『日本人拉致』(岩波新書)と『蓮池譜』(現代短歌社)の関係 20年以上、何の進展もない拉致事件の、もう一つの“真実”
- vegita974
- 9月5日
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更新日:9月5日
『日本人拉致』(岩波新書)と『蓮池譜』(現代短歌社)の関係
20年以上、何の進展もない拉致事件の、もう一つの“真実”

『蓮池譜』の読み方?
北朝鮮による拉致被害者である蓮池薫氏(新潟産業大学特任教授)が「人生の集大成」と位置づけた著書『日本人拉致』(岩波新書)が、2025年5月に出版された。
もともとは、2023年~25年にかけて月刊誌『世界』(岩波書店)に連載された原稿を加筆・訂正を加えたものだ。
本の帯には「なぜ、私は拉致されなければならなかったのか」
「北朝鮮での24年、帰国後23年」
「自ら問い続け、たどりついた事件の核心」
と書かれている。
アマゾンで本のチェックをしていると、蓮池氏の関連書籍に西藤定著『蓮池譜』(現代短歌社)という歌集が載っている。
開くと、冒頭の歌と次ページの2首目は以下の通りである。
沈丁花 架空の文字を考えてそれが漢字に似てしまうまで
書かれざる歴史のことを熱く言うきみに蓮池の柳が似合う
歌集には「しおり」が挟まれていて、「蓮池譜」について3人の歌人による読後評・跋文(解説)が収録されている。その3人目のタイトルは「引力から逃れては、また捕らわれ」というものだ。
北朝鮮から日本に戻って、つまりは北の引力から逃れたつもりでも、常に思いは解決しない拉致の現実にもどっていく。そんな心境を歌っているようにも思えてくる。
だが『蓮池譜』は、蓮池氏の歌ではなかった。
著者の西藤氏は1992年、東京生まれ。2020年に「蓮池譜」300首で、第8回現代短歌社賞を受賞。2021年9月に出版された。
アマゾンで見て「はすいけ譜」と思っていた歌集は、実は「ちれん譜」であった。エッという衝撃とともに、知ったことは2冊の本の“関係”は、ただの無関係ということだ。
拉致被害者の蓮池氏に歌人の一面があったのかとの勝手な思い込みは雲散霧消した。

23年後の変わらない現実
2025年11月15日は、北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんが新潟市の自宅付近で拉致されてから48年目になる。
3年前の2022年11月には、「新潟日報」メディアシップの日報ホールで「拉致問題解決への道筋探る」とのテーマで行われた蓮池薫・新潟産業大学准教授の講演及び蓮池氏とコリア・レポートの辺真一編集長との対談を聞きにいったことがある。
『蓮池譜』をパラパラとめくって、メディアシップでのイベントを思い起こしたのは、蓮池氏の新刊を読んだという一般財団法人「梨本宮記念財団」の梨本隆夫代表理事から、その後の蓮池氏について聞かれたためだ。
3年前のイベントに出かけたのも、梨本代表理事から進展しない拉致問題の打開策として、目黒祐天寺にいまも眠る昭和天皇の兵士として名誉の戦死を遂げた北朝鮮軍人・軍属の遺骨を故国に返還したいとの思いがあってのことである。
地元・新潟では、いまでも横田めぐみさん救出を訴えるポスターがあちこちに貼られ、集会やイベントの他、いろんな機会に署名やビラ配りなどが行われている。
『日本人拉致』の出版後、7月20日の「新潟日報」には「にいがた発コラム・日曜のカナリア」に「拉致被害者の救出」「現場・柏崎から思い届けたい」との見出しで、論説編集委員の前田有樹氏が、本の紹介とともに、新著に込めた思いを伝えている。
そこには「取材で会う蓮池さんからはいつも、拉致問題解決に向けた執念を感じる」と書いてあり「日本政府は広い視野に立った解決策を考えないといけない」との蓮池氏の言葉が紹介されている。
コラムの末尾は「必ず救い出すという決意が、北朝鮮にも、日本の政治家にも届くように」と結ばれている。
「新潟日報」には7月末にも、蓮池氏が南魚沼市浦佐の国際情報高校で講演したと写真入りで掲載されていた。
「拉致は今の問題で、われわれは長い間準備をしている。若い人が関心を持つことは、大きな力になる」と生徒らに訴えたと書かれている。
それらの意見、指摘はいちいちその通りである。だが、その結果、蓮池氏夫妻が帰国して、23年後の変わらない拉致の現実、何の進展もない現在がある。
「何か、できることはないのか?」と考えたとき、梨本代表理事が続けてきたことは、いまなお有効なはずである。

北朝鮮の軍人・軍属の遺骨
もともと、3年前の新潟でのイベントに参加したのも、目黒祐天寺に眠る北朝鮮の軍人・軍属の遺骨を返還することなく、拉致問題は解決しないことを伝えるためであった。
3年前のイベントは「解決への道筋」というものだったが、二人の結論も拉致問題に関して、何度かあった交渉再開のチャンスが結局、生かされなかったという事実である。
当時、蓮池氏が残念がっていたのは、超党派での国会議員を派遣して、北との交流を拉致問題解決の糸口にしようとの提言の行方である。「超党派の国会議員の派遣」というカードは、依然として有効だろうが、同時に、超党派の国会議員の派遣だけでは、ちょっと弱い。何か目玉になるような手土産がいるだろうと、当時も書いている。
持参金の用意は当然だが、交渉のテーブルにつく前提として有効なのが、梨本代表理事が毎月15日、目黒祐天寺での参拝を続けてきた北朝鮮の軍人・軍属の遺骨だということである。
この8月、北朝鮮では金正恩総書記がウクライナへの侵攻を続けるロシアに派遣されて戦死した兵士たちを大々的に「英雄」として顕彰する様子が、NHKニュースになっていた。飾られた遺影を前に、金総書記は涙を流していた。
それらの様子が、仮に国内の動揺を抑え、結束を図るための演出だとしても、その後も戦死者の遺族を集めて、お詫びしたとのニュースもある。
そのすべてを演出だと指摘することは簡単だが、北朝鮮では死者は厚く葬る、儒教文化がいまも根づいているということだろう。中国共産党の影響を受けているとしても、先祖供養はなお重要なことだという事実がうかがえる。
拉致問題の解決のためには「民族間の霊的な問題を無視してうまくいくはずがない」というのが、梨本代表理事の確信だが、そのためには目黒祐天寺にある北朝鮮軍人・軍属の遺骨返還を交渉の糸口にすべきだということだ。
時に、行動を共にしてきた筆者なども、なぜ遺骨返還を交渉の切り札として使おうという発想がないのか、不思議に思ったものである。その思いはいまも変わらない。
筆者が北朝鮮を訪れたのは、2000年10月のことである。わずか1週間足らずの滞
在だったが、そのとき感じたことは、北朝鮮は「いまも戦争中だ」ということである。
それはいまも基本的に変わりはないはずだ。現在も北朝鮮にとっては、日本人拉致被害者は「捕虜だ」ということである。

目黒祐天寺と安倍元首相の死
進展の見られない北朝鮮による「日本人拉致」事件に関して、梨本代表理事が改めて残念がっていたのは、安倍元首相に期待して、北朝鮮軍人・軍属の遺骨返還を、北朝鮮との交渉の重要なカードとして使うように進言してきたのに、結局、使わずに終わったことである。
遺骨の眠る目黒祐天寺には、母親の安倍洋子氏も昭恵夫人も参拝に訪れているが、肝心の安倍元首相はついに訪れることはなかった。
2022年7月には、安倍元首相の重い腰を上げさせるべく、梨本代表理事は元有力政治家の秘書を伴って、議員会館に直談判に押しかけた。だが、その迫力に恐れをなしてなのか、居留守を使って、ついに対応することはなかった。
その1週間後のことである。統一教会に恨みを持つ犯人に銃撃されて、呆気ない死を遂げた。それは単なる偶然のようだが、もしかしたら北朝鮮に帰りたい遺骨たちによる、霊界の怒りがお役目御免との宣告となって現れたかのようである。
それは安倍元首相に限らない。北朝鮮出身の力道山の弟子であったため、北朝鮮とは太い外交ルートを持っていたアントニオ猪木・元参議院議員も、拉致被害者の救出のため、何度も訪朝を繰り返していた。
その彼にも、梨本代表理事は目黒祐天寺にある北朝鮮軍人・軍属の遺骨を北朝鮮に返還するようにと伝えていたのだが、ついに果たすことなく、79歳の生涯を閉じた。
日本人拉致問題に関する打開策は、戦後賠償代わりの大金の提供を別にすれば、これといったものはない。その点、北朝鮮軍人・軍属の遺骨返還は、これまでにはない動きである。十分に試してみる価値はある。
3年前、蓮池氏と辺氏のイベントをレポートした際に、北朝鮮軍人・軍属の遺骨返還を日本人拉致問題解決の糸口にすべきだとの提案について、辺氏からは「考えさせられる指摘だ」と感謝された。
一方の蓮池氏は、当日、次の予定がある中、興味深い様子で聞いていたが、その後、こちらからの手紙やメールに応えることなく、関係は途絶えている。
北朝鮮でのマインドコントロール(思想教育)の結果、先祖供養や霊的な問題には、興味がないということなのか。
梨本代表理事には、その後の蓮池氏に関して「もしかしたら、拉致問題は解決しないほうが自分が生きていく上では都合がいいため、あんまり真剣には向き合おうとしないのかもしれない」と伝えておいた。
もちろん、ことの真相はわからない。だが、すでに23年の歳月が経つ。
横田めぐみさんが拉致された当時、通っていた寄居中学校近くにある新潟中央警察署の掲示板には、指名手配のポスターと並んで「必ず取り戻す!」と書かれた、着物姿のめぐみさんのポスターが貼られている。
すっかり色褪せたポスターが、薄れていく記憶を象徴しているかのように、感じられる
ばかりである。
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