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どこにでもある呆れたワンマン理事長問題と山脇教授の戦い 乗っ取りという「悪事」を犯した“善人”たちに告ぐ!(第4弾)

どこにでもある呆れたワンマン理事長問題と山脇教授の戦い 乗っ取りという「悪事」を犯した“善人”たちに告ぐ!(第4弾)

新潟美術学園

2026年の3月末か4月始め、新潟駅と新潟の中心街・市役所などをつなぐバス道路沿いにあった「新潟美術学園」の入ったビルを見ると、2階フロアーが空になっているのに気がついた。

今年に入ってからも、近くのマンションにある「新潟美術学園ギャラリー」のイベント案内の葉書が届いていたので、何の案内のないまま閉鎖したのか、移転したのかわからないため「まるで夜逃げのようではないか」と思ったというのは冗談だが、5月20日を過ぎてから「ギャラリー終了と教室移転のお知らせ」の葉書が届いた。

そこに「当学園はこの三月でギャラリー事業を終了」「今後はギャラリーを教室として使い、作品発表については外部会場を活用し、生徒作品展と併せた招待企画を継続して参ります」とのことで、7月には「新潟市美術館」の市民ギャラリーで「新潟美術学園生徒(一般・ジュニア・カルチャー)OB作品展」が開催されることになっている。

葉書が届いた数日後には、前園長の訃報が届いて、28日の通夜に出たわけだが、新潟美術学園ギャラリーが閉鎖されたことにより「新潟日報」紙のアートイベント、美術展の紹介コーナーでは、同ギャラリーの代わりに、他のギャラリーでのイベントが紹介されるようになった。結果、新潟にはずいぶん多くのギャラリーと展示会があると、改めて驚いたものである。

そんな新潟の美術界における変化と一連の流れは、前園長の引退により、時代の移り変わり、教育環境の変化とともに、新潟美術学園が縮小・衰退の動きを早めて、ついに前園長の死を迎えたとの観もある。同学園は「新潟」が学園名になっているように、新潟を代表する美術専門学校として知られている。そんな名門にも、時代の移り変わりとともに、大きな変化は訪れる。

看板学長・教授解雇!

新潟美術学園について紹介したのは他でもない。東京・市ヶ谷駅前の「山脇服飾美術学院」(清水カツ子理事長)を創設者ファミリーから“乗っ取る”という悪事を働いたばかりか、貴重な財産である自社ビル売却など、悪事を重ねる同美術学院の行く末を暗示しているように思えるからである。

日本の美術教育は、いわゆる三大美大とされる東京芸術大学、多摩美術大学、武蔵野美術大学が中心になってきたが、そこに近年では日本大学芸術学部(日芸)などが台頭してきている。

本レポートのタイトルにある「ワンマン理事長と山脇教授の戦い」とは、およそ半世紀前の70年安保の時代、学費値上げ等の大学紛争華やかなりし多摩美術大学でのことである。

同美大の歴史を振り返ると、大学紛争の歴史は、ワンマン・村田晴彦理事長就任の1961年に始まっている。理事会の分裂が始まる前期、全共闘運動の中期、そして1971年~75年の後期紛争は、理事長と1970年に同美大に迎えられたヘーゲル学者として著名な“看板学長”真下信一学長の対立・分離へと続いた。

その間、学業放棄・正常化連盟・中核派による本館封鎖など、教育の場とは思えない事態が続いた紛争は、1975年3月、村田理事長の退任、その年7月の死去によって、終息している。

山脇教授の戦いとは、同年2月の入試シーズンに、経営権を一手に握る村田理事長が、真下学長と山脇国利教務部長の2人を突然解雇。解雇を無効とする法廷闘争を展開したことである。山脇教授は東京大学宗教学宗教史学科出身で「明末清初における耶蘇教の伝道」などの論文がある。元・理事長代行である。

解雇の発端は、2年前の1973年に逆上る。当時「入試に不正があった」との父兄からの投書が関係者に送られてきた。背景には、10数年にわたるワンマン理事長の目に余る暴挙と大学の私物化があったためだ。

だが、ワンマン理事長との学長派理事を含めた法廷闘争は、理事長側が誰も出てこないまま、一向に進まず、その間、教授連中は収入の途が絶たれたことから、いわば兵糧攻めのような形で和解に応じたとか。ここでも、カネと権力を握る者が、表向き勝利を収めるわけである。

マッチポンプ?

長年のワンマン理事長の横暴、父兄からの投書による問題の発覚など、同美大の問題は50年後の山脇服飾美術学院を巡る問題とオーバーラップするところがある。いつの時代も人間たちがすることは、代わりばえしない。

もっとも同美大の闘争では、学長派と理事長派とに分かれて両派が対立していたのに対して、山脇服飾美術学院の場合は、コンプライアンス(法令遵守)等の組織に対する社会的なチェックが厳しい時代に、ほとんどあり得ないような、ゆるさというか、いい加減さのため、理事長派しかいない。

もっとも、わかりやすいのは同学院の監事2人の内、筆頭監事が顧問弁護士(岩田拓朗弁護士)と同じ弁護士事務所の先輩・後輩(上司と部下)の関係であることだろう。言うまでもなく「監事」とは理事や取締役の仕事や法人の財産管理を監査し、不正や誤りを防ぐ役割を担っている。

世に「マッチポンプ」という表現があるが、自分たちで問題を起こして、自分たちでその火を消す。いわば、やらせである。結果、何の社会的なチェック機能が働かないまま、やりたい放題の弁護士並びに監査役が介在することによって、理事長による学院乗っ取り等の悪事が成立するわけである。

懲戒請求受理の顧問弁護士

その山脇服飾美術学院の顧問弁護士は、2019年6月、東京第一弁護士会に「懲戒請求」を受理されるという経歴のある、曰くつきの弁護士である。

その原因となったのが、住宅賃貸等の保証会社フォーシーズと特定非営利活動法人「消費者支援機構関西」との裁判で「保証会社が賃貸借契約を解除できる」との不当条項を巡っての争いである。

裁判に関して、同支援機構の代理人弁護団は「裁判所はこの条項を不当条項として削除するように命じましたが、これを不服としてフォーシーズは控訴しております。この不当条項を必死で有効にしょうとしているのが、この弁護士なのです」と指摘している。

消費者支援機構の弁護団が消費者=弱者の味方であるのに対して、顧問弁護士は家賃賃貸借保証業フォーシーズ=強者の味方である。保証会社は債権回収業者同様、時に「悪徳」と称されることが多いだけに、学院乗っ取りという悪事を犯した“善人”たちにとっては強い味方なのかもしれないが、金になるからといって、何でもクライアントの望み通りに代理人になり、顧問弁護士をしていればいいというわけでもないだろう。

事実、裁判所を向こうに回して、その命令を不服としたところで、却下されるのがオチである。フォーシーズの裁判も、敗訴で終わっているばかりか、弁護士会に懲戒請求が受理されるといった汚名を着せられるわけである。

要は、同美術学院は公認会計士協会から上場会社等監査人名簿への登録を拒否された吉田恭治公認会計士同様、顧問弁護士もスネに傷を持つ悪徳というか、無能な連中が同学院を理事長サイドと一緒になって、食い物にしている典型的な事例というわけである。そんなことが、一体いつまで続くのか。持続可能性は著しく低いと言わざるを得ない。

顧問弁護士への質問状

ところで、肝心の山脇服飾美術学院問題の主役・清水カツ子理事長への取材については実質的な取材拒否=取材妨害の結果だが、代理人(顧問弁護士)が一切の対応を受任したとの配達証明が届いているので、そろそろ代理人に最初の質問状を送ることにした。

本来なら、こちらも「配達証明」ないしは「内容証明」で送るべきところだが、こんなことで郵便料金はさておき、郵便局員の手を煩わせるのは本意ではないため、あえて普通に郵送した。とても、まともに答えるとも思えないが、その内容は以下の通りである。

* * *

山脇服飾美術学院に関する具体的な質問の前に、代理人に2点ほど確認することから始めたいと思います。

質問 1.「山脇服飾美術学院乗っ取りという悪事を働いた“善人”たちに告ぐ!」のレポートを読んだ感想について、お聞かせ下さい。どんな気分でしょうか? 2.学院乗っ取り等の悪事を推進するのに、結果的に加担してきた顧問弁護士としての仕事に関して、情けないとは思わないのでしょうか? 3.山脇服飾美術学院職員の口臭問題に関して、理事長は対応に出た学院職員に、ちゃんと伝えて歯医者に行くように促してくれたのでしょうか? 4.ジャーナリストから「乗っ取り犯」と指摘された理事長の様子は、どんな感じだったのでしょうか。お聞かせ下さい。

その他の質問は、次回以降に考えることにして、とりあえず以上の4点に関して、誠実な対応を期待して、代理人からの回答を待つことにしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。なお、7月21日(火)までに届くように、回答いただければ幸いに存じます。

* * *

というものだ。顧問弁護士からの回答については、次回に紹介したいと思う。

 
 
 

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