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「人は死なない」というのは、本当か?  「人は死んだらどうなるのか?」を考える「死生学」研究!

更新日:1月6日

「人は死なない」というのは、本当か?

 「人は死んだらどうなるのか?」を考える「死生学」研究!


 山口組系多三郎一家組長

 原発不明がんにかかった夫の闘病を描いた東えりか著『見えない死神』(集英社)の中で、ある緩和ケア医の「人が死ぬのは心電図がピーと直線になる時ではなく、その人の命が尽きたことをみんなが認めた時」という言葉が紹介されている。

 ということは、みんながその死を知らず、認めない間、その人物は生きているということもできる。

 言葉の遊びのようにも思えるが、事実、筆者にも思い当たることがある。

 2025年10月27日のネットのニュース(神戸新聞NEXT)に「山口組系多三郎一家組長殺害事件容疑で神戸山口組山健組の傘下組織幹部を逮捕」との配信があった。

「もしかして?」と思ったのは、山口組系多三郎一家組長とは、名古屋を拠点にしていた後藤一男組長(65歳=当時)のことだからである。

 後藤田正晴・元官房長官の本家筋の弁護士事務所顧問から、山健組3代目組長の裁判に関して、当時、知人を介して「相談したいことがある」と言われて、上野のうなぎ屋で会食したことがあった。2001年8月末のことである。

 事件は組員が拳銃を所持していたことが発覚、組織のトップである組長にも共同の責任があるとして、裁判になっていた問題で、いわゆる共謀共同正犯(共同正犯)は暴力団だけを標的(暴力団壊滅のため)にしたものであり、法の下の平等の精神にもとるとの論調をメディア等で展開することにより、法曹界にも影響を及ぼそうと、法学の大家である東京大学名誉教授や著名な元最高裁判事らが、裏で動いていた。

 そうしたメディア工作の場に、後藤組長が企業舎弟と一緒に同席していたのが、最初の出会いであった。

 始めに、名刺を出さないので、不思議に思っていたところ、しばらく話すうちに、こちらが信頼に値するジャーナリストだとわかったのか「失礼しました」と言って「山口組・山健組三代目組長舎弟」と大きな文字で書かれた名刺を出してきた。

「初対面で、この名刺を出すと、それだけで“恐喝”になる」ということであった。「なるほど、そうなんだ」と、意外な事実を教えられたことを、覚えている。

 国語の辞書にある侠客?

 当時、部下の犯した犯罪に関するトップの責任について、企業のトップの責任はさておき、暴力団にだけ組員の犯罪の責任を押しつけるのは、常識的におかしなものだが、そんな常識を持ち出せば、組長を逮捕できない。

 会合の席で、話しているうちに、なかなか興味深い人物のようで、後藤組長は「自分は弱いものの味方だ」と強調していた。そして、企業のトップ、政治家など、もっと悪いやつはいっぱいいると語っていた。

 後日、知ったことだが、上野のうなぎ屋には企業舎弟と2人で来たが、通常は店の前に黒服姿の組員がズラーッと並ぶということであった。ヤクザ映画で、よく見るスタイルである。

 当然ながら、組長なので、それなりの凄味はあって当然だが、それ以上に、澄んだ目をしているのを意外に思ったものである。その理由は、結局のところ、シャバ(表の世界)よりも、刑務所暮らしが長いこともあり、国語の辞書にある「強きをくじき弱きを助ける男気が売り物の男」を意味する侠客だからだろう。

 裏社会に詳しい人物の話では「ヤクザが恐れるヤクザだ」と言っていた。それでなければ、何度かホテルニューオータニのラウンジで会ったときに一人で現れるはずもない。

 後日、「たまには会ってみたいものだ」と話していたところ「あなたが付き合うような人物ではない」と言われたこともあった。

 結局、記事にすることはなかったが、後藤氏の死は、それからすぐのことである。

 それにしても、すでに18年前の事件である。

 ということは、私が彼に会ったのは、そのちょっと前ということになる。同時に、彼は

私の中ではずっと生きていたということである。


 ロングセラー『人は死なない』

「神は在るか、魂魄は在るか」と帯にある『人は死なない』(バジリコ株式会社)はそのものズバリ、東京大学名誉教授の矢作直樹氏が自らの半生と東京大学病院での医師としての体験などを踏まえて「人は死なない」ことをテーマにしたロングセラーである。

 臨床医として、多くの死に向き合い、生命の不思議、非日常的現象を体験。現代医学の限界に悩みつつ、いわゆる科学の教科書からは考えられない多くの奇跡に直面する中で、宗教並びにスピリチュアリズム、体外離脱や臨死体験などについて学び、母親の死後、ある霊能力のある知人を通して、その霊を下ろす交霊を行っている。

 まさに、天界にいる母親との再会を果たすなどの体験を通じて、彼の得た当面の結論が「人は死なない」、正確には霊魂は不滅であるということだ。

 もっとも、半分、医療や科学に身を置く立場からは、安易に「神」との表現は使いづらいようで、彼は「摂理」と表現している。だが、ただのスピリチュアル“オタク”が書く本ならさておき、著者は社会的な地位のある現役の医者である。その結果のロングセラーというわけである。

 矢作氏同様、生と死を身近に体験する医師には、死そのものから死後の世界、前世の記憶など、命に関する著作を著す医師が少なくない。

 そんな中で、比較的若い51歳の研究者が『人は死んだらどうなるのか』(三和書籍)

を出版した加藤直哉氏(小児科並びに漢方専門医)である。

「死生学」なる学問分野があるとは知らなかったが、本の帯には「『臨死体験』『過去生療法』『生まれる前の記憶を持つ子供たち』死生学研究で3つの博士号を持つ医師が科学的に答える」と書いてある。

 サブタイトルは「死を学べば、生き方が変わる」というものである。

『人は死なない』の矢作氏の著作が、かなり個人の体験に基づいているのに対して、加藤氏の著作は、まさに「死生学」を学問として、調査・研究した内容であり、2冊を合わせて読むと、なるほど「人は死なない」という、その意味がわかってくる。

 加藤氏の本は、いわゆる不思議体験に対して、奇跡を知らない反対派の主張を紹介しながら、死生学という客観的な立場から、それらの内容を否定している。問題はそれでも相手が納得するかどうかだが、加藤氏も指摘しているように、キリスト教では日本人には馴染みがある過去生(前世)や生まれ変わり(輪廻転生)などはないことになっている。

 前世も来世もなく、現世限りの人生であれば、人の生き方も変わってくる。アメリカに住んでいた友人が、よく話していたことを思い出す。キリスト教、特にカトリックでは罪を告解すれば、すべては許されることになっているので、自分勝手な人が多いと嘆いていた。

「死後研究のメリット」という章もあるが、「人は死なない」とわかれば、少しは良心に従った生き方ができるのではないだろうか。

 死者からの通信

 もともと、筆者が「人は死なない」というヒントを得たのは、昔、天理教について取材した際にお世話になった八島英雄氏が、ずっと教会の機関誌ともいえる「ほんあづま」を送ってくれていたからだ。

 東京・本吾嬬分教会の家に生まれた八島氏は、天理教の指導的な論客として知られ、教祖・中山みき師が晩年、警察に捕らえられた後、拘留された櫟本分署跡保存会代表を務めていた。

 ところが、2014年10月、「ほんあづま」編集発行人である八島氏本人は、享年85歳で大動脈解離のため亡くなっている。

 ということは、そのことを知らなければ、八島氏は死んでいないようなもの。知っている者には、いわば「死者からの通信」である。

 しかも、10年以上経った今も、毎月届く「ほんあづま」の編集発行人は「八島英雄」名のままである。第三種郵便物認可の郵便物について、詳しい事情はわからないが、特に変更のないままになっている。死者でもOKということなら、粋な計らいである。

 もっとも、弘法大師・空海はいまも高野山奥の院の「霊廟」で、禅定を続けていることになっている。あるいは、生きていると信じられていて、毎日2回、食事が届けられている。多くの宗教団体では、教祖は死んでいても、まるで死んでいないかのように、教祖の本や言葉が生前と変わらずに説かれていたりする。

 その意味では、ごく当たり前のことでもあるが、いまも毎月届く「ほんあづま」を見ていると、毎月毎月、よくネタが尽きないものだと関心するが、要は生前の八島氏が残した論文や資料等の整理がまだ終わらないため、少しずつまとめて掲載しているということのようである。

 死なない住宅とは?

「人は死なない」というキーワードに焦点を当てると、いろんなところで、その“事実”に遭遇する。11月の休日、新潟市の画廊「絵屋」で行われていた「井田英夫遺作展6」の案内が届いていたので、顔を出してきた。2020年4月、ガンのため45歳の若さで亡くなった画家・井田英夫氏の遺作展が、毎年、恒例となっている。

 遺作などがどこかから出てきて、毎回、いわゆる目玉となる作品などが飾られて、それなりに売れている。画廊としても、十分にビジネスになるということのようである。彼の絵を見ながら、ここでも「人は死なない」というか、思い出の中でまだ彼は生きていることを実感する。

 同じく「人は死なない」と公言していたアーティスト・荒川修作氏には『死なないために』というフランス語版の著作もあるとか。

「日経新聞」日曜版「美の粋」の「荒川修作・不死への挑戦(下)」(2025年10月19日)には、死なない住宅として、妻であるマドリン・ギンズと共作した「三鷹天命反転住宅」、「養老反転地オフィス」などが紹介されている。

 天才アーティスト・荒川氏の本心は想像するしかないが「人は必ず死ぬという大前提が崩れた時、社会の在り方は根底からひっくり返る」と、彼は信じていたという。

 もし死ななくなるとわかったらどうなるのか?「死ぬと思うから誰もが子供に孫に土地を残そう、金を残そうと思うんだよ。死なないなら土地に境界も要らないだろう、ということはつまり、戦争だって無くなるかもしれない」

 と、荒川夫妻のやっていることは、世の中を変える「革命だ」と語っていたとか。

 死なない住宅「反転住宅」ができて、その先に構想していた「死なないための街」についても、全国の自治体を行脚して「天命反転都市」構想を説いて回ったという。賛同する自治体もあったというが、こちらはついに実現しなかった。

 デベロッパーがペイできる見込みがないというリアルな現実が、そこにはあったからで

ある。これでは「人は死なない」というよりも、金がモノを言う世界では、人は死ぬしかないということである。

 残念な現実、時代はなお続くということか?

 
 
 

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