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「心を亡くす」忙しい時代に「心を生きる」人たち    ジャーナリスト・T氏   誰も心を生きていない(?)生きづらい時代へのメッセージ

「心を亡くす」忙しい時代に「心を生きる」人たち    ジャーナリスト・T氏

  誰も心を生きていない(?)生きづらい時代へのメッセージ


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 「心を生きる」とは?

 2025年11月、某ベストセラー出版社の会長から四谷のしゃれた割烹料理屋で御馳走になった。古いつきあいの酒飲み友だちだが、ジャーナリストが相手であれば、通常は会社の経費を使える。だが、筆者と会うときは自腹だと語っていた。彼なりの経営者としてのケジメと、人とのつきあい方に関する美学なのだろう。

 たまに「自腹でも会いたい」という相手に選ばれたことは、何ともありがたい。

 こちらは、御礼代わりに手土産や本などを持参するぐらいのものだが、その日、5時半に会って、ふと時間を確かめると8時半になっていた。アッという間に4時間過ぎていたのだから、時間を忘れて美味しい料理と酒と会話を楽しんでいたわけである。

 近況を含めて、話の大半はどうでもいい内容だが、愚痴めいた話も天下の暴論といったレベルのため、つい気分が滅入る貧乏ライターや左翼崩れ(ちょっと古い?)のジャーナリストたちの話とは異なる品性(?)を感じるようで、御馳走しても損はないようだ。

 もちろん、損得で会っているわけではないが、その日の話で「性という字は、心を生きると書く」と、改めて気がついた話をした。

「忙しいと書いて、心を亡くす」とは、よく使われる表現だが「性」と書いて「心を生きる」とは気がつかなかったからだ。

 意外な盲点ということか、雑誌『致知』を愛読し、人生論なども出している出版社の会長である彼も知らなかったと言って「その話を聞いただけで、今日は元が取れた」と話していた。講演か何かに使えるからである。

 確かに「心を生きる」とは、まるで宗教者が、法話や講演で話すテーマのようである。

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 身体障害者の性

「心を生きる」とは、ウェブメディア「サストモ」の障害者と性についての記事を読んでいて、改めて気がつかされたことだ。

 親の介護体験から訪問介護師を始めた女性が、かつて風俗で働いていた経験があることから、自分のやるべきこととして、障害者と性についての取り組みを一般社団法人「輝き製作所」(小西理恵代表)で行っている。その中で彼女が「性って、心を生きると書く」と語っていた。

 なるほど、言われてみれば、その通りである。

 だが、勝手な思い込みはどこにでも存在する。身体障害者は肉体の機能が一部失われているため「セックスとは無縁だろう」と、根拠もなく信じていた。

 そんな“常識”を見事なまでに粉砕したのが『五体不満足』でデビューした身障者が起こした、驚くべき不倫・セックススキャンダルであった。その構図は、いわゆる弱者が配偶者を含めて周囲の女性たちを性の奴隷にしていたというもの。それが心を生きた結果なのか、まるで「現代のカサノバ」のようであった。

 当時、ワイドショーネタとなり、改めて身障者の性がクローズアップされることになった。心を生きることの難しさを象徴する事件だが、そのへんの事情は、いまも変わらないのではないだろうか。

 何しろ、毎日、新聞を開くと「性=心を生きる」ことに関連する記事や出来事が目に飛び込んでくる。

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 小学校教諭による盗撮事件

 痴漢あるいは盗撮やストーカー行為が「犯罪です」と、ポスターになっていても、性を巡る事件は、一つが消えたとしても、どこかで必ず形を変えて出現する。

 2025年11月7日の新聞(社会面)には「盗撮共有グループ全員摘発」との白抜き活字の見出しと「7人目は岡山の小学校教諭」とある。

 もともと教員が女子児童らを盗撮し、交流サイト(SNS)のグループチャットで画像を共有したとされる事件で、愛知県警が6日、児童買春・ポルノ禁止法違反(所持)の容疑で、岡山県の教諭(27)を逮捕したというものだ。

 事件を巡っては、これまでに北海道、東京、神奈川、愛知の4都道県の教員や元教員6人が起訴されている。グループによる事件の被害者は延べ35人以上だという。

 いまだ記憶に新しい衝撃的な教員たちによる組織的な盗撮事件には、驚きを通り越して「まさか!」という、まさに心を生きる“闇”そのものがかいま見えたようにも思う。

 逮捕容疑は18歳未満の少女が着替えをする様子の動画データを所持した疑い。「性的欲求を満たすため」だというが、まさに「心を生きる」ことを優先した結果であろう。

 もちろん、性スキャンダルを起こすのは、教師ばかりではない。

 先ごろ、ついに辞任会見を行った前橋市長・小川晶氏の「ラブホテル」での部下との面会問題が、長らくワイドショーネタになっていた。

 2025年秋の第38回「東京国際映画祭」では「性暴力被害」に関するドキュメンタリー映画『魂のきせき』(小林茂監督)が上映されている。

 小林監督のコメントは「性暴力は誰もが加害者、被害者になりうる。身近な課題として社会にあることを、映画を通じて知ってほしい」というものである。

 日常と隣り合わせにある絶望と希望をテーマに、事件のPTSDに悩みながらも「苦しみの中からも、人生に希望を見いだす姿を見てほしい」と訴えている。

 多くの事件はもしかしたらストレスの多い、病んで忙しい時代に、心を生きようとした結果の不幸のようにも思えてくる。その意味では、彼らもまた哀れな時代の被害者なのかもしれない。

 その他、性に関する種々雑多な記事は、その日に限ったことではなく、たぶん性という文字が「心を生きる」と書くことなど知らずに、毎日毎日登場する。

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 大統領の性スキャンダル

 性を巡る事情は、アメリカでも似たようなものである。

 11月14日の新聞には、共同通信配信の「被害女性と何時間も」という見出しの「トランプ氏米富豪疑惑で新資料」との記事が掲載されていた。野党民主党議員団が12日、少女らの性的人身売買罪で起訴され自殺した富豪エプスタイン氏を巡る疑惑に関する資料を公開したもの。その中に「エプスタイン氏の自宅でトランプ大統領が被害者の女性と何時間も過ごしたと記されたメールが含まれている。

 もちろん、トランプ氏はこれまでも疑惑の打ち消しを図ってきたが、エプスタイン氏に送ったメール以外にも、いくつものメールが明らかになっている。真相は藪の中だが、常識的にはエプスタイン氏と関わりがあったというだけで、クロだろう。疑惑は真実とされて当然のことである。

 吉原(遊廓)や売春宿に泊まって、あるいはラスベガスに行って「性行為・賭博などはやっていません」と言っても通用しないのと同様である。

 とはいえ、人にはみな立場がある。正直に真実を述べるべきだとわかっていても、一国を代表する現職大統領が、昔のことであっても、疑惑を真実だと言えるわけがない。それこそ、大統領の威信、アメリカの国益に反する。だが、以前には、民主党のクリントン元大統領のセックススキャンダルがあったように、政敵はそんなことはお構いなしである。

 結果、疑惑=真実がきわめて現代的なF情報として、ファクト(事実)とフエイク(虚偽)が同列に語られる。

 どっちでもいいようなものだが、重要なことはここでも疑惑の行為は、彼らが「心を生きる」ことを優先した結果だということだろう。

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 性的画像・不倫撲滅の将来?

 毎日、新聞その他のメディアを見れば、不倫だ、盗撮だ、教え子に性加害、アイドルにわいせつ行為などなど、枚挙に暇がない。

 心を生きることを優先した結果だとしても、実際に行動に移すと、心を生きることは罪にされ、場合によっては逮捕される。

 9月半ば「新潟日報」の連載コラム「いま、語る」(共同通信配信)に、性被害のない社会を目指して活動する辻麻梨子さん(調査報道記者)が登場していたが、そこでは不倫などもってのほかとのスタンスが明確である。

 記事を読んで思うことは、彼女は一体どんな世の中を目指しているのかということだ。

 見出しには「性的画像・動画の撲滅を」とあり、記事には「インターネットには性的な画像や動画があふれる。誰が拡散しているのか、取材を続けている」とある。友人から画像をさらされた、マッチングアプリで出会った男性に動画を撮られたなどなど。

 彼女が所属する「Tansa」とNHKが共同で取材したNHKスペシャル「子どもを狙う盗撮・児童ポルノの闇」(24年放送)は、放送文化基金金賞ドキュメンタリー部門最優秀賞に選ばれた。

 その活動には頭が下がるが、ゴキブリにしろ、新型コロナにしろ、モグラ叩きのように撲滅を目指しても、いいことはあまりない。目先の悪、不具合に焦点を当てるだけで、その背景、周囲の事情は無視される。性を巡っては、本能的な性を無視した、いわば無菌社会を実現したいとしか思えないが、本当にそれでいいのだろうか。

 性教育とは「心を生きる」教育である。私は知らないが、その昔、日本各地に夜這いの風習が生活の知恵、いのちをつなぐ文化としてあったほか、お祭りの夜は、今で言うところの乱交パーティ状態であったという。

 以前「ウエルネス@タイムス」第29号で、ジャニーズ問題の本質について「男性(女性)止めますか、人間止めますか?」とのレポートを掲載している。

そこでの結論は「理想国家は中国か?」というものである。

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 再び、人間止めますか?

「いまさら昔にもどることはできないが、少なくとも昔はもっとおおらかであったことだけは確かである。

 アメリカでは、例えば父親が娘とお風呂に入っていたら、幼児ポルノ法違反で逮捕される。日本も同様の社会になりつつある。

 だが、厳格なはずのアメリカ社会でも、その一方では堂々と(捕まらない間だけだが)幼児ポルノ、売春などがビジネスとなっている。人間の性は少々のことでは法に従うことはできないからである。

 それを法の下で支配するにはどうするか。そこでの理想国家は中国ということになる」

「それでも不倫も不正もセクハラも行われる。そんな人間の性と業に対する挑戦ないしは実験は、さらにAI(人工知能)などを味方に、成功=支配の道を突っ走っている。

 その究極の選択、別れ道は、人間を止める以外に何があるのか。もう、昔へと戻れないならば、人間を止めるしかないだろう」

 当時の結論は、いまも変わらない。

 同時に、いま改めて思うことは、私はもしかしたら、彼女たちが推進する活動の模範生の一人かもしれないということだ。

 なぜなら性的画像・動画などには興味があるが、昔も今も実際に見ると、興奮するというよりも、憂鬱な気分になる。その点、男性失格だが、彼女たちには称賛されるのかもしれないと思うと、こちらも憂鬱である。

 結果、セックスも結婚もできずに、ひたすら痴漢・盗撮・不倫その他、風俗関係などとも距離を置いてきた。

 もちろん、職業柄、ポルノ映画、ホモの世界など、風俗関係の取材の経験もあり、行きがかり上、女性とベッドを共にしたこともある。

 韓国での取材では、ハニートラップではないが、寝室に女性(キーセン)がいたこともある。だが、翌朝、彼女は関係者に「この人、男じゃないよ」と話していた。

「人間止めますか、男性を止めますか」でも書いたが、女性から襲われることはあってもいまのところ、こちらから襲うことなど、とてもできないように生きてきた。

 だが、振り返れば、性を封印するしかないと、無駄な努力をして生きてきたのも、聖書の文句ではないが、性のマイナス面ばかりを吹き込まれてきたからかもしれない。

 心を生きることの難しさの行き着く先のようでもあり、性を封印して生きる時代を先取りしているのかもしれないと思う。そして、その先にある理想国家は、たぶんあらゆる面から監視されて、強制的に性スキャンダルや不倫の僕滅を目指す中国ということになる。

 その将来に対する答えの一つは、確実に出生率が低下して、ますます人口が減少するということだ。本当にそれでいいのだろうか?

 なお、蛇足だが、もちろん「性=心を生きる」ことによって起きる多くの犯罪行為、事件を擁護しているつもりはない。ましてや、被害者をセカンドレイプの形で傷つけるつもりもないことは付け加えておきたい。




 
 
 

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