九大のアトピーの治療実験で「死にかけた」アトピー患者の告白! 量子水に出会って知った「これこそ最後に救われる水!」 ウエルネス情報
- vegita974
- 1月5日
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九大のアトピーの治療実験で「死にかけた」アトピー患者の告白!
量子水に出会って知った「これこそ最後に救われる水!」 ウエルネス情報

お風呂に入れる!
2025年12月、大阪の株式会社「ウエルネス」の野村修之社長から電話があって、翻訳家の楠井勇登氏に自分の代わりに話を聞いてほしいということで、急遽、鹿児島からの帰り、ウエルネスのオフィスで会ってきました。
アトピー治療だけではなく、ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話』の翻訳から、ノーベル生理学・医学賞、さらには国連創設80周年の平和記念コンサート、京都の稲盛財団、歌手のミーシャさん、女優・吉永小百合さんなど、あまりに話の内容が広範囲なためです。
初めて会った楠井氏は、生後数カ月でアトピーと診断され、49歳の今日まで、ずっとアトピーに悩まされ、ようやく量子水に出会って「救われた!」という希有な人物です。
『νG7量子水』(ヒカルランド)の中でも紹介しているように、基本的にアトピーは量子水を使用することで治ります。
アトピーに限らず、最近の「ウエルネス@タイムス」では「レベル4ならガンも治る」と、関係者が語っているぐらいです。そのため、様々な事例を紹介しながら、なお苦しんでいる人が多いことに「みなさん、無駄な努力をしている」との本音も伝えています。
しかし、現実はアトピー治療のため、50年近くあらゆる治療、食事療法、水などを試み、アトピーに関する情報を海外にまで求めた楠井氏にしても、なお量子水には縁がないまま、ようやく2025年9月に出会うことになったわけです。
きっかけは、楠井氏の苦悩を知る霊的な能力を持つ知人から「楠井さんに合う水」として、薦められたのが量子水でした。
量子水の存在を知った彼は、早速、野村社長から量子水シャワーヘッド(νGテラシャワー7.0)を借りて、飲み水からお風呂の水まで、量子水にしたそうです。
長年、アトピーで悩まされてきた彼が、そのシャワーヘッドでお風呂にお湯を溜めて、お風呂に入ることができたわけです。
その感動を、彼は「お風呂に入れる!」という言葉にしています。アトピーとは無縁の者には、ピンと来ない発言ですが、楠井氏にとってはその感動・感激はまさに「スゴイこと」だったのです。
「アトピーが痛くて、お風呂に入れないんです。痛いだけじゃなくて、辛いんです。入れたとしても、出た後が乾燥して、ひび割れができるんです」と。
ずいぶん大げさなと言いたくなりますが「お風呂に入れること自体、スゴイんです」という発言こそ、健常者にはわからないアトピー患者のリアルということかもしれません。
いまは毎日、シャワーで溜めたお風呂に1時間ぐらい入っているとのことです。
昔を知る人は、いつもポリポリあちこち掻いていた楠井氏のイメージがあるので、久しぶりに会って「そういえば、あまり掻かなくなりましたね」と気がつくそうで、いまや、すっかり量子水ファンになっています。

アトピー治療の“生き証人”
ついでに『νG7量子水』について、一気に読んで、必要な個所は再読しているのでしょうか、たくさんの付箋をつけて「この本は私の“聖書”です」というようなことを言っていました。著者としてはありがたい限りですが、そんなつもりで書いたわけでもないとはいえ、改めて書く者の責任を思い知らされました。
翻訳家でもある彼は、自らの手で翻訳して海外でも出版できたらと語っています。アトピーに悩む多くの人たちに教えてあげたいとの熱い思いがあるわけです。
楠井氏のアトピー歴は、生後数か月から始まっているのですから年季が入っています。しかも、そのアトピー治療体験がハンパではありません。まさに日本のアトピー患者を代表する一人、アトピー治療の“生き証人”です。
何しろアトピー新薬の実験で3度死にかけている他、彼自身、海外の情報欲しさに勉強した英語力によって、医学の道を断念した後、翻訳家として身を立てることになるなど、壮絶としか言いようのないアトピーとの戦いぶりです。
孤軍奮闘と言いたいところですが、彼の周辺、背後には同じアトピーで悩む多くの人たちがいて、大げさではなく、その根の深さ、医療の闇の部分をも含めて「まさか!」としか言いようのない、想像を絶する社会問題であることがわかります。
楠井氏のアトピー治療の発端は、生後数か月後、ちょっとしたアトピーのため、兵庫県のK皮膚科に行った際にステロイドを全身に塗られたことから始まりました。そして、ステロイドを塗れば塗るほど、象のような皮膚になっていったそうです。
小学校当時からプールはもちろん禁止。汗をかいてはいけないため、体育の授業も免除です。母親が子供のアトピーは母親の母乳や食事が原因だと言われて、自分なりにいろいろ研究していたそうです。
小学校低学年のころに、さすがに「おかしい」と気がついた母親が「ウチの息子に全身ステロイドを塗り続けるのは、もしかしたら良くないんじゃないでしょうか?」と、K先生に言ったときです。
痛いところをつかれたのでしょうか、多くの人がいる前で母親を怒鳴って「文句を言うな!」と、威張り散らしたそうです。そのとき、母親は医者に対しての不信感を抱いたということです。
その後は、兵庫県立病院に行って、小さい体に左右10本ずつの注射を打たれて、いろんな検査を受けて、アワとヒエだけを食べるように薦められたそうです。さすがにアワとヒエだけでは無理なので、無理のない範囲での食事療法にも取り組んだということです。
両親が大きな農家だったので、何としてでも息子のアトピーを治したいとの思いで、アトピーに良いとされることはすべて試したそうです。実際に土地を売って、有馬温泉にも通ったそうです。
確かに、温泉はいいとはいえ、おカネもかかるだけではなく、毎日、入れるわけでもありません。それだけに量子水は、まさに彼にとっては“量子水温泉”なのです。

アトピー治療「13人の実験台」
高校一年のとき、中・高一貫の高校に入学。楠井氏はアトピーを治すため、高一ですべての勉強を終わらせて、九州大学の皮膚科の権威であるI先生の「13人の実験台」の一人として、サイクロスポリン治療を受けています。ステージ4のがん用の薬で、手術をする前に、進行を止めるためのものです。
その薬をI先生がアトピーを治す新薬だとして世に出したのです。
当時、彼はI先生が皮膚科のナンバー1の権威だと信じていたため、先生の弟子になって学びたいと考えていたそうです。その熱意を酌んだ先生からも「ちょっと試験を受けてみなさい」と言われて、大学受験のための全国模試を受けています。
その試験で全国で一番になったことから「僕のところに来なさい」と言われていたということです。
そうした信頼関係があったことから、1992年に成人の難治性アトピー皮膚炎患者の一人として「サイクロスポリンの臨床効果を検討する」実験に参加したわけです。もっとも、楠井氏は当時16歳です。
論文には「改善が見られる」とされていますが、がんの進行を止めるぐらいですから、
不思議ではありません。
事実、実験で服用すると、当初は体内にあった熱が止まったそうです。
1回8000円の薬で、1日3回2万4000円かかります。しかし、数か月すると左半身が痺れるだけではなく、触られると痛い。風でも痛い状態で、両親に左右から守られながら、九州まで新幹線で通ったということです。
問題は、後日、薬を服用していると、動けなくなったことで「薬の量を減らす」と言われたことです。「アトピーを治す新薬だったら、逆に増やすべきではないですか?」との楠井氏の疑問に、I先生は彼を納得させる答えを持ってはいなかったのです。
実際に、もし論文の成果通りであれば、九大のエリート街道をさらに進んでいっても不思議ではないのですが、実際には教授になれずに、その後、大学を辞めて、脱ステロイド治療のクリニックを開いています。
ステロイドの内部被爆?
I先生の治療の限界を感じた彼は、京都のS医院を訪ねて、初めてステロイドの内部被爆について知らされたということです。
診察に当たったS医師からは「普通は生きていられない量を飲んでしまっている。それでも生きていることは、医学的に説明できない」と言われたそうです。死なないにしても、後遺症として「白痴になる」と言われています。
ステロイドはいまも、あらゆる医療に使用されています。それを「内部被爆を起こす」と、その危険性を指摘したことによって、S医師は東京医科歯科大を辞めされられることになったそうです。
意外なアトピー治療の現実に驚くとともに、さらに認識を改めさせられたのが「アトピーは死には直結しない」という世間の常識について、楠井氏は「間違いです」と明言。そのもっとも深刻なケースは、アトピーに対する苦しみから逃れたいゆえの自殺の多さだとうことです。
意外な盲点とも言える現実が、アトピー治療の周辺には存在しているわけです。
自殺の真相も、楠井氏のケース同様、悲惨なものがあります。
単なるアトピー治療と思っていたところ、あまりに深刻な知られざる現実に直面して、筆者としても、戸惑いを隠せないものがあります。
そんなわけで、まずは「プロローグ」として、その導入部分を紹介した次第です。
背景には、想像を超える過酷な現実があることから、少し頭を整理する必要もあり、続きは、次号に譲ることにしたいと思います。



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