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本当の「幸せ」とは何なのでしょうか? @タイムス情報 『正しい宗教の辞め方・断り方』(三和書籍)リニューアル出版余祿


 本当の「幸せ」とは何なのでしょうか? @タイムス情報
 『正しい宗教の辞め方・断り方』(三和書籍)リニューアル出版余祿



 32年前の本のリニューアル出版

 人生、長く生きているといろんなことが起きて当然だが、32年前の本がそのままリニ

ューアル出版されるというのは、そうあることではない。

「ウエルネス@タイムス」第15号「無名ジャーナリストの仕事」で、「旧・統一教会問

題とジャーナリズムのベースにあるもの」についてレポートした。

 その記事に添えられた本『新興宗教の辞め方・断り方』(あっぷる出版社)の写真を見

た三和書籍の高橋考社長から、同書がアマゾンで7500円で売られていると言って「大

至急、リニューアル出版しませんか?」とのメールが届いたのが、11月上旬のことであ

った。

 本の内容に不備があるならともかく、こちらに断る理由はない。正しい宗教の在り方を

考えることは、いつの時代にも必要なことである。

 もちろん、取材した当時の関係者の多くは鬼籍に入っているなどの時代の移り変わり、

創価学会をはじめ、取り上げた教団にも、多くの変化はある。だが、新興宗教そして新宗

教に関する問題は、基本的に変わりはない。

 かつて霊感商法で社会的なバッシングを受けて、教団名を「世界平和統一家庭連合」に

変えた統一教会が、今日、改めて問題になっている事実が、その間の事情をよく物語って

いる。

 リニューアル出版に当たっては「はじめに」を書き改めたが「あとがき」は32年前の

ままである。その他、末尾に終章として「旧・統一教会問題のベースにあるモノ/なぜ、

似たような宗教問題が繰り返されるのでしょうか?」との原稿を書き加えている。

 似たような問題が繰り返される理由は、日本では神や仏を教育の場で語ることができな

いまま、まったく宗教教育が行われていないこと。さらに神仏を否定してきた明治維新以

降、特に戦後の教育の成果が日本社会を統一教会をはじめとしたカルト教団にとっての天

国・草刈り場にしているということである。

 そこにあるのは、日本社会の団結力を恐れた欧米列強、戦後のアメリカ(GHQ)の影

響を受けた日教組教育のある意味、当然の成果である。

 早速、出版の準備が進んで、初校、再校を経て、11月末には編集作業を終え、印刷へ

という流れになった。





 どこからも文句の来ない「幸せ」とは

 編集の結果、オリジナル本の終章の見出しが「本当に信じられる教団を知りたい」から

リニューアル本では、12章「幸せになるための近道はあるのでしょうか?」に変更にな

った。そのため「幸せ」について、よりわかりやすいように「どこからも文句が来ない幸

せに」ついて書いたほうが、親切だろうと考えて、以下の原稿を送った。

 リニューアル本に載せるつもりで送ったものだが、緊急出版のため「追加原稿」は結局

時間的に間に合わず、リニューアル本には掲載されていない。

 著者としては残念というか、新たな読者に不親切なようにも思い、以下、参考までに割

愛された追加原稿を掲載することにした。




          *                 *

 本当の幸せとは何なのでしょうか?

「幸せ(幸福)とは何か」については、人それぞれ考え方がちがいます。

 世界には多くの「幸福論」「幸せ」に関する本が出ています。1冊の本になるぐらいで

すから、読んでいるうちに、いろんな幸せがあって、よくわからなくなります。小さな幸

せから大きな幸せ。お金や欲望の充足が幸せだと思っている人までいて、中には周りには

迷惑な幸せもあります。

 本当の幸せとは何なのでしょうか。

 一言でいえば、幸せとは誰からも「ありがとう」と言われることで手に入ります。自分

一人が幸せで豊かな暮らしを送っていても、他人は「ありがとう」とは言いません。

 多くの宗教では「己を捨てよ」「我欲を離れろ」と言います。その対極の在り方として

日々当たり前の社会貢献を説いています。

「自分の人生はハッピーの連続で、お金にも不自由しない、仕事も順調で、家族も幸せ、

立派な家にセカンドハウス・別荘もある。趣味のゴルフに海外旅行を謳歌しつつ、財テク

に励んでいるので、貯金通帳にはまだまだ遊んで暮らせる蓄えがある・・・」。

幸せとは周りから「ありがとう」と言われる行為の結果、得られる感情・満足感である

ならば、その人がどんなに個人的に恵まれ、幸せだと信じていても、21世紀の今日、そ

の幸せは世の中の分断、格差を助長することに役立つ、自分だけの甘い成果だということ

です。

 自分が幸せであると思えば思うほど、世界の裏側、地球の片隅には飢えて亡くなる難民

や度重なる戦争・紛争によって理不尽な死を余儀なくされる多くの人たちがいるという現

実を前に、自分の幸せを喜んでいる場合ではないからです。

 平和な日本にいて、たとえ自分は恵まれ、幸せな日々を送っているとしても、世界の現

実を知れば、本当に幸せな人など一人もいないと言ってもまちがいではありません。心が

痛むからです。それが正しい宗教によって得られる考え方です。

 では、どうやったら常に「ありがとう」と言われるのでしょうか。

 多くの人はすでにやっていることです。御布施、施しをする。人に親切にする。働くこ

ことによって、周りの役に立つ。つまりは、徹底して誰かに譲ること、他人に分け与える

こと、助けることによって「ありがとう」という言葉が返ってきます。

 あるいは直接「ありがとう」と言われなくても、誰かに譲ること、他人に分け与えるこ

と、助けることによって、お金では得られないやり甲斐、働き甲斐、そして生き甲斐とと

もに幸せな気分を味わうことができるわけです。

「ありがとう」という言葉には、それだけの価値があるということなのです。

 ありがとうと、人から感謝されない「幸せ」は、本当の幸せとは言えません。



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