックホール?

「ミルクホール」とは筆者には聞き慣れない呼称なので、思わず「えっ、ミュージックホール?」と聞き返した。ダーツの話だから、そんなはずはない。

「ミルクホールです!」と小熊氏から否定された。「鎌倉ミルクホール」は一度改装した後、いまも小町通りの路地裏にある。大正レトロなインテリア、骨董類など、映画のセットのような雰囲気であるとか。当時のハイカラなカフェとして人気を博したミルクホールをイメージして、自宅を改装したものだという。

ちなみに東京・神田多町にある「栄屋ミルクホール」はラーメン店である。

まあ、個人的には昔からミルクは苦手だからか、鎌倉にはよく行ったが「鎌倉ミルクホール」には縁がなかった。

その鎌倉は最初の恋人との定番のデートコースであった。作家や文化人が多く、詩人で翻訳家の田村隆一氏とは、家に行ったり行きつけのカフェやバーで会ったり、何かと訪ねていったものだ。不思議なのは、その田村氏からずいぶんいろんな話を聞いて、彼からの相談ごとにも協力したはずなのに、まるで記憶に残っていないことだ。

古い日記を引っぱり出せばどこかに書いてあるのかもしれないが、不思議なことというか、長い人生、そんなこともあると思うしかない。どうでもいい話だが、聞き返した「ミュージックホール」とは、書きかけのウィキペディアによれば、文字通り音楽を提供する施設、現在の「ライブハウス」とのことである。そこにストリップ劇場のことだとする記述はない。

その意味では、いまではほとんど死語のようだが、筆者の世代ではミュージックホールとはストリップ劇場の代名詞である。

ついでに調べれば、2021年5月、中国地方最後のストリップ劇場「広島第一劇場」が多くのファンに惜しまれる中、46年の歴史に幕を閉じたと出ていた。検索ついでに、神奈川県大和市の「大和ミュージック劇場」はいまだに健在であり、ホームページには「当劇場は、50年以上にわたり“ストリップ”という舞台芸術を守り続けてきた老舗です」と書いてある。割安の女性入場料もあって「女性客も歓迎」というあたりが、昔とはちがうということかも。意外な情報である。

日テレ「ダーツの旅」

「ダーツの始まりは『ラブストーリー』その後の日々」は、毎回ダーツにまつわる話を「ラブストーリー」に絡めながら続いている。個人的にはテレビで人気の「ダーツの旅」の「ラブストーリー」版のようなつもりである。ちなみに、日本テレビ系「ダーツの旅」は、MC所ジョージの人気番組「一億人の大質問!? 笑ってコラえて!」の人気コーナーである。

所ジョージがダーツ(矢)を日本地図に向かって投げて、当たった市町村に番組スタッフ・タレントが出向いていって、地域に住む人々の素顔にアプローチするという、旅情報番組の一種である。

もっとも、ダーツはゲームとしてではなく、ルーレットなどと同様に行く場所を決めるための手段である。単なる旅番組を「ダーツの旅」とすることによって、意外性やどこに命中するかわからないわくわく感を演出する効果があるのかもしれない。何しろ「ダーツの旅」は、同番組が始まった1996年の初回から放送されている人気コーナーである。

そして、今回の「ダーツの旅」ラブストーリー版の登場人物は佐藤夫妻というわけである。「罪無き麻婆豆腐」での佐藤氏の話で覚えていることは、最初に会ったときに酸素ボンベカートを引いていたダーツに命を賭けている姿だったため「最近は酸素ボンベは要らなくなったんですか?」と聞くと「そんなことはない」と言って「まあ大丈夫か」というときには持ってこないこともあるとの答えである。

確かにどこに行くのもいつも夫人が一緒なので、何とかなるということだろう。最初に川崎の企業のオフィスで会ったときには夫人はいなかったため、酸素ボンベを持ってきていた。

その日、肝心の佐藤夫妻のラブストーリーは聞けなかったので、後日、ダーツの旅の案内役の小熊氏と会ったときに、少しだけ話を聞いた。

学生時代からのつきあいで、友だち感覚で結婚して、いまもいつでも一緒である。佐藤夫人は昔、大手の運送会社に勤めていて、女性ながら取締役にまでなったやり手ということである。仕事のできる人なので、いまはダーツ大会の運営スタッフに混じって、よく手伝っていた。

日本にソフトダーツ機が入ってきた当時のことは「ウエルネス@タイムス」第52号で簡単に書いているが、メダリスト社の「スペクトラム」とダーツワールドの「D-1」がしのぎを削っていた。

佐藤氏はそのダーツワールドに10年ほど関わっていたのだが、やがてメダリスト社がゲーム大手のセガと組むことによって、現在のソフトダーツの流れができてくると、ダーツワールドを離れて、ダーツのプロとしての人生を歩むことになる。

そうした決断をするに当たって、佐藤夫人はさすが学生時代からの同志ということか、「あなたの一人や二人、私が食べさせることなど、何でもないことよ」と請け負ったということのようである。その結果「ソフトダーツの神」と呼ばれるK-PONが誕生したわけである。

事実、小熊氏の説明では、食うに困らないどころか、毎年池袋で開催されているダーツ大会「チームバトル」は中板橋「Palms」の浅野眞弥オーナーとともに佐藤氏がスポンサーである。仕事の出来る夫人とのラブストーリーの結果と言わずして、何と言えばいいのか。ダーツに人生を賭けることができるのは、彼女のおかげのようでもある。

コロナに罹って肺気腫

もともと小熊氏が佐藤氏と知り合ったのは、ハード時代、いまはなくなったダーツの店が池袋にあったころのこと。東池袋のカフェ「MOMONGA」をホームにしていたという佐藤氏が、その店にダーツ日本代表の小熊氏がいると聞いて、顔を出したのが最初の出会いである。

元日本代表とソフトダーツの神。世代は異なるとはいえ、同じダーツのいわばトップ同士である。当初は別のチームにいた二人だったが、時代を超えて、いまは池袋のダーツ大会など、同じアムズ企画チームの一員となっている。その、いわば元レジェンドチームに現役のプロである佐藤氏が参加しているのだから、世代・性別を超えて、どの大会でも注目の的となる。

その佐藤氏が酸素ボンベを手放せないのは肺気腫だからである。とはいえ、肺気腫なのになぜ「ソフトの神」と呼ばれてきたのか不思議に思っていたら、実は肺気腫になったのはコロナウイルス禍でのことであった。世界中を訳の分からないパンデミックに陥らせた新型コロナウイルスは、密室のゲームであるダーツにも、大きな影響を及ぼしていた。

糖尿病などの既往症のある人物には、コロナ患者が少なくない。佐藤氏や浅野氏も例外ではなく、ある日、佐藤氏が肺気腫で入院したとの知らせがあったとのことである。

一般的に高齢の喫煙者に多いとされる肺気腫は、一度損傷した肺胞を元に戻すことはできず、病気そのものは治せないというのが医学界の常識である。

もっとも、人生は不思議に満ちている。コロナ禍の数年前のことだが、その肺気腫を克服した下関在住の愛煙家(68歳)を取材をしたことがある。病院の「呼吸機能検査報告書」を揃えて、肺機能が改善。通常の70歳平均を上回る肺活量になり、ついに医師から「完治した」と言われたケースである。次回は参考までに、そのデータを持っていくことにする。


 
 
 

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