東大・京大などで「究極の解答公開」講座を開いた“名無しの老人” 日本語の一人称にまつわる不思議な話とは?
- vegita974
- 10月4日
- 読了時間: 9分
東大・京大などで「究極の解答公開」講座を開いた“名無しの老人”
日本語の一人称にまつわる不思議な話とは?

あるフィクサーに誘われて
30年ほど前、1990年代末のことだが、肩書・経歴不詳の「おっさん」と呼ばれた名無しの老人による「哲学講座」、正確には「究極の実能・解答公開」講座に参加したことがある。実能と書いて「じったい」と読む。
1997年11月、東京・葛飾にある「明志塾水元学舎」で1泊2日の合宿講座が開催された。明志塾水元学舎とはパチンコ大手「ダイナムグループ」の佐藤洋治会長(当時)が主宰していた研修団体、研修施設・道場である。
講座に参加することになった、もともとのきっかけは、政財界並びに出版界のフィクサー・F氏(3つの名前を持っていた)からの紹介だったと思う。
当日の部屋割り表が残っていて、見るとF氏と懇意にしていた量子波動関連のT氏、日本におけるマクロビオティックの拠点「日本CI協会」のH氏などの名前が見える。
佐藤氏はマクロビオティック指導者・久司道夫氏のボストンツアーに参加していることから、いわゆる玄米菜食を能力開発・研修の一環として、久司氏をサポートしていたこともあった。その意味ではマクロビオティック関連のイベントでもある。
当日の主催は「究極の解答開顕機構」東京連絡所となっていて、住所はダイナム社内にある「天麗倶楽部」と同じ。その天麗倶楽部は「『究極の解答』を伝授する活動全般にわたり、支援することを目的としている」団体である。
当時の佐藤氏は、パチンコでの収益を様々な活動にスポンサーとして関わっていた他、実際に投資顧問業にも力を入れていた。能力開発・研修にも熱心な印象があって「究極の実能・解答公開」講座は、その一環のようであった。

究極の解答開顕機構の由来
公開講座の案内には「古代ギリシアの哲学者たちは万物の起源(アルケー)を求めていました」に始まり、いま現在、その解答は出されていない。また「人間とは、何か?」との問いにも、完全な解答が出されていないと書いてある。
「しかし、答えは出されていたのです。しかも、40年も前に(昭和32年)。古代ギリシア以来、あまたの聖賢・学者が問い求め、そして探しあぐねていた大命題『人間とは何か』が自己の正体とともに解き明かされていたのです」と記されている。
つまりは「人間とは、自己とは、命とは何か」、その答えを解いたのが、同公開講座と
いうわけである。
「解答目次」として、1.究極の実能、2.人間および自己・自我(エゴ)の正体、3.生・命についてと書かれていた。
主催である「究極の解答開顕機構なる名の由来」に関して、資料には以下のように記されている(抜粋)。名無しの老人「おっさん」の体験である。
「昭和32年(1957年)12月1日、『究極の実體を一つの名で現わせ』との要請がありました。究極の実體とは、古代ギリシア時代から問い求められてきた哲学的大命題であります」
「そもそも究極の実體とは、一体、誰が・何者?がこの『天地・宇宙・森羅万象一切』を創造し存在たらしめたか、その創造主のことです。一般的には、天地宇宙の創り主は神に決まっているのではないか、とほとんどの者は疑いを持ちません。しかし、神によって宇宙一切が創成された、とする証拠は何もないのです」
「ご承知のように『名』は、神であろうと、仏・鯨・蟻・銀・山・幽霊であろうと、有形無形を問わず、あらゆる事物事象の存在を明示する『しるし』であります。現存する約60億人の人体にはほとんど、呼称名と文字名がつけられています」
「ところが、数知れない『名』の中に、ただ『一名』、命以上の名が存在たらしめられておりました。その『名』は誰もが知っている名で、常に使われているのです」
「この『名』が、究極の実体の名であるとわからなかったばかりに、すべて闇に包まれ、謎にみちた世界(世の中)となったのであります。この『名』に秘められた謎が顕かになるにつけ、数千年来求めつづけられてきた『人間および自己(自我・エゴ)の正体』とともに『生・命不可解』の謎も解決するに至りました。この不可解・謎の解答伝達の名称が究極の解答開顕機構です」とのことである。

「人間とは、何か?」の解答
解答講座の合宿に参加して、その後も一橋大学や東大での講座にも出ているが、究極の解答は暗示され、ヒントの図とともに示されるが、実際に語られることはない。考えさせて、それを言葉にはしないという暗黙の了解があるかのようであった。
もし、解答講座で、その答えを言葉にしていれば、例えば当時、三重大学で第34回目となる「究極の解答公開」講座は、なされていないのではないか。
あえて、その答えは何なのかと考えれば、それはいわゆる「神」としか言いようがないが、神とはっきり言うことはない。人それぞれの「神」がある。「名」をつければ、その名が一人歩きして、それぞれの「神」が林立することになる。
だが、資料の中にある「人間」の意味の中に「俗に、誤りて人」(言海・大言海)とあることに気がつけば、神でいるよりも、人であるほうが、いまの時代、神や道徳の縛りもなく、世間の勝者にもなれるし、よっぽど生きやすい。
三重大学の講座が34回続いていること自体、驚きだが、それも何度も同じことを語っていても、なかなか伝わらず、広まらないためかもしれない。
その点、はっきりしていることは、合宿の場での体験だが、解答を得るための修行とも言える行動は、興味深いヒントになる。それは、あらゆる場面で「私」とか「僕」などの一人称を使わないとの決まりである。
合宿中、「一人称は御法度。使うと罰金を取る」と、冗談めかして言われても、つい言葉の端々に日ごろ使用している一人称が飛び出す。その度に「それ一人称!」と宣告されて「しまった!」と苦笑する。
「私」と言わなければ、じゃあどうするのか。「自分」も「某(それがし)」も一人称である。普段、当たり前に一人称を用いている身には、一人称を使わずに話すことは、ちょっとした苦行となる。
しかし、一人称を使わなくても、昔の日本人がそうしていたように、慣れれば一向に困ることはない。ちなみに、古くからある日本語の一人称の特徴は「己」も「我」も自分を指すと同時に、相手の意味にもなる。
日本では無人称が本来の在り方であり、それは自分と相手を分けない神の言葉になる。
その神の言葉を用いていれば、人もまた自然に神になるということだ。

霊性を高めるための実習?
一人称を使わない体験合宿は、禅宗における玄米菜食同様、実は霊性を高めるための修行であった。一人称を用いないこと、つまり自分大事、自己チューなどの自己ファーストを排し、自分を離れることによって霊性を高めることができる。
仏教などの宗教では「己」を捨てることによって、悟りを開く。「無私」が求められる理由である。
なぜ一人称を用いないほうがいいのかは、実際にやってみればわかってくることだが、人は素直に他人の言うことなど聞かない。
ところが、日本及び日本語を少し学んでいけば、本来、日本語に一人称は不要であり、私を始めとして、僕その他、すべての一人称は、使いたくない典型的な言葉の意味となっていることがわかる。
下僕の「僕」などわかりやすいが、あまりものの「余」なども、自分のことである。
そんな中で、もっともわかりやすいのは主語の「私」である。古い辞書を引けば、もともと稲の意味もあり、自分のものにすることから「わたくしする」には「姦通する」との意味にもなる。
極めつけは「男女の陰部」そして「ゆばり=小便」であろう。西洋由来の個人主義、自分ファーストの時代、「私」にこだわり、一人称を大事にすることは、糞尿の一つを大事に崇めたてるということだ。
そして、深く考えることなく「私」を使っていると、だんだん、その私(小便)に似通ってくる。言霊とは、崇高なシーンに使われることも多いが、当然ながら、逆のケースもある。言葉は疎かにはできない。

東京地検特捜部スキャンダル
1990年代、宏池会の大平正芳元首相の盟友でもあったフィクサーのF氏の存在もあって、久司道夫氏のマクロビオティックは山一証券をはじめ政財界の一部にガンや生活習慣病の治療法として浸透していった。
その一環というわけではないが「究極の解答公開」講座も東大、京大、一橋大から政財界など、意外な方面へと広まっていった。
その影響力は、実は東大卒の牙城である霞が関、京大の牙城とされる検察など官僚の世界にも及んでいた。
マクロビオティックに限らず「究極の解答公開」講座も「神」の世界に親和性があることから、とかく変な目で見られがちであった。そんな中、東大・京大など一流大学をはじめ政財界の中枢にまで浸透しつつあることは、筆者がテーマとしているソーシャル・イノベーションの観点からも、大いに期待できる流れだった。
要は、マクロビオティック(玄米菜食)も一人称を使わない「究極の解答公開」講座も霊性を高めることによって、自然に人として踏み行うべき道を世間に示す機会となるためである。
その「究極の解答公開」講座は、後日、意外な形で中央での活動を終息させた。
2004年3月、25年の歴史に終止符を打って休刊した伝説のマスコミ情報誌『噂の真相』は、タブーなき反権力・反権威スキャンダル雑誌を標榜していて、当然ながら霞が関や検察も標的にされてきた。
実際に「正義の味方」「史上最強の捜査機関」とされた東京地検特捜部に君臨した宗像紀夫・特捜部長(当時)に関する批判記事も、何回か掲載されている。
その一つが、福島の政商・小針暦二氏からリンゴ箱を贈られたとの疑惑である。小針氏はフィクサーのF氏とは、特に関わりが深い。
スキャンダル雑誌の性格上、常に多くの名誉棄損・損害賠償などの民事並びに刑事訴訟を抱えていた。
「東京地検特捜部が『噂の真相』の強制捜査を狙っている」との情報が飛び交う中、2つの刑事告訴事件を材料にした検察による『噂の真相』潰しの詳細は、元編集部員・神林広恵著『噂の女』(幻冬舎文庫)に書いてある。

その異常とも言える裁判は、スキャンダル雑誌『噂の真相』の標的にされた宗像部長の私怨だと言われていた。
同書に「宗像は94年の夏にパチンコ業者たちとベトナムへ旅行している」と書かれたスキャンダルは、パチンコ業者と宗像部長が一緒に写っている写真入り。パチンコ業者による一人約100万円の豪華接待旅行というものである。
もう一つ、99年当時、将来の検事総長と言われていた則定衛・高検検事長のスキャンダルは、付き合っていた愛人ホステスを公費旅行に同伴、ホテルに偽名を使って泊まっていた他、別れる際の慰謝料をパチンコ業者に肩代わりさせていたというものだ。
「究極の解答公開」講座と検察スキャンダルは、直接の関係はないとはいえ、また「ダイナム」と名指しされているわけではないとはいえ、パチンコ業者が関与していることから当時、意外な方面への広がりを見せていた同講座の活動も、自然に鎮静化して、いまや人々の記憶からも消え去っている。
筆者にとって、また霊性面からも残念な思い出でしかない。
コメント